『行動経済学の死 再現性危機と経済学のゆくえ』  by 川越敏司

行動経済学の死
再現性危機と経済学のゆくえ
川越敏司
ハヤカワ新書
2025年4月20日 初版印刷
2025年4月25日 初版発行

 

日経新聞2025年6月21日の書評で紹介されていた本。

 

記事には、
行動経済学はビジネスや政策に広く活用されている。しかし、有名な研究が「追試」で再現されず、科学的に正しいとは限らない。行動経済学会長を務める著者が検証した。

利得より損失を重くみる「損失回避」は行動経済学の根幹とされるが、論争があり決着はついていない。心理的に働きかけて行動を促す「ナッジ」も効果は持続しない。行動経済学は便利だが、万能ではないことを知っておくべきだ。”
とあった。

面白そうだったので図書館で借りて読んでみた。と、横書きの本だった。

 

私にとっての行動経済学との出会いは、あるビジネススクールの講師に教えてもらったダン・アリエリーの『予想どおりに不合理』(2008)。ちょうど自分の仕事の領域が理系の研究開発・生産戦略からビジネスマネジメントの世界に広がっていた時期だったこともあり、ドストライクにはまった。そのあと、行動経済学に関する本が出れば、ありとあらゆる本を読んできたと言っていい。そんな私にとっては人生の転換点でもあった「行動経済学」が死んだと言われるのは、ちょっと納得できない。でも数年前からデータの再現性の無さなどが指摘されていたのは知っている。さて、本書は何を伝えるのか?


表紙裏の袖には、
”経済学に心理学の知見を取り入れ、新たな地平を切り拓いた行動経済学。「ビジネスに役立つ」と脚光を浴びる一方で、実はその成果に疑惑の目が向けられている。損失回避性などの主要な主張には根拠が乏しく、行動変容を促すナッジにも効果がないとする批判だ。心理実験を中心に「再現性のなさ」が問題視されるなかで、行動経済学はもはや学問として「死」を迎えているのか。行動経済学会・会長が、歴史的経緯から最新研究まで踏まえ、徹底検証。真相を解き明かし、その学問的意義をとらえ直す。”
とある。

 

著者の川越さんは、 1970年、和歌山県和歌山市生まれ。公立はこだて未来大学システム情報科学複雑系知能学科教授。・・・どんだけ長い名前の学校なんだ・・・・・。行動経済学会会長。大阪市立大学大学院経済学研究科前期博士過程終了。博士(経済学)。
文章を読んだ感想は、結構な年配の方、、、とおもったけれど、私よりは若かった。とはいえ50代。

 

目次
はじめに 行動経済学の死と再現性危機
第1章 行動経済学の核となる「損失回避性」への疑問
第2章 実世界社会で活用が進む「ナッジ」の有効性への疑問
第3章 経済学における「再現性危機」と対策の現状
第4章 「行動経済学」の死の真相
おわりに 行動経済学を抹消する

 

感想。
思ったものとはちょっとちがったけれど、面白かった。


著者曰く、
行動経済学は2000年前後に伝統的な経済学に取り入れられる形で最初の死を迎えた。そして一度死んでしまった行動経済学は、二度と死ぬことはできなくなった」と。

つまりは、著者は行動経済学を全否定するのではなく、最初に行動経済学を否定したジェイソン・フレハらの分析を再解析し、行動経済学は人間の不合理性を言う学問ではなく、これからも経済学とともに心理・社会的要素を取り入れて進化していくのだ、ということを言いたいのだと思う。

故に、行動経済学の否定」ではなかったので、私にとっては面白かった。

 

本書の中では、ダニエル・カーネマン(2002年ノーベル経済学賞)のプロスペクト理論(損失回避性)リチャード・セイラー(2017年ノーベル経済学賞)の「ナッジ」政策効果など、その有効性を数式をも用いて検証している。

なので、本書の多くの部分は経済学的な解析、といっていい。読みながら強く思ったのは、そもそも、「行動経済学」が「経済学」に組み込まれたところでなんだか新たな問題が発生してしまったのではないか?ということ。行動経済学って、感覚的には心理学といったほうが私にはなじむ。経済とつけたから、「経済学」から異端児と嫌われ、いらぬ追及をうけたのではないのか???

とはいえ、ダン・アリエリーの研究やカーネマンの『ファスト&スロー』についても、データの再現性がなく、捏造であるといわれているのは事実。

 

と、読みながら思った。再現しないのは、時代が変わったからじゃないのか????

損失回避性は、やはり、人は手に入れたものを失うことの痛みの方が、新たに手に入れることの喜びより大きくかんじるというのは、感覚的にはそんな気がする。

景品のプラスチックのマグカップを、受け取らなければそれでおしまいなのに、受け取って家に持ち帰ると、なかなか捨てられない。で、家に物が増える、、、その傾向は否めない気がする。

ナッジにしても、ゴミの不法投棄防止に「鳥居」を立てるって、日本的ナッジな気がするし、有効な気がする。

でも、どちらもその時の社会環境で影響の強さは違うだろう。。。モノが溢れて豊かな時代が続いたあとの人間と、高度経済成長期の人間、あるいは貧しさから立ち上がろうとしている時代の人間では、行動様式がちがっていて当たり前のように思う。

 

行動経済学が死んだのではなく、時代が変化しているために、人びとの行動様式、影響されやすさ、合理的か不合理か、変化しているのだろう。

 

細かな数字の解析、数式を読み飛ばしても、全体に著者の主張することは読み取りやすい。
行動経済学ででてくる実験、理論など、用語の勉強とおもえば、お薦めな一冊。
さすが、行動経済学会会長さん、ってことかな。

 

せっかくなので、ちょっとだけ覚書。
損失回避性:「プロスペクト理論(1979年、ダニエル・カーネマンがエイモス・トヴェルスキーと共著で発表)の重要な構成要素のひとつ。

 

ナッジ:「ひじで軽くこづく」:経済的なインセンティブを変えないまま、教示の文言を工夫するといった非金銭的な手段を通じて人に気づきを与え、行動変容を導くような政策手段のこと。

 

出版バイアス:学術雑誌において、統計的に有意な結果のある研究の方が、そうでない研究よりも公表されやすいこと。そのため、研究者は、統計的に有意な結果のあるデータだけを論文に取り入れ、それ以外のデータはお蔵入りさせてしまう傾向があること。

 

ホモ・エコノミクス:利己的な動機を合理的に追求するという人間像

 

・研究成果の「再生」(reproduction)と「再現」(replocation)の違い。
「再生」は、「反復」と言い換えることも可能で、同じデータや同じ環境の下で同様の分析や実験を行った場合には同じ結果が得られるということ。
「再現」は、異なるデータや異なる環境の下で同様の分析や実験を行った場合にも、同じ結果が得られること。つまり結果が一般化可能であるということ。


第4章にでてくる著者の言葉が、私には目からウロコだった。

経済学が対象としているのは、あくまで「社会」や「市場」レベルの集合的現象であって個人の行動ではない。そして、何らかのバイアスの影響を受けた個人(ノイズ・トレーダー)がいるために市場全体に悪影響が及ぼされるとするなら、経済学がすべきことはこうした人々の存在を前提として、市場の結果を改善するような組織や制度をデザインすることだ”

経済学とはなにか、なんて考えたことがなかったけれど、なるほど、そういうことで「経済学」というものがあるのか。分析しておしまいではなく、そこから組織や制度をデザインする、と。それこそ、官僚の友人たちが日々邁進していることなんだということに、あらためて気づいた。だから、経済学って大事なんだ。そして、個々人の行動をよそくするためにも、やはり行動経済学はより包括的なものとして発展していくんだろうな、という気がする。

 

なかなか、面白い一冊。わりと、さ~っと読めてよかった。

行動経済学は、死んでいないと思うよ。

進化していくのだと思う。

 

うん、読書は楽しい。