『恍惚の人』 by 有吉佐和子 

恍惚の人 
有吉佐和子 
新潮文庫
昭和57年5月25日 発行
平成15年2月25日 52刷 改版
令和5年3月5日 72刷

 

林芙美子の『浮雲』同様、高峰秀子さんの『渡世日記』を読んで、高峰さんが出演していた映画の原作として、読んでみたくなった本。

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単行本として出たのは昭和47年らしい。『恍惚の人』が映画化されたのは、1973年。映画として私が見たはずはないけれど、その後もよく話題になっていたのは記憶にある。痴呆老人とその介護をした嫁のはなし、っていうことは、うっすら知っている、ってくらい。おそらく、令和の今においても、介護問題は何も解決していないので、お話としては、今なお新鮮なのかもしれない。

 

裏の紹介には、 
”文明の発達と医学の進歩がもたらした 高齢者人口の増大は、やがて恐るべき老人国家が出現することを明瞭に予想させる。 老いて永生きすることは果たして幸福なのか?
日本の 老人福祉政策はこれで良いのか?ーーー 老齢化するにつれて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、 誰もがいずれは直面しなければならない《老い》の問題に光を投げかける。 空前の大ベストセラーとなった傑作長編。”
とある。

 

著者の有吉佐和子さんは、(1931-1984)和歌山生れ。東京女子大短大卒。1956(昭和31)年「地唄」が芥川賞候補となり文壇に登場。代表作に、紀州を舞台にした年代記『紀ノ川』『有田川』『日高川』の三部作、一外科医のために献身する嫁姑の葛藤を描く『華岡青洲の妻』(女流文学賞)、老年問題の先鞭をつけた『恍惚の人』、公害問題を取り上げて世評を博した『複合汚染』など。理知的な視点と旺盛な好奇心で多彩な小説世界を開花させた。(新潮社Webサイトより)

 

高峰さんの『渡世日記』の中では 一緒に旅をした時の話が、面白おかしく出てきた。高峰さんが1924年生まれなので、高峰さんの方が、お姉さんなのだ。本を読んだ時は、なんとなく、有吉さんがベテランで、高峰さんが後輩なのかと思って読んでいた。

 

感想。
めちゃくちゃ面白かった。
これは、令和の今よんでも、まったく色あせていない!!
そりゃ、人間が老化するとか、ボケるとか、誰が世話するとか、まったく昔と今はかわっていないのだから、あたりまえなのか。

介護が身近な人なら、おもわずひきこまれちゃうと思う。

 

高峰さんの 著書の中では、映画『恍惚の人』では、舅役、つまりは痴呆老人の役を担ったのが森繁久彌、とのことだった。読みながら、どうしても嫁である昭子(あきこ:高峰秀子)と立花茂造(森繁久彌)の顔が頭に浮かんでしまう。

時代背景は、昭和初期なので、もちろん今とは生活の仕方がことなる。トイレがいかにも和式だったり、寝るのは蒲団だったり。寒ければ火鉢で暖をとる。でも、家族構成や人間関係は、大きくかわらない。

 

以下、ネタバレあり。

 

物語は、昭子が勤め先から帰宅する途中、義父(茂造、84歳)が突進するように走ってくる姿と遭遇するところから始まる。いかにも、徘徊が始まった老人の様子。でも、昭子も夫であり茂造の息子・信利(のぶとし、50歳)も、茂造に痴呆のきざしがあることなど、まったく認識していなかった。

 

離れに住む茂造は、その日の夜に、昭子が息子の敏(さとし・高2)の食事を準備している母屋にいきなりやってきて、まだ料理中の鍋に手を突っ込んで、野菜を食べようとする。

「 あらまあ、お舅さん。 よそいますよ。お腹が空いていらっしゃるのですか? 珍しいですね?」と昭子が言うと、

「婆さんが起きてくれないもんだから、私は腹が空いてかなわんのです」という。

 

どうも、おかしい。姑は舅をほっておくような人ではない。いつも、体調がわるく不機嫌な舅に対しても、文句を言うこともなくつくしている姑。健康な姑だけれど、中風の発作でも起こしたかと心配になり、昭子は離れに様子を見に行く。

 

姑は、既に亡くなっていた。妻が死んだことも理解できずに、徘徊していた舅。そこから、医者をよんだり、お葬式の準備をしたり、夫の信利は帰宅しても呆然としているばかりで役立たず。

 

結局、亡くなった姑の葬式、その後舅の世話をすることになる昭子。信利の妹・光子は、嫁に行って遠方に住んでいるために、自分の父親の世話をすることはできない。嫁である昭子が面倒をみるのが当然と思っている。

なんだかんだ言って、今もあまり変わっていない構図か?!

 

そして、昭子の奮闘が始まる。茂造は、自分の息子や娘のことも、わからなくなっていた。いつの間にこんなに痴呆が進んでいたのか・・・・。茂造が家族として認識できるのは、昭子と敏だけになっていた。敬老会館に預けてみれば、であったお婆さんに色目を使われている茂造。離れに一人にしておくと、徘徊で迷子騒ぎを起こす茂造。

 

昭子は、仕事があるので、24時間介護できるわけではない。夫と分担しようにも、当の舅が息子の信利を見れば「暴漢だ!」といって、さわぎたてる。

 

夜の頻尿で、昭子の睡眠もままならない。
医者に相談すると、鎮静剤を茂造に投与することをすすめられ、一時は朝までぐっすり眠れるようになるが、おもらしが始まる。大も、小も、、、。

 

紙おむつなんて、まだそんなに普及していない時代に、舅のおむつを替える嫁。

 

茂造は、頭はボケているけれど、躰は元気で徘徊すれば途方もなく遠くまで行ってしまう。敏も祖父を迎えに行くなど、昭子を手助けしてくれるものの、受験生という立場もあって、昭子にしてみれば息子に頼り切るわけにはいかない。

 

敏は、徘徊する茂造に振り回され、
「パパもママも、こんなになるまで長生きしないでよね」
という。

 

茂造の老化が進んでいくことと、それを自分にもいずれおこることとは想像がつかない敏に対し、信利はすっかり変わった父の姿に自分の将来をみて絶望し、昭子もひしひしと忍び寄る老いに不安を感じつつ、舅の介護を必死にこなす。


ある時、お風呂に入っているとき、ちょっと昭子が目を離したすきに、風呂桶の中に沈んでしまった茂造。昭子の必須の蘇生術で一命をとりとめ、医者にも大事はないといわれるのだが、茂造は、徐々に言葉も失い、行動も緩慢になり、弱っていく。

 

そして、最後は再び徘徊騒動を起こした夜、すっかりくたびれたのか、こんこんと眠る茂造。往診にきた医者は、だいぶ弱っているから病院で看護したほうがいいかもしれない、と言って帰っていった。

 

その夜、信利も会社から早く帰り、久しぶりに親子三人で食事をした。大学受験も凡そのめどがつき、珍しく敏が学校のはなしなどをしてにぎやかな食卓だった。昭子は、茂造のためにニラ雑炊をつくっていたけれど、わざわざ起こしてまで食べさせるのをためらい、親子3人で食事をし、昭子は茂造の入院の準備のことを考えながら、のんびりとした食後をすごしていた。


ふと、敏が茂造を振り返って大声をあげた。

「ママ、おじいちゃんが変だよ」

茂造は、目を閉じたままだったが、急に形相が変わっていた。脈がない。


急いで、やってきた医者は、茂造の閉じた瞼を開けて瞳孔をみただけで
「ご臨終です」といった。

ぼんやりとする信利と敏。昭子はおもわず、合掌した。

 

ばたばたと葬儀の準備をする昭子。清拭を夫や息子に頼む。「ママ、エキスパートになったね」という敏。だれも涙もなく、たんたんとやらねばならないことやっていた。
ようやく、ひと段落したとき、敏は、部屋の隅で膝を抱えてすわっていた。

 

昭子が、茂造が可愛がっていたホオジロの籠に夜のおおいをかけるのを忘れていたことに気が付き、立ち上がったとき、敏が昭子の背後で口をきいた。


「ママ、もうちょっと生かしておいてもよかったね」

昭子は、自分の頭の中がまるで真空のようになっているのを感じた。敏が階段をあがって自分の部屋へ行く足音をきいていた。

昭子は、鳥かごを抱えたままぺたんと座り、すると昭子の胸でホオジロが歯をばたつかせちょっとうめいた。
その拍子に涙が目から噴きこぼれたが、自分が泣いていることに気が付いたのはそれから随分後のことだった。昭子は鳥籠をだきしめいつまでもそうして坐っていた。

 

おしまい。

 

はらはら、どきどきしながら読み進め、他人ごとではないとおもいつつも、我が家は徘徊には悩まされなかった、、などと思ってしまった。

 

あくまでも、仕事と介護の両立を試みようとする昭子。結婚と仕事を両立させようとする職場の若い女性。一時、茂造の見守りをお願いした学生運動世代の大学生カップル。姑が寝たきりになったことをざまぁみろという近所の女性。

 

いやぁ、、、、今の時代にも同じ問題がありそうだ。

面白かったぁ。
笑えないのだけれど、笑い飛ばそうとする昭子の強さ。老いに怖気づく息子の信利。淡々としているけれど、親孝行でありおじいちゃん孝行である息子の敏。

 

ほんと、今読んでも共感の嵐だと思う。
介護が身近な人なら、昭子の献身ぶりと、ときに突き放す気丈さに、おもわず「がんばれ!昭子!」と言いたくなると思う。

 

有吉佐和子、初めて読んだけれど、これはすごいな。林芙美子より、こっちのほうがずっと興味深い。他の作品も読んでみたくなった。

新潮文庫は、まだまだ古くてよい作品がありそうだ。

 

読書は楽しい。