失われた時を求めて9「ソドムとゴモラⅡ」
マルセル・プルースト
吉川一義 訳
岩波文庫
2015年11月17日 第1刷発行
2019年1月15日 第3刷発行
底本:マルセル・プルースト『失われた時を求めて』(1913-27) プレイヤッド版
表紙をめくると、
”ヴェルデュラン夫妻が借りた海を見下ろす別荘と、そこへ向かう小鉄道で展開される一夏の人間喜劇。美貌の青年モレルに寄せるシャルリュス氏の恋心はうわさを呼び、「私」の恋人アルベルチーヌをめぐる同性愛の疑惑は思わぬ展開を見せる。(全14巻)”
とある。
岩波文庫の吉川訳も、とうとう9巻まできた。
舞台は 第8巻 の ゲルマント大公妃での社交に続いて、バルベック周辺へ。 ラ・ラスプリエールにあるヴェルデュラン夫妻がカンブルメール夫妻から借りた別荘での社交会。アルベルチーヌもまたベルベックへ来ていて、私と一緒に行動している。 相変わらずグランドホテルのリフトは「カマンベール侯爵夫人」と名前を正しく言えない。ぷぷぷ・・・。
ラ・ラスプリエールにあるヴェルデュラン夫妻の別荘へは、バルベックからローカル鉄道を使って訪問する。第9巻は、そのローカル鉄道に乗り合わせるヴェルデュラン夫妻別荘へ向かう人々との交流。といういか、私の観察した人々の様子。別荘では、コタール医師、ブリシュといった、第二巻「スワンの方へ」ででてきた人々も参加している。
ヴェルデュラン夫妻は、 カンブルメール夫妻から別荘をかりているのだが、双方ともに相手のことをあまりよくは思っていない。会話の端々に、マウントとり合戦のような嫌味のような、皮肉のような、、、。これぞ、プルーストのあからさまに書かないけれど、会話で想像させる文章って感じ。私は、彼らを「退屈な連中」と揶揄するようになる。
そこに呼ばれている美少年モレルは、ヴァイオリン弾きで、かつて私の叔父の家の使用人の息子。モレルは、父親の社会的地位を社交界の人たちに知られたくないので、私に「私の父はご両親と対等のものであったと言ってほしい」と懇願する。私はそれはばかげたことに思えてひどく困惑したが、モレルの顔が悲しそうで切迫感を漂わせていたので了承した。そのくせ、それを私が了承すると、私のことなど無視するような卑劣な態度。
”モレルには 厳しくされるとペコペコし 優しくされると 傲慢な応対をするという卑しい面があった。”
シャルリュス男爵は、モレルに好意を抱く。モレルは、それを利用して、金の無心をする。惚れた男に頼まれて、ほいほいと金をやるシャルリュス。あるいは、モレルが思うように自分になびいてこないと、大芝居をうって、モレルを自分のところへ駆けつけさせる。シャルリュスが惚れ込んだモレルだが、性悪なたちで、私やシャルリュスが使う運転手と共謀し、運賃をちょろまかして金を懐にいれていた。まるで詐欺師のような男。
フランソワーズ(祖母の時代からのお手伝いさん)やエメ(私が泊っているバルベック、グランドホテルの給仕頭)は、シャルリュスがホモセクシュアルであることを見抜き、口にはしないけれど、嫌悪をただよわせる。
社交界の中には、モレルはサン・ルーとも昵懇だという人がいるが、私はそれは二人はあったこともないはずで、勘違いだと思う。だが、後に2人が相思相愛であった可能性が示唆される。 親友のサン・ルーが、せこい男のモレルと仲良しだというのは、私にとっては、ショックになったはず。
ヴェルデュラン夫妻の別荘へ、度々アルベルチーヌを伴って訪れる私だが、人びとにはアルベルチーヌは従姉妹だと紹介している。けっして、恋人として連れていくわけではなかった。母は、アルベルチーヌとの付き合いを快くは思っていない。
そして、「アルベルチーヌとは別れる、結婚しない」と母に告げたすぐ後に(実際、私はアルベルチーヌへの興味を失っていた)、アルベルチーヌがヴァントゥイユ嬢(アルベルチーヌの母がわり、姉がわりとなって、親切にしてくれていた女性)とシェルブールで落ち合って、一緒に旅をするつもりだ、と聞くと、急に嫉妬心がわいて、至ってもたってもいられなくなる。
やっぱり、アルベルチーヌはレズビアンなのか?私より女をとるのか?
また急に、
「どうしても アルベルチーヌと結婚しなければならないんだ」と母に告げる、私の言葉で9巻は終わる。
まぁ、また、たくさん、言葉遊びのような会話がでてくる。私だけでなく、アルベルチーヌが懐かしい景色を回想するところも、「幻影」とか「記憶」とか、あぁ、人は、今だけに生きているのではない、、、って思う。
記憶は、香り、歌、風景、人、、、様々なきっかけで呼び起こされる。また、その引き起こされた記憶の表現が、文学的で美しいなぁ、、、と思う。
なんとも、しょうもない男としか言いようのない主人公の「私」だけれど、ついつい、、先が気になってしまう。
少なくとも、私は「私」のような男は、絶対に恋人にしたくない。めんどくさい・・・・。ダメな子ほどかわいいっていうものか?小説だから、楽しめるんだな。でも、「私」の経験を楽しんでいるというより、プルーストの文章を楽しんでいる感じ。感情移入しないのに楽しいという、なんとも不思議な小説だという気がしてきた。
ちょっとだけ、覚書。
・”大公妃のほうも、夫をなくしたスワン夫人を弔問したとき・・・”と、がりがりにやせ細ったスワンは亡くなってしまったらしい。
・ ”カンブルメール氏の俗悪な醜さは、どうひいき目に見ても、幾分土地柄のせいであり、ずいぶん昔からこの地方に根ざすものだというのが関の山であろう。”
カンブルメール夫妻も、あまり褒められた感じではない。
・”アルパゴンのように 自分の宝物を見張るはめになり・・・”
アルバゴン:モリエール『守銭奴』の主人公。 盗まれるのを恐れて 庭に埋めた大金をまんまと盗まれてしまう。
・ブリショ(半盲の教授、サロンで、みんなが飽き飽きしているのにも気が付かず、延々と言葉や地名の由来に関する知識を披露をする)その中の一部
「 ベックというのは ノルマン語で小川 という意味です。ル・ベック の大修道院もありますね。 モベックというのはモレ(沼地)の小川ですし、ブリックベックというのは、高地の小川と言う意味で、ブリガに由来します。・・・・」
・オレインブルク事件: 皇帝の恋人 オレインブルク をめぐる同性愛裁判。
同性愛者であるシャルリュスは、サロンでの芸術の話より、オレインブルク事件の話に気を取られる。
・シャルリュスがモレルに聴かせるかのようにいうセリフ
「 私は、 我が家に関する注釈が掲載されるべきは、ゴータ年鑑の第三部ではなく、 第一部と言わないまでも 第ニ部であると兄に指摘したのです。」
つまりは家柄自慢のつもりだったけれど、モレルには、ゴータ年鑑が何かがわからなかった。なんせ、モレルは本当は使用人の子。
ゴータ年鑑: ヨーロッパの王族を収録して1763年に創刊された。 1785年から1944年まで毎年 ドイツのゴータで刊行。 第一部に直系王族、 第ニ部に陪臣となった王族(傍系王族)、第三部に王族以外の侯爵家を収録。
・ユクセル侯爵ニコラ・ シャロン・ デュ・ブレ( 1652ー1730):フランス元師。 プルーストが典拠としたサン=シモンの『回想録』(1703年の項)には、ユクセル元師が、「美形の従僕たち」や「若い将校たち」を相手に「ギリシャふうの放蕩」にふけっていた、という記述がある。
シャルリュスが、モレルを前にして”ユクセル元師をきどっていた”、と。
ギリシャ風というのは、若く可愛い男の子を侍らせて饗宴にふけったということだろう。
・トランプ遊びに熱中するコタールの言葉。
”これからトラファルガーの一撃をお見舞いしますよ。”
トラファルガー: 1805年10月21日、 スペインのトラファルガー岬沖で、 ネルソン率いるイギリス軍が、ナポレオン率いるフランス・スペイン 連合隊を粉砕した海戦。
・バルベックで祖母を思い出す場面。
” 不意に思い出す、「お祖母さんの命はもう数週間しかない、とドクターは断言している。」そこで呼び鈴を鳴らすが、それに応えてやってくるのは、以前のような祖母、死にかけている祖母ではなく、 どうでもいい 部屋付きのボーイ なのだと考えて涙するのだ。 おまけに睡眠によって、想い出と相念の住まう世界のはるかかなたへと連れ去られて眠る人は、通過する天空の中でひとりぼっちであり、いや、自分自身の姿をそこに認める同伴者 さえもたないのだからひとりぼっち以上の存在で、いわば時間とその尺度の圏外にいるのである。”
・”・・・気づいていたら、 翌年のパリにおける我が人生の多くの悲惨、 つまり アルベルチーノをめぐるあまたの不幸は避けられていたかもしれない。”
どうやら、私は、パリに戻って不幸になるらしい。
・タナトスとレテの至福の兄弟:ギリシャ神話で、タナトスは「死」、レテは「忘却」
ブロック(私の友人)が、人びとの噂話に加わらずに黙っていた様子を自分で説明して。
鉄道でたまたまであったとき、私とブロックは仲違いしてしまう。それは、私がブロックのために過ごす時間をとらず、アルベルチーヌとサン・ルーを二人きりにしたくないというつまらない嫉妬が理由だった。
9巻まで来ると、貴族たちのとても高貴とはいいがたいくだらない会話や、マウント取り合い、誰かの悪口、そして、私の嫉妬深さや優柔不断さ、いろいろなものが人間のどうしようもない弱さを露呈している小説と言う感じがしてくる。
『失われた時を求めて』って、もっとロマンチックで美しい小説かと思って読み始めたけれど、このどうしようもなさが魅力なのかもしれない。
さて、アルベルチーヌとはどうなることやら?どうも、私はアルベルチーヌに恋しているというより、たんに嫉妬や所有欲にかられているだけな感じがするけれど・・・・。
