チキンライスと旅の空
池波正太郎
中公文庫
2022年 8月25日 初版発行
2023年9月30日 4刷発行
*本書は、「 チキンライスと旅の空」(2008年2月 朝日文庫)を底本とし、巻末に座談会『わたくしの味自慢』(「銀座百点」1971年9月号)を増補したものである。
ネットの広告で目に入って、なんとなく「チキンライス」の響きに惹かれて、図書館で借りて読んでみた。
池波正太郎さんといえば、鬼平犯科帳、仕掛人といった、時代劇の作家さん。エッセイストの印象も大きい。 池波さんは大正12年、1923年、 東京浅草 生まれ。 関東大震災の年にお生まれになったのだ。 小学校卒業後、株式仲買店に奉公し、 昭和19年 横須賀海兵団に入隊する。 戦後、下谷の保健所に勤務する傍ら、劇作に励み、21年「雪晴れ」で 読売新聞社の演劇文化賞に入選。 新国劇のために数多くの脚本を発表する一方、 時代小説を執筆。 食に関するエッセイも多数。 平成2年 1990年5月 死去。
裏の説明には、
”「旅の空の下で、チキンライスは、私と切っても切れないものになるのである。」
初対面の人びととの接触こそ旅の醍醐味と唱え、自分が生まれた日の父のことばを思い、四季のない町は日本の町ではないと説いて薄れゆく季節感を憂える……。時代小説の大家にして食エッセイの達人が綴る、食、旅、暮らし。
〈巻末付録〉座談会「わたくしの味自慢」”
とある。
池波さんの様々なエッセイをあつめたもの。ひとつずつのエッセイにタイトルがあるので、長い目次になっている。
目次
レコードこの一枚
東京の夏
はじめてテレビを買ったころ
・・・・・・
チキンライスは、後ろの方ででてくる。
感想。
ははは、、、軽い。楽しい。
307ページの文庫本。軽く、さらーっと読める。爆笑というより、ふふふ、、、と思わず笑ってしまうお話が多い。昭和の話がほとんど。なんともなつかしい。
池波さんが生れた時、やっと生まれた「男の子」で、産婆さんが喜び勇んでお父さんに知らせに言ったら、酒をのんで酔っ払っていて、見るのは明日にする、、、と言ったのだとか。笑える。まぁ、私が生れた時に、女(二女)だったので、すぐには見に来なかった我が父とちょっとかぶる・・・。
いつかは海外に、、、と海外にも飛び、パリからニースにも行かれたそうだ。当時は今ほど海外旅行も一般的ではなかったのではなかろうか。モンパルナスなんて、まだ、地下鉄もなかったかも。モンパルナスのカフェにいって、藤田嗣治、ピカソ、モンパルナスの女王キキ(モデル)に思いを馳せた話とかでてくる。いつの時代も、観光に行った人がやりたくなるのは一緒なんだな。私は、20歳の初海外一人旅でパリに行き、モンパルナスに行って、やっぱり画家気分になっていた・・・。
ちょうど、先日、東京ステーションギャラリーで開催中の「藤田嗣治 絵画と写真」を観てきたところで、「キキ」も出てきていて、あ、キキって有名だったんだ・・・と、繋がった。

後半の食べ物関連になると、あぁ、、、私も食べたい!となってくる。蕎麦とか、チキンライスとか、、、
ちなみに、チキンライスは旅先で食べるもので、東京にいるときには食べないのだとか。それ、ちょっとわかる気がする。旅先だとなんとなく、特別感があって普段食べないものを「食べなきゃ」みたいな気持ちになっちゃうとか。
子供の頃「障子の張替え」を年の暮れにやったというエッセイでは、あぁ、我が家もそうだった、と懐かしくなった。障子も襖も、むかしは毎年とはいわなくても、定期的に張り替えていた。特に我が家の襖は、父がヘビースモーカーだったこともあって、ヤニで薄汚れるので、張り替えるとぱぁっと明るくなる。父は器用だったので、自分で糊をつくって、張り替えていた。障子のほうがもっと繊細。そして張替え前には、好きなだけ穴をあけても怒られない。晴れた日より、雨の降った湿度の高い日を選んで張り替えると、雨の日にぶよぶよになったりしない。今思えば、生活の知恵だったねぇ。
昔の日本の年末の景色だったよなぁ、、、と思う。いまなら、自分で張り替えたとしても、便利なシール付きだろうか・・・。障子は?もう、障子のある家自体がほとんどないかもしれない。我が家の出窓にあった障子も、私が中学生くらいのときにその部屋が私の部屋になって、大学生くらいだったか、障子をすててカーテンにしてしまった。しかし、障子は優れもので、冬の冷気をぴしゃっとシャットアウトしてくれた。紙なのにね。紙ってすごいのだよ。カーテンにしたあとに、あぁ、カーテンは下から冷気が入ってくるのだ、、、ってわかった。
「日本橋・銀座・丸の内」というエッセイでは、青山・渋谷・新宿がどんどん栄えてきて、いつか東京の中心は新宿へ、、、などと言われながらも、まだまだそうなるには時間がかかるだろうと読んでいたということ。江戸城が皇居となり、首都の中核であるうちはやっぱり、銀座・日本橋が都下第一級の繁華街だろうって。うん、その通り。やっぱり、皇居の存在は大きい。
そして、その江戸の町づくりで、
”そこで家康は、先ず堀川をつくり、その土で埋め立て地をひろげた。”
とでてきた。
『日本語は亡びない』ででてきた堀川の話が、こんなところにも・・・。
江戸の堀川って、いろんな意味で、すごかったんだね。
「温泉で泳いだ話」では、若いころは山の中の一軒湯の宿が好きだった、と。熱海のような大温泉街ではなくて山の中の一軒屋。なぜなら、来るべき「兵役」にそなえ、できる限り自分の躰を鍛えておこうというので、暇をみつけては諸方の山々を歩き回っていたから、って。
”ことに当時の私は、心身ともに、あまり健康的な生活をしていなかったので、必ず「兵役」にとられることがわかっている以上、躰を鍛えておかぬと、ひどい目にあうのは自分なのだから、山歩きの他に剣道も少しはやった。”
のだそうだ、、、。
1923年生まれ、、、、戦争に青春を持っていかれた世代。でも、彼のエッセイに、そういう悲壮感があまり感じない。あえて、そう書いていたのかな・・・。
「チキンライス」は、子供のころはあのケチャップ味がきらいだった、と言う話から始まる。トマトの匂いのする料理をいっさいうけつけなかった、と。やがて、戦争になって、横須賀海兵団に入団する前の約半月の時間に、飛騨・高山に足をのばした。すでに食料も不足気味だったけれど、高山の町には鶏肉が豊富で、遊郭の伎(おんな)に教えてもらった「アルプス亭」という洋食屋にいくと、チキンライスがあった。メニューは、チキンライスとコーヒーとスープのみ。仕方なくチキンライスをたべたのだけれど、おもわず「うまい!!」と叫んだ。ぷりぷりの鶏肉がたくさん入っていて、トマトケチャップで熱く香ばしく炒めた飯を温かく燃えているストーブの傍で食べるたのしさ、うまさ、うれしさというものは、たとえようもなかった、って。
それ以来、チキンライスが大好物になった。旅に出ると毎日チキンライスでもよいほどに好きになった。旅の食事には、当時の心情が強く影響している、と。
”ところで私は、東京にいるとき、あまりチキンライスを食べない。
旅の空の下で、チキンライスは、私ときってもきれないものになるのである。”
とさ。
よくこれだけ色々な話題をほうぼうか集めたなぁ、っていう感じのエッセイ。最後に初出がでている。新聞、週刊誌、雑誌、本当にたくさん書かれていたのだとわかる。
表紙の絵は、「猫とパイプの男」という池波さんの絵。これまた、ほのぼのいい感じ。パリの一コマかな。
エッセイは、かるく、たのしいのがいい。
旅のお供にしたくなる一冊。
そして、チキンライスが食べたくなる一冊でした。
