失われた時を求めて⑥ 第三篇「 ゲルマントのほうⅡ」
マルセル・プルースト
高遠弘美 訳
光文社古典新訳文庫
2016年12月20日 初版第1刷発行
失われた時を求めて⑤ 第三篇「 ゲルマントのほうⅠ」の続き。
裏の説明には、
”ヴィルパリジ夫人の サロンに招かれた語り手は、 ドルフェス事件や芸術の話に花を咲かせる 社交界の人々を目の当たりにする。 一方、 病気の祖母の容態は さらに悪化し、 語り手 一家は懸命に介護するのだが・・・・・。第三篇「ゲルマントのほう」(一)後半と(二)前半を収録。〈全14巻〉”
とある。
⑤の終わりに、サン・ルーと愛人の痴話げんかに巻き込まれた私は、暴力的になるサン・ルーの意外な面をめにしたあと、サン・ルーにヴィルパリジ夫人の家にはそれぞれ別々に行こうといわれ、 ヴィルパリジ 夫人の家へ向かう。
⑥ほとんどは、ヴィルパリジ夫人の家で繰り広げられる、人びとの様子。(ニ)の前半となっているのが、祖母の体調が悪化し、亡くなるまでのこと。2つの異なる場面がおさめられている。
ヴィルパリジ夫人の家にやってくるのは、 ノルポア 大使、 ゲルマント公爵夫人(オリヤーヌ)、 ゲルマント公爵(バザン)、サン・ルー(ロベール)とパリで息子に逢えることを楽しみにする母・マルサント伯爵夫人(エーナール・マリー)。ヴィルパリジ夫人の回想録の手伝いをしている古文書学者、歴史学者なども訪れる。私はそこで、スワン夫人(オデット)やルグランダンといったスノッブにも出会う。つまり、ヴィルパリジ夫人の家のサロンにやってくるのは、親族関係者、あるいは夫人が必要とする職人か、スノッブたち。私の友人であるブロックや、サン・ルーの叔父にあたるシャルリュス男爵もやってくる。
客人たちは、ヴィルパリジ夫人の描く絵にあーだこーだとコメントして誉めそやしたり、別のサロンのうわさをしたりしている。でも、どのような話題のときでも、「ドレフェス事件」(ユダヤ人の冤罪事件)の話にいきついてしまう。サン・ルー、私、ブロック、みんなドレフェス派。ブロックはユダヤ人。オデットは、スワン(夫・ユダヤ人)がドレフェスを支持するような発言をすることを嫌がる。当時は、反ユダヤこそが新しい考えであるかのような空気があった。オデットは、夫のことよりも、自分がドレフェス派とおもわれることがいやだったのだ。どこまで勝手な女・・・・。
私は、おもわぬところでオデットに出会っておどろくが、かつてのようなときめきは全くない。こころはすでにゲルマント夫人に移っている。ノルポワ大使(父とも知り合い)や、シャルリュス男爵が、自分のことをうまくゲルマント夫人に紹介してくれないかと内心期待して、彼らと会話をする。
が、オデットから、ノルポワ大使は、ゲルマント大公夫人の晩餐会で、私のことを悪く言っていたと聞く。
「 最近、 シャルリュスがゲルマント大公夫人の晩餐会に出たんですって。 そうしたら、 どうしてか知りませんけど、 あなたのことが話題になったというのね。 ノルポワさんはあなたのことを、こういったらしい。。。。。 莫迦げたことだし、 こんなこと、 気に病んではいけない、いい? 誰も真面目に受け取らなかったし、 誰の口から出たことかくらいみんなよくわかっていましたからね・・・ あれは半分 ヒステリーのおべっかつかいだって。」
私は、ノルポワ氏がそんなことをいうのに驚くが、もっと驚いたのは、確かにかつて、自分がスワン家に出入りしたくてノルポワ氏にいろいろと言っていたということを、ゲルマント夫人にまでしられてしまったのか?!ということだった。
そして、私は、ゲルマント夫人に自分を正しくしってもらうためにも。シャルリュス男爵に近づく。が、、帰りしなに2人きりになると、イヤになれなれしく、私に腕を回してくるシャルリュス。。。。
う~ん、どうも、サン・ルーにしても、シャルリュスにしても、同性愛の傾向があるのか?この時代は、そういうものだったのか???
そして、場面が変わると、祖母の体調悪化について。母も私も、日に日に衰弱していく祖母を見ているのがつらい。フランソワーズは、変わらずに祖母の面倒を見ているが、ときに、がさつ・・・。
③で、体調不良の私に「カフェオレ」を「オーレ、オーレ」とすすめていたコタール医師は、祖母を診察すると、やはり、「牛乳をのめばよくなる」というのだった。。。。が、祖母は、牛乳入りスープに塩をたくさんいれて飲んでいたので、症状はさらに悪化した。祖母は腎臓機能の低下に陥り、次第に尿毒素症の症状で、認知があいまいになったり、視力、聴力も衰えていく・・・。
なんとか、元気を取り戻そうとする祖母だったが、やはり、病には勝てなかった・・・。
当時、腎臓に塩が良くないということは知られていなかった。プルーストは次のように書いている。
” 医学とは畢竟、医師たちが次々と犯す 互いに 矛盾した過ちの要約だからで、 最高の名医たちを呼んでもそこで明かされる真理は何年後かには偽りとされる可能性が高い。 従って、 医学を鵜呑みにするのは誠に愚かなことではあるのだが、 かと言って、 医学を信じないというのも、 同様に 愚かなことと言わなければならない。 なぜなら、 様々な過ちが積み重ねることによって、 いつかは いくばくかの真理が明らかになるからである。」
と、プルーストは、科学的判断にも優れていた人なんだ、、、、とこの一文を読んで思った。科学とは、トライ&エラー。誤謬もやむなし。経験の積み重ねが、医学を発展させる。
祖母の回復を祈る母と私、父は別の医師を呼ぶ。医師は、祖母の様子をみると明るく対話するのだった。その姿に胸をなでおろした私たちだったが、祖母の部屋をでると、医師は「お祖母さまは、もう助かりません。 尿毒症の発作です。 尿毒症それ自体は絶対に死を免れない病気というわけでありません。 ただお母様の場合は 末期症状だと私には思われます。」と告げるのだった。
「 死はいつ訪れるかわからないと私たちはよく言う。 されど、 そう言いつつも 私たちは、 死の時間が漠然とした 遠い空間にあるものだと思い描くだけで、 すでに始まった 1日とどこかで繋がっていて、 その時間というのが、 今日の午後、そう、 時間の使い方が予め決められていて、 不確かな部分 などほとんどない今日の午後にも訪れるかもしれない死・・・・ あるいは死が私たちの一部に食い込み始めて もう二度と私たちから離れることがない状態・・・・を意味するなどとは思わない。」
うん。。。。そうだ。。。。
死は、いつから始まるのだろう・・・・・、と思ってしまった。
祖母の様子がいよいよ怪しくなってきたある時、母は、夜中に祖母が窓を開けようとしている場に遭遇した。身をなげようとしたのだと思い、母は必死に止める。
私は、バルベックで過ごしていたある日のことを思いだした。水中に身を投げたとある未亡人を、誰かが本人の意に反して助けたことがあったのだ。そのとき祖母は、私に、
「 絶望して死にたいと思っている女の人を助けて、再び 苦難の道に突き返すほど残酷な行為を私は知らない」といったのだった。
祖母は、母に無理やり引き戻され、抵抗をしめしたが、椅子に戻された。そして、もう、何を考えているのかわからない顔になってしまった。。。
最後には、父が、一番の名医といわれているディユーラフォワ博士を呼ぶ。が、祖母はすでに危篤の状態だった。私がそっと祖母にキスすると、全身がかすかに震えた。突然、祖母は半身をおこして動こうとしたかと思うと、息絶えた。
フランソワーズは、いつものように祖母の髪に櫛をいれた。髪は白髪交じりだけれど、長年の苦痛から解放された祖母は、若さを取り戻したようだった。
「死は中世の彫刻さながら、この死の床に祖母を、うら若き乙女の姿で横たえたのである。」
おしまい。
サロンで、ドレフェス事件について語る俗っぽい人々と、祖母の死。なんとも対照的な場面。
続きは、、、、残念ながら高遠さんの翻訳は出版されていないので、岩波文庫に移ろうと思う。
