妻たちの二・二六事件 [新装版]
澤地久枝
中公文庫
1975年2月10日 初版発行
2017年12月25日 改版発行
*『妻たちの二・二六事件』1972年2月 中央公論社刊
石戸諭著『昭和ノンフィクション名作選』の中で紹介されていた本。
気になったので図書館で借りて読んでみた。
高峰秀子さんの『わたしの渡世日記』の中でも、生々しい話が出てきた。何が起きているのかわからないままに、ラジオ放送で言われるままに、家にこもって過ごした昭和11年2月26日から29日までの4日間。閏年だったんだね。
また、先日『愚かなる開戦』の著者鈴木荘一さんの話を聞く機会があり、「正しい歴史」を知るには、教科書だけでもダメだし、司馬遼太郎だけでもダメだし、本当のことを伝えている一次情報が大事なんだ、ということを思った。本書は、一次情報をもとにしたフィクション。正確さは間違いないだろう、だって、澤地さんの著書だし、と思って読んでみた。
澤地久枝さんは、昭和5年(1930年)、東京生まれ。四歳のとき、一家で満州へ移住。吉林市で敗戦を迎える。昭和24年中央公論社に入社、かたわら早稲田大学第二文学部国文科を卒業。昭和38年、同社を退社し、五味川純平氏の『戦争と人間』資料助手を経て独立。著書に、『火はわが胸中にあり』(日本ノンフィクション賞受賞)、『滄海よ眠れ』『記録ミッドウェー海戦』(菊池寛賞受賞)、など、数々のノンフィクション著書あり。
澤地さんは、現在もご活躍。『滄海よ眠れ』は、2025年10月に、新装版が出版された。ジャーナリズムに興味がなかった私は知らなかったけれど、やはり、本物のフィクションは、古典になるんだな・・・。
本の裏の説明には、
” 二・二六事件で“至誠”に殉じた熱血の青年将校たち。遺された妻たちは事件後、どのような人生を歩んでいったのか。困難な取材をなばり強く重ね、文字通り足で歩いて検証した。もうひとつの二・二六事件。衝撃と感動を呼ぶ。ノンフィクションの金字塔。”
とある。
目次
一九七一年夏
雪の別れ
男たちの退場
燃えつきたひと
花嫁人形暗き陰翳
余燼の中で
秘められた喪章
母としての枷
西田はつ聴き書き
生けるものの紡ぎ車
辛酸に堪えられよ
過去への旅 現在への旅
あとがき
改めて思うこと 新装版に寄せて
解説 中田整一
感想。
すごい、、、。
感動というよりも、衝撃。
わたしにとっては、二・二六事件そのものがよく理解できていなかったので、すごく勉強になった。おもわず、『山川・日本史』をひっぱりだしてよみなおしたけれど、教科書なんて、なにも語っていない・・・・ということがよくわかった。
二・二六事件は、私にとっては高橋是清が血気盛んな若者にころされちゃった事件、という程度の認識しかなかった。そして、その後陸軍がはばを利かせていき、その暴走が太平洋戦争へ、、、と。そんな簡単なことじゃない。現在では、戦後の東京裁判もその違法性が口にされるようになったけれど、二・二六事件もまた、青年将校たちは非公開の軍法会議で、非条理に処刑されるにいたったということ。一審即決(上告無し)、弁護人無し、非公開・・・。逮捕された夫がどうなるかをほとんど知るすべもないまま、妻たちは遺族となり、子供たちは遺児になった。死刑が確定してからの僅かな面会。いつ、その日が訪れるかを知らされないままに待った夫の死。こっそり託された伝言。処刑宣告は、その数時間前。遺体引き取りのための連絡のみ。
銃殺が行われる時間、空にはヘリコプターが飛んだ。銃の音をかき消すために。一般の人には、知らされない処刑の実行。
天皇万歳といいながら銃殺された将校たち、自決した将校たち、彼らを扇動したという言いがかりで処刑された北一輝と西田税。
教科書より、ずっと中身があり、読み応えのあるノンフィクションだった。
きっかけの一つと言われている「相沢事件」は、1935年に陸軍中佐の相沢三郎が、陸軍省内で統制派の中心人物である永田鉄山軍務局長を斬殺した暗殺事件。相沢は、永田が陸軍の悪化させると思って、暗殺。相沢は、二・二六事件の後、銃殺刑になっている。
その「相沢事件」の発端になったのは、皇道派の領袖であった教育総監真崎甚三郎大将が、方向性の相違から更迭された「真崎更迭事件」。
皇道派のたまりたまった不満が、二・二六事件につながった、というのがよく言われる説。
「昭和維新」をなそうとした陸軍将校たちは、なぜそのような手段を選ぶに至ったのか?やり方が間違っていたのは間違いない。澤地さんが伝えたかったのは、正しいとか、正しくないとかでもなく、ただ、事実。それが、ひしひしと伝わってくる。
それでも、なぜ二・二六事件がおきたのか?は、私にはまだよくわからない。誰が青年将校を間違った方法へむかわせたのか?確かに、実行したのは、田中、磯部、河野、野中、、、陸軍皇道派の青年将校たち。東条英機ら統制派と対立していた皇道派の青年将校たち。天皇の意志とおもって、立ち上がった。だが、天皇の逆鱗に触れた。。。なんと、、、。結果だけ見れば、なんと愚かな、、と言ってしまうけれど、なぜ彼らは暗殺するという手段に出たのか。。。。
二・二六事件
死亡者
・松尾伝蔵・内閣総理大臣秘書官事務取扱(私設秘書)
・高橋是清・大蔵大臣
・齋藤実・内大臣
・渡辺錠太郎・教育総監
被害者
・警察官5名殉職、1名重傷
犯人
・野中四郎
・安藤輝三
・栗原安秀
・香田清貞
・磯部浅一
・村中孝次
・林八郎
・池田俊彦
・田中勝一
・渋川善助
他
鈴木荘一さんの話では、五・一五事件で犬養毅を暗殺した海軍将校たちは処刑されていないことから、まさか自分たちが陸軍会議で処刑されるとは思っていなかっただろう、と。
澤地さんは「なぜ、だるまと愛された高橋是清を殺害することが、昭和維新につながると考えたのか?」と、そこは疑問形で残している。言わんとするのは、「間違っている」ということだろう。でも、あえてそこは、疑問提示にとどめている。自分の考えを述べるのではなく、事実をのべて、問題を提起するのがノンフィクションということか。
自分の考えを加えてしまえば、エッセイになってしまうということか。
将校の妻たちは、人によって年齢もその先の生き方も様々。そんなこと、いまさら書かなくていいといいながら語ってくれた妻もいれば、何も語らない、を貫き通した妻もいる。
感動というより、衝撃。
中には、結婚して数か月という若い妻も少なくなかった。嫁ぎ先と実家とのあいだで嫁を娘を取り合った家、嫁いだからには離縁を認めない家、結婚を白紙にもどそうとした家、、、
あるいは、子供と引き裂かれてしまった妻。
読んでいて、呆然としてしまう。
あるいは、号泣せずにはいられない話もある。
「母としての枷」は、香田大尉未亡人・澄子が、子供達と引き離され、香田の両親の死後にようやく香田の弟のはからいで子供たちに会えたという話。抱きしめたかった子供たちはもう大人になっていて「お母さんはなぜ私たちを捨てたの」と言われる。もう、、、号泣。
のち、母となった子供からようやく「はじめてお母さんの気持ちがわかりました。今までのことは堪忍してください」という優しい手紙を受け取る。。。。。号泣。が、気持ちが通じた時には、癌におかされていた澄子の命は、もう半年もなかった・・・。
振りむき続けた過去。澤地さんは、「ロトの妻の寓話」をもちだし、過去に囚われる心は自由な柔軟さを失う、といい、澄子さんは母という枷をすてるべきだったのである、と書いている。
ロトの妻とは、「ソドムとゴモラ」にでてくるロトの妻は、振り返ってはいけないと言われていたのに、逃げる途中で振り返り、塩の柱になってしまう。
現代における被害者、加害者の家族というのとも、ちょっと違う。事件そのものの性質が違うからということ、時代がちがうということ、、、色々あるけれど、これが、ほんの90年前の話なのだ。
20代、30代のころは、50年なんておおむかしって思っていたけれど、今、戦後80年といわれると、それがいかにも最近のことであった、、と感じる。
先の戦争について、知りたいと思っているならば、読んでみるといいと思う。
力強い、澤地さんの文書から、覚書。
・”加害者の側に立たされ、三十余年の未亡人生活を余儀なくされた女性たちの沈黙は、いっそう深い。ある日突然、選択の余地なく叛徒の妻となり、置き去られた妻たちは、辛い涙と耐えきれぬほどの忍耐の重さを訴える相手をもたなかった。戦争で未亡人となった同胞が、戦争の犠牲者として怨嗟の声を上げる時に、二・二六の未亡人たちは怨みも告発もどこへ向ければよいのか。”
・”二・二六事件の一挙を正当化するつもりはないが、この事件を裁いた東京陸軍軍法会議では、まったく裁く資格のない者が裁いたのである。戒厳令下、非公開の暗黒裁判であったことは、まことに好都合な幕切れとなった。”
・小塚原:松田松陰はじめ国事犯の処刑場として知られるところ。「余は極楽に行かぬ、断然地ゴクにゆく、、、ザン忍猛烈な鬼になるのだ」と言って死んでいった磯部浅一の墓は、小塚原回向院にある。磯部は「行動記」を密かに獄中で残した。「磯部手記」が世に出たのは昭和30年、夫人の死後14年だった。磯部遺族の話は、本書「燃えつきたひと」という項にある。
・野中美穂子:野中四郎大尉(34歳)の妻。野中は現場で自決。夫の遺体を我が家へ運んだ妻のもとへ、新聞社の取材が殺到。遺族のなか唯一、手記を残した。
”野中元大尉未亡人 皆様へ霊前からお詫び”と。
・”再婚する妻は、積極的には勇気づけられはせず、歓迎されないような空気があった。”
世の中って、世間って、、、、無責任だなぁ、と感じる。
ゴシップネタや芸能界スキャンダルは言うまでもないけれど、人の人生にあれこれ言う暇があったら、自分の人生をしっかり生きろ、って。
それこそ、高峰秀子さんみたいに、ね。
戦争は、誰か一人の責任ではない。
やっぱり、社会の責任だと思う。
そして、社会は一人一人がつくっていくもの。
正しい未来の設計図を描くのに必要なのは、印象とか言い伝えではなく、
正しい歴史認識。
でもね、なにが正しい歴史なのか、それが一番難しい。
自分の眼で見て、自分の頭で考えるしかない。
