十代のきみたちへ
―ぜひ読んでほしい憲法の本
日野原重明
冨山房インターナショナル
2014年、5月3日 第1刷発行
図書館で、ティーンズの棚にあった本。日野原先生の本なので、借りて読んでみた。
表紙は、可愛いイラスト。富士山、鳩、男の子と女の子。里山だろうか。イラストは裏にも続いていて、お父さん?に肩車されている女の子と、お母さん?とハイタッチしている男の子。猫、牛、梟。畑を耕しているおじさんとおばさんもいるな…。昭和な印象のイラスト。
日野原先生は、1911年生まれ。聖路加国際病院の先生として、メディアにもたくさん出られていた。2017年に他界。
「みなさんこんにちは。わたしは102歳になる現役の医師です。」とはじまる。今でも、あの優しくも厳しい笑顔が、思い出せる。日野原先生が憲法の本?なんで?と思ったけれど、なぜかが、「はじめに」に書かれている。日野原先生は、医学以外の本もたくさん読むが、憲法の本が本棚の棚三段をうめるほど、読まれていたのだそうだ。なぜならば、
「いのちを守る」という医師の仕事に、日本の憲法が深い関係を持っていると思ったから、と。なるほど…。
目次
はじめに なぜ医師のわたしが憲法の本を書いたか
1 日本国憲法とはなにか
2 世界のさまざまな憲法
3 憲法改正をめぐる動き
4 日本憲法へのわたしの思い
5 きみたちにお願いしたいこと
感想。
う~ん、これは、大人が読んでも十分楽しめる。そもそも、大人になる程、「日本国憲法とは何か」なんて考えない気がする。
日野原先生が言いたいのは、憲法というのは普通の法律と違って、政治家や役人が守るべきことを書いてあるものであり、変えるべきとか変えないべきとか意見する前に、その全文を私たちも理解するべきだ、ってことな気がする。憲法が大事なのは、その全体を貫く精神、中身であって、変更を容易にするために法律を変えるということも間違っている、と。
2014年は、第二次安倍政権で、特に集団的自衛権の行使について議論が高まっていた時期。安倍政権への批判もあったのではないだろうか。
2014年7月1日、日本政府はこれまでの憲法解釈を変更し、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定した。
日野原先生は、「自衛」という言葉の危険性を言っている。どんな戦争も「自衛」といえば許されてしまうだろう、と。「自衛」という言葉はいかようにも解釈できてしまう。戦争を始める国は、それぞれの「言い訳」がある。「自衛」もその一つ。
そして、日野原先生は、ただ改憲に関する自分の考えを子供たちに伝えようということではなく、自分も今も勉強を続けている、と言っている。
”わたしは百ニ歳まで生きてきましたが、まだまだ毎日が勉強の連続です。きみたちは学校を卒業したら、もう勉強はしなくていいと思っているかもしれませんが、そんなことはありません。人間は死ぬまで勉強が続きます。
でも、勉強には種類があります。若いうちにやっておいたほうがいいことと、いくつになっても勉強していいものとがあります。とくにものごとの基本やかんがえるもとになることは、子供のうちからしっかり学んでおいた方がいいでしょう。そうすることで、正しい考え方が身につき、複雑なことを理解しやすくなります。
わたしは、「いのちの大切さ」は、子供が一番に勉強しなくてはならないものだと思っています。どんな勉強より早く、このことをみんなが学ぶことが、日本をおだやかで安全な国にすると考えるからです。”
102歳の言葉。
御意!!
さすが、日野原先生と思った言葉を覚書。
・日本国憲法とは何か「日本はこういう国ですよ、日本人ってこういう人たちですよ」ということが書いてある。
・聖徳太子の十七条の憲法は、世界で一番古い憲法だと言っていい。そして、そのうちの多くは、今の時代にも通用する。特に、第一条「和をもって貴しとなせ」といっている「和」は、今の日本憲法が語っている「平和」に通じる。イギリスの「マグナ・カルタ」より古くから、日本人は平和を大事にした。
・人間にとって最も大切なものは、お金や財産、地位や名誉ではありません。きみたちがこの世に生まれたときに与えられたいのちです。いのちは自動的にあるものではなく、「与えられた」ものです。 与えられたものであるから、きみたちはいのちを大切に成長させていかなければなりません。
・ 私は「憲法はいのちを守るもの」だと言いましたが、私と同じ考えの大人はあまり多くありません。ちがう意見なのかというと、そうでもなくて、ほかの人たちは憲法について あまり勉強していないのです。 学校でちゃんと教わらずに、社会に出てからも勉強していなければ、しっかりした意見を持つことはできないでしょう。
・日本国憲法は、「いのちの泉」のようなもの。 山の中の泉から、いのちが水のように どんどん湧いてくるというイメージです。 その泉の水は渓流になり、やがて川になって、最後には海に注ぎます。 海に注ぐということは、水にたとえたいのちが死を迎えるということです。湧き水が海に注ぐように、すべての人は泉から命を授かり、川の流れのような人生をたどって、最後には海に注いで死んでいきます。
そして、海の水は潮の満ち引きによって河口から上流に上がったり、下がったりしています。つまり、河口で生と死が混じり合っているというイメージです。私は生と死についてそんな風に感じているので、話をするときに「生と死の境はないんだよ、行ったり来たりしているんだよ」と言っています。
・鴨長明『方丈記』: 行く川の流れは絶えずして、しかも、ものの水にあらず
人生やいのちが絶えず移り変わっていること
・ 死ぬ時までに自分がどれだけ新しい人のモデルになれるか、それが望ましい命の本当の姿です。
わたしたちは、 たくさんの人のモデルになるために自分を磨いていかなければなりません。 限りあるいのちの中で、 最大限に自分を磨いていくこと。 それこそが人生の目標です。 そのためには、なにかを「持つ」のではなく、なにかに「なる」ということが問われます。
・「持つ人生」と「なる人生」は、はっきり区別しなければいけません。「持つ人生」は、藻てば持つほどどんどん持っているものが重荷になりますが、「なる人生」は目標を次々と達成していくにつれて、こころが軽やかになっていきます。 人間は何も持たずに生まれてきて、何も持たずに死んでいくのですから、「持つ人生」と「なる人生」のどちらが正しいかは考えるまでもないことです。
・『死をどう生きたかー 私の心に残る人びと』(中公新書):日野原先生が若い頃経験した患者の死と、後悔について。
・ 人が生きてる世の中は、無数の駅伝 チームと無数の駅伝ランナーで支えているようなものです。 自分一人で生きているようでいなが、人間はみなだれかに生かされています。 どこからか与えられた命を燃やし、いろいろな人たちと関係を作り、助けられ、また助けながら生きています。 そして命が尽きる前に目には見えないタスキを誰かに渡して死んでいきます。
最後に日本国憲法(新字・新かなづかい)が載っている。108~133ページ。たったこれだけ?とおもうくらいコンパクトにまとまっているが、私はちゃんと勉強したことがない。一部だけを読んだのでは理解できない。全部読むことで、日本が目指したもの、目指すべきものが見えてくるように思う。たしかに、学校で「基本的人権の尊攘」とか「三権分立」について勉強するかもしれないけど、その意味を本当に理解できるのは社会人になってからかもしれない。
海外赴任する前に、日本国憲法を読んでおけ、と大先輩に言われた。本棚のどこかに今もあると思う。当時はちゃんと読まなかった気がする。
第九条も、第二十四条も、それだけを取り上げて意見してはいけないな、と思った。こんなりっぱな「あるべき姿」を明文化したものが、日本国憲法なのだ、と改めて思った。
人が生きている社会は、駅伝のようなもの。今の私たちは、過去から渡されたバトンを、未来につなぐ責任がある。それが、ずっと続いている。日本国憲法というバトンも、つないでいかないとね。
やはり、日野原先生の言葉は、心に響く。
「言葉」は、どれだけ伝えてもなくならない。無形資産だね。
