『AI時代を生き抜く1  AI〈人工知能〉のきほん』 by 土屋誠司

AI時代を生き抜く1
プラグラミング的思考が身につくシリーズ
AI〈人工知能〉のきほん
土屋誠司
創元社
2020年9月20日 第1版第1刷発行

 

順番が、逆になっているけれど、5,2,3もよかったので、シリーズ1に立ち返って図書館で借りて読んでみた。

megureca.hatenablog.com

 

そもそも、AI時代を生き抜くシリーズなんだから、やっぱり、AIについて学ばないとね。 

 

表紙をめくると、
”第1巻のテーマは、AI〈人工知能〉。その歴史や問題点を踏まえつつ、人工知能がもつ主要なはたらきである「知識」「推論」「探索」「分類」「学習」について学びます。”と。

 

目次
1 AIとその歴史
2 人間とAIの関係
3 AIのはたらき[1]知識・・・データを集める
4 AIのはたらき[2]推論・・・知識をつなげる
5 AIのはたらき[3]探索・・・答えをみつける
6 AIのはたらき[4]分類・・・物事を分ける
7 AIのはたらき[5]学習・・・賢くなる
8 知能とは何か
9  AIは万能ではない
10 AIとのつきあい方

 

AIとは、Artificaila Intelligence。人工的な知能で、「人工知能」といわれる。その名の通り、人工的に作り出した知能のこと。でも、実は、人工知能は、いってみれば「賢いコンピューター」であって、人工知能の専門家ですら正確に説明できないのだと。

人工知能」という概念は、1956年のダートマス会議』という、偉い人たちが集まって人類の問題をコンピューターで解決する方法などについて考えるところで生まれた。その後、様々な人工知能のブームがあって、今に至っている。

 

1950年代後半~1960年代 第一次人工知能ブーム
1970年代  冬の時代
1980~1990年代前半 第二次人工知能ブーム
1990年代後半 冬の時代
2000年~2010年代 第三次人工知能ブーム

 

第一次人工知能ブームで、 ニューラルネットワーク遺伝的アルゴリズム等という言葉が生まれ、第二次人工知能ブームで、 音声認識データマイニングといった分野、そして、第三次人工知能ブームで、ディープラーニングの技術が深まった。

 

そういわれてみると、そうだな、、、と。いまでは当たり前のルンバのような自動掃除機、高機能炊飯器だって、第二次人工知能ブームあたりから市場に出回っているのではないだろうか。あれを、人工知能と呼ぶか???呼ぼうと思えば、呼べる。なにも、「OK Google!」や「アレクサ!」が人工知能なわけではない。

 

さらに、歴史を深堀すると、

1780年頃~ 第一次産業革命:蒸気・機械化
1870年頃~ 第二次産業革命: 電力・大量生産
1970年頃~ 第三次産業革命:コンピューター・自動化
2020年頃~ 第四次産業革命:AI?IoT?ロボット?ビッグデータ

 

と、人がやってきた労働を、さまざまな技術によって代替してきたということ。第四次産業革命の今は、技術が更に進化し、産業構造が劇的に変わる、といわれている。いなや、自動車をつくるのは、自動車会社ではなくてコンピューターやさん、ってわけだ。そして、人間の代わりに、掃除をしたり、電気をつけたり、あるいは耳の不自由な人のために音を文字に変換したり、目の不自由な人のために文字を音に変換したり。人間に代わってやってくれることが増えているのが今の人工知能

 

人工知能のおもな働きである「知識」は、データをたくさん知っているということ。それは、人間がインプットしてやる。だから、嘘のデータを入れたら、まちがった知識が組み込まれてしまう。そうならないように1970年代にエキスパートシステムというものが開発され、それぞれの分野の専門家がデータを登録する仕組みがある。

 

推論」は、「ハトはトリ」「トリは飛ぶ」という情報から「ハトは飛ぶ」という新しい知識を作り出す「演繹推論」と、「ハトはト鳥で飛ぶ」と「カラスも鳥で飛ぶ」という情報から、「鳥は飛ぶ」という知識を推論する「帰納推論」がある。演繹推論は、共通点を当てはめて推論をつくり、帰納推論は、共通点をさがして推論をつくる。コンピューターにとっては、それも計算ってこと。

 

探索」は、たくさんのデータの中から、答えを探し出すこと。

 

分類」は、クラスタリング』や『SVM(Support Vevtor Machine)』等の方法で、データとなっている物事を分けること。

 

学習」は、コンピューターが人間のように学習していくことで、人間がインプットしたデータに基づいて学習する教師あり学習』(ニューラルネットワークディープラーニングが良く知られている。また、コンピュータが経験値を積み上げながら自ら新しいデータをつかって学習する強化学習』あるいは『教師なし学習がある。

 

人工知能は、結局のところ人間が使って初めて『人工知能』となりえる。人工知能が賢いとか知能があるとかいうのは、人がそう感じているだけであって、人間が最初のデータをインプットしない限り、人間がこういう風に計算してほしいってプログラムしない限り、かってに進化するものではない。

著者は、AIは万能ではない、と言い切っている。そして、他の技術と同じで、正しく使わないと人間のためにならない、と。

 

「ロボットのような人間」という言葉が、あまり褒め言葉でない時代は、まだまだ続くのではないだろうか・・・・と思う。

 

「ロボットのような人間」が褒め言葉になる時代は、ひょっとするといつか来るのかもしれない。でも、そんな時代に生きていたいだろうか・・・・。やはり、矛盾だらけで、理不尽であっても、人間らしい人間が幸せに暮らせる時代の方がいいな、、、って思う。

 

人工知能は、あくまでも道具である。ただ、それだけのこと。それをどう使うかが問題。

 

核反応、遺伝子組換え、人工知能、すべての技術は、平和目的に使われるべき。核反応や遺伝子組み換え、人工知能が怖ろしいのではない。それをあやまった目的で使用する人間のほうがよっぽど怖い。

 

技術は、正しく使おう。
怖がらずに、使ってみることも大事。

正しく使うには、正しい知識が必要。

だから、一生勉強なのだ。

 

読書は楽しい。