年賀状は小さな文学作品
牛島信
幻冬舎
2025年4月15日 第1刷発行
広告で見かけたのだと思う。気になって、図書館で予約した。忘れたころに、順番が回ってきた。そんなに人気作品だったのか。
幻冬舎のHPには、
”弁護士として、小説家として、
昼はメディアで企業の不祥事を糾弾し、
夜は書斎で、独り文章を綴ってきた。
数多の顔を持つ著者は、
どのように時代を感じ、読み解いたのか
日本を代表する企業弁護士であり、小説家としての顔を持つ、著者、牛島信。
弁護士として、小説家として、
昼はメディアで企業の不祥事を糾弾し、
夜は書斎で、独り文章を綴ってきた。
国際弁護士として、小説家として、訪れた国々、出会った人々、扱ってきた経済事件……。
1996年から2025年にかけて、したためてきた年賀状とともに、その時代時代に感じた社会への思いを綴った、珠玉のエッセイ。”
とある。
著者の牛島さんは、 作家/弁護士。 1949年生まれ。 東京大学法学部卒業後、東京地検検事を経て 弁護士に。 現在、M&A、コーポレートガバナンス、不動産の証券化、情報管理などで定評のある牛島総合法律事務所代表。著書に『 株主総会』『 少数株主』など。
牛島さんの作品は読んだことがない。でも、「年賀状は小さな文学作品」というタイトルが気になった。
目次
令和7年の年賀状とはじめに
平成8(1996)の年賀状
平成9(1997)の年賀状
平成10(1998)の年賀状
平成11(1999)の年賀状
平成12(2000)の年賀状
平成13(2001)の年賀状
平成15(2003)の年賀状
平成19(2007)の年賀状
平成22(2010)の年賀状
平成25(2013)の年賀状
平成26(2014)の年賀状
平成27(2015)の年賀状
平成28(2016)の年賀状
平成29(2017)の年賀状
平成30(2018)の年賀状
平成31(2019)の年賀状
令和2(2020 )の年賀状
令和3(2021 )の年賀状
令和4(2022 )の年賀状
令和5(2023 )の年賀状
令和6(2024 )の年賀状
感想。
なんじゃこりゃ?
とおもいつつ、面白い。
牛島さんの作品を読んでいれば、もっと面白いのだろう。過去の自分が出した年賀状をもとに、関連するエッセイが展開される。年賀状は、小さなお手紙というか、年賀状にしては長めな文章が綴られている。そこから、思い出が掘り起こされて、エッセイが続く、という構成。なるほどね、自分の書いた年賀状が、パソコン上に残っているってことなんだろうな。
私は、わりと年賀状をつくるのが好きだ。印刷にだしたことは、多分、、、人生において数回。昭和世代としては珍しい手書きの年賀状をずっとつくってきた。宛先も、文面も手書き。若いころは、版画作品にしたりもしていたけれど、今では筆書きの文字と、一言そえて、、、というのが定番になっている。思えば、干支を書き続けても数回めぐっている。。。相手によって、文章は異なるし、手書きなのでもちろん書いたものは自分の手元には残っていない。でも、デザイン、文字や干支のデザインは数年間はのこしている。それでも、一時の100枚ちかかった年賀状も、今では数十枚、、、20~30枚のあいだくらい。歳をとって、届く喪中はがきも毎年複数になっているので、年末に購入するのは20枚くらいで、あとは、来たら書くか、、、、という感じになっている。
と、私は、年賀状という小さな芸術品を「つくること」を楽しみにしている。もちろん、届くのもたのしいけど。そして、本書の著者のように、長い文章の年賀状の人もいるよなぁ、と思う。読み返せば、思い出が読みがる。それは、たしかに、小さな文学作品。
数ページ読んで、著者のこともよく知らないし、読むのをやめようかとおもったのだけれど、読んでいるとバブル時代の懐かしい空気やら、「文学」の引用が多いので、つい、読みいってしまった。とはいえ、さらっと読み。
著者は、夏目漱石を毎晩読むとのこと。そして、『我が師、石原慎太郎』という本をだすほど、石原慎太郎と仲良しだったらしい。石原さんには、世界は男と女、恋愛小説を書けといわれつづけたけれど、牛島さんの作品は社会問題をテーマにしたものばかり。社会を見る目が石原慎太郎と共感したのだろう。
目次には、それぞれの年賀状に関連したエッセイのタイトルも記載されている。時事とは関係なく、文学の話だったり、個人的思い出の話もある。パリやニューヨークにもよくいかれていたようで、なるほど、幅広い経験があっての、楽しいエッセイなんだな、と思う。かつ、その経験は小説にも反映されているのだろう。。。プルーストの『失われた時を求めて』とちがって、恋愛テーマはほぼないようだけれど。
ヘミングウェイも何度も言及されている。『老人と海』の中のセリフや『移動祝祭日』のなかのヘミングウェイの女性への想い。
『老人と海』って、若いときに読んでも、ただ、残念で悲しいお話だと思っていた。でも、私も歳を重ねて、『老人と海』の漁師が、それでも淡々とその日を暮らしていく気持ちが、ちょっとわかるようになった、気がする。
よいのだよ。自分が格闘した事実なんて、誰にも知られなくて。ただ、自分のなかで、その日やるべきことをやったという満足感で。
ヘミングウェイは、61歳で猟銃自殺している。やるべきことはやった、とも思ったのかな。
そして、この本を書いている牛島さんは、70を過ぎている。医者にあと10年は大丈夫と言われ続けて、70半ばを過ぎた、と書いているけれど、まだまだ、、、そりゃ70歳なんてまだまだ、、、って思いたい私がいる。
平成8年から始まる年賀状の記載。まだ1990年代。牛島さんだって、若かった。私よりはほぼ20歳も年上の人だけれど、昭和やバブル時代の感覚が残る文章。そして、 2000年だって、もう四半世紀前なのか、、、と思うとちょっと感慨深い。
気になったところ、ちょっと覚書。
・森鴎外『妄想』:1911年、森鴎外49歳の時の作品。「日の欲求」をはたしつつ、「青い鳥」を探す生き方。同じことを、49歳の著者が感じていた。
・谷崎潤一郎『夢の浮橋』:幻想的な作品で、妙に心惹かれた、と。現在と未来を生きることを強制されている感覚。引用しつつ、「日本はもうだめだ」といって学生に留学をすすめる大学の先生への疑問が続く。「いったいどこのパスポートをもって外国に滞在するつもりなのか?」と思った、と。そして、「私は日本以外の国を祖国とすることは考えられない」と。
この感覚、すごくわかる。日本のパスポートを持っているということが、海外でどれだけ意味あることか。海外にいったところで、私は日本国籍の日本人なのだ。税金を納める義務だってあるのだ。
・”石原慎太郎という偉大な作家がいて・・・・”、著者は2023年に『我が師 石原慎太郎』という本も書いている。そして、文学論となり、石原千秋(日本の国文学者)の「文芸時評」からのコメントが引用されている。
”古市憲寿『彼は本当に優しい』は、高校生の文芸雑誌レベルで、壇蜜『タクミハラハラ』は、中学校の文芸雑誌レベル。文学界は何をやっているのだろう?”
(笑)(笑)(笑)
私は、壇蜜はよんだことないけど、古市さんの作品は一度読んで、二度と読まないな、と思った。
・牧本次男『日本半導体 復権への道』(ちくま新書 2021)、クリ・ミラー『半導体戦争』(ダイヤモンド社 2023):「失われた30年」を顧みるのに参照している本。1987年4月の中曽根首相が急遽渡米して臨んだレーガン大統領との会談が決裂したことが、その後の日本のトラウマになっている、と。
*牧本次男:日立製作所に入社し、半導体事業部長、専務取締役などを務めたのち、ソニー執行役員専務、半導体産業人協会理事長などを歴任。
・谷崎潤一郎『細雪』:朗読をよく聞くとのこと。そして、”いったいこの小説で谷崎は何を描きたかったのかと、何度聴いても、その複雑さ、奥行きの深さに幻惑されてしまう。”と。
・”人は死ねば、一部の近親者を除いてゴミになる。人生最後の光景は、見てもどこにも納めることなどできない。
それでも、書いたものは残る。残ると思いながら死ぬことができる。それが文章を書く人間の特権だろう。もっとも、多くは日記と同じで、誰も思い出しも、読み返しもしないのだが。”
・”私のなかには、晩年、「私は聖書と日刊新聞以外を読まない」といったポール・クローデルの境地が理解できるような思いがある。”
著者は、日刊新聞以外にも本を読むし、マンガも読む。弁護士をしながら小説を書く。知らないことを知るためにはたくさん読む。でも、文章の中には、読まなくていいものもある。
1943年、 「日本人は貧しい、 しかし高貴だ。 世界でどうしても生き残ってほしい 民族をあげるとしたら、 それは日本人だ。」といってくれた駐日大使ポール・クローデル。
うん、ちょっとわかるなぁ、という気がする言葉が並んでいる。前のめりな方だなぁ、という印象。そりゃ、多くの社会課題と格闘しつづけているのだから、そうだよなぁ、と思う。
文学作品が文学作品をよぶ。
そして、世界が広がる。
読書は楽しい。
