禅の言葉:成道会(じょうどうえ)

成道会(じょうどうえ)

 

先日、私にとっては2025年最後の坐禅会に参加した。お寺では、ちょうど、成道会という法要が終わったところだった。

 

成道会とは、12月8日、明けの明星をご覧になって、釈迦が悟りを開かれたという因縁から行われる法要。臨済宗のお寺では、12月1日から8日まで、「臘八大接心(ろうはつおおせっしん)」といって、不眠不休の厳しい修行を行う。

私たちが坐禅を行ったのは、そんな8日間が終わった後だった。

 

住職から教えていただいた話を覚書。

 

釈尊は29歳で出家され、35歳で悟りを開かれたという。出家後苦行林に入られ苦行を重ねるが、いたずらに身体を痛めつける苦行では真理の体得にいたかないと知った釈尊は、ネーランジャラ―河で沐浴した後、スジャータという村娘が供養した乳粥(パヤス)を食し、ブッダガヤーの地の菩提樹の下で坐禅の修行に入られた。

 

伝説によれば、坐禅する釈尊の周りに様々な悪魔が現れ釈尊を誘惑したが、釈尊の揺るぐことのない意志と信念によって、悪魔は打ちひしがれて消え去ったという。

 

そして、釈尊は悟りを開かれブッダ仏陀)となった。ブッダは「目覚めた人」迷いや煩悩の束縛から解放されたという意である。

 

お寺で、いつも女性の更衣室に使わせてもらっている部屋には、釈尊が生れてから修行に入り、悟りをひらき、亡くなるまでの絵が数枚飾られている。描かれている悪魔は、獣みたいだったり、鬼みたいな顔をして釈尊に近寄っているのだけれど、住職曰く、「悪魔」は、外からやってくるのではなく、自分の中にあるもの、と。

自分の中の煩悩に打ち勝った、ということ。

 

絵の中には、赤ちゃんの釈尊がすっくと立って、天上を指さしているものがある。「天上天下唯我独尊」

おれが一番!ということではない。ただ生きとし生けるものすべての生命に貴賤軽重はなく、すべての命にその尊厳を見ていく、という教え。

megureca.hatenablog.com

 

現在のブッダガヤーには、50メートルの大きな大塔が立っているそうだ。いつ建てられているかはわからないけれど、7世紀玄奘三蔵(「西遊記」の三蔵法師のモデル)が訪れた時にはほぼ現在と同じ規模の塔がたっていたとのこと。住職も、一度行かれたことがあるそうで、何度も修復されているのだろうけれど、とても大きな塔だと言っていた。

 

坐禅会の後、住職と一緒の懇親会がある。私は2020年に脱サラしてからず~っと住職に「まだ無職か」と言われ続けているのだけれど、今回、誰かから私が通訳をしていると聞いたらしく、懇親会のあとに「通訳が本業になったのか?」と聞かれた。

 

はい、と答えつつも、「本業ってなんでしょうね」と言ってしまった。住職は答えはくれず、笑っていた。

 

まだまだ、迷いだらけ、煩悩だらけ。

仕事もあれこれ兼業だらけ。

通訳が本業かと言われると、そのような気もするし、そうでない気もする。

 

これが本業と言い切れるとき、天命を知ったと言えるのかな。

 

ちなみに、通訳でも一番大事なのは「真摯」に話者の声に耳を傾けること。難しい通訳なら、事前準備を怠らないこと。

 

「真摯」であるところに「驕り」や「傲慢」はない。

大事なことは、万国共通だと思う。