マンガ日本の歴史 44
民権か国権か
石ノ森章太郎
中央公論社
1993年6月5日 初版印刷
1993年6月20日 初版発行
『マンガ日本の歴史43 ざんぎり頭 で文明開化』の続き。
43巻も42巻に続く明治初期の混乱。44巻も、続く混乱の数々。新政府内での仲間割れ。 岩倉使節団に行ったメンバーと国内に残った西郷隆盛らとの間 で価値観の相違が生まれたのは 「やむなし」 だろう。今のように、ネットで即時情報共有できる時代でもなかった訳だし。また、西洋をまねして朝鮮の植民地化をしようとする日本。イケてない・・・・。人間模様もややこしくなっていく。
目次
第一章 維新三傑時代の終焉
第二章 地方民権と私擬憲法
第三章 激化する民権運動
第四章 大日本帝国憲法
第一章の維新三傑とは、木戸孝允(1877.5.26 45才病没)、 西郷隆盛(1877.9.24 51才自刃没)、 大久保利通 (1878.5.14 49才暗殺)。1870年代は、新政府の混乱の中の世代交代時期ともいえるのか。
政府の混乱は、朝鮮をめぐる意見の対立によるものと、自由民権運動に対する意見の対立が主なところ。一方で、人々の新政府の不満から沸き起こる武装蜂起。自由民権運動でも、急進派と主流派との内部意見対立と分裂。
明治になると、一気に「複雑系」になってきて、藤原氏や平家のごちゃごちゃとは次元の違うごちゃごちゃ。「思想」による対立っていうのは、もしかすると明治以降なのかもしれない?自由がもたらす混乱というのか、封建性というのは、ある意味シンプルだ。裏では様々な思惑があったとしても、形の上では1本のラインがあるけれど、明治以降はあっちにもこっちにもラインがでてきて、互いに平行線だったり交わって流血の事態になったり。
現代の複雑さに比べれば、まだシンプルなのかもしれないけれど、やはり、「ああすれば、こうなる」なんて、単純なことにはならなくなったのが明治以降なのかもしれない。
おもな、イベントを覚書。
・1873年、明治6年の政変
朝鮮施設派遣を巡って、 征韓論派の西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣の5参議が、辞職した。
対立したのは、大久保利通、 岩倉具視ら。 この時、木戸孝允、 大隈重信、大木喬任は、すでに参議。5人の辞職の後、新たに 伊藤博文、勝海舟、 寺島宗則が参議となった。
このあと、岩倉が赤坂で襲われる 岩倉襲撃事件発生。犯人は、全員高知県士族だったため、板垣も疑われるはめに。
・1875年、明治8年 9月 江華島事件
行き詰っていた日朝交渉に軍事的圧力をかけるため、日本が意図的に朝鮮を挑発。朝鮮が攻撃してきたことを口実に、日本は永宗島(ヨンジョンド)の砲台を破壊。翌年、明治9年1月、 黒田清隆(正使)、 井上馨(副使)が 江華府(カンファドフ)に乗り込み、 日本 唯の不平等条約である 日朝修好条約を結ぶ。
井上薫は、後に鹿鳴館をつくっている。猿真似と揶揄された。また、政治の世界に福沢諭吉を巻きこもうとしたり、大隅についているかのように見せて伊藤についたり。ちょっと、行動がいけ好かない感じ?
・1877年、西南戦争:西郷軍vs政府軍。熊本城、鹿児島での戦い。2000人の政府軍に包囲された370人の西郷軍は敗北。西郷隆盛は、城山で最後を迎えた。この時、政府軍は「三菱商会」創立者、 岩崎弥太郎から大量の物資を仕入れている。岩崎弥太郎はこれにて、成りあがる。
・明治12年ごろ、自由民権運動の高まり。政府による「集会条例」などの布告によって、活動は弾圧された。集会ができなくなった活動家たちは、憲法研究、政党結成へと活動をかえた。この時、 五日市憲法と言われる千葉卓三郎らによる「日本国帝国憲法」といった私擬憲法草案がつくられた。
・明治14年の政変:憲法をめぐっての意見の対立から、岩倉、伊藤、井上が、大隅を追放。
大隅は大蔵卿だったが、財政にも失敗。大隅のあとを松方正義が引き継いだ。陸奥宗光の地租改正を松方が実行する立場になったが、多くの反発から地租は3%から2.5%に引き下げられた。
・1882年、明治15年:壬午(じんご)事変
朝鮮の日本公使館が焼討された事件。朝鮮の開化政策に反対する軍隊による事件。
・1884年、明治17年:甲申(こうしん)事変
朝鮮における、親日派のクーデター。日本がふっかけた?清国の介入で失敗。 朝鮮は清国の強い影響下に置かれることとなり、このことが、日中関係の悪化につながる。
混乱につぐ、混乱、、、と私には見える。
福沢諭吉、徳富蘇峰(ジャーナリスト)、星亨(自由党)、大山巌(陸軍卿)といった、こののちも名前がでてくるひとびとが、ちらりほらりと、顔を出している。
本シリーズは、この44巻のあと、なぜか45巻で旧石器時代に後戻りしている。かわりに、「マンガ日本の歴史 現代篇」が明治の話の続きなので、次は、現代篇へ。
