歴史とは何か 新版
E.H.カー
近藤和彦 訳
岩波書店
2022年5月17日 第1刷発行
2022年6月15日 第3刷発行
*1961年にケインブリッジ大学で行った6回の講義がもとになっている。
名著『歴史とは何か』。 図書館の特設の棚で見つけたので ちょっと気になった。 分厚いし 難しそうなので 読む気はなかったのだけれど、フア・シュー著『僕は裏切らない
アジア系アメリカ人の青春』で、殺されてしまったケンの遺品の中の『歴史とは何か』に書き込みがあるのをみつけたという一節があって、やっぱり、読んでみようという気になった。借りて読んでみた。
表紙裏の袖には、
”歴史は現在と過去のあいだの対話である――。あまりにも有名なフレーズで知られる本書『歴史とは何か』は、連続講義がもとになっており、「 歴史家とその事実」「 社会と個人」「 歴史・科学・倫理」「 歴史における因果連関」「 進歩としての歴史」「 地平の広がり」という、歴史を考えるうえでもっとも重要な6テーマから成る。現在もなお歴史と歴史学の最良の入門書であり、古典的著作である。
著者のE. H. カー(1892-1982)は、生前に第2版を準備していたが、序文を完成させたのみに終わった。本書は、初版の本文、および「第2版への序文」を新たに訳出し、異版も参照して懇切な訳注や解説をつけ、残されたメモから未完の第2版の内容を呈示したR.W.デイヴィスによる覚書、晩年のカーによる自叙伝、略年譜などを加えて、全面的に 編集し直したものである。
達意の訳文によって、 知的刺激と笑いに満ちた名講義が、いま鮮やかに よみがえる。”
とある。
著者のE. H. カー(E. H. Carr)は、1892年生まれ。イギリスの歴史家・国際政治学者。ケインブリッジ大学卒業後、20年間の外務省勤務を経て、ウェールズ大学教授。第二次世界大戦中には、ザ・タイムズ紙の社説を執筆。1955年よりケインブリッジ大学トリニティ学寮上級フェロー(終身)としてライフワークの『ソヴィエト=ロシアの歴史』(全10巻)に取り組む。『危機の二十年――理想と現実』(岩波文庫)、『ロシア革命』(岩波現代文庫)をはじめ著書多数。
そうか、カーはロシアの歴史に詳しいから、佐藤優さんの本にたびたび登場するのか。
訳者の近藤和彦さんは、1947年生まれ。東京大学文学部西洋史学専修課程卒業。名古屋大学助教授、東京大学大学院教授、立正大学教授を経て、現在、東京大学名誉教授、王立歴史学会フェロー。専攻は、イギリス近世・近代史。著書に『民のモラル』(山川出版社、ちくま学芸文庫)、『文明の表象 英国』(山川出版社)、『イギリス史10講』(岩波新書)、『近世ヨーロッパ』(山川出版社・世界史リブレット)ほか多数。訳書に、トムスン/デイヴィス/ギンズブルグ他『歴史家たち』(編訳、名古屋大学出版会)ほか。
目次
はじめに(R.W.デイヴィス)
第二版への序文
第一講 歴史家とその事実
第二講 社会と個人
第三講 歴史・科学・倫理
第四講 歴史における因果連関
第五講 進歩としての歴史
第六講 地平の広がり
E.H.カー文書より――第二版のための草稿(R.W.デイヴィス)
自叙伝
補註
訳者解説
略年譜
索引
感想。
いやぁ、難しいけれど、面白かった。
本書が、「講義記録」だったということを知らなかったのだけれど、口語調で語られているところが、読みやすい。
第一講、二講、くらいまでは読みやすかったのだけれど、だんだんと内容が難しくなって、意味不明?になってくるなのだけれど、楽しい講義の様子が感じられる。時々、ユーモアある表現、あるいはブラックユーモア的な発言が盛り込まれ、(笑)の文字もある。あ、今のは、冗談ね、ってわかる。ユーモアが高度過ぎて、(笑)の文字が入っていなければ、私には「??」というところも、読み返して、あぁ、、、なるほど、、、、とわかる感じ。
学生のころは歴史嫌いだった私は、読んでみて初めてさまざまな書籍にでてくるカーの『歴史とは何か』の意味を感じることができた。あー、なるほど、古典的著書になるわけだ。
「歴史とは何か?」を真剣に考えたことはなかったけれど、第一講、第二講あたりは、「そりゃごもっとも」ということが出てくる。つまり、私が今朝、電子レンジでゆで卵をちょっとあっためようと思って、追加10秒で爆発させたという事件は歴史にはならず、著名な政治家が街頭演説中に生卵をぶつけられたという事件は歴史になるかもしれない、、、ということ。しかし、それもある日のニュースになったくらいでは歴史とは言わない。「生卵」の貴重性と割れた時の「屈辱」が、後の社会においても「驚くべきこと」として認識された時に、初めて歴史となる。
まぁ、卵のはなしは、今朝電子レンジを掃除しなくてはいけなくなった時に、「これは歴史にはのこらんなぁ、、、」と思った私がつくった事例だけれど、そんな感じ。
「現在の価値基準で過去を評価してはならない」というけれど、現在の価値で考える対象であるからこそ、「歴史」だということかもしれない。
へぇ、ほぉ、そうか!という話がたくさん出てくる。因果関係の話も面白い。第一次世界大戦が始まったのは、皇太子夫妻の暗殺が原因ではない。きっかけに過ぎない。つまり、何か一つの原因があるわけではないから、歴史なのだ。
注釈もふんだんで、そこに気を取られると文章の流れが途切れてしまうくらい。いやぁ、歴史って、積み重ねだ。
最後の訳者解説を読むと、専門家でも難しい本であるという感想が見えてきて、おもわずホッとする。 訳者解説の冒頭で、
「 歴史とは 歴史家とその事実の間の相互作用の絶え間ないプロセスであり、現在と過去の間の終わりのない対話なのです。」
「 過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、 現在は過去の光に照らされて初めて 十分に理解できるようになるのです。」
「 全ての歴史は『現代史』である。」
「 研究する前に歴史家を研究せよ。」
「 歴史とは 各国史を全て束ねたものとは別物である。」
と、有名なセンテンスが抜粋されている。そして最後の名セリフ
「それでも、世界は動く。」
難しいけれど、一度目を通してみるだけでも、世界観がかわる気がする。
わたしたちは、常に今の自分たちの価値で社会をみている。気づかないうちに。生まれた時からあるものを当たり前と思ってしまう。いやいや、今は、歴史の積み重ねの上にあるのだ。大きな歴史も、小さな個人の歴史も。
気になったところ、覚書。
・第2版への序文より(最初の出版にむけて準備をしていた1960年ころを振り返って):
”・・・・ ドイツと日本は1945年の全面的な崩壊から速やかに立ち直り、目覚ましい経済成長を遂げつつあった。 フランスは ドゴール(大統領1959-69)のもと、 元気を回復しつつあった。 合衆国では アイゼンハワー(大統領1953-61)時代は立ち枯れに終わり、 まもなく ケネディの希望の時代の暁であった。 南アフリカ、アイルランド、ベトナムといった問題地帯は、まだ泥沼化する前であった。
こうした事情があったことはとにもかくにも、1961年の私の講演(出版も同年)の 終わりに表明した楽天観( オプティミズム)と 未来の確信の表向きの理由にはなった。 その後の20年間に、こうした希望と呑気はくじかれた。 冷戦が再発してその苛烈さは倍増し 核戦争による人類絶望の脅威が生じている。経済危機は遅れてきたぶん、さらにきびしく工業 諸国を荒廃させ、失業という癌腫を西洋社会に全身転移させている。・・・・”
この序文が書かれたのは1982年より前。90歳でもまだまだ次への意欲をもっていたカー。そして、混乱の時代はさらに混迷をふかめて21世紀に至っている。ここを読んだだけで、第2版が完成しなかったのが残念・・・。
・「事実は神聖、意見は自由」:リベラル派ジャーナリスト C・P・スコットの言葉。これを引用しつつ、
”ところがですね、これはうまくいかんのです。・・・カエサルがルビコン川を渡ったという事実と、この部屋の真ん中にテーブルがあるという事実が・・・・・・(中略)・・・・過去のすべてが歴史的事実というわけではない・・・・”
・「 歴史の書物とは、事実に基づいているとはいえ 厳密に言うとじつは事実などころか、むしろ、一連の承認されてきた判断に過ぎないのである。」:G・バラクラフ教授。
・「 歴史の事実とは、 歴史家がそれを創る前には存在しない。」: アメリカの歴史家 カール・ベッカ(1910年)
・歴史的事実は、「純粋なまま」でわたしたちのところにはやってこない。故に、
” 歴史書を手にして最初に関心を向けるべきは、その書物の中の事実よりも、その書物を著した歴史家その人なのです。”
・第2講 社会と個人: ドストエフスキーの『悪霊』におけるキリーロフの話。
” キリーロフは自分の完全な自由を証すために自殺します。 自殺こそ、 個人に可能な行為のうち唯一完全に自由な行為であり、 他の行為はすべて、 何かしら社会の一員であることに関係してしまいます。”
・A・J・トインビー:『歴史の研究』の著者。カーも関与した 国際問題研究所の創設メンバーの一人だった。
・”・・・わたしの意図はただ、 歴史家の仕事がいかに自分の生きた社会を密接に反映しているかを示すだけなのです。・・・・・「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と語った哲学者が正しいのなら、同じ理由で同じ著者が書くとしても時が違えば 二つと同じ本は書けないというのも 真実でしょう”
まさか、カーが鴨長明『方丈記』から引用するなんて。ちょっと、感動。
・ ” 第1講では、「 歴史を研究する前に、歴史家を研究せよ」と申しましたが、今日はこれに「歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的・社会的環境を研究せよ」と追加いたします。
・”・・・ 同時代の社会と国に対して強力にラディカルに反逆したという点で、F・ニーチェ(1844-1900)ほどの人はほとんどいません。とはいえ、ニーチェはヨーロッパ 社会、 もっと特定すればドイツ社会の直接の産物であって、 中国やペルーでは生まれようもなかった逸材です。 ニーチェの同時代人には十分に認識されていなかったことですが、 彼の死後 1世代が経過してようやく、 ヨーロッパの、 特定すれば ドイツの社会諸力がどれだけ強くニーチェ 個人に体現されていたかが明らかになってきました。 ニーチェは同世代よりも後の世代にとって意味のある人物となりました。”
*F・ニーチェ(1844-1900):「神は死んだ」という言葉で知られる19世紀ドイツの哲学者であり、キリスト教的道徳やニヒリズム(虚無主義)を排し、自らの生を肯定して新たな価値を創造する「超人」思想を提唱した。
・” 過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、 現在は過去の光に照らされて初めて 十分に理解できるようになるのです。”
・”歴史における進歩は、事実と価値観の間の相互依存、相互作用によって達成されるのです。 客観的な歴史家とは、この相互応酬のプロセスに深く入り込む歴史家のことです。”
・ ”私たちの歴史観には、私たちの社会観が反映しています。”
・第6講 地平の広がり: 理性の両義性について。
”・・・この望ましさの基準とは社会の容認する趣味や意見ということです。こうした キャンペーンはそれを推進する人々の集中にあって、 望ましい方向へとの個々のメンバー を型にはめ、 社会を型にはめるための、意識的で理性的なプロセスとなります。
こうした 危険の派手な実例を他にもあげるなら、コマーシャル広告業と政治プロパガンダです。 広告業者と政治家の役割は 実にしばしば 重なります。・・・・・・あらゆる社会において、 支配集団は多少は強制的な手口を用いて大衆の意見をまとめ、制御していきます。この方法がほかよりたちが悪いのは、理性の乱用だからです。”
そして、むすびの言葉は
”この期におよびまして、わたしは激動の世界、陣痛の世界を望みつつ、あの偉大な科学者のよく知られた言葉でおこたえすることにいたします。
「それでも、世界は動く」”
ガリレオ・ガリレイの「It moves」。ソレデモ、チキュウハ、セカイハ、ウゴク動く。
うまいなぁ。
内容の面白さ、語りの楽しさ、それも1960年代のオプティミズムの社会だったからだともいえる。だからこそ、冷戦と核の脅威にさらされた1980年代に第二版を書きたかったのだろう。第二版も読んでみたかったな。
この新版は、分厚い単行本だけど、もとの清水幾太郎訳の岩波新書なら、蔵書にしてもいいかな、、、って思った。難しくても、一度カーの言葉に触れておくのって、大事かもしれない。やはり、お薦めの一冊。



























