革命と内戦のロシア 1917-21(上)
アントニー・ビーヴァー
染谷徹 訳
白水社
2025年4月15日 印刷
2025年5月5日 発行
日経新聞 2025年8月2日 の書評で紹介されていた本。記事には、
”ロシアへ留学していた時、ある教師が「すべての戦争の中でも一番悲惨なのは内戦」とつぶやいていた。本書を読み、彼女の言葉に納得した。内戦はむごい。昨日までの隣人が政治的立場の違いで殺し合うのが日常になるのだから。
当時通った学校の隣には、レーニンが司令部を置いたスモーリヌイ女学院があった。1917年11月、革命はこのサンクトペテルブルクの街から始まり、またたく間に旧ロシア帝国の全土へ広がる。それは内戦とはいうものの、シベリアに出兵した日米なども加わった世界規模の戦争で、第1次世界大戦の「延長戦」だった。本書はその終結までをあますところなく伝える。
かつてソ連時代に書かれた歴史書はロシア革命を必然としたが、本書はそうした立場を取らない。偶然にも左右された史実の数々を一つの物語にまとめあげた、著者のストーリーテラーの才が光る。そこに、「チーム・ビーヴァー」とも言える各国の歴史家が、それぞれの国の公文書館から見つけてきた珍しい史料が彩りをそえている。
中でも筆が割かれているのは、革命派と反革命派の双方による蛮行の数々だ。それは人間が人間にどこまで残酷になれるかの見本市のようで、読後感は清涼とはいえない。しかし、その蛮行の中にこそ、今もロシアが抱える問題が浮かび上がる。例えば反ユダヤ主義だ。革命の混乱が深まると、民衆はユダヤ人を「犯人」に仕立て憂さを晴らす。このように激化した民族対立も内戦に拍車をかけた。
さらに、内戦は豊穣の地であるウクライナの争奪戦という一面があった。革命派も反革命派も、ロシア人は食糧を求めてウクライナになだれこむ。そこで繰り広げられたのは、徹底的な穀物の収奪だ。現在もロシアがウクライナに執着するのに対し、ウクライナがそれを拒む背景がかいまみえる。
著者はそうした蛮行の数々をあげながらも、断罪はしない。むしろ、より「敵」に冷酷になれたからこそ革命派が勝利したと指摘する。そして、蛮行は自分たちを少数派として意識する側が起こしたという一文は重い。猜疑心(さいぎしん)の高まりから周囲への過剰な暴力に走った革命派だが、政権が安定してからもソ連は内部の「敵」を探し続けた。ロシアに限らず、あらゆる革命を「美談」にさせないための教訓の書である。
《評》成城大学教授 麻田 雅文”
本書を読み終わったあとに、この記事を読みなおすと、素晴らしく的確な書評だと思えた。
著者のアントニー・ビーヴァー Antony Beevorは、1946年生まれ。イギリスの歴史作家。ウィンチェスター・カレッジとサンドハースト陸軍学校で学び、軍事史家ジョン・キーガンの薫陶を受ける。第11騎兵連隊将校として軍務についたのち、戦史ノンフィクションの世界的ベストセラー作家として、活躍を続けている。バークベック・カレッジ、ケント大学客員教授。『スターリングラード 運命の攻囲戦』(朝日新聞社)でサミュエル・ジョンソン賞、ウルフソン歴史賞、ホーソーンデン賞受賞など、歴史書作家として数々の業績がある。
目次
序言
第1部 1912~ 1917年
第1章 自殺する欧州── 1912~ 1916年
第2章 二月革命──1917年1月~3月
第3章 墜落した双頭の鷲──1917年2月~3月
第4章 独裁から混沌へ──1917年3月~4月
第5章 妊娠した寡婦──1917年3月~5月
第6章 ケレンスキー攻勢と七月情勢──1917年6月~7月
第7章 コルニーロフ──1917年7月~9月
第8章 十月クーデター──1917年9月~11月
第9章 少年十字軍士官候補生の反撃──1917年10月~11月
第10章 嬰児殺しとしての民主主義圧殺──1917年11月~12月
第2部 1918年
第11章 旧体制との訣別──1918年1月~2月
第12章 ブレスト・リトフスク講和──1917年12月~1918年3月
第13章 極寒を衝いて進軍する義勇軍──1918年1月~3月
第14章 ドイツ軍の進撃──1918年3月~4月
第15章 国境付近の攻防戦──1918年春と夏
第16章 チェコ軍団と社会革命党(エスエル)左派の反乱──1918年5月~6月
第17章 赤色テロル──1918年夏
第18章 ヴォルガ川流域の戦闘と赤軍の進撃──1918年夏
第19章 ヴォルガ川流域からシベリアへの戦線移動──1918年秋
原注/略号/用語集
感想。
う~ん、すごい・・・・・。
どれだけの量の資料を読み解いたのだろう。本書は時系列になっている。軍人、革命家の名前がたくさんでてくる。混じって、記録をのこした一般兵士、市民、作家、芸術家の名前がでてくる。とてもじゃないが、覚えきれない。
正直、読みながら、赤軍、白軍、あるいはコサック隊、あらゆる軍の残虐さに何度も本を閉じようかとおもった。でも、「主語」が「だれ(赤?白?ドイツ?イギリス???)」なのかを頭に入れつつ、「虐殺」「略奪」「銃殺」の物語を読み進めた。読書メモは、A4、4ページに及んだ。(下)も合わせると8ページ。時系列になにがおきたのかは、目次をみればわかるようになっている。
ロシア革命はいつですか?という問題なら、1917年、と答えるのだろうけれど、その前哨戦がある。日露戦争で日本が勝てたのも、ロシアは内戦の気配が起こりつつあって、海外対応より国内のことに忙しくなってきたから、と言う話もある。
本書を読んで、わたしの記憶に残ったのは、ほんのちょっぴりだけれど、読んでみて第一世界大戦について、ナチスの擡頭について、また、ウクライナ、バルト三国とロシアの関係など、100年以上前からの問題なのだということが分かった。それでも、まだよくわからないのは、「反ユダヤ」ということ。ロシア内戦も、「ユダヤ」ということが一つのキーワードになっている。
1912~1917年で、ポイントとなるのは、
・食糧不足からおこる市民の暴動
・ニコライ2世の失脚→ ロマノフ王朝の滅亡
・ケレンスキー政権
・ボリシェヴィキの擡頭。レーニン、トロツキー、スターリン。
・革命軍(ボリシェヴィキ(のちの共産党)) vs 反革命軍(白軍、義勇軍)
・ブレスト・リトフスク講和。ドイツとロシアの単独講和。連合国に対するロシアの裏切り。
・1918年6月、ニコライ2世夫妻、5人の子供、射殺される。(射殺の事実は長く隠蔽されていた)
・1918年夏には、完全な内戦状態へ。
ロシア革命、そして内戦とはいうけれど、そこに、ドイツ、トルコ、オーストリアとの対立、イギリスの介入など、 ヨーロッパ各地からの影響も受けていたということ。
『坂の上の雲』でたびたび出てきたニコライ2世。伊藤博文も謁見したニコライ2世。 ロマノフ朝最後の皇帝であり、最後まで楽観主義で、まさか自分が射殺されるとは思っていなかっただろう。それが、革命か。ただの人殺しともいう。
かつ、内戦だろうが戦争だろうが、いつでも、どこでも、酒を飲んで酔っ払っているロシア人たち。警察も、消防士も、だれもが酒をみれば見境なく飲んでいた。
(上)では、最後にシベリアの話で日本のシベリア出兵がでてくる。ただ、恐ろしいまでに残忍なロシア兵、コサック、中国コサック、、、、そこに日本が行くの?と思う。だが、日本人も残忍なことをしている。世界が狂っていたとしか思えない。
むずかしかったので、ちょっとだけ、覚書。
・「 優れた独裁者を欠いた独裁君主制こそ恐るべき 悲劇と言うべきだろう」:ワシリー・シュールギン、 超保守派の政治家が、ニコライ2世について語った言葉。ニコライ2世は、残念ながら 常識人でも人格者でもなかった。
・『 血の日曜日』1905年1月9日: ガポン司祭が組織した計画を求める平和的行進が軍の銃撃にさらされて大虐殺に終わった事件。まさに、日露戦争中。
同様なことが起こるとイギリスの ジョージ・ウィリアムブキャノン(イギリス外交官、ロシア大使)から忠告されていたにもかかわらず、ニコライ2世は無視した。そして、ペトログラード(当時のロシアの首都、後のレニングラード、現サンクト・ペテロブルグ)から2月革命がおこる。
・グリゴリー・ラスプーチン:ニコライ2世一家の相談役、政治家。怪僧と呼ばれた。
・ウラジーミル・イリイッチ・レーニン: ボリシェヴィキの革命指導者。スイスに亡命してたが、2017年に帝政の維持を願っていた政府に許可され、ロシアに戻る。偏執狂的自信過剰。ボリシェヴィキは、理論よりわかりやすいスローガンで民主を扇動した。
・ケレンスキー:社会主義者。2月革命以降の臨時政府で首相となる。当時は、社会革命党(エスエル)の方が、ボリシェヴィキより圧倒的に多かった。ドイツとの戦争継続を主張したことにより、レーニン(戦争反対)と対立。市民も戦争には懲り懲りしていたので、支持をうしなっていく。後にボリシェヴィキに潰される。
・1917年7月、フィンランド独立宣言。ウクライナも同様に独立宣言。ウクライナ民主主義派の指導者、シモン・ ペトリューラが名目上の「ウクライナ人民共和国」大統領となり、コサックの頭領も兼ねることとなった。
・『パルムの僧院』スタンダールの小説。少年兵が若い命を大義のためと犠牲にする物語。若者をあつめ、工兵隊士官を要請するアカデミーには、処女作を書く前のドフトエフスキーも学び、後に中尉となっている。内戦で、どんどん人が死んでいくので、若者も兵にかりだされていたロシア。
・「チェーカー」:反革命、登記行為、怠業行為と戦う全ロシア非常委員会の略称。ボリシェヴィキが設立。秘密警察組織。レーニンは、法的手段を経ずに、反逆者を処刑してよいとの権限を与える。ようするに、殺し部隊。仲間であっても、上官命令に従わない、脱走するなどの行為をみれば、射殺した。あるいは、気分で射殺した。
・ロシア内の反ユダヤ感情。ボリシェヴィキは全員ユダヤ人だとして、憎む人もいた。事実はユダヤ人は、メンシュビキ(ロシア社会民主労働党が分裂して形成された、社会主義右派)にもエスエル(社会革命党)にもいた。
・クルド人:ロシアの列車を転覆させて車両を奪うなどした。ロシア人から最大の憎しみを込めて残虐に扱われた。村人は、男、女、子供関係なくロシア軍に皆殺しにされた。
・キエフは、一時は人口も増え、経済もにぎわったが、ドイツとロシアの戦の舞台のなって、再び荒廃する。
・赤軍の兵士として、中国人が数万人戦った。チェーカーとして働いた中国人部隊もあり、拷問や処刑に少しの良心の咎めを感じないようにみえたので、ロシア人より中国人チェーカーが用いられた。虐待に対して、虐待の応酬となる。それでも、中国人がもらった給料はロシア人兵士の1/30だった。
拷問、虐待、復讐、、、なぜ、一般の市民まで?とおもうけれど、それが内戦ということ。恐ろしい。。。同じ分厚さで、(下)に続く。
