GROWTH
「脱」でも「親」でもない新成長論
ダニエル・サスキンド
上原裕美子 訳
みすず書房
2025年8月18日 第1刷発行
2025年11月13日 第2刷発行
GROWTH A Reckoning (2024)
何かの記事で、ダロン・アセモグル(MIT教授、2024年ノーベル経済学賞受賞、『国家はなぜ衰退するのか』著者)や、オバマ元大統領が必読書といっていた本。
気になったので、図書館で借りて読んでみた。
私は、「脱成長」という言葉には懐疑派であり、反対派。ゆえに、「新成長論」というサブタイトルに期待感が膨らむ。
本の裏には、「おわりに」からの引用が長々と掲載されている。
”「経済成長の追求は、人類にとって新しく、不可思議で、しかも危険な活動だ。…成長のジレンマを何とかしなければならない、という認識自体は高まっているが、そのための具体案として現在最も影響力をもっているアイディア二つが、あまりにも当を得ていない。…
そのうち一つは、ビジネスライクな提案で、GDPという尺度をうまく修正すればジレンマを解消できるとしている。だが、これは僕たちが直面している試練の性質を理解していない。…
もう一つは、よりラディカルな提案で、経済成長を一時停止する、あるいは意図的に後退させることによってジレンマを解消できるとしているが、ジレンマの片方=その代償だけにフォーカスし、成長の約束を軽視している。…
本書では別の対策を示した。この別案は、経済成長の要因に関する人類のささやかな理解、つまり経済成長のプロセスは、新しいアイディアの発見と、アイディアという特異な資産を経済的に使うことによって、促進される、という理解に根差している」(おわりに)”
著者のサスキンド・ダニエルは、ロンドン大学キングス・カレッジ研究教授、オクスフォード大学AI倫理研究所シニア研究員、スタンフォード大学デジタル経済研究所デジタル・フェロー。専門はテクノロジーの社会へのインパクト、とりわけAIのおよぼす影響。イギリス政府の諸機関(首相戦略局、内閣府)でも勤務。
訳者の上原さんは、翻訳家。ダニエルの『WORLD WITHOUT POWER』や『ネットワークパワー 日本の台頭』の訳者でもある。
目次
はじめに
目の前の喫緊性
成長のストーリー
楽観主義者であれ
第I部
1 罠
過去2000年の歴史
さらに昔
生きた化石を求めて
陰鬱な科学者
奇妙な逆転
マルサスと〈ロング・スタグネーション〉
収穫逓減の呪い
2 脱出
経済成長の説明をつける
ハロッド‐ドーマーの鬼子
技術進歩という天恵
無形世界
経済のダークマター
相関関係から因果関係へ
経済ファンダメンタリストたち
第一次産業的啓蒙主義
第II部
3 優先事項化
新たな関心事
戦争へ向けて
ターニングポイント
成長第一主義の始まり
4 約束
経済的問題
経済学を超えて
幸せの経済学
国家としてのまなざし
依存と自己満足
5 代償
気候破壊
不平等の拡大
雇用への脅威
政治の毀損
コミュニティの崩壊
成長のジレンマ 139
第III部
6 GDP役割最小化主義
アラインメント問題
GDPの技術的限界
GDPの道徳的限界
GDP役割最小主義(ミニマリズム)
ダッシュボード・アプローチ
7 脱成長
脱成長の短い歴史
「有限の地球」は的外れである
人間の顔をした不況
想像力の欠如
完璧な政治という幻想
では、どうするか?
第IV部
8 成長を解き放つ
アイディアのパワー
アイディアの自由化
もっと研究開発を
もっと人材を
もっとテクノロジーを
ほかには何が重要なのか?
9 新しい方向
技術進歩を方向づける
無限賃金問題
懐疑派への反応
歴史の転換点
ふたたび、成長のジレンマについて
第V部
10 大いなるトレードオフ
トレードオフの回避――パレート改善
トレードオフの弱体化――グレート・デカップリング
再生可能革命
オートメーション化の二つの顔
グローバリゼーションからの撤退
デジタルなことは政治的なこと
トレードオフの甘受――道徳的問い
11 道徳的問い
僕たちは何を大事にすべきなのか?
僕たちは未来に対してどれだけの責任を負うのか?
ジレンマを政治に戻す
おわりに
謝辞
索引
原注
感想。
うん、面白かった。
そもそも、『WORLD WITHOUT WORK』の著者だということに気が付かずに読んでいたのだけれど、読み終わった感想は、ふむ、なるほど、という感じ。似ている。でも、本書の方が、論ずる範囲が「経済成長」と幅広いので、より広く浅くと言ったところもあり、深入りしすぎない分だけ、ちょっとわかりやすい。
日本語のサブタイトルの「親」というのがどういう意味で使われたのかはよくわからないのだが、わかりやすく「脱成長否定」の本。「はじめに」で具体的対策も述べると言っているのだが、結論から言えば、
「脱成長では未来は開けない。道徳性と経済成長を両立させるためには、国民が議論に参加し、トレードオフだけではない技術開発とその成長の方向性を見出していくべき。そのためには、ミニ・パブリックのような参加型のコミュニティが必要」
という感じ。
なんだ、見方を変えた「地方政治活性化と国政の両立」って結論か?!とも読める。
著者は、GDPだけを経済成長の指標とすることによって環境問題や格差問題などの弊害があったのは認めつつも、GDPを捨てて別の指標を採用しようというのではなく、他の指標も一緒にはかる「ダッシュボード・アプローチ」を推奨している。
経済成長の指標としてGDP が使われるようになったのは1944年以降であり、それが広く普及したのは、アメリカのマーシャルプラン(欧州復興財政支援パッケージ)の成果報告がGDPだったから。そうか、そうだったのか。それは、知らなかった。
そして、1900年代から現在までは確かに「経済成長」を「GDP」で測ることで、多くの国は成長してきたし、政治家は「GDPの伸び」が評価の指標になった。なので、「経済成長をめざす(=GDPを伸ばす)」と言っていれば支持された。実際にこの間に伸びたのはGDPの数字だけではない。寿命が延びたり、栄養状態、衛生状態も良くなってきた。つまりは、物質的豊かさと同時にウェルネスも向上してきたのだ。
これまでの経済成長は「有形資源」(人、土地、機械)を生産関数とする成長だったけれど、時代は無形資源によって成長する時代に変わってきており、「地球の資源は有限だから無限の成長はありえない」という脱成長派の主張を著者は否定する。
たしかに、「アイディア」は、無形資源の一つ。技術をどう使うか、どう組み合わせるか、どう改良するかというアイディアによって、まだ成長できる、ということ。
うんうん、それそれ!共感。
そして、経済成長の在り方として、従来は線路の上を走る機関車に政策立案者が運転手として載っていて、その速度を上げたり下げたりすることを政策とし、「脱成長派」は機関車をバックさせることを叫んだが、これからの時代の経済成長は、「大海の船」のように、360度のどこへでも進路をとることができるし、その速度も自在にできるのではないか、と。そのかじ取りの方向性を、もっとみんなで真剣に議論する時がきているのではないか、と。
う~ん、これは、まさに「江戸時代の寄合」による民主的政策決定ではないか。
もちろん、今の時代に、「江戸時代の寄合」のように全員一致でないと決議しないというのは現実的ではないけれど、一人一人が議論に参加する民主主義は、江戸時代の寄合にあったのだ、、、という話を最近『山縣有朋の挫折』をネタに勉強会で話していたところだった。
また、人工知能や自動化によって「失職するから開発しない」ではなく、開発の方向性を「労働者の代替」ではなく「労働者の生産性向上」につながる補助機能にしていけばよいのでは、という技術開発を提案している。それは、まさに、その通り。
また、技術開発のインセンティブの例で、日本は介護職不足を移民ではなくロボット導入にたよっているので、日本の介護ロボット開発は進んでいる、と。発明は必要の母というのは、いつの時代も変わらないらしい。
320ページの単行本。じっくり読むと大変かもしれないけれど、ザーッと読むと割と楽しい。なるほど、そういう見方もあるか、と思える。
ただ、本書の中での「経済成長」という言葉が、GDP だけで測定することを否定しつつもGDPありきの内容になっている気もしなくもない。たしかに、GDPは一つの指標としては有効。しかし、売春や薬物、マフィアの闇トレードも含ませないと本当の数字は見えてこない、一方で売春でGDPをあげるのはいかがなものかという道徳的批判もある、と。ちょっと、とほほな事例(イタリアは裏社会の経済を入れると一気に経済ランキングトップに躍り出るなど)や、 具体的図表もまじえて示されているので、それなりの説得力がある。トレードオフ(成長か環境保護か)ではない、成長のありようがあるという主張には、賛同。問題は、どの方向にどのようにかじを取る政治にしていくか、ということなのだろう。
ちょっと、覚書。
・啓蒙主義によって、迷信より理性、トップダウンの啓示よりボトムアップの実験、既存の偏見より実際の体験が重視され、「知識で経済が進歩し成長する」ようになった。
・成長第一主義は、戦後始まった。1944年、ブレトン・ウッズ会議の年、アメリカ・イギリス・カナダの統計局に属する9人のエコノミストが、国民経済計算の手法としてGDP を採択。ケインズの助手だったリチャード・ストーンが計算式を発表した。軍事費は入れるべきではないと主張していたクズネッツはその会議には不参加。戦争になるとGDPが高まる計算式は、この時に決定された。
・人は、「隣家には負けたくない。できれば勝っていたい」と考える社会的生きもの。
・経済成長が円滑に進んでいるときほど、経済成長に依存していることに気づきにくい。(環境を犠牲にしていることに気づかない)
・経済成長の代償としての「テクノ封建制」(知らないうちにデジタルプラットフォーマに支配される)の世界。プログラム開発者やテック企業CEOは、選挙で選ばれた人でもなければ、弾劾手続きもない。
・ジョセフ・スティグリッツ:「間違った指標を使っていれば、間違ったものをめざすことになる。GDP増大化を追い求め、市民が困窮するような社会に行きついてしまうかもしれない。」
・道徳は、GDPでは測れない。
・経済は、「私たちが使うことのできる有限の資源を、よりよく活用する方法を発見」することで成長する。
・成長のために投資すべきこと:アイディア、R&D、人材
・技術開発はとめてはいけない。方向性は議論すべき。
・産業革命がおきたのは、フランスやドイツではなく、なぜイギリスだったのか?
→ イギリスはエネルギーコストが安かったので、安価な燃料を活用する技術開発へのインセンティブが大きかった。つまり、コストダウンにつながった。フランスやドイツは、燃料が高いためにエネルギー集約的なイノベーションは経済的でなかった。
・コロナ禍でのリモートワークやそれに伴う技術等の急速な普及は、技術開発によるものより、社会が受容する空気になったからという要因が大きい。社会が技術開発と普及の方向性を決める。
・技術進歩の方向性は変えられる。ダロン・アセモグルの言葉とも重なる。
・ほぼ1世紀にわたり(1900年~)、短期主義で目先の経済成長を追いかけてきたせいで、未来に甚大な問題を生み出した。その反省もあって数年前から「長期主義(ロングターミズム)」という言葉が道徳的問いへの答えとして浮上している。
・今求められているのは、市民が集まって大切な事柄について繰り返し議論する新たな制度の潮流。国民投票をすればいいということではない。古代ギリシャのアテネにおいては多種多様なミニパブリックがあり、あらゆる局面で、政治的意思決定に一般市民同士の話し合いを取り入れていた。
本書の最後が、ミニ・パブリックの見直しに至っている点が非常に興味深い。もともと民主主義というのは、一般市民が参加する政治だったはずだ。やはり一人一人が、社会に参加している意識を取り戻すことが必要な気がする。それは、いきなり国政ではなく、地方自治でよいのではないのか。
色々と思いがめぐる一冊だった。
未来をつくっていく今の人が読んで、勇気をもらえると思う。
未来は、これから作っていくものだ。
