『マンガ日本の歴史 現代篇3 大戦とデモクラシー』  by 石ノ森章太郎

マンガ日本の歴史 現代篇3 大戦とデモクラシー
石ノ森章太郎
中央公論社
1994年2月5日 初版印刷 
1994年2月20日 初版発行

 

『マンガ日本の歴史 現代篇2 大日本帝国の成立』の続き。

megureca.hatenablog.com

 

大正デモクラシーって、社会科でなんども聞いた言葉だけれどよく理解していない。本書をよむと、あぁ、なるほど、そういう流れの、そういう世間の流れね、ってわかる。でも、明治維新以降って、大正時代をすっ飛ばして昭和の 戦前 戦後の授業に移行しがちな気がする。そして、私の興味も大正時代が一番薄いかもしれない・・・・。

 

目次
序章 大いに亨(とお)りて以て正し天の道なり
第一章  大正政変と護憲運動
第二章  第1次世界大戦
第三章 大戦景気と民本主義
第四章 《平民宰相》と普通選挙

 

まずもって、目次に出てくる言葉も、私にとっても聞きなれない。まず、言葉の確認。ネット検索ででてきた言葉だけど覚書。

 

大正政変: 1913年2月、前年末からおこった憲政擁護運動によって第3次桂内閣(1912年12月21日~1913年2月20日)が倒れたことをさす。広義には第2次西園寺内閣(1911年8月30日~1912年12月21日)の崩壊から第3次桂内閣を経て第1次山本内閣の時代までとされる。

 

護憲運動:大正時代に起こった、立憲政治を擁護し、藩閥政治を打破して政党内閣の確立を目指した政治運動。特に、第一次護憲運動(1912-1913年)と第二次護憲運動1924年)の2つの時期に大きく展開された。

 

民本主義:国家の主権は天皇にあるとしながらも、政治を行う上で国民の意向や幸福を重視すべきだとする考え方。大正デモクラシー期に提唱され、民主主義(主権は国民)の理念を取り入れつつ、当時の憲法における天皇主権の原則を維持しようとするもの。吉野作造がつくった言葉。

 

平民宰相爵位を持たない平民出身の内閣総理大臣、特に原敬を指す言葉。原敬をさす。原敬は、1918年から1921年まで第19代内閣総理大臣を務め、それまで、首相は公爵や伯爵などの爵位を持つ人物が務めるのが通例だったため、平民出身の原敬が首相になったことは大きな注目を集め、平民宰相と言われた。

と、なるほど、その流れを示したのが3巻ね、、、なのだ。3巻のなかで、原敬は暗殺されちゃうけど。と、時代の流れは、この目次にでてくる出来事の通り。

 

最初は、明治天皇の御大葬( 1912年(大正元年)9月13日)の様子と、乃木希典の殉死。それに対して「武士道の美しさを見た」と論文を書いた森鴎外武者小路実篤柳宗悦といった白樺派の文化人の活躍。社会主義派の擡頭。平塚らうていが「 原始 女性は実に太陽であった」と語った「青鞜」創刊。そんな時代背景の中、 大正デモクラシーの様子の説明。

 

覚書としては、人物像。
西園寺公望(さいおんじきんもち):伊藤博文が亡きあと、政友会総裁をひきつぐ。軍拡より財政整理を優先。原敬は西園寺内閣で内務大臣をつとめた。

 

・閥族の政治家たち: 山縣有朋(長州)、 桂太郎(長州)、 松方正義(薩摩)、 大山巌(薩摩)

 

護憲3派:桂内閣(閥族)の抵抗勢力板垣退助(元自由党)、尾崎行雄(政友会)、  犬養毅(国民党、後の革新倶楽部、憲政の神様)

 

後藤新平:第三次桂内閣の逓信大臣

 

加藤高明:第三次桂内閣の外務大臣岩崎弥太郎の娘婿。


 

国内が大正政変の影響ででごたついている中、第一次世界大戦勃発の発端となった、 オーストリアハンガリー陸軍最高司令官 フランツ・フェルナンド大公(ハプスブルク朝王位継承者)がサラエボセルビアの青年に暗殺された事件(1914年6月28日)も詳しく述べられている。
この時、日本の立ち位置を明確にするためにも、と参戦を決定したのは、 大隈重信。ドイツがもつ中国の領土を狙っての参戦。 8月23日にドイツに宣戦布告。ドイツに勝ったことで、中国にあるドイツ領を奪う。調子に乗って、 袁世凱対華21ケ条約を要求。日本が中国を植民地化しようとしていることが見え見えの一方的な条約だった。在日中国人の反日感情が高まることに。

 

第一世界大戦では、ドイツが毒ガスをふくめたこれまでにない兵器を使用した。Uボート(潜水艦)も登場。

 

1917年、アメリカが参戦。一方で、ロシアでは、ポルシュヴェキのレーニンが立ち上がり 世界初の社会主義政権を立ち上げる。ロシア国内は、ロシア革命により不安定に。そこに付け込んだのが、イギリス、フランス、日本だった。

 

ヨーロッパは、戦争によって経済麻痺状態に陥ったが、日本は生糸・綿糸、軍需品などの輸出産業が大戦景気に突き進み、日本の中には成金がうまれる。その多くは、長くは続かなかったけれど。

 

一方で、米価急騰による米騒動が各地で勃発。中でも越中の女一揆は、主婦たちの怒りが爆発した。

 

1918年9月29日、原宰相誕生。その後、2019年11月には暗殺されてしまうが・・・。

 

1919年(大正8年)3月1日、朝鮮で大日本帝国からの独立運動勃発。3.1運動

 

そんな不安定な中、1923年9月1日 関東大震災発生後藤新平による復興事業。一方で、流布による朝鮮人虐殺事件も発生。

 

1925年、治安維持法共産党対策)、普通選挙(成人男子のみ)が成立。

 

そして、1926年12月25日、大正15年は昭和元年となった、というところまで。

 

マンガ日本の歴史も、ようやく現代から100年前まで近づいてきた。大正は15年までしかなかったんだね。そして、昭和が始まる。だいぶ、身近なきもするけれど、やはり、戦後までが私の中では近代史かな・・。

 

そして、あれ? 序章の「大いに亨(とお)りて以て正し天の道なり」って、なんだ?と思ったら、元号「大正」の出典だった。

公羊伝[くようでん]曰、 「君子大居正」[君子は正[せい]に居ることを大なりとす]。易曰、「大亨以正天之道」[大いに亨[とお]りて以て正しきは、天の道なり]

ということで、『易経』にある言葉から「大正」という年号が決まったらしい。

大いに通じ、そして正しい状態であることは、天の道である」ということ。

 

大正は、正しい道だったのか、、、?歴史が判断する、ってことかな。史実は、大正の流れから、昭和の戦争に突き進む・・・。

人は、間違いを犯す。

間違いだと気づくのが、遅いと悲惨な結果が待っている。

だから、歴史に学んで、手遅れになる前に間違いに気が付くべきなんだろう。

いまだにそれができないというのは、人間は進化していないということなのか?

 

それでも、やっぱり、歴史は学ぼう。

その努力をしないことこそ、悪である、、、と思う。