『魂の教育 よい本は時を超えて人を動かす』  by 森本あんり

魂の教育
よい本は時を超えて人を動かす
森本あんり
岩波書店
2024年11月6日 第1刷発行
BONAE LITERAE  Anri Morimoto

 

勅使河原真衣著『働くということ「能力主義」を超えて』の中で、森本さんの著書が引用されていた。

megureca.hatenablog.com

「『 相手を心から受け入れ違い を喜びなさい』というポストモダンのお説教」(『不寛容論』)

他にも、この数か月の間に、何回か「森本あんり」の名前にであった。著書を読んだことがなかったので、岩波書店の「図書」で新刊の紹介にでていた最近の著書を図書館で借りて読んでみた。

 

表紙の裏には、
” よい読書体験は良い人間形成につながる、と信じる。
真っ暗な地下鉄の線路を歩いた昔日の彷徨から、 自らの実存の問いと対峙した神学遍歴、 自分の人生を一つの物語として紡ぐ最後のピースとなった、半世紀後に届いた「魂の教育」を願う母の祈りとの再会までーー。
月刊誌『世界』で綴られた、教養主義の理想「ボナエ・リテラエ」を冠する思索の航跡。”
とある。

 

ソフトカバーの単行本で、なんだかとても手になじむ。すこしきなりがかった背景に黒い明朝体のタイトル。縦書きがいい。なんだか、読む前から、本からなにか語り掛けてくる気配を感じる。装丁のバランスが好きだ。

 

著書の森本さんは、なんと、男性だった!本書のはじめの方で、自分の名前について語らねばならないといって、男の名前にしては珍しく、「禿げたおっさんだった!」と驚かれるというエピソードが、、、。禿げていらっしゃるのかは存じ上げませんが、そうでしたか、男性でしたか!これまでに私が目にした「森本あんな」にまつわる話の中で、私はすっかり女性を想像していた。。。

 

森本あんりさんは、 1956年生まれ。 国際基督教大学東京神学大学プリンストン 神学大学を修了(Ph.D)。 国際基督教大学教授、学務副学長を経て 2022年に名誉教授。 同年より東京女子大学学長、プリンストン 神学大学とバークレー連合神学大学で客員教授を務めた。近著に、『 反知性主義』『 不寛容論』『 キリスト教でたどるアメリカ史』『 異端の時代』など。

そして、読んでいて明らかになったのは、牧師さんであるということ。そうか、そういう人の言葉だったのか、、、と、改めて納得してしまった。

 

目次
Ⅰ 実存の闇
 1 名付け――『ファーブル昆虫記』
 2 口火――「良い書物」
 3 破局――『CQ ham radio』
 4 スタンド・バイ・ミー――村松喬『教育の森その後』
 5 宗教は阿片だ――マルクスヘーゲル批判』
 6 内面の共同建築師――森有正『ドストエーフスキー覚書』

Ⅱ 諸宗教の光
 7 非存在の淵――波多野精一『時と永遠』
 8 預言者――ウェーバー『古代ユダヤ教
 9 魂のリズム――井筒俊彦『 「コーラン」を読む』
 10 「弱さ」の自覚――『大パリニッバーナ経』
 11 会議の精神――大木英夫『ピューリタン

Ⅲ 遍歴する神学
 12 日本発の世界的神学――北森嘉蔵『神の痛みの神学』
 13 近代啓蒙の爆裂――バルト『ローマ書』
 14 「わたしのお母さん世界一よ」――トレルチ『キリスト教の絶対性と宗教史』
 15 見知らぬ本が招く――エドワーズ『怒りの神』
 16 存在のスキャンダル――アリストテレス『ニコマコス倫理学

Ⅳ 遥かな成就
 17 不安を引き受ける力――ティリッヒ『生きる勇気』
 18 愚かな光の子――ニーバー『光の子と闇の子』
 19 真理は出来事である――ブルンナー『出会いとしての真理』
 20 運命と自由――バーガー『聖なる天蓋』

 あとがき


感想。ほぉぉ。。。。ふうぅぅ。。。いい本だった。蔵書にしてもいいな、ってくらい。目次を見るとわかるように、あんりさんが読んできた本について、その思い出とともに綴られるエッセイみたいな感じ。中学生のときには、月に20冊の本をよんでいたというあんりさん。幼くしてお母さんを亡くし、お父さんに初めて買ってもらった本が『 ファーブル昆虫記』だったという。お父さんは絵描きで、アンリ・ルソーアンリ・マティスが好きだった。そして、アンリ・ファーブルの著書を買ってくれた。

 

お父さんは、「杏理」という名前で出生届を出すつもりだった。でも、当時、名前に「杏」という文字を使うことが許されておらず、かわりに「あんり」となったということ。そんな名前のエピソードから聖書の話がよく登場する。聖書に「杏(あんず)」はでてこないけれど、「あめんどう(アーモンド)」はたびたび出てくる。アーモンドは、ヘブライ語で「シャーケード」といって、「見張る」という意味があるらしい。また、アーモンドは日本の梅のように、 他にまだ花も葉もない 寒さの中でいきなり白い花が木 いっぱいに開くので、「 春を告げる花」とも呼ばれているとのこと。しらなかった。そして、「目覚め」を意味する「シャーケード」という言葉もあるのだそうだ。

 

フィンセント・ファン・ゴッホの「花咲くアーモンドの木の枝」は、そういう春を描いていたのか・・・・。聖書からの意味もあったのかな?

 

と、本書の中には、聖書からの言葉がたくさん引用されている。あんりさんは、つらい幼少期を過ごした後、20歳で洗礼を受け、その後牧師になったのだ。本の紹介にあった、「母の祈りとの再会」は、母が洗礼を受けていたことを後年になって知り、幼い自分と母が、蒲団のうえで祈っている姿の写真をみつけて、自分が牧師になったというのは、母の祈りともつながっていたのだと知ったという奇跡のようなお話。洗礼していたことすら知らなかったのに、母が洗礼を受けていた教会を見つけることができて、信仰告白を目にすることができたのだ。そこには、「この子の魂の教育を主たる神に委ねたので、安心して死を迎えることができる」とあった。幼くして亡くした母の思いが、実は自分の中に届いていたということを知ることは、なんとも心の安堵というのか、、、想像しただけで泣けてきた。

 

副題になっている「ボナエ・リテラエ」とは、直訳すると「良い書物」ということで、もう少し広くとると「 優れた・洗練された・品格のある」「 文書・ 手紙・ 文芸・ 文学・ 教養・ 学問」ということだそうだ。 ハーヴァード大学は今ではリベラルアーツで有名だが、大学の設立目的は、”all good literature, artes and Sciences”の推進とあり、ここでいうgood literatureとは、文学ではなく、まさに「ボナエ・リテラエ」であり、リベラルアーツ全体を包括している。

あんりさんは、「 リベラルアーツが理系学問を内包しないというのは誤解である」と言っている。うん、物理は哲学だし。私もそうだと思う。

 

3 破局――『CQ ham radio』では、あんりさんの幼少時代の苦労が語られている。あんりさんの姓は、生まれた時は、森本ではなく福島だった。生母は心臓が弱く、あんりさんが5歳の時に亡くなる。亡くなる1年くらい前から、あんりさんはあちこちの親戚え預けられた。画家のおとうさんは、貧乏で、治療費を工面するために画家以外の仕事でも忙しかったからだろう。覚えているのは、霊柩車がきて母の亡骸と一緒に乗るように言われて、公園へ遊びに行きたくて、乗りたくないとだだをこねたこと、、、と。
そして、お父さんは、その後再婚し、名字が森本となった。森本の家へ入ったのだ。だが森本の祖父母は、あんりさんに容赦なかった。祖父には「おまえが嫌いだ」と面と向かって吐き捨てるようにいわれたり、あんりさんが望むことにことごとく反対した。この章のタイトルにあるハムラジオは、せっかく国家試験をとって免許も取ったのに、継祖父の大反対でアンテナを立てられず、開局できなかったという破局のものがたり・・・。


と、思い出したくもない記憶だと言いながら、あんりさんの筆っぷりは、なんというか、明るい。文章が軽快で読んでいて楽しい。もっと、あんりさんの本を読んでみたいと思う。

 

10 「弱さ」の自覚――『大パリニッバーナ経』では、2人の禅宗のお坊さんの物語が紹介されている。原坦山(はらたんざん)と諸嶽奕道(しょがくえきどう)の話。二人が泥道を旅している途中、綺麗な娘が水たまりになった交差点を歩けずにいるのに出会う。坦山は、「お嬢さん、いらっしゃい」といって、抱きかかえて泥道を渡してやった。奕道は、 その晩、 彼らが泊まる 寺に到着するまで 何も言わなかった。 そこで もう我慢ができなくなって、彼は、坦山に「 我々坊主は女、ことに若くて可愛いのには近づかない。 危ないからだ。君は、なぜああしたのだ。」と言った。坦山は、「わしは、あの子をあそこに置いてきた。君は、まだあの子を連れているのか」と答えた。

 

二人のどちらに共感しますか?

 

授業で聞くと、坦山が人気らしい。かっこいい、と。でも、あんりさん曰く、「弱さ」の自覚がない。戒律は、誘惑に陥りやすい人間の弱さをみつめてつくられたものである。それを平然と無視する坦山は、自分は誘惑に負けない、堕落しないという強さがある。

あんりさんは、それは”倨傲(きょごう)や慢心と紙一重”という。
そして、奕道のほうが、愛おしく感じてしまう、と。

うん、わかる。
人の弱さが愛おしく感じるのって、歳を重ねてからじゃないとわからないかもしれない。

弱さを認める人の方が、強い。

 

ニーバー『光の子と闇の子』は、佐藤優さんも頻繁に引用していて、いつか読もうと思って購入してある。かなりながいこと積読になっている。いよいよもって、手を付けるか・・・・。

 

気になったところ、覚書。
佐藤忠男『学習権の論理』:高校生の時に図書館で読んで強く心にひびいた、ということ。解決されない学習機会の不平等など文部省行政や、「産学協同」といって、札束の成る研究ばかりを奨励することへの批判。

 

村松喬『教育の森その後』:日本の教育問題を追及
 ” 生徒の潜在的能力の発展 よりもむしろ選抜を重視する・・・・日本の大学の第一の特徴は 東京大学を頂点とする 厳しい階層性と入学試験制度である」

 

森本あんり『 人間に固有なものとは何か』:あんりさんと宗教との出会いについて。高校時代の思い出の本、3冊を紹介している一冊。その三冊とは、以下の3つ。
1,マルクスヘーゲル批判』(宗教は阿片だ)
2,森有正ドストエフスキー 覚書』キリスト教の中心問題は人間の「罪」もしくは罪性を明らかにし、 その罪からの救いを教えようとするにある。このことは人間 倫理的責任のある主体として規定することを意味すると同時に、それからの救いは人間をその責任を負うことのできない主体として規定する。 この2つの矛盾する事柄が一つに結合しているところにキリスト教の独自性がある。)
3,マックス・ヴェーバー『古代ユダヤ教(あんりさんにとって、聖書の世界が、一挙に歴史全体に広がった)

 

・”ガルーダが飛んでいるのを見た、という女性がいたといって、空を見上げる人びと”:ガルーダは、 ヒンドゥー 叙事詩に出てくる神話的な鳥のこと。神話の鳥であるとわかっていても、空を見上げてしまう人々がいるということ。信仰とは?その人にとっての当然とは?
主体的真理」の方が大切なのではあるまいか、という話。

 

森有正のいう「経験」とは?
” ある日、 自分が歩いてきた道の起点はここだったのかと気が付くこと。 思い返してみると あれが自分の出発点だったと納得するようなこと。”

 

・ ”大人になるということは罪を知るということである。 いや、人は罪を知ることで大人になるのだ

 

井筒俊彦イスラーム文化』岩波文庫):あんりさんが、神学の授業を自分で教えるようになって必ず引用する重要参考文献の一つ。ムハンマドは宗教だけでなく、政治においても最高指導者であったことの説明。

 

国際基督教大学の寮は、リベラルアーツの全人教育の一つの意義がある。国際基督教大学には、他大学にあるような「ミスコン」はない。”そのような催しを許さない学生たちの基本感覚を、大学は誇りに思っている。”

 

北森嘉蔵『神の痛みの神学』:世界でもっともよく読まれた日本の神学書。

 

・わからなかった日本語:拘泥(こうでい):こだわること。小さいことに執着して融通がきかないこと。(広辞苑

 

・あんりさんが学部と大学院の間の春に訪れたネパールで、 自分の世界観を根本から問い直される衝撃の経験をしたという話。 日本キリスト教協議会が主催するワークキャンプであんりさんら3人がカトマンズからバスで1日、そこからさらに3日間歩き続けた山の中の村を訪れた。村長さんの家に寝泊まりしたが、そこには毎日牛飼いの少年が出入りしていた。 小学校に上がるくらいの年齢だが おそらく 小学校には行っていない。 これからも行かないだろう。 日本の子供のように、小学校から中学へ、高校を終えたら大学へ、 そして 成人したら自分の選ぶ職業へなどという変化や選択の可能性は、彼には初めから存在していない。 昨日も今日も明日も、世界は永遠に永遠にわたって同じように繰り返す毎日で構成されている。
といって、それが不幸というわけでもない。その村では、 それは十分に完結し 充足しており、晴朗かつ透明で、 宇宙と調和しており、 維持可能だった。 その少年の生があんりさんに突きつけたのは「 変化」や「進歩」を当然のように考えていた自分にとって、制度などとは次元の違う根本的なものだった、ということ。

 

・redeem/redemption「買う」という商売の言葉は、「救う」という神学の用語でもある。

 

・”「自分は罪を犯さずに生きてゆくことができる」と思っているうちは、人は大人ではない。「自分に罪はない」と思っているうちは、人は個人ではない。”

 

・「ラインホルド・ニーバー・プレイス」通り。ニューヨークのアップタウン、西120番通りのうちの3ブロック、ブロードウェイとリバーサイドの間の短い区間。ユニオン神学大学で30年以上にわたって教えたラインホルド・ニーバーを記念して市が名前をつけた。著書『光の子と闇の子』は、1944年に書かれた民主主義論。副題、民主主義の正当性の証明とその伝統的な擁護の批判。ニーバーは、今日の民主主義が危機に瀕しているのは、「愚かな光の子」によってつくられてきたからだ、という。「光の子」とは、私的利益を高次の律法に従わせようとする楽天的な理想家。「闇の子」は、自分の利益しか考えない冷笑家。光の子は善だが、利己心の力を軽視する。闇の子は悪だが、利己心の力をよく見抜いている。とりわけ、光の子に潜む利己心を。

 

・ピーター・バーガー、 トーマス・ルックマン 著『現実の社会的構成』:『プロ倫』と並んで、20世紀に書かれた最も重要な社会学の本の一冊。社会は人間のつくる制度や法律や言語の体系(ノモス)として成り立っており、人間はそのノモスを自分のうちに取り込むことで成長し大人になる。すぐれたノモスは、それが人間によってつくられたものだということを上手に隠蔽する。あたかも、太鼓の昔からそうであったかのように信じ込ませる。

 

・ピーター・バーガー、森本あんり訳『現代人はキリスト教を信じられるか 懐疑と信仰のはざまで』:神学と宗教学の両方が織り合わさった魅力的な本。バーガーの得意な冗談や小話もふんだんに盛り込まれている。 

 

神学の話であり、あんりさんの生い立ちの話であり、そうか、だから「魂の教育」なのか、とタイトルの意味が読み終わってから響いてきた。

難しい神学だけれど、あんりさんの経験話もふんだんに盛り込まれていて、読みやすい。物語のように読むことができる。

 

生きるとか、死ぬとか、難しく考えなくていいから、色々経験すればいい、読んでみればいい、、、そんな風に感じられる。

 

悩んだり、不安になったりする暇があったら、本を読もう。

読書は楽しい。