『失われた時を求めて12「 消え去った アルベルチーヌ」』 by マルセル・プルースト

失われた時を求めて12「 消え去った アルベルチーヌ」
マルセル・プルースト
吉川一義 訳
岩波文庫
2018年5月16日 第1刷発行
2018年6月25日 第2刷発行
底本:マルセル・プルースト失われた時を求めて』(1913-27) プレイヤッド版

 

失われた時を求めて 第11巻の続き。

megureca.hatenablog.com

 

表紙の袖には、
” アルベルチーヌの突然の出奔、続く 事故死の報。 なぜ出て行ったのか、女たちを愛したからか? 疑惑と後悔に悶える「私」は「真実」を暴こうと狂奔する。苦痛が無関心に変わるころ、初恋のジルベルトに再会し、その境遇の変遷と念願の ヴェネチア旅行に深い 感慨 を覚える。”
とある。

 

11巻の最後で、家をでていってしまったアルベルチーヌ。フランソワーズの「アルベルチーヌさまは、おたちになりました」が私の頭の中をこだまする。

 

12巻は、なんとかアルベルチーヌをとりもどそうと必死になる私の姿ではじまる。素直に、「戻ってきてほしい」といえない私は、嘘に嘘を重ねて、アンドレと結婚するとか、すでにアルベルチーヌのためにロールスロイスやヨットを購入したとか、お金の問題があるとか、なんだかんだとアルベルチーヌが私のところへ戻ってくるべき嘘の理由をならべる。でも、アルベルチーヌはもどってはこない。私がアルベルチーヌへ手紙をだすと、帰ってきたのはボンタン夫人(アルベルチーヌの叔母)からの電報だった。


「 お気の毒ですが、 私たちの可愛いアルベルチーヌは、もうこの世にはいません。」
138ページで明かされた恋人の死。

 

アルベルチーヌは、落馬事故で亡くなってしまったのだ。
そしてその死の連絡の後、アルベルチーヌから「あなたのところへ帰りたい」という手紙が届く。何という悲劇・・・・。

 

そこからは、延々とアルベルチーヌとの思い出が語られる。あるいは、アルベルチーヌが本当に女性と関係をもっていなかったのか、過去を知りたがる私は、バルベックのホテルのエメや、様々な人を使って、アルベルチーヌの本当の姿を知ろうとする。死者の嘘を暴いてどうしたいのか???嘘か本当か、本当のことを語る当の本人はもう二度と口をひらかないというのに。

 

12巻での大きな出来事の一つは、「私」の文章がフィガロ紙に掲載されたということ。母はさりげなく私の前に新聞をもってきて、無言でそれを知らせてくれる。はじめは、自分の文章に似ていると思って読むのだが、署名をみつけ、ついに自分の文章がでたのだ!と自覚する。ただ、

”もしかするとすでに老化がすすんでいて、いささかつかれていた自分の思考は、そのことが自覚できないでいるかのようにふるまった。”
 一方で、私は、サロンでだれかに「素晴らしい文章だ。」と言ってもらえることを心待ちにするのだが、他人はあまり興味を示さない。友人のブロックに至っては、私の文章がフィガロ紙に掲載されたことを黙殺した。数人の読者からの賞賛の手紙が届く。中には、なぞの魅力的な文章の人も。

 

私は、ゲルマント夫人の家に出入りするようになったジルベルト(スワン、オデットの娘)と再会する。スワンの死後、オデットはフォルシュヴィル氏と再婚し、ジルベルトはフォルシュヴィル嬢となって、スワン(ユダヤ)の血を隠すようになる。叔父の死もあって、莫大な遺産を受け継いだジルベルトは、フランスで最も裕福な遺産相続人の一人となり、すっかり社交界に受け入れられる身分となっていた。
(もともとは、高級娼婦オデットの娘であることから、社交界や私の家族からは忌避されていた)そして、なんと、私の親友であるサン・ルー(ロベール、ゲルマント家)と結婚。

お金が、身分を変えた時代・・・・。社交界も大きく変化していた。

かつて、交わることがないと思っていたコンプレー(スワンの住んでいたあたり)とメゼグリーズ(メゼグリーズ家、ゲルマント家)は、近づいた。

 

が、サン・ルーとジルベルトの結婚は偽りの幸せだった。サン・ルーは、モレル(偽名ポペット)とホモセクシュアル関係を持つ。加えて、サン・ルーは高額な金銭も与えていた。どこまでも男にたかる男モレル。ジルベルトは、それを知って苦しむ。

 

時代の流れの中で、もう一組の結婚がある。アンドレとオクターブ(ヴェルデュラン夫人の甥、バルベック時代に出会ったいけてない青年のひとり)が結婚。

私は、これらの結婚を母と訪れたヴェネチアで知ることになる。

 

また、シャルリュスが養子としてモレル(ヴァイオリン奏者)と結婚させようとたくらんだオロロン嬢(仕立てやジュピアンの娘)は、モレルにフラれ、カンプルメール若侯爵と結婚するのだが、直後に腸チフスで亡くなってしまう。


ちょっと覚書。
・ 私がサン・ルーに、アルベ ルチーヌを探してきて欲しいと頼むために、アルベルチーヌの写真をみせる。” アルベルチーヌ が サン・ルーにヘレネトロイアの老人たちに与えたほどの印象を与えるとは思わなかったので・・・”
ギリシャ神話の美女 ヘレネ は、 スパルタ王 メメラオスの妻となるが、 夫を捨てて トロイア 王子 パリスのもとへ 走り、 トロイア戦争を誘発した。

 

ボードレール悪の華詩編「旅への誘い」の冒頭からの引用「わが妹、かわいい子」。アルベルチーヌの死に対して、私の言葉。
”・・・ 私も アルベルチーヌに接吻を与えているのだから、 2人の関係は恋愛であり、 2人は恋愛と呼ばれる関係を互いに実践しているのだと、 そう信じ込みたかったのだ。 そして そう信じるのが習いの性となったせいで、 私は自分が愛する女性のみならず、 自分を愛してくれる女性まで失った、 つまり、 わが妹、かわいい子、 優しい愛人を失ったのである。・・・・”

 

・” アルベルチーヌ がしていたかもしれぬことを知りたいという 私の嫉妬深い好奇心には 際限がなかった”
私は、自分の執着に自覚している。アルベルチーヌがレズビアンであったのかをなんとしても明かしたい、とやっきになる。それを調べてきたエメは、バルベックでアルベルチーヌがいちゃついたと言われる小娘と会い、自分もその小娘と一晩を共にし、「なんせあの小娘ときたら、床上手ですからアルベルチーヌも喜んだだろう」と私に告げた。
アンドレ(アルベルチーヌの友人)は、アルベルチーヌとそんな関係を持ったことはないし、その手の嗜好をもっていたこともしらない、と私に告げる。
私は、アンドレの言葉すら、アルベルチーヌに頼まれた嘘ではないか、と思う。

 

・アルベルチーヌを失った悲しみ。
” 例えば片脚を切断された人が、天候の変化によって、失った脚に痛みを感じるようなものである。”

 

・” 他者に対する我々の愛情が衰えるのは、 その他者が死んだからではなく、 我々自身が死ぬからである。”
愛情の変化について。

 

・” 夕暮れ時にホテルへ戻ってくるとき、 ときには目に見えない 昔のアルベルチーヌが私の奥底、いわば 心のヴェネチアンのピオンビ」に閉じ込められているように感じられ、 些細な出来事がその牢獄の堅固な 仕切り壁をずらして、 過去への入り口を開けてくれることもあった。”
ヴェネチアンの「ピオンビ」ドゥカーレ宮殿の鉛の天井の下に設置されていた監獄。16世紀に「溜息の橋」のかかるリオの東側建物にうつされた。そこから、18世紀にカサノヴァが脱獄した。

 

ヴェネチアで私は「私はまだ生きています」という電報を受け取る。アルベルチーヌからの電報と言われたのだが、電報の係員が「アルベルチーヌから」としたのは、「ジルベルトGilberte」の綴が乱れ、ゴシック文字のAとGを間違えたためだった、と後に語られる。
プルーストは、そこまで考えて名前をアルベルチーヌとジルベルトにしたのだろうか???だとしたら、すごすぎる。

 

・”貴族の称号の価値は株価と同じく、需要があると上がるが、供給があると下がる。
世の中で株式市場が活発化していく中、貴族の価値を揶揄している。貴族の価値も絶対のものではなく、恒常的に再構築されている、と。

 

・”オデット(元高級娼婦、元スワンの妻、元シャリュルュスの愛人)はジュピアン(シャリュルュス男爵のホモセクシャル相手)の従姉妹だった” 本巻で初めて明かされる事実。

なんとも人間関係の泥沼に突入していく12巻。

 

訳者あとがきで
嫉妬こそ他人を真に知ろうと駆り立てる力に他ならないが、知ろうとするほど真実は見えてこないという逆説であろう。”
と言っているのが、興味深い。
そして、アルベルチーヌに無関心になっていく私の振舞いについて、

” ここには『失われた時を求めて』の全体を貫くプルースト根源的な人間認識が表明されている。人間の振る舞いを決定するのは、その人にとって都合のいい 「想い込み」や「確信 」、そうに違いないと「信じこむ力」だという認識である。 語り手は「私の悲嘆は、私にとって実際そうであったアルベルチーヌとはかかわりがなく、 愛の最も一般的な感動を味わいたいと願う心が少しずつそうであったと私に信じ込ませた アルベルチーヌにかかわるものであった」という。”

 

失われた時を求めては、人間の心、認識論の物語かもしれない。

時間軸がわかりにくくて、すでに「私」は結構な歳になっているっぽい。

友人たちは結婚していく。でも、独身のままの「私」は、母とのヴェネチア旅行。かといって、母とべったりしているわけではなく、からりとした母の愛。コンプレー時代から、母は私のことを甘やかすことはなかった。ドライな母の愛と、「私」の執着心が印象深い。

 

あと、2冊!