おはなを あげる
ジョナルノ・ローソン 作
シドニー・スミス 絵
ポプラ社 世界の絵本
2016年4月 第一刷
Sidewalk Flowers(2015)
『ぼくは川のように話す』でイラストを描いていた作家シドニー・スミスの絵本。みて見たかったので、 図書館で検索して借りてみた。
『ぼくは川のように話す』とはまたちょっと違った印象の絵。 表紙はお父さんに手を繋がれてる小さな女の子かな?
表紙をめくると、中表紙にたくさんのお花の絵。タンポポとか、雑草っぽいお花たち。鳥も混じっている。かわいい。コットンのプリント生地にしたい感じのやさしい絵。四角く切って、お弁当包にしたい。
そして、袖には、
” 家までの帰り道、 お父さんと
いっしょに歩く小さな女の子。
見つけた お花をだれかにあげるごとに、
女の子を取り巻く世界は、
色鮮やかに変わっていきます。
たとえ、だれもそのことに
気がつかなかったとしても・・・・。
「 ニューヨークタイムズ ベスト イラスト賞」(2015)
「 カナダ 総督文学賞」( 児童書部門)をダブル受賞!
小さな世界に訪れる 生きる喜びを描いた文字のない美しい絵本。”
とある。
そう、文字がない!!!
ひとつも文字はない!!!!
でも、しっかり物語!
その表現力が『ぼくは川のように話す』と一緒。
読み終わって、わぁぁぁ!と、思わず声が出てしまう。
めくっていくと、忙し気な街中にお父さんと女の子。女の子のフーディ―だけが赤色。赤ずきんちゃんみたい。
そして、女の子の視線に入るものが描かれる。
大人たちがせかせかと歩く足。
刺青の腕。
車に乗っている人の顔。
人びとの後を歩く鳩。
空。
タンポポをつんだ女の子は、色とりどりのフルーツを売る店の前で、タンポポの花ににっこり。
お父さんは、買い物袋を抱えて、女の子の手を引いて家路をいそぐ。
こんどは、すみれ草かな?また、コンクリートの隙間からひっそりと咲いている雑草。
女の子の手には、黄色いタンポポとピンクのお花。
お父さんは、途中で携帯電話でお話。忙しそう。
その間にも女の子は道端にさく小さなお花を摘んでいる。
お父さんは、女の子の行動には無関心。
女の子の視線に入るお花たちは、お父さんの視界には入らない。
街中から緑の公園の小道に入る二人。
白黒の絵に、女の子の赤い後姿。
公園の小道で女の子は 小鳥の死骸を見つける。
お父さんは、スタスタと歩いていく。
女の子は、お父さんの手を放して、小鳥の亡骸の上に、お花を添えてあげる。
いそいでお父さんに追いつく女の子。
次は、公園のベンチで寝ているおじさん。
女の子は、おじさんの足元にそっとお花を添える。
(おじさんは死んでないよ!居眠りしているみたい)
女の子がお花を添えたまわりは、色が蘇る。
公園の 草木も 緑にかわり、 道を走る車たちも オレンジ、 黄色、 緑とカラフルに変わる。
お父さんは、犬の散歩中の知り合いと立ち話。
女の子は、犬の首輪の後ろにお花を挿してあげる。
満足げなわんちゃん。
ただいま!
おうちに帰ると、お母さんとハグ。
続いてお父さんとハグするお母さんの髪には色鮮やかなお花たち。
おうちの庭にもお花がいっぱい。
弟も妹も、髪の毛にお花でお飾り。
最後のページ、女の子は自分の髪にお花を飾る。
そして、花の中を歩きだす。
おしまい。
文字がないのに、こんなに多くを語ってくる絵本。
すご~い。
そして、素朴で可愛い。
なんとも、心温まる絵本。
お花はいいね。
緑の葉っぱだけでもいいんだよね。
植物を飾ると、部屋の空気がきれいになる気がする。
私もお花が大好き。
この女の子の行動のすべてに共感しちゃう。
今、私のリビングには、グラジオラスとガーベラが咲いている。それに、葉っぱだけのドラセナ、ドット、オシロイバナ、オリヅルラン。
道端に咲いているお花を摘んできて飾れたら素敵だろうな、と思う。
残念ながら、我が家の周りには摘んでよいような草花はない。
オシロイバナは、伊豆の旅先で種を取ってきた。
食べた果物の種をベランダに植えて楽しむ緑もいい。
ちなみに、今年は季節外れに9月になって、ベランダのグレープフルーツの木(食べた種からかれこれ10年)にアゲハ蝶の幼虫がついていた。
なんでもいいんだな。
草花のある生活がいい。
花のある世界は、色がある。
そして、花をそえることで、なんでもないところがすてきなところになる。
お花っていいなぁ。
お花マジック。
シンプルにそう思える絵本。
好きだ。
この本。
赤いフーディーに、ジーンズをロールアップしている女の子。どこにでもいそうなところがまたいい。日常に花を咲かせよう。
花のある生活は、心を潤わせてくれる。
本があって、花があって、自宅は最高の憩いの場。
自宅の居心地が良いことが、人生を豊かにしてくれる。
と、花への愛を高めてくれる一冊。
