ハイエク入門
太子堂正称(たいしどう・まさのり)
ちくま新書
2025年5月10日 第1刷発行
2025年7月5日の日経新聞 (新書・文庫)書評 で紹介されていた本。 記事には、
”フリードマンとともに市場原理主義の権化のように描かれることも多い経済学の巨人、ハイエク。本書は故郷ウィーンの知的・文化的な空間から説き起こしつつ、経済学の領域に収まらない幅広い知的蓄積に裏打ちされた思想や理論の全体像に正面から迫っていく。人間の無限の可能性を信じたからこそ「自由」を訴え続けたその姿は「自由放任」「弱者切り捨て」といった一面的な評価の偏狭さを教えてくれる。”
とあった。
表紙をめくると 袖には 、
”20世紀に屹立する偉大な思想家F・ハイエク。その思想は、経済学、政治思想、心理学など、幅広い領域に大きな影響をあたえた。本書では、縦横無尽に往還するハイエクの思考を複眼的にとらえ、「法の支配」「自生的秩序」などの概念のもとに展開したハイエク思想の全体像を提示する。ケインズ、マッハ、M・ポランニー、F・ナイト、ロールズなどと対比することで、ハイエクの独創性と先見性を浮かび上がらせ、日本では短絡的に語られることが多かったハイエクの自由主義思想を更新する画期的な入門書。”
とある。
ハイエク、、、名前は訊いたことがあるけれど、よく知らない。でも、ブラッドフォード・デロング『20世紀の経済史(上) ユートピアへの緩慢な歩み』でもでてきて、「自由」となんか関係する人なんだろう、、、という印象。
ちくま新書だし、良書だと信じて、図書館で借りて読んでみた。
著者の 太子堂さんは、1974年生まれ。経済哲学・社会思想史専攻。慶應義塾大学経済学部卒業、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、東洋大学経済学部教授。主な共編著に、『ハイエクを読む』(共著、ナカニシヤ出版)、『経済思想の中の貧困・福祉』(共著、ミネルヴァ書房)などがある。ハイエクの専門家らしい。
目次
はじめに
第1章 若き日のハイエクとその知的伝統
ハイエクの一族/ハイエクの幼年時代/軍隊生活と学問への目覚め/戦後の大混乱と社会主義への関心/オーストリア学派/知性の二つのかたち/ミーゼスとの邂逅/二つの目の博士号とハイエク思想の特徴/アメリカ留学/ガイスト・クライスでの交友/「遠縁の従兄」ウィトゲンシュタイン
第2章 ケインズとハイエク―世紀の経済論戦
結婚と帰国後の研究生活/迂回生産の理論/自然利子率と市場利子率/信用創造による迂回生産の攪乱/バブルの後の恐慌/LSE/ケインズ『貨幣論』(1930年)/ケインズとの論戦/ケインズの転換/『一般理論』(1936年)における「不確実性」/ケインズ革命/ハイエクの雌伏/ケインズの死
第3章 ハイエクの「転換」
ケインズ墓碑銘/シャーロック・ホームズのパラドックス/社会主義経済計算論争/計画経済への価格メカニズムの導入?/論争の意義/「競争の意味」/ハイエクの「転換」/フランク・ナイトと不確実性の概念/「将来志向的」な投資/「資本制生産」のシステム/『隷属への道』(1944年)/大きな転機
第4章 「関係性」の心理学―感覚秩序論とその思想連関
グランド・ツアー/『感覚秩序』(1952年)/「分類」の原理/脳内の「地図」と「モデル」/心理学上の位置/行動主義と精神分析/「感覚秩序」の文脈/マッハとハイエク/ウィトゲンシュタインとハイエク/論理実証主義とハイエク/ポパーとハイエク/マイケル・ポランニーとハイエク/ノイラートの船/ハイエクの独自性
第5章 自由の条件
「社会主義の世紀」の終焉と「福祉国家」の時代/自由とは強制のないこと/自由社会を育成する「庭師」/「設計」と「デザイン」の相違/最低所得保障としての社会保障/教育と研究活動の重要性/福祉国家批判を超えて/欧州への帰還
第6章 自生的秩序論へ
原理の説明/自生的秩序/ルールと秩序の区別/二種類のルールと二種類の秩序/正義感覚と「フェア・プレイ」の精神/法の階層構造/「裁判官」による法の「発見」/社会正義の幻想/カタラクシーとしての市場秩序/二つの立法議会と主権概念の放棄/ハイエクと共和主義/ノーベル経済学賞
終章 ハイエクの自由論
二つの自由主義/ロールズ『正義論』(1971年)/ノージックの最小国家論/サンデルの共同体主義/なぜ私は保守主義ではないのか/「一般意見」の支配―ヒューム/「一般意志」の支配―ルソー/新自由主義とはなにか/カール・ポランニーとハイエク/貨幣の脱国有化論/フリードマンとハイエク/ハイエクの時代?/ハイエクの死
おわりに
参考文献
事項索引
人名索引
感想。
いや~~~、難しかった。だから、目次だけでも、覚書。
でも、読んでよかった。
最初の方は、面白かった。第二章くらいまではわかりやすい、、、気がした。ハイエクのことをよく知らない私には、ほほう、そういう生い立ちなのね、とちょっと身近な人のように感じられる。本格的思想の話になってくると、 メイナード・ケインズとの論争とか、ふむふむ、なるほど、、、と思いながらも、著者が一般に認識されているハイエクとの違いとして論ずるので、その一般論をよくわかっていない私には、どこがポイントなのかがつかみにくかった。
それでも、そんな私にでも理解できたのは、ハイエクは、経済学と言うよりも社会学全般をみて「複雑系」であることを認めていたがゆえに、「自由」を尊重するべきだとしたということ。「新自由主義」は政治の道具であったけれど、ハイエクの称える「自由」は、そんな近視眼的自由ではなく、もっとマクロな世界がよりよく発展するために必要な長期視点での自由、ということ。
うん、ちょっと、私好みの思想ではないか。
1899年、オーストリア生まれのハイエクは、若い時には、 フェビアン主義(革命的ではなく斬新的な社会 核を目指す社会主義)に傾倒していたこともあったが、ソ連が崩壊する前から、社会主義の崩壊を予言していた。植物学者であった父をはじめ、ハイエクの周りには、自然科学の研究者が多かったそうだ。まさに、複雑系を相手にする学問。
ハイエクは、1952年に「感覚秩序」という概念をうちだし、社会は予測不可能な複雑なものであり、「感覚秩序」があることで成り立っているとした。
その感覚秩序を人々が身に着けるためには、自由な市場が必要で、そこから、知識・情報・発見がもたらされる。社会主義は、そのような市場を人々から奪ってしまうので、いずれ独裁社会となり崩壊すると考えた。まさに、その通り、ソ連は崩壊した。
また、ハイエクの思想も途中でフェビアン主義を撤回したように、変化していく。ハイエクの人生に影響を与えたのは、実は幼なじみの女性ヘレーネだった。ハイエクは、最初の妻ヘレン・フォン・フリッチと結婚し、長女、長男に恵まれて幸せな家庭を築いていたのだが、実は、留学から戻ったときにヘレーネがすでに結婚してしまっていたので、ヘレンと結婚したようなものだった。でもヘレーネが独身にもどると、ヘレーネとの結婚を考えるようになる。そのためにアメリカに渡って離婚を成立させている。盟友 ライオネル・ロビンズ( ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスLSEの学位部長で、ハイエクに職場も提供)は、そんなハイエクのことを非難し、しばらく絶交状態が続いた。二人が親交を再開したのは、ハイエクとヘレンのあいだの長男ローレンス(ロビンズが名付け親)の結婚式だった。
ハイエクは、離婚後も子供らの養育費を稼ぐ必要があって、「お金の稼げる仕事」が必要で、「経済学」の道に進んだ。ヘレーネとの再婚がなかったら、もっと哲学の道を究めていたのかもしれない。
また、私の理解度の問題で、ハイエクから発展した枝葉末節?!の話の方が、色々と目からウロコで面白かった。
メイナード・ケインズが両性愛者で、ロシアのバレイ団のプリマドンナ、リディア・ロポコワと結婚して話題になったとか、ケインズやウィリアム・ベヴァリージらの称える「福祉国家」思想から、1950年代の日本の社会保障制度(国民皆保険、皆年金制度)がつくられていった話、つづく田中角栄の「日本列島改造論」による公共投資の大幅増が結果的には大インフレという大混乱をもたらした。
ケインズの推奨した「大きな政府」による公共投資の増大は、結局のところイギリスの衰退につながった。
結局のところ、「政府」が市場に介入するというのは長期的に見てマイナスしかないのではなかろうか???と感じる。とすれば、ハイエクの称える非資本主義的、非決定論的、関係論的、動態的自由論というのが、正しいのではないか、と言う気がする。
日本でも、バブル崩壊以降の政府による介入は、失われた30年にしかならなかった。護送船団方式は、長期的にはさらなる危機をもたらした。金利操作とは、いたずらに混乱をもたらすだけではないのか?
「斬新的」であるというのは、大事。急アクセルも、急ブレーキも、目の前の事故は防げても、かならず揺り戻しがある。
新書だけれど、すごく読み応えのある一冊。ところどころに出てくる人物名、経済用語、1992年まで生存していたハイエクなだけに、現代との関わりもあって、ちょっとだけ身近な経済ともつながった。
長くなってしまうので、出てきた言葉の覚書は、続きで・・・。
