『江戸の忘備録』  by 磯田道史 

江戸の忘備録
磯田道史 
文春文庫
2013年11月10日 第1刷
2019年11月20日 第12刷
* 本書は『江戸の備忘録』 (朝日新聞出版 2008年刊) 文庫化です

 

図書館の特設棚の上にあったのが目についた。

 

裏の説明には、
”信長、秀吉、家康はいかにして乱世を終わらせ、江戸の泰平を築いたのか?江戸時代の「役人の数」「政府の規模」「教育水準」はいかほどだったのか?気鋭の歴史家が民の上に立つ為政者=武士の内実に分け入り、今の日本の土台となった江戸時代の成り立ちを平易な語り口で解き明かす。日本史の勘どころがわかる歴史随筆集。”
とある。

 

磯田さんは、1970年、岡山県生まれ。2002年、 慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。 史料を読みこみ、社会経済史的な知見を生かして、歴史上の人物の精神を再現する仕事を続けている。

磯田さんの歴史の本は、どれも面白い。『武士の家計簿』は、特に面白い。磯田さんの本だから、パッと目についただけで手に取って、借りて読んでみた。

 

目次
信長の好奇心
なぜ信長は殺されたのか?
秀吉の艶書
お稲荷様も脅かした秀吉
家康の人事
・・・・・・ 他。

それぞれの忘備録が2,3ページなので、目次も延々と続く。まさに、忘備録であり、コラムのオムニバスみたい。

 

感想。
面白かった!
やっぱり、磯田さん、面白い。歴史に関する本でありながら、心情描写をみているような気になる。出てくる多くの歴史人物は、有名な人ばかりなので、歴史家ではない私にも何をした人なのかが、ちゃんと思い浮かぶ。織田信長、秀吉、家康、、、宇喜多、細川、池田、、、龍馬、西郷隆盛二宮金次郎山岡鉄舟、、、、漱石、、、、。

目次をみて、気になるところだけを読んでも楽しめると思う。

 

教科書的な歴史の勉強をしつつ、こういう本を読むと思いがけないconnecting dotsが起きて楽しい。

 

ちょっと、覚書
・なぜ信長は殺されたのか?
 → 結局、 信長は 他の能力は優れているのに、 人を信用せず、 人に信用される能力がなかったため、 天下を取れなかったのではないか。「 天下を一にするものは、人を殺すをたしなまざる者である。 なぜなら天下の民は、そういう人を君主に望むから」と紀元前に孟子も言っている。

やはり、非情な人間の天下は持続可能ではない。スターリンとか、、、ね。

 

・居酒屋で出会った人と「岡山出身」の話で盛り上がり、実はその人が宇喜多の子孫であったということが分かった話から。
 →”徳川家康の東軍に属して勝った側は、武士となり城下町に住んだ。一方、石田三成や宇喜多の西軍に属して負けた側は帰農し、庄屋や地主となって農村で力を蓄えていった。明治以後、この庄屋や地主が「地方名望家」となって、政治家や官僚、医者や教育者として、再び近代史に登場する。明治維新関ヶ原の敗者復活の機会となった。”

宇喜多秀家関ヶ原合戦で徳川と戦った西軍総大将。関ヶ原で敗れた時、わずか二歳の秀家の男児を抱いて家臣のひとりが脱出、大分の宇佐まで落ちのびた。秀家の男児は後に大名・細川氏に仕えた。徳川天下では「うきた」とは名乗れず、ずっと「栗田」という名前で明治維新を迎えたということが、居酒屋であったひとから送られてきた資料で判明した、ということ。わぁ、、、、って、鳥肌立った。

 

上杉鷹山:「なせばなる、なさねばならぬ何事も、なさぬは人のなさぬなりけり」
内村鑑三の『代表的日本人』にもでてくる、米沢藩を立て直した人。

 

漱石の教え: 寺田寅彦が書き残している二つの教え。
 → 自然の美しさを自分の目で発見すること。 人間の心の中の真なるものと偽なるものとを見分け、そうして真なるものを愛すること。

 

・”日本人は地球上で最も「へその緒」を大切にする人たちである。 生まれた時のへその緒を桐箱に納め、一生大切にとっている。こんな習俗は日本独自のもの。”

しらなかった。そういわれると、あまりきいたことがない気がする。実家の母に、「へその緒」いらない?とよく聞かれる今日この頃。。。「いらない」、、、とひたすら繰り返している私。今でもへその緒を大切にするってあるのかしら?

 

・”江戸時代の素晴らしさは、この中世寺院のエリート教育から脱して俗世間に「庶民のための教育」を発達させたことである。”
中世までは、難解な漢文を自在に操るのは貴族か武士だけで、貧しい庶民は死ぬまで筆を持つことがなかった。寺でものを教えるのが始まったのは江戸時代。

 

拍手は教育のはじまり
 むすんで、ひらいて、手を打って・・・・♪ は、江戸時代からあったらしい。
拍手(かしわで)は礼儀作法の第一。 古代の日本人は、 神様だけでなく人間に対しても拍手をうっていた。むすんでひらいて、は、その第一歩。

 

・江戸の教育は、自由だった。そもそも、子供たちが一斉に先生の方に向いて教育を受けるのは、明治時代から始まった。
” 明治以降、黒板が登場し、先生が教えるものを子供がじっと座って暗記する、座学、つまりは「目と耳の学び」になった。 それが近代の学校というもので、 国家が国民に画一的な知識を一斉注入するのには、 これが効率が良かった。 しかし、 自分で勝手に何かやる 創造的な人間や 面白い発想は育ちにくい。”
渡邉さんの『共感の論理』に通じる話。

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・元来、この国の農村には「自治」の原型が備わっていた。みんなで話し合って物事をきめることを「衆議」といい、多数決のことを「多分之儀」といって、中世農村にはすでに物事を投票で決める伝統があった。
松元崇さんの『山縣有朋の挫折』に通じる話。

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・年号の「平成」は、幕末にも年号候補になったことがあった。孝明天皇の時代、「元治」という年号にしたら、武家が京都で戦争し、都が丸焼けになってしまった。それはまるで、平清盛らが「保元・平治の乱」で戦ったときの様だった。年号が、保元・平治から一文字徒ずつとったのが悪かった?!そして、年号を変えるということになったとき、「平成」も候補にあがったけれど、「平治」の「平」が入っていたので避けられた。

保元・平治の乱といえば、、、『後白河院

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・「八百長」の語源は、七代目伊勢ノ海親方(相撲取り)にある。八百長こと八百屋の根本長造が、伊勢ノ海囲碁仲間になって、野菜をたくさん買ってもらい、さんざん商売をした。そのうち、伊勢ノ海の相撲茶屋・島屋の株を買い受けて、大いに繫盛した。伊勢ノ海は、囲碁好きが高じて、とうとう碁会所をつくった。ある日、伊勢ノ海は、長造が囲碁の名手・本因坊と対戦をしているところを見学する。すると、自分と打つ時のヘボ碁と違って、長造が見事な碁をうっている。
「あのうそ打ちやろうめ!」
となって、八百長となった。

 

・結婚と離婚の日本史: 戦乱の時代は男社会を作りやすい。 日本史上、 男社会への転換といえば、 南北朝・ 室町期と 明治・大正期。 いずれも 日本人全体が暴力で生存を脅かされ 軍隊が強くなった時代である。平和な時代は女が強くな、 戦乱の時代は男が強くなる。 歴史はこれを繰り返してきた。

ぷぷぷぷ。ちょっと笑ってしまう。今は?平和な時代だろうなぁ。

 

・名づけのはなしで、磯田さん自身が「道史」と名付けられ、現実に史の道に入ってしまった、と。
”人間とは不思議なものである。 布切れ 1枚があってそれがハンカチだと言われれば手ふきに使うが、雑巾だと言われれば使わない。名前というのはかえって実際を支配することも確かにある。案外、名前はこわい。”


私は、「恵」というのが本名だ。「恵まれた子に育ちますように」というのが親の思いだったかもしれない。でも、私はいつのころからか「恵まれて育ち、他人に恵む人になりますように」っていうのが自分の名前なんだと思うようになった。あるいは、両親からそういわれたのか?記憶にはない。でも、「恵む側」になりたいと思うようになっていた。はたして、そうなれているかはわからないけれど、少なくとも、わたしは恵まれている。割と、自分の名前を愛している。

 

・日本で初めて蚊帳をひろめたのは、応神天皇らしい。 応神天皇は本名がホムダワケ。中国の歴史書宋書』にでてくる倭王(さん)と同一人物とも言われる。日本では「八幡さま」とも言われる。全国にある八幡宮は、この帝を祭った社。

 

実家では、鎌倉の鶴岡八幡宮に初詣に行くのが毎年のことだった。今でも八幡宮にいくことはあるけれど、祭られているのは応神天皇だったらしい。応神天王は、仁徳天皇の一代前、第十五代天皇

 

日本史好きなら楽しい一冊。初版が2013年なので、2025年の今には認識が覆されている歴史もあるかもしれないけど、マニアックな話が多いのできっと今でも十分楽しい。全国通訳案内士の勉強をしていなかったら、今でもチンプンカンプンだったかもしれない。やっぱり、いくつになっても学ぶって楽しい。