『経済学者たちの日米開戦-秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』 by 牧野 邦昭

『経済学者たちの日米開戦-秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』
牧野 邦昭
新潮社 新潮選書
2018年5月25日

 

先日、有志の勉強会で、戦後復興の設計図をかいたエコノミスト「大来佐武郎」(日本経済研究センター理事長)をテーマにした。その際、本書が話題になった。大来佐武郎について、日経新聞の私の履歴書を書籍とした『東奔西走』なども読んだのだが、もともと物理学者であって、そこから外務省で活躍したという話が、興味深く、本書も関連の話ででてきた。

 

本書で取り上げられているのは戦時中の官僚などで、官僚の友人たちにとっては出てくる人物含めて興味深い本ということのようだった。私は、政治家の名前も軍人の名前をよくわからないけれど、「なぜ開戦したのか」というテーマということだったので、図書館で借りて読んでみた。

 

裏の説明には、 
” なぜ 開戦したのか?   経済学者たちの「失敗の本質」。
有沢広巳ら一流経済学者を擁する陸軍の頭脳集団「秋丸機関」が、日米の経済抗戦力の巨大な格差を分析した報告書を作成していたにもかかわらず、なぜ対米開戦を防げなかったのか。 焼却されたはずの秘密報告書から、「正確な情報」が「不合理な意思決定」につながっていく過程を克明に辿り、 日本屈指の エリートたちが陥った「痛恨の逆説」を解き明かす。”
とある。

 

著者の牧野さんは、1977年生まれ。 東京大学経済学部卒業。 京都大学大学院経済学研究科博士課程後期課程終了。 博士(経済学)。専攻は、近代日本経済思想。

 

目次
はじめに
第1章 満洲国と秋丸機関
第2章 新体制運動の波紋
第3章 秋丸機関の活動
第4章 報告書は何を語り、どう受け止められたのか
第5章 なぜ開戦の決定が行われたのか
第6章 「正しい戦略」とは何だったのか
第7章 戦中から戦後へ
おわりに

 

感想。
ほぉ!なるほど。
面白かった。

 

戦前、戦中の政治家、陸軍、官僚の名前がたくさん出てきても、私にはだれだそりゃ?だし、「秋丸機関」の秋丸次郎も、そこで左翼と言われながらも活躍したという有沢広巳も、私は知らなかった。彼らが、戦前にアメリカ、イギリス、ドイツ、ソ連などの戦争能力を調査研究し、日本の敗戦必須を数字でしめしたにもかかわらず、「万一の僥倖」にかけて開戦した日本。なぜ?そんな馬鹿な結論を?と、今の私たちは思うわけだが、本書を読むと、なるほどぉ!そう読むかぁ!!!と。

 

日本の国力が経済面、物資面、人的面でも圧倒的に弱く、「アメリカの1/20」とした報告書は、極秘でもなんでもなくて、実は誰もが知っている事実だった、と。そして、そうだとして、「独ソ戦が早期に終結して、ドイツがイギリスとアメリカとの輸送線を断ってくれたら、、、」という一縷の望みにかけた日本の決定を、「プロスペクト理論」(損失回避)や「 集団意思決定によるリスク選択」で説明している。

 

かつ、当時の世論が「反アメリカ」に流れていき、「確実な敗北」より「万一の僥倖」にかけるほうが、勇気ある正しい決断、とされてしまったこと。

 

ほんと、なるほどなぁ、、、。別に、陸軍が自分たちに都合の悪い分析をもみ消したわけでも無く、極秘のうちにもみ消されたわけでもなかったのだ、と。当時の日本の意思決定の体制(近衛内閣の新体制への刷新は失敗し、船頭多くして、、、状態)や、確率の低い方にかけたほうが勇気ある決断だと賛同者が増える環境があって、「開戦」が選択されたという分析。なかなか、、、、さもありなん。

 

彼らの分析報告がまとめられた時期と、ゾルゲ事件で逮捕者が出た時期とが重なったこともあって、資料の多くは廃棄されてしまった可能性があるが、そもそも、「経済力の差の研究結果」は、極秘性は低く、だれもが判っていたことだった、と。

まぁ、だとしても、やはり、「なんで戦争なんかしちゃったのかなぁ」と思う。

 

本書の中に、北進か南進かの議論の経緯の説明も出てくる。ひたすらソ連を仮想的とみなして北進したがる陸軍に対して、資源確保のために南進すべきという反対派。それも、陸軍vs海軍だけでなく。総理と外務省、それぞれの思惑。船頭多くして、、、状態だったということ。あの時、北進していたら、今頃日本という国は南北に分断されていただろう、との分析も。南、南、って、そういうことだったのか、と初めて分かった気がする。

 

他、気になったところ覚書。
・第二次近衛文麿内閣が発表した「基本国策要綱」の根本方針:
「皇国を核心とし日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序」を建設し、そのための「国家態勢を確立」(新体制を確立)する。

 

・秋丸機関による世界情勢認識:物的資源力からみたアメリカ、イギリス、ドイツの抗戦力の分析から、ソ連の研究も必須とした。

 

・当時(昭和19年頃)の 日本における経済学研究では、産業関連表が具体的な計算にまでは至っていなかった。

 

・ 昭和14年の段階で、日本の輸入は第三国からの輸入が 77%で、そのうちの81%強が英米依存だった。

 

・ 島国であるイギリスの地理的条件は、海運力が確保されれば食料や工業原料の供給が容易であることは強点である一方、 弱点であるとも指摘された。
 どう考えても、自分たち日本だってそうだろう・・・。


・ 秋丸機関の報告書は、 陸軍省軍務局の主張する南進(資源確保)を支持し、 北進を批判するための材料として使われた。
 よって、開戦を防ぐことはできなかったけれど、北進による日本破滅は防げたといえる。

 

・「 開戦すれば高い確率で日本は敗北する」という指摘自体が、「だからこそ低い確率にかけてリスクを取っても改善しなければならない」という意思決定の材料となった。
「 現状維持よりも開戦した方がまだ わずかながら可能性がある」というリスク愛好的な選択につながった。
(D・カーネマン、プロスペクト理論

 

・当時、スペインはフランコ独裁体制で、トップダウンで意志決定することができたため、中立を維持した。一方で、日本は、強力なリーダーシップをとれる人物は誰もいなかった。 大日本帝国憲法下における意思決定の機能不全状態を打破するための取り組みであった 昭和15年の政治新体制運動(近衛内閣)は 挫折し、 日本の意思決定システムは「 船頭多くして船山に登る」状態だった。

 

・「 集団意思決定」の状態では、個人が意思決定を行うよりも 結論が極端になることが多いことが社会心理学の研究で知られている。 慎重な人たちが集団決定すれば、より慎重な選択が行われ、 逆に危険を厭わない人たちが集団決定すればますます 危険な方向に選択が行われる。

 

・ 近衛文麿首相は、ルーズベルト大統領との直接会談で開戦を回避しようとしたが、アメリカ、日本、両国で新聞がこれを書きたて、日本では、反米的言辞が横行してしまった。

『ふたりの祖国』を思い出す。

megureca.hatenablog.com

メディアも罪作り。

 

・ドイツにとってソ連、日本にとってはイギリスの打倒が最も優先されるべきであり、両国の戦争の目標は異なっていた。だが日本は、ドイツがイギリスへ打撃を与えてくれる可能性を頼りに、開戦した。

 

・ アメリカは真珠湾で沈没または大破着底した戦艦8隻のうち6 隻を引き上げて修理し、戦列に復帰させた。日本は、船舶が減少していく一方なのに対し、アメリカの造船力はけた外れの大きさだった。 

 

なぜ開戦したのか?という疑問に対して、間違った選択をしてしまった「プロスペクト理論」や「集団意思決定」というのは、腹落ちする。でもね、だけどね、やっぱり、なぜ止められなかったのだろうね。

 

戦後、あの時開戦していなければクーデターがおきていたであろう、という昭和天皇の言葉もあったとか。。。歴史に「もし」はないけれど、やはり、どちらにしても一度は日本は底に落ちたのかもしれない。。。

 

本当の「勇気」とは、何なのか?結構深い。

 

サラリーマン時代、経営会議で「最近勇気ある決断をしていますか?」と当時の社長が発言したことがあって、その時の私たち(経営会議運営担当)は、「勇気だって!!」と、「それって忖度しろってことか?!」とざわついたことがあった。私たちは、社長の意に反する提言をしたので、「おれの言うこと聞け!」的に受け取った。いや、本当の勇気は、間違っていることを間違っているということだ、と私は思う。「社長こそ、勇気ある決断してますか?」と、陰でつぶやいたものだ・・・・。

ちなみに、社長の決断で行った大きなM&Aは、散々な結果で終わった・・・・。

 

「集団意思決定」の怖さ、「勇気」の誤った評価、、、、令和の今でも、いつでも起こりうる誤った判断。なかなか面白い一冊だった。

 

治世者でなくても、組織の中で意思決定を求められる立場にいるならば、参考になることがあると思う。かつ、歴史を振り返るという点でも、面白い。

 

読書は、楽しい。