『トカトントン』 by 太宰治

トカトントン

 

『斜陽 人間失格 桜桃 走れメロス 他7篇』
太宰治
文春文庫
2000年10月10日 第1刷
2012年8月1日 第12刷

に入っていた、一篇。

 

先日、人間失格を読んで、やっぱり、太宰治の文章のインパクトってすごい、と思った。

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図書館の文庫本の棚で目についたのを借りてみた。色々入っているので、結構引用されているけれど読んだことのなかった『トカトントン』を最初に読んでみた。

 

物語は、書簡形式

「 拝啓。
 一つだけ教えてください。困っているのです。」
とはじまる。

手紙を書いているのは、青森生まれの26歳。次男。あったことのない小説家に手紙を書いている。男は、中学校を出てから横浜の軍需工場の事務員になり、「無条件降伏と同時に」青森に帰ってきた。

 

「戦争が終わって」ではなく、「無条件降伏と同時に」と書くところが、この後の手紙で切々と訴える悩みをよく表している。

 

男の「困っていること」は、「トカトントン」の音がさかんに聞こえるということ。そして、自己紹介から、自分の恋愛、日常会話での思想や本の趣味について延々と語り、やっぱり、ここまで書いてきたことはウソで、人生がつまらないからやけになってウソを書いたと最後に告白し、でも、「トカトントン」が聞こえていくるというはなしだけは本当なのだ、この音はなにか? とかき、文庫本のページにして約20ページの手紙を締めくくる。

最後は手紙を受け取った某作家からの短いつれない返事で終わる。

 

手紙を書いた男は、
昭和20年8月15日の正午、若い中将から
「聞いたか。わかったか。日本はポツダム宣言を受諾し。降伏をしたのだ。しかし、それは政治上のことだ。われわれ軍人は、あくまでも抗戦をつづけ、最期には皆一人残らず自決して、もって大君におわび申し上げる。自分はもとよりそのつもりでいるのだから、皆もその覚悟をしておれ。いいか、よし。解散。」と言われ、死ぬことを意識したとき、背後の兵舎のほうから金槌で釘を打つ音が、幽かに、トカトントンときこえた。

 

その、「トカトントン」の音が、故郷の青森に戻ってきてからも、何かの拍子に「トカトントン」と聞こえて仕方がない、ということを手紙で延々とつづる。しようのない恋愛話、本の趣味で言い合った話、読むべき本はマルクスのような思想の本なのか、ゴーゴリのような小説なのか、いや、小説だって思想だ、、、など。男が手紙の中で訴え続ける。

 

返ってきた返事には、
「気取った苦悩ですね。僕はあまり同情してはいないんですよ。」とあり、聖書の言葉が引用されていた。

 

”マタイ10章、28、
「身を殺して霊魂(たましい)をころし得ぬ者どもを懼るな。身と霊魂とをゲヘナにて滅ぼし得る者をおそれよ。」この場合の「懼る」は、「畏敬」の意がちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずることができたら、君の幻聴は止むはずです。不尽。”

と。

 

戦争も人の魂までを無くすことはできないということか?

 

短い小説だけれど、文章にでてくる作家の名前の数々、比喩、男の気持ちの描写が、なるほど、太宰治かぁ、、、と思う。

 

”ブラウンもゴーゴリも、それはまるで外国製の歯ブラシの名前みたいな、味気ないものに思われました。”

 

女と海辺を一緒にあるいていた時、女が海岸沿いにすわったので、キスしてやりたくなった。でも、
”花江さんのすぐうしろに、かなり多量の犬の糞があるのをそのときみつけて、よっぽどそれを花江さんに注意してやろうかと思いました。”


駅伝を頑張って走って、半死半生のようにゴールに駆け込んできた選手をみて
”可憐、など26歳の私が言うのも思いあがっているようですが、見事なものだと思いました。と言えばいいか、とにかく、力の浪費もここまでくると、見事なものだと思いました。この人たちが一等をとって二等をとったって、世巻はそれにほとんど興味をかんじないのに、それでも生命懸け(いのちがけ)で、ラストヘビーなんかやっているのです。”

 

太宰文学か。
死に向かっているのか、と思ってしまう。

 

生きることへの執着と虚しさ。駅伝について、それを言っちゃおしまいよ、を言ってしまう太宰。読んでいて、ドキッとするのは、思っても普通は口にしないでしょ、っていうことをズバズバ書いているからかもしれない。

 

若い頃は、太宰治はただただ暗い文章とおもっていたけれど、ある意味、こんなに明るい文書はない。思ったことを言える強さ。正直に言葉にしてしまう強さ。それは、時に凶器にもなる‥‥。

 

う~ん、やっぱり、太宰治、好きではないけど読まずにいられないかも。