『三頭の蝶の道』  by 山田詠美

三頭の蝶の道
山田詠美
河出書房
2025年10月20日 初版印刷
2025年10月30日 初版発行

 

小説とは、という話の流れで、『小説、この小さきもの』を読み、次は小説家を描いた作品。これも、知人からのおさがり。山田詠美の新刊が出ていたとは知らなかったので、早々に手に入って嬉しい。

megureca.hatenablog.com

 

帯には、
” デビュー40周年記念小説
「 作家は、脳内で人を殺せてこそ、花。 そう思わない?」
かつて女性作家が「女流」と呼ばれた時代があったーーー。
創作をめぐる情熱と愛憎を描く、 山田詠美の新たなる代表作。

女流作家が「女流」と呼ばれていた時代。
現代では問題視されるその呼び名をものともせず、
ひたすら自身の文学に身を捧げた大先輩たちの姿を
四十年間末席で見詰め続けた私だからこそ
書けた作品と自負しています。   ーーー山田詠美
とある。

 

著者の山田詠美は、1959年東京都生まれ。85年「ベッドタイムアイズ」で文藝賞を受賞し、鮮烈なデビューを飾る。87年『ソウル・ミュージック ラバーズ・オンリー』で直木賞を受賞。近著に『肌馬の系譜』、『もの想う時、ものを書く』。

 

私は、学生時代には、村上春樹山田詠美かというくらい好きだった。今も好きだけど、全部は読んでいないかもしれない。

 

目次
第一章 2015
第二章 2007
第三章 2023
エピローグ

 

感想。
すごい。
すごいよ、ぽんちゃん。
面白い。
233ページの単行本、ほぼ一気読み。

 

三章、それぞれ一人の女流作家の晩年というかお葬式から始まる思い出の振り返り。ベテランの三人と後進の女性作家たちと、男女含む編集出版関係者たち。文壇の人びと。思い出話だから笑える話と、思い出としても笑えない話と。まさに、山田詠美じゃないと書けないだろうなぁ、という感じ。作家としての登場人物には、モデルがいることがわかる。

ただ作家たちがすごいのではなく、それを支えた、いや、一緒にものづくりをした編集者たちの活躍ぶりも読んでいて気持ちいい。文壇へのかかわり方にも色々あるのだと気づかされる。書いている人はすごいけれど、やはり、それを一緒に創り上げた人がいてこその作品なのだ。そう思うと、どんな本でも一冊、一冊、それぞれの熱い思いが込められているんだなぁ、と思う。

 

ついでに、やはり著者を知るというのも、大事なんだなと思う。フィクションであっても、この物語が紡ぎ出された背景を感じられると、作品への理解は深まる気がする。

 

以下、ちょっとネタバレあり。

各章に登場するメインの女流作家は
第一章 河合理智子 88歳没:モデルは河野多惠子
第二章 高柳るり子:モデルは大庭みな子
第三章 森羅万里、河合理智子と同い年。:モデルは瀬戸内寂聴

 

はじまりは、
”それはそれは質素な葬式でした。女の書く小説が女流文学と呼ばれ、男のものするそれらより一段低い位にあるとみなされた時代から、声高に女としての自分を主張するでもなく、対抗心あらわな反論を書き殴るでもなく、 ただひたすら 自分の文学 世界を追求した人。”
と、河合理智子の葬式の場面から始まる。

そこに呼ばれたのは、本人の遺言により親族以外は数人の編集者と女性作家3名のみ。女性作家は、河合理智子の同世代の鈴木しょう子、理智子とは親子ほどの歳の差のある玉川桜子と山下路美。

そして、葬式の後に、思い出話として作家の過去、交流関係などが綴られていく。山下路美のモデルは山田詠美、自分なのだろう。その後の歯に衣着せぬ発言だったり、デビューを振り返る場面など、おもわず、実際の昭和の時代を思い出してしまう。

 

編集者たちのモデルは、私にはわからないけれど業界の人ならきっと目に浮かぶのだろう。

残念ながら、私は3人の女流作家のうち瀬戸内寂聴さんしか知らない。本を譲ってくださった知人、本のプロが、他の登場人物のモデルも含めて、教えてくれた。それでも、3人の樹流作家たちが互いに良くも悪くも影響し合っていた様子がリアルで読んでいてそうだったのかもなぁ、、、と業界のいざこざをも想像してしまう。そして、山田詠美の情景描写、心象描写のうまいこと。あぁ、、、それね、、、って、読んでいて時々切なくなる。恋愛のセツナサではなく、生きるということ、女が低く見られていた世界で活躍するということ、女同士の好き嫌い以上の感情。ぽんちゃんならでは、と思わずにはいられない。

多分、本当に、山田詠美以外には書けなかっただろうと思う。少なくとも、男性には書けないのではないだろうか‥‥。「can」とか「able」とか能力の問題ではなく。

 

ストーリー展開として、ものすごく刺激的なものがあるわけではない。あくまでも、女流作家の人生を振り返っている呈がある。でも、それを今今の会話で表したり、思い出話として表したり。時間が行き来する場面もあるけれど、思い出話なので頭は混乱しない。

 

女流作家が亡くなった順ではなく、河合理智子の葬式から始まって、10年前に亡くなった高柳るり子の話に時代が戻り、長生きした森羅万里のはなしで締めくくられる、という展開が時代のリズム感を与えてくれる。編集者たちも重なっていたり、歳をとったり。

いやぁ、うまいわ。
やっぱり、山田詠美の超絶技法がある気がする。


デビュー40周年か。その間に私は何をしてきたのかなぁ、、と思ってしまう。

 

物語の中でも森羅万里は、寂聴さんと同じように長生きをする。かつ、若い時に夫と娘をおいて出奔し、元夫と娘とは絶縁状態。最後に、孫・新吾が万里のもとを訪れ、万里との交流を復活させる。出会ってすぐに自分の孫だと見抜く万里。新吾は作家となる。新吾のモデルは、井上荒野だろう。リアルには、寂聴さんの孫ではなく、寂聴さんの不倫相手の娘。

 

これは、ストーリーもそうだけれど、山田詠美の文章表現を楽しむ一冊という感じ。タイトルとなっている「三頭の蝶の道」につながる、晩年の作家がいつも出会う蝶の話は、もしかしたら本当なのかな?って。蝶には、いつも通るきまった道があって、それを蝶の道というのだ、と。三頭の蝶は、三人の女流作家。自分の道を歩き続けた三人。その様子をずっとみてきた山田詠美だからこそ、自分を信じて生きた三人を、強く、しなやかに、美しく描き出している。

 

ぽんちゃんワールドの言葉たちを覚書。

・” 女性編集者と女性作家との間に生まれる愛とは何に対するものなのか。 ある人は、 当然のように「作品」だと言い、またある人は「人間そのもの」と訳知り顔に答える。 そのどちらも、と頷いてみせる人々もいる。こう教えてくれた人もいました。
「 その人の作品を読んで、その人自身を知った時、逃げ出したい、関わりたくない、と直感でぴんとくるのよ。でも、足が動かない。それどころか、誰よりも近い所にいたくなる。 その時には、もう、その作家に取り憑かれているの。 編集者は、作家に取り憑かれて、なんぼ」”

 

・純文学についての会話の中で、長年高柳るり子を担当した編集者の言葉。
”「そうよ。まあ、そういう人もいるけどね、自分自身を消滅させてしまう人。でもね、 言っとく。 私の知っている純文学に身を捧げた人たちは極限まで身を削った後にそれまでより、もっと上等な肉を再生させていくの。何度もそれを繰り返して、揺るぎない力で覆われた作家という生き物を完成させていくの。」”

 

・第三章で、男女の不道徳な関係を大胆に書いてきた「ある種の女流作家」について、
”父が娘から遠ざけたい「ある種の女流作家」とは、 小説作品の中に 性愛のテーマを織り込みながら、 臆することなく人間を書き切ろうとする女たちのことでした。 宇野千代瀬戸内寂聴河野多惠子、 大庭みな子、高柳るり子、そして、森羅万里・・・ 女流の歴史の中で、 まだまだ数は多くはありませんが、性愛に人間の根源を見出す書き手の歴史は続いてきました。あの、女が圧倒的に不自由な時代に、子をなすためだけではない性の有りようを描こうとしてきた女たち。”

物語と現実とが混ざって、おもわず評論を聞いているような気になってしまった。

 

・河合理智子を長年担当していた編集者・間宮乃里子の言葉。
”でも、と乃里子は敬愛してやまなかった河合理智子のために言いたくなるのです。河合先生は、 純文学の奴隷だった。 そして、同時に主人でもあろうとしていた。 その姿を間近に見ていた 自分は、純文学を辛気臭いなどと言い捨てる訳にはいかない。そこに、 真剣に対峙していた作家と編集者がいたことを語り継がなくてはならない。そうだ今度赤羽瑤子先輩に会って話を聞かせてもらおう。 文学という本流に飛び込んだ偉大なる先人たちの話を。”

 

・” 森羅万里は自分の内なる邪悪なものの存在を十分理解していました。そして、あらゆる人やものを使って自分の力で浄化させていく。 そこで生まれた言葉が結晶化して小説作品に散りばめられるのです。” 

 

山田詠美から先輩女性作家たちへ、そして編集者たちへのエール、って感じもする。

亡くなってしまった作家の新作はもう読むことはできない。でも、過去にさかのぼればさかのぼるほど、新しいその人を見つけ出すこともできる。

 

エピローグで、ノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家、トニ・モリスンの『ビラヴド(BELOVED)』がでてくる。取り上げられた三人の女流作家の作品ももっとよんでみたいけれど、BELOVEDも読んでみたくなった。

 

本の輪は、無限に広がる。

読書は楽しい。

 

ちなみに、読み終わった後、2025年12月6日日経新聞の書評に本書が出ていた。記事では、登場人物について、

”主要の3人は河野多惠子、大庭みな子、瀬戸内寂聴を彷彿(ほうふつ)させ、他にも実在の人物と思わせる人々が登場するが、厳密にモデルとしているわけではなさそうだ。ただ、彼女たちと交流のあった年下の作家、山下路美は、著者がモデルと考えて間違いないだろう。”

とあった。

 

うん、やっぱりね。