『革命と内戦のロシア 1917-21(下)』 by アントニー・ビーヴァー

革命と内戦のロシア 1917-21(下)
アントニー・ビーヴァー
染谷徹 訳
白水社
2025年5月20日 印刷
2025年6月10日 発行

 

革命と内戦のロシア 1917-21(上)の続き。

megureca.hatenablog.com

白水社のHPには、
二月革命から、十月革命反革命派の抵抗と軍事衝突、赤軍と白軍の内戦、欧米や日本の軍事介入、虐殺と報復の連鎖、大規模なポグロムまで、物語性と学術性を兼ね備えた決定版!
戦争は国家間の怨念、民族間の憎悪、階級間の闘争などの要素が複雑に絡み合って生ずる事象だ。ロシアでは極端な主張をする勢力が優勢となり、そのレトリックと暴力は悪循環となって亢進した。(その過程が、最終的にはヒトラーによる政権奪取と第二次世界大戦の勃発に至る。)ロシアの内戦は、中央集権主義と地方主義の対立、権威主義自由主義の抗争などが関係し、「凝縮された世界戦争」とも言うべき戦闘だった。
この凄まじい歴史は重要な教訓を数多く残している。第一に、外国の戦争に介入することの危険性だ。介入に至るまでの雑多な動機が判断の間違いを生み、非生産的な結果を招来した。外国政府が白軍の側に立って介入したことは共産党の支配を弱めるどころか強化する役割を果たした。あらゆる人々の運命を不可逆的に変えてしまった。そして、全過程を通じて、男性の支配する政治から最悪の被害をこうむったのは女性と子供たちだった。”
とある。

 

目次
第2部 1918年
 第20章 同盟国軍の撤退──1918年秋~冬
 第21章 バルト海地域と北部ロシア──1918年秋~冬
第3部 1919年
 第22章 致命的妥協──1919年1月~3月
 第23章 シベリア──1919年1月~5月
 第24章 ドン地方とウクライナ──1919年4月~6月
 第25章 ムルマンスクとアルハンゲリスク──1919年春と夏
 第26章 シベリア──1919年6月~9月
 第27章 バルト海沿岸の夏──1919年5月~8月
 第28章 モスクワを目指しての進撃──1919年7月~10月
 第29章 バルト海沿岸地域の予想外の展開──1919年秋
 第30章 シベリア戦線の後退──1919年9月~12月
 第31章 転換点──1919年9月~11月
 第32章 南部戦線の後退──1919年11月~12月
第4部 1920年
 第33章 シベリア、氷上の攻防──1919年12月~1920年2月
 第34章 オデッサ陥落──1920年1月
 第35章 白軍騎兵部隊の最後の喊声──1920年1月~3月
 第36章 ウランゲリ提督が白軍の指揮権を掌握し、ポーランド軍キエフを占領する──1920年春と夏
 第37章 西にポーランド軍、南にウランゲリ軍──1920年6月~9月
 第38章 ヴィスワ川の奇跡──1920年8月~9月
 第39章 地獄のリヴィエラ──1920年9月~12月
 第40章 希望の消滅──1920年1921年
 結語──悪魔の弟子
 謝辞/訳者あとがき
 人名索引/原注/参考文献/略号/用語集/図版一覧/地図一覧

 

感想。
下巻の方が、ウクライナバルト三国、シベリア、あるいは南方のキルギスなどもでてきて、ロシアという国の広さと、その影響の大きさを感じた。
また、白水社のHPにあるように、イギリス、フランスと、当初は同盟国であった国の介入あるいは撤退によって混乱深まるロシアの様子がわかる。ドイツ、ハンガリーといった敵国からの影響、、、、。

 

今、ウクライナとロシアの戦争にEUが慎重になり、アメリカが距離を置こうとしたのもわかる気がした。だれだって、第三次世界大戦は望んでいないだろう・・・。

 

下巻は、上巻以上に拷問、虐待、虐殺の嵐。かつ、冬の凍てつく地での餓死、凍死、、、。悲惨以外の何物でもない。英国のチャーチルは、反ボリシェヴィキ同盟をつくって、ロシアの共産化、ヨーロッパ各国への共産勢力の拡大を防ぎたかった。が、夢破れる。それは同時に白軍の「ひとつにして不可分のロシア」の夢の敗北であった。

 

でも、イギリス兵もフランス兵も、凍てつくロシアで、なんで俺たち戦ってるの?となって、士気が低下するのも当たり前だ。食事もろくにない。ロシア人はロシア人同士でかってにやってくれ、となるだろう。そして、白軍は外国からの支援が得られなくなり、最後は各地がボリシェヴィキの手に落ちる。オデッサ陥落は、まるで、今、目の前の話を読んでいるよう。。。それまでのオデッサは、当時のロシアでもっとも国際色豊かで、美しく豊かな町だった。ボリシェヴィキの手に落ちたことで、市民は脱出をはかる。まさに、、、今起きている戦争ではないのか・・・。

 

下巻でわかるのは、
・1918年休戦協定(協商国:イギリス、フランス、ロシア、後にアメリカ、日本、中国)vs 同盟国(ドイツ、ハンガリーオーストリアオスマン帝国、ブルガリ)によって、ドイツに2014年以前の国境までもどることを強いたことが、後に復活をねらうヒトラーの登場につながった。このとき、ウクライナからドイツ兵が消えた。
バルト三国エストニア、ラトヴィア、リトアニア)は、 民族的主体性とモスクワからの独立のために戦っていた。
赤軍ボリシェヴィキ)内でも、対立は深かった。トロツキーvsスターリン
・シベリアの寒さは、戦死ではなく、凍死と餓死をもたらした。
・内戦の時期、チフス赤痢天然痘、などの感染症も猛威をふるっていた。
・虐殺につぐ虐殺と感染症、餓死、凍死、1000万人以上の命が奪われた。民間人が過半数

ということ。

 

本当に、下巻の方がさらに悲惨な拷問、虐殺で、とても、読むに堪えない。。。最後のほうは、かなり飛ばし読み。しかし、革命後、ソ連崩壊の1991年まで、ロシアの人びとは本当のところどうだったのだろうか?安心して暮らせたのだろうか?

 

すこし、覚書。

リトアニアは、ロシア、ドイツだけでなくポーランドも巻き込む戦いをした。クレムリンは、バルト三国をロシアの属州であるかのように見なしていたが、バルト三国は、それぞれの民族的主体性をもっていた。

 

・イギリス外交官ロックハートは、ウクライナの穀倉地帯を守るために、ロシア国内の秩序回復が重要と考えた。そのために、英国の軍事介入を主張。しかし、英国軍の士気は高くなく、逆に除隊を認められないことに兵士の反乱もおきた。

 

ウクライナにおける戦闘は、大規模な反ユダヤ主義ポグロムを持たらした。
ポグロム:ロシア語で「破滅させる、暴力的に破壊する」と言う意味。ロシア帝国ユダヤ人以外の市民が地元のユダヤ人に対して行う暴力的な攻撃。
1919年、機関銃や装甲車、大砲をもちいたポグロムが行われた。 白軍支配地に赤軍支配地の両方合わせて5万人、ないし 6万人のユダヤ人が殺害されたものと推定される。コサックによるポグロムもあった。

 

・シベリアでの内戦。日本軍は、「ヨシワラ」と称する慰安婦グループを同伴していた。同様にシベリアに入っていた米国軍パレット大尉は、アメリカ軍の性病罹患率が極めて高いのに、日本人軍の性病罹患率が非常に低いのはこのシステムにある、と報告している。

 

・米国派遣軍のロシア軍への落胆の言葉。
「 コルチャーク軍(シベリアに派遣された白軍)は規律にかけていた。 兵士は少年と言っていいほど若い連中ばかりだった。 少年を集めて ライフル銃と軍服と黒パンのかけらと塩を与え、前線に送り出したかのような軍隊だった。 米国派遣軍の士官や兵士は誰一人として この内戦に関わりたくなかった。 それは一人前の男が戦う戦争ではなかったからである。」

 

・内戦中の赤軍によるカルムィク人への政策は、ジェノサイドだった。全員をみなごろしにした。このことは、第二次世界大戦中にカルムィク人がドイツ軍に協力的になった理由と言える。カルムィクは、ヨーロッパ唯一の仏教国。

 

1920年11月6日、赤軍舞台は、クリミア半島の全域を占領した。


最後の方に向かって、どんどん、各地がボルシェヴィキの手に落ちていく。まさに、陥落・・・。悲しい気持ちになる。

う~ん、何とも言えない読後感だけれど、やはり、読むべき本だったように思う。

 

ほんの、100年前のこと。人間は、すこしは学んだのだろうか、、、と思う。

つらいなぁ。

著者はイギリス人だけれど、当時の日本人を笑いものにしている言葉もでてくる。でも、歴史を今の価値観で批判しちゃいけないって福田さんがいっていた。そうだな、と思う。

 

megureca.hatenablog.com

 

内戦の愚かさを批判するのではなく、そこに学ばないといけない。

だから、私たちは、歴史を学ぶのだ。