『成瀬は信じた道をいく』 by 宮島未奈

成瀬は信じた道をいく
宮島未奈
新潮社
2024年1月25日 発行
2024年3月5日 4刷

 

前作、 2024年本屋大賞受賞作品『成瀬は天下を取りにいく』の続編。

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同時に購入したので、ほぼ同時に一気読み。届いた日のうちに、2冊とも読了。
いやぁ、おもしろかった。

 

帯には、
” その前、 誰にも予測不能
唯一無二の主人公、 再び。
・・・・と思いきや、 まさかの事件が勃発!?

 わが道を突き進む 成瀬あかりは、 今日も今日とて知らぬ間に、 多くの人に影響を与えていた。「ゼゼカラ」ファンの小学生、成瀬の受験を見守る 父、 近所のクレーマー(をやめたい)主婦、観光大使なるべくして生まれた女子大生・・・・ 個性豊かな面々が、 新たな成瀬あかり史に名を刻む。
そんな中、幼馴染の島崎が故郷に帰ると、成瀬が書き置きを残して失踪しており・・・?!”

と、本作でも成瀬が大活躍。

 

目次
ときめきっ子タイム
成瀬慶彦の憂鬱
やめたいクレーマー
コンビーフはうまい
探さないでください

 

感想。
いやぁ、、、面白い。
だいぶ、成瀬節になれてしまって、一冊目ほどのインパクトはないけれど、ちゃんと、数々のイベントのなかで成瀬が有言実行していくのが面白い。

 

成瀬ファンになった小学生・北川みらいちゃんは、すっかり、成瀬の子分かのように。でも、成瀬は、みらいちゃんを大事にするものの、特にえこひいきするわけでもなく、たんたんと成瀬の道をいく。

 

本書の聖地巡礼がすでにブームになっているらしいが、確かに、本書をよんで、大津市を、膳所を訪ねたくなる。琵琶湖の観光船、「ミシガンクルーズ」もしてみたくなる。なんと、成瀬がミシガンクルーズでデートする。本人はデートのつもりではないのが、なお面白い。著者が、特に大津市に思い入れがあるわけではなかったとはいっているものの、こりゃ、琵琶湖の大宣伝だ。かつ、京都大学も宣伝されているかも。。。成瀬のような子がちゃんと大学生をやれる大学?!

 

以下、ネタバレあり。

 

「ときめきっ子タイム」は、大津市立ときめき小学校に通う北川みらいちゃんのお話。小学校で、「ときめき地区で活躍している人を調べる」という課題が出て、お祭りの司会をしていたゼゼカラに目をつける。小学校には、成瀬が小学生の時に描いた「観光船ミシガン」の絵が飾られていた。そう、成瀬は、歌もうまければ、絵もうまくって、入賞作品をそのまま小学校に飾られていたのだ。

で、みらいちゃんは、成瀬と島崎みゆきに出会う。ちょっと変わった成瀬に、友だちたちは引き気味になるけれど、学校での課題発表は大成功。そして、その後もみらいちゃんは、成瀬のファンとなっていく。

 

成瀬慶彦は、成瀬あかりのお父さん。娘の京大受験に付き添うことになった父は、娘よりも緊張している、、、。そんなことはお構いなしに、たんたんと受験会場へ向かうあかり。受験は2日間におよぶ。1日目を無事に終え、大津市にすむ成瀬親子は、京都から大津へ帰ろうとするのだが、その時、あかりが見つけてしまう・・・。なんと、京大の敷地にテントをはって寝ようとする輩を。それは、高知県からはるばる3000円で京大入試に臨んでいるという城山友樹。あかりは、「こんな寒い時期に野宿は命にかかわるからやめたほうがいい」と声をかける。お金がないから仕方がないし、これをネタにYouTuberをしているという。そんな城山にあかりは、こともあろうか「うちに来たらいい」と。。。娘が娘なら、父も父だ、、、。城山を家に連れて帰る。すんなり受け入れる母もすごい。そして、城山は、成瀬家の廊下で寝袋で一晩すごし、2日目の受験へ。

そして、、実は、父の心配は、あかりの合否ではなかった。あかりなら合格して当然。心配していたのは、あかりが京大に合格したら、1人暮らしをしに京都に行ってしまう、、、ということだった。家のパソコンで、家探しやら、家具探しをしている形跡を見つけてしまったのだ・・・。

 

あかりは、見事に合格。城山も合格。そして、、、1人暮らしの話をするかとおもいきや、自分は家から通うつもりだ。調べていたのは、友人のためだ、、、と。
めでたしめでたし。父の心配は、杞憂におわる。

 

「やめたいクレーマー」は、成瀬がバイトするスーパーの万引き犯を、店の客(ご意見箱にクレームを書き入れるのが趣味の主婦)といっしょに解決しようというお話。

 

「コンビーフはうまい」は、コンビーフを食べるのかと思いきや、令和の時代にもかかわらず携帯電話をもたない成瀬が、実家の電話番号の語呂合わせとして伝える。。。「コンビーフはうまい」しかし、、、その番号は読者にも解読不明、、、。

 

「探さないでください」では、とうとう、成瀬は紅白歌合戦に登場!!どうやって登場するかは、、、ネタバレなしにしておこう。

 

それにしても、よく考えられたストーリーだと思う。
くだらない、といってしまえばそうかもしれないけれど、そこに、成瀬の純粋で正直な人類愛がある感じが、なかなかいい。

 

あかりとみゆきは、みゆきの父の引っ越しで、すでに大津と東京と離れ離れになっているのだが、ゼゼカラは永遠なのだ、、、。

いいねぇ。。。


本作のなかで、成瀬は琵琶湖大津観光大使になっている。成瀬は、きっと美人なんだろう。頭もよくて、美人で、、ちょっと風変わりな、、、。

一話ずつ、TVの連ドラにできそうな気がする。成瀬を演じるならだれだろう?はつらつとしていて、賢そうで、坊主頭すら似合いそうな女優さん。。。最近の若い女優さんはしらないけど、、、広瀬すずとか?


そして、成瀬が社会人になるところも見てみたい。一作目では、閉店してしまった「西武百貨店を建てる」って宣言しているから、会社社長くらいになっちゃうかも?!

 

一方で、著者の他の作品も読んでみたい。これからもたくさん書いてほしいな。本屋大賞なんてとっちゃうと、周囲の期待もすごいだろうけれど、気にせず、好きなものを書いてほしい。万人にうける作品じゃなくたっていい。作品として残すだけでもすごいことだ。がんばってね!っていいたくなる。

 

読書は楽しい。

 

 

 

『成瀬は天下を取りにいく』 by 宮島未奈

成瀬は天下を取りにいく
宮島未奈
新潮社
2023年3月15日 発行
2024年4月5日 13刷

 

2024年本屋大賞に輝いた一冊。

日経新聞(2024年4月10日)の記事では、

”受賞作は滋賀県大津市を舞台に、主人公・成瀬あかりの中学・高校生活における独創的なチャレンジを連作短編で描く。09年から当地に暮らす作家にとって愛着のある場所だが、小説の土台に据えたのは時代の巡り合わせが大きかった。

「(執筆した)20年当時はコロナ禍で外へ出て行けなかった。滋賀のなかで小説を書いてみようと思ったときに西武大津店の閉店があり、その史実をもとに書いた」と語る。百貨店の西武大津店は20年8月31日に閉店した。連作第1話は、カウントダウン中継に映り込むべく奮闘する成瀬を描く。”
と。

 

気になる、気になる。
図書館の予約は、数百人の予約者。これは、もう、買うしかないだろう・・・・。
と、早速Amazonでポチリ。

すぐに届いた。ついでに、続編の『成瀬は信じた道をいく』もいっしょに、すぐに届いた。そして、すぐに開封

 

お!なんだ、このアニメチックな表紙は!
新聞の活字だけをみていたので、装丁すら知らずにポチったので、お!とおもった。でも、中は活字オンリー。べつに、児童書ではない。新聞の記事でも、”多世代に響く”最近の本屋大賞、といっていたので、なるほど、と思う。

 

帯には、
” かつてなく最高の主人公、現る!
2024年本屋大賞ノミネート!

「 島崎、わたしはこの夏を 西武に捧げようと思う。」
 中2の夏休み、 幼馴染の成瀬がまた変なことを言い出したー。”

 

著者の宮島未奈さんは、1983年 静岡県富士市生まれ。 滋賀県大津市在住。 京都大学文学部卒。2018年『二位の君』で第196回 コバルト短編小説新人賞を受賞。 2021年 『ありがとう西武大津店』で 第20回 「女による女のための R-18文学賞」大賞、読者賞、友近賞をトリプル受賞。同作を含む本書がデビュー作。

って、しらなかった。単行本としてデビュー作だそうだ。

 

目次
ありがとう西武大津店
膳所(ぜぜ)から来ました
階段は走らない
線がつながる
レッツゴーミシガン
ときめき江州(ごうしゅう)音頭

 

感想。
最高!!!
面白過ぎる!!!
涙が出るほど笑える!!!!

いやぁ、こりゃ、本屋大賞とるよね!!
201ページの単行本。
読みだしたら止まらない。
ほぼ、2時間で読み終わった。

電車の中であろうと、ぶっ!!!と、声をだして笑ってしまう。

 

著者のことをあまり知らないままに読み始め、主人公の成瀬あかりと島崎みゆきが中学二年生の夏からはじまり、かつ、いかにも若々しい文章だったので、著者は30代?と思ったら、1983年生まれ、、、というから、一応、40代か。でも、2020年のコロナ禍に書き始めた時は30代後半ということ。かつ、なんか可愛らしい女性を想像してしまった。新聞の記事では、宮島さんのコメントとして、「『重い小説』は優れた書き手がたくさんいる。コロナ禍の閉塞感もあり、私は明るく楽しい話を書きたかった」と紹介されている。

うん、明るく楽しいよ!!!
これはね、元気になるわ。
そして、たしかに、若者から高齢者まで、、少なくとも、50代の私でもおおいに楽しめた。

成瀬!!!いけーーー!!!がんばれーーーー!!
大好きだよーーー!!
応援してるよーーーー!
って、言いたくなる感じ。

 

実は、本を購入したときは、ちゃんと新聞の記事は読んでいなかった。だから、西武大津店閉店が、架空の話なのか、史実なのかをわからないままによんでいたのだけれど、そんなことはどうでもいい。とにかく、面白いのだ。

 

そして、確かに一つ一つのお話は、それぞれ完結している。でも、登場人物は、重なっていくし、成瀬と島崎は高校生になるし、テンポよく、連続小説を読んでいる感じ。

 

そして、成瀬の行動力に元気をもらう。一般的に言えば、成瀬のような子はちょっと扱いにくい、可愛げのない子なのかもしれない。やることがちょっと突飛だ。いやいや、ちょっとどころか、だいぶ飛んでる。頭が良すぎて、周囲から浮いちゃう子。でも、幼い時から同じマンションにすんでいて、成瀬の側にいる島崎みゆきにとっては、つかずはなれず、、、。べったりでもなく、無視するでもなく、、、その二人の距離感がまたいい。成瀬は、自分の気持ちを表情に表すタイプではなく、言葉もぶっきらぼう。でも、みゆきは、成瀬のことを理解している、成瀬もみゆきは理解してくれていると思っている。そういう、二人なのだ。その関係がいいんだぁぁぁ。

 

キャラとしては、圧倒的に成瀬がたっているけれど、わたしはみゆきも好きだ。

とにかく、笑えるし、ほっこりするし、元気をもらえる一冊。
気楽に読める、軽い一冊。
いやぁ、、、ポチった甲斐があったよ。これは。

 

チョットだけ、ネタバレ。
成瀬の「 わたしはこの夏を 西武に捧げようと思う」の宣言が意味するのは、大津市にあった西武百貨店閉店が決まり、街のシンボルがなくなることを惜しむ地元の人たちの様子をローカルTVが毎日カウントダウント中継するので、そのTVに毎日映りこむという宣言。

成瀬は、いつも大きなことを口にする。成瀬が口にしたのは、「200歳まで生きる」「TVにでる」「紅白歌合戦にでる」・・・。

成瀬は、 大きなことを100個言って1つでも叶えたら「あの人すごい」になるという。


みゆきの独白。
” だから日頃から口に出して種をまいておくことが重要なのだそうだ。それはほらふきとどう違うのかと尋ねたら、 成瀬 はしばらく考えた後「同じだな」と認めた”

 

別に、西武ライオンズのファンでもないのに、ユニフォームを着こんで、毎日TVにうつる成瀬。怪しい姿に、レポーターは見向きもしない。。。他に「残念です~」とか「さみしい~」とか思惑通りの答えを言ってくれそうな客たちにマイクを向ける。でも、毎日TV中継現場に出没する成瀬。そして、いつのまにかみゆきも一緒に、、、。TV番組としては成瀬の存在を無視し続ける一方で、TVを観ている人たちの間では、「あのユニフォームきている女の子、また映ってる!」と、SNSでもコメントがあがるようになる。あるいは、西武のキャップをくれようとするおばちゃんが現れたり、子どもたちに「あのおねぇちゃん」と言われたり。

ところが、閉店直前になって、成瀬は祖母が亡くなってTV中継現場に行けなくなってしまう。みゆきは、成瀬に代わってTV中継現場に向かう。そして、、、、。

何はともあれ、成瀬は最後の現場に間にあう。

 

成瀬が、面白いのだ!!
無言で、TVに映り続ける成瀬が。

 

でも、これは、序の口。
二話目の「膳所からきました」は、もっと、ぶっとんでいる。

「島崎、わたしはお笑いの頂点を目指そうと思う」
そして、M-1にでるのだ!!!みゆきとコンビで。中学生だから、親の承諾が必要。成瀬の両親も、みゆきの両親も、面白過ぎる。あれこれ言うことなく、同意書に印鑑を押してくれる親。
そして、二人のコンビ名が膳所(ぜぜ、大津市の町の名前)から来たので、「ゼゼカラ」

二人がネタを練習するところとか、実際に、M-1の予選にでるところとか、、、笑いの涙なしには読めないくらい、おかしい・・・。

わたしは、漫才というものにあまり興味が無いのだけれど、二人が参考にしたミルクボーイの「コーンフレーク」というネタを思わずYouTubeで探してみてしまった。。。

あぁ、笑いっていいね。。。

 

そして、「階段は走らない」では、急に、40代のオジサンたちがでてくる。それは、成瀬らと同じ地元で育った男性たちで、後に、地元振興のためにお祭りの司会にゼゼカラが活躍することにつながる。

 

「線がつながる」では、成瀬もみゆきも高校生になっている。二人は別々の高校に進むけれど、やっぱり、つながっている。成瀬は、高校でもやらかす。登校初日はなんと、坊主あたま。。。。髪の毛がどのように伸びるのかを実測するため・・・。

そして、かるた部での、活躍。

もう、とにかく、無茶苦茶なようでいて、こういう高校生いてもおかしくないし、身近なような気もして、楽しいのだ。

成瀬をみていると、「やってみる」ことの大切さを思う。
いやぁ、ほんと、面白い!!
こういう本こそ、本屋大賞!だと思うわ。 

 

痛快!

だね。

 

読書は楽しい!!!

 

 

『薤露行(かいこうろ)』 by 夏目漱石

『薤露行』夏目漱石

漱石全集 第二巻』(全28巻)
岩波書房
2017年1月11日 第一刷発行 より

 

先日、ジェイムズ・ノウルズの『アーサー王物語』をよんだときに解説で紹介されていた、夏目漱石が書いた『アーサー王物語』というのを読んでみたくなった。それが、『薤露行(かいろこう)』。

megureca.hatenablog.com

ウィキからそのまま引用すると、
”『薤露行』(かいろこう)は、日本の小説家・夏目漱石(1867年 - 1916年)が、1905年(明治38年)に発表した短編小説。アーサー王物語を題材にした創作としては日本初の作品であり、円卓の騎士ランスロットをめぐる3人の女性の運命を描く。本作のテーマをめぐっては後年、文芸評論家の江藤淳(1932年 - 1999年)と小説家・評論家の大岡昇平(1909年 - 1988年)との間に論争が起こっている。”

薤露行 - Wikipedia

 

吾輩は猫である』の後に発表された、漱石の二作目、ということらしい。

 

検索してみても、「青空文庫」はでてきたけれど、一冊の本として出版されているものは見当たらない。なので、本作が掲載されている漱石全集』(二巻)を図書館で借りて読んでみた。

全集の単行本の中の、40ページ程度の短いお話。

 

最初の1ページは、なぜ自分がアーサー王物語を書くのか、ということが漱石調で語られている。

 

”世に伝うるマロリー『アーサー物語』は簡浄素樸という点において珍重すべき書物ではあるが古代のものだから一部の小説として見ると散漫の譏(そしり)は免がれぬ。”
だから、自分が、ちょっと場面設定とかを変えて小説風に書いてみようって。
別に、マロリーを称えるために書くんじゃないから、そこんとこよろしくね!みたいな説明が。いかにも、漱石らしい。

 

そして、物語は、ランスロットアーサー王の家臣であり、円卓の騎士のひとり)を中心に進む。ランスロットは、アーサー王のギニギア王妃と浮気をしているのだが、ギニギアが不吉な夢をみたといって、ランスロットを他の円卓の騎士と同じように北に戦いに行くことを促す。そして、北に向かう途中で、マーリン(アーサー王の中に出てくる魔術師)の魔法の街を通ったり、一夜の宿を求めてアストラットのある一家にとめてもらい、試合に望む。アストラットの家の主人からは、息子の一人を北の試合に一緒に連れていくことを頼まれ、盾を預かる。また、一家の娘・エーレンは、ランスロットに一目ぼれする。

そして、北の試合に向かったランスロットとエーレンの兄だったが、試合が終わった兄は1人で自宅に戻り、ランスロットはけがをした後、行方がわからない、、と。悲嘆にくれたエーレンは、悲しみのあまり絶食して命を落とす。そして、亡骸は小舟にのせられ、ギニギアのいるカメロットの館に流れ着く。
その亡骸は、
「うつせみの世を、
うつつに住めば、
住みうからまし、
むかしも、今も。
うつくしき恋、
うつす鏡に、
色やうつろふ」
と、マーリンの魔術の街にいたシャロットがうたった詩を握り締めていた。

その詩をよみ、美しい娘の亡骸をみたギニギアは、「美しき少女!」と涙を流す。
周りにいた騎士たちは、目と目を見合わせた。

THE END。

 

えっと、、、よくわからないけれど、なんとなく、文章が美しい・・・。
文語なのだ。
おもわず、声を出して読んでしまう。。。 

 

物語には一応、項がついていて、
一 夢
二 鏡
三 袖
四 罪
五 舟

確かに、ちゃんと小説風だ。ドラマチックな小説風。クライマックスもある。けど、文語体で、今一つ意味が掴み切れていない。。。それなのに、なんか、いいなぁ、、、って思っちゃうのは、リズムだろうか。

最後のエーレンが流れ着くところでは、

”・・・雪よりも白き白鳥が、収めたる翼に、波を裂いて王者の如く悠然と水を練り行く。長き頸の高く伸したるに、気高き姿はあたりを払って、恐るるもののありとしも見えず。うねる流れを傍目もふらず、舳に立って、、、、”

と、なんだか、神々しい感じすらしないだろうか。

こういう文体、かっこいいなぁ、、、って思う。

 

しかし、、、やっぱり、『アーサー王物語』は、トマス・マロリーの作品を読まないとダメかな。古典に返るって大事だね。

 

ちょっと、未消化な感じはのこるけれど、なるほどこれが、漱石アーサー王か、と満足。

 

ついでにいうと、漱石アーサー王伝説 『薤露行』の比較文学的研究』(講談社)という江藤淳の作品がある。文庫本を借りて読もうと思ったのだが、活字のあまりの小ささに、、、挫折。

 

漱石夏目金之助が、二年有余にわたる英国留学から帰朝したのは、明治36年、、、”とはじまる序説。いかんせん、文字が小さすぎる、、、出版は、1991年が第一刷となっているけれど、、。パラパラとめくると、実に興味深い。薤露行の解釈だけでなく、夏目漱石の研究本といっていい。

いつか、単行本で借り直そう・・・。

 

漱石は、この先もまだまだ楽しめそう。

 

ちなみに、岩波書店漱石全集は、全28巻。揃えたら、テンションあがりそう・・・・。でも、今はやめておこう・・・・。積読にしてしまいそうだ。

 

 



『Until AUGUST』(邦題:出会いはいつも八月) by  GABRIEL FARCIA MARQUEZ

Until AUGUST
GABRIEL FARCIA MARQUEZ
Exclusive Edition
Translated by Anne McLean
PENGUIN BOOKS (2024)

 

G・ガルシア=マルケスが晩年に認知症を患いながら描いていた作品。今年、新たに英語版、日本語版が出版された。ニュースを聞いて、即座に予約購入。

 

本人はボツにするつもりだった。でも、家族が、秘書が、原稿を残していた。何度も校正されていたらしく、そのバージョンの写真も掲載されている。

また、なぜマルケスの死後10年たって、なぜこの本を出版するにいたったかの話がRodrigoとGonzalo、二人の息子によって語られている。

この、PREFACE、序文を読むだけでも、彼らの父Goboの晩年が思い浮かべられるようで、なんというか、哀愁ただよう、、、。

 

G・ガルシア=マルケスは、百年の孤独』(One hundred years of solitude)があまりにも有名。私は、マルケスの作品は、『百年の孤独』しか読んだことが無い。いつか、他も読もうとおもいながら、、、そして、本書は、英語翻訳、日本語翻訳がほぼ同時に発売された。

おぉ!!マルケスの幻の作品!と思って、勢いあまって、英語翻訳を購入。124ページの単行本。ポチってから、3週間くらいかかったかな、、、しかも、円安の影響もあって、高い。。3,544円。

 

感想。
おぉ、いい感じ。
いい感じで、物語は進んでいく。

あぁ、、、やっぱり、こういう感じ、好き。

 

以下、ネタバレあり。


主人公は、しあわせに暮らしている主婦。夫との生活に不満があるわけではないけれど、母の墓参りに年に一度、8月に訪れる島で、一夜のアバンチュールを期待するようになる。

その、男たちとの出会い、別れ。
夫との生活。
子どもたちの巣立ち・・。

自分は何を求めているのか、、、、。

 

主人公の、Ana Magdalena Bachの母は、この島に埋葬してくれといって、亡くなる。自分の郷里ではなく、晩年に年度か訪れていたこの島に。そして、Anaは、年に一度、墓参りに来るようになるのだ。ラグーンの広がる海。まぶしい太陽。サンタンの似合う町。Anaは、1人でやってくる。
そして、母の墓には、毎年グラジオラスの花束を供える。そして、そこで出会った男たちと一晩限りのアバンチュール。そんなつもりではない、愛しているのは夫だけとわかっていながら、、、。初めてのアバンチュールは、目覚めた時に男の置いていった20ドル札が本の間にあることに衝撃をうける。翌年、翌々年、もうその男にあうことはないだろうとおもいながらも、つい、男を探してしまうAna。そして、声をかけてくるしらない男たち。

 

言ってしまえば「ナンパ」されるのを待っている中年女なのだけれど、なぜか、美しい。男たちの誘いの言葉も、Anaの返しの言葉も、美しい。強く、美しい。

 

数年目の8月、Anaは母のお墓の前に、”an usual heap of flowers” を見つけて驚く。”an usual heap of flowers” 直訳すれば、尋常じゃない量の山積みの花。一体だれが??墓守の話によれば、”The gentleman who always does.”

 

母の墓を訪れ、大量の花を供えていく男性がいたのだ。
母は、この島に、恋をしに来ていたのだと悟るAna.

そして、、、、
物語は、Anaが母の遺骨を連れて帰るところで終わる。

唐突な終わり!!


やっぱり、まだまだ、マルケスとしては推敲したかったのかな。でも、息子たちにとっても、いくつものバージョンの原稿の中から、推敲してこの終わりにしたのだろう。

いやいや、私の英語の理解力の問題か?と思って、結局、日本語も購入してしまった。。。
やっぱり、日本語のエンディングも同じだった。。。。そりゃそうか。

 

英語版も、スペイン語からの翻訳だから、原文ではない。けど、日本語でよむより、英語で読んだ方が、情緒を感じる。それは、私の英語力のなさの所以かもしれない。日本語ほどダイレクトに言葉が頭に入ってこない。色々言葉の意味を想像しながら読むから、、かな。

けど、満足。マルケスの作品を読めたことに満足。
出版する決心をした、家族に感謝。 

 

日本語版
『出会いはいつも八月』
G・ガルシア=マルケス
旦敬介 訳
新潮社
2024年3月25日 発行

帯の言葉。
”見知らぬ男に抱かれたい。
母の眠る、あの島で。”
肉体のなかでぶつかり溶けあう生と死。
圧巻のラストに息をのむ、
ノーベル文学賞作家が最後まで情熱を注いだ未完の傑作

アナ・マグダレーナ・バッハ、四十六歳。
飽きることなく求めあう指揮者の夫との間に、子どもが二人。
満ち足りた暮らしにもかかわらず、
アナは毎年八月の母親の命日に訪れるカリブ海の島で、
一夜限りの男をさがさずにはいられない。

「人には、公の生活、私的な生活、そして秘密の生活がある」
そう語ったマルケスが肉迫した、ひとりの女の、
誰にも知られてはいけない「秘密の生活」とはーーー”

 

翻訳は、わりと淡々としている。もとのスペイン語がわからないけれど、マルケスの作品自体、factが並べ立てられることが多いので、そのまんまの雰囲気なのかな。翻訳者の旦さんは、他にも新潮社からマルケスの翻訳本を出されているようだ。いつか、読んでみようかと思う。

 

ちょっと、スペイン語ので読んでみたいって気もするけど。。。まぁ、Hola!しか知らない私には、遠く儚い夢である・・・。

 

日本語を読んでから、もう一度英語を読み直してみると、また、深く感じるところがある。アバチュールを求めながらも、やっぱり愛しているのは夫。最後のAnaが母の遺骨を自宅に持ち帰るのは、もう、島に行く口実を自分に与えたくなかったから、、ということか。日本語だけ読んでも、すーーっとなじんでしまったAnaの行動が、もう一度英語を読み直したことで、あぁ、、、そうか、、、という、私なりの解釈になった。

 

本も映画も、何度も鑑賞していると、ちがった面が見えてくることがある。英語と日本語で読み比べると、また、ちがった面がみえてくることもある。

 

翻訳って、Translateとはいうけれど、やはりInterpretateが入る。解釈が入るんだな。。。

 

世の中、AI翻訳もあるし、chatGPTもあるし、語学勉強なんて不用な時代はくるかもしれないえけれど、やっぱり、自分で解釈できる言語が増えるのは、楽しみが増えることになるよな、、、って思う。

 

本も楽しかった。

英語も楽しかった。

勉強と思って、英語で読むのも、悪くない。

 

そして、マルケス、やっぱりいい。

 

 

 

『坂の上の雲 四』  by 司馬遼太郎

坂の上の雲 四
司馬遼太郎
文藝春秋
2004年5月15日 新装版 第1刷発行
*本書は 昭和46年(1971)6月に刊行された『坂の上の雲 四』の新装版です。

 

坂の上の雲 三』の続き。日露戦争の戦況がメイン。三巻と同様に、時々、秋山兄弟がでてくるけれど、もっぱら日本軍とロシア軍の動きについて。

megureca.hatenablog.com

 

目次
旅順総攻撃
二〇三高地
海濤
水師営
黒溝台

 

感想。
そうか、バルチック艦隊って、、、日本軍と戦ったときは南洋の海からはるばるやってきて、疲労困憊で戦うどころではなかった、って、、、こういうことだったのか。
って、ことがわかった第四巻。

そして、司馬さんの容赦ないダメ軍人への批判の言葉。そこに、「女のように・・・」とか、「ロシア人の病的な・・・」とか、いまなら、差別的だといって、出版社からNOといわれそうな言葉が並ぶ。でも、だから、なんというか、それぞれの人のキャラがわかりやすいともいえる。もちろん、司馬さんにとっての個人の印象ではあろうけれど。

個人の特徴を際立たせることで、話を分かりやすくする、司馬さんマジックかな。

 

乃木軍司令部が、いつまでも二〇三高地を攻めようとしないことで、日本軍は死傷者の数を積み上げていく。

無能者が権力の座についていることの災害が、古来これほど大きかったことはないであろう。”って、乃木批判がすごい。

 

かつ、乃木軍の参謀長伊地知幸介への批判もすごい。

伊地知は、そのような客観性のある視野や視点を持てない性格であるようであった。さらにはつねに、自分の失敗を他のせいにするような、一種女性的な性格のもちぬしであるようだった。”と。

おいおい!!
他のせいにするのを、一種女性的な、、とは、、、、とほほほ、、、。
ま、司馬さんだから、みのがしてあげよう、、、。
こんなこと、今の人が書こうものなら、ぼこぼこにされるであろう、、、。

 

そして、旅順で苦戦していく日本軍。いつまでたっても二〇三高地を攻めようとしない乃木軍。しかも、中途半端に攻めたことで、ロシア軍に「二〇三高地こそ、大要塞の弱点だ」と気づかせてしまう。中途半端な乃木軍の行動は、ロシアに智恵をつけたようなものだった。司馬さんは、これを、
乃木軍がやった無数の失敗のなかで最大級”といっている。

 

本格的に動かない乃木軍にしびれを切らした総司令部の大山巌は、児玉源太郎に乃木にかわって指揮をとらせることを許可し、児玉を乃木の元に送る。これは、乃木と同郷の長州人である児玉が、みずから、「乃木の尊厳を傷つけずに、乃木に進言できるのは自分しかいない」と、かって出たものだった。

乃木軍は、旅順でロシア軍に攻撃をしかけるのが、なぜか〇月26日だった。だから、ロシア軍は、次の攻撃も13日か、26日だろう、と予測することができた。これについては、乃木軍に科学的な計算が合ったわけではなく、たんに、最初に南山を突破した日が26日で縁起がいい、とか、偶数だから割り切れるので、要塞が割り切れるとかいっていたらしい。
そりゃ、
”兵も死ぬであろう”、、、と、司馬さん。

 

でも、そうして死んでいった兵たちに対して、
”かれら死者たちのせめてもの幸福は、自分たちが生死をあずけている乃木軍司令官が、世界戦史にもまれにみる無能司令部であることを知らなかったことであろう。”って。

知らぬが仏。
せつない。

 

そして、児玉が乃木のところへ。あくまでも、乃木をたすけ、日本軍をたすけるためにやってきた児玉は、とても善い人のように描かれている。そして、うまく乃木から指揮権をうばい。そして、伊地知らのとった作戦を痛烈に批判する。
無能、卑怯、頑固、鈍感、無策、、、、と。いわれた伊地知は、怒りで血の気を失うほどだった。

そして、批判の言葉の中には、
「おまえは女か」
ということばもでてくる。

う~~ん、まぁ、戦地だと、、、、わからなくはない表現・・・。
ただ、その後に解説が続く。

自己中心的な視野しかもてないという意味で、児玉はそういったのであろう”と。
あちゃちゃ、、、。
ま、、よかろう、、、。

 

そして、児玉は、二〇三高地を砲弾で攻めまくる。そして、とうとう、ロシア軍は降伏。旅順の勝利は、児玉の活躍によるものだけれど、児玉はあくまでも乃木の手柄となるように、現地で指揮者がかわったことを現地の兵士たちに「他言無用」と、いうのだった。

乃木と児玉の友情のあつさは、
”後世の人間の想像を越えたものがあるようであった。”と。

 

ちなみに、児玉は幼いころに佐幕派に一家を惨殺された経験があり、乃木は吉田松陰とともに玉木文之進の教えをうけていて、二人とも明治維新の激流を身をもって経験した仲だったそうだ。でもって、ちょっとだけ、
”乃木の性格も、良質な柔順さがあり、、”と、褒めている。

 

と、旅順で日本とロシアが攻防している間に、バルチック艦隊は、日本海にむけて出港する。それは、リバウという、ロシアの西方の港。ニコライ二世の寵臣だったロジェストウェンスキー指揮するバルチック艦隊は、ロシアの西から、スペインの西を通って、アフリカを超え、喜望峰を超え、マダガスカルを通って日本海へ向かう。途中、ドイツから供給されるはずだった燃料の石炭が、日英同盟下にあったイギリスによって妨害され、なかなか思うようにすすまない。

二〇三高地が落ちたのは、マダガスカルのあたりで石炭を待っているときだった。しかし、情報はなかなかつたわってこない。暑さになれていない兵士たちは、疲労困憊、、、マダガスカルの湿気は、士気を失わせるに十分だった。もう、引き返した方がいいのではないか、という意見すらでていた。

そうか、そんな状態のバルチック艦隊だったんだ・・・。

 

本書を読んでいると、ロシアの軍人たちが戦っていたのは日本ではなく、ロシアの中での権力の座だった、、ということもつたわってくる。まぁ、日本軍もそれににたところがあったのだけれど。

 

旅順の戦いが落ち着いたあと、海軍の秋山真之は、一旦日本に戻る。そして、バルチック艦隊といかに戦うか、、を毎日考える。

一方の陸軍好古が、旅順攻略以降に、苦戦することになる。クロパトキン采配のミシチェンコ軍、コサック奇兵隊と戦う。
その様子も、凄惨。。

 

季節は、12月から1月という極寒。じっとしていれば、足元から凍ってしまう。そんな寒さの中、総司令部はロシア軍も攻めてくるはずがないと思った。好古は、ロシア軍に動きあり!となんども警告をだしていたにも関わらず、総司令部にはことごとく無視される。。

この、総司令部の危機感のなさ、、、。

 

児玉も、児玉が信頼する松川俊胤大佐も、ロシアが攻めてこないと思っていたばかりではなく、「日本の騎兵になにができる」と、味方の能力に不信感をもっていた、と。

好古は、とにかく、居座って戦い続けた。


「騎兵はな、馬のねきで死ぬるのじゃ」と。
ねき、というのは、伊予のことばで、そば、という意味。
馬と共に要所をまもり、一歩もひかない・・。
と、これまた、ブランデーを飲みながら語る好古。いい男だ!!

と、黒溝台の戦いで四巻は終わる。 

 

司馬遼太郎で、ロシアを学んではいけないというけれど、やっぱり、歴史の勉強になる。すごく、勉強になる。しかも、楽しく。

 

次は、五巻だ!

 



『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』 by  川上弘美 

恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ
川上弘美 
講談社 
2023年8月22日 第1刷発行

 

知り合いがSNSでコメントしていて、ちょっと興味をそそられた。川上弘美、読んだことないような気がする。図書館で予約してみた。ちょっと待った。そして、順番が回ってきたので、読んでみた。借りたその日のうちに、読み終わってしまった。

 

川上弘美は、1958年、 東京都生まれ。1994年『神様』でパスカル短編文学新人賞を受賞。1996年『蛇を踏む』で芥川賞。他にも数々の受賞作品あり。

でも、わたしは、読んだことが無かった。興味を持ったこともなかった。

 

本の紹介には、
”小説家の私、 離婚と手術を経たアン、 そして 作詞家のカズ。 カリフォルニアのアパートメントで子供時代を過ごした友人たちは、半世紀ほど後の東京で再会した。 積み重なった時間、経験、恋の思い出。・・「年取るのって、いいじゃん」じわり、 たゆたうように心に届く大人の愛の物語。”とある。

 

目次
恋ははかない、 あるいは、 プールの底のステーキ
遠ざかる馬の後ろ姿
あれから今まで1回も マニキュアをしたことがない
夜中目が覚めた時に必ず 考える
そういう時に限って冷蔵庫の中のものが
吉行淳之介だけでどもともとは 牧野信一
不眠症の伯爵のために
2番目に大切なものを賭ける
小面、若女、増、孫次郎、万媚など
流れるプールに流される
すでに破いて中身が空になっている部分
ロマン派
最初に読んだ 三島由紀夫の小説は
水で濡らすと甘い匂いがする
袋いっぱいに黒い種が
山羊はいなかった
栃木に飛んでいく

 

感想。
なんじゃこりゃ。。。

最近、なんじゃこりゃ、って本が多いなぁ、、、っておもいながら、なんじゃこりゃ。

 

はじめて川上弘美をよんだけれど、、、う~ん、多分、他の作品は読まないかな。。。面白くないわけではないけれど、ちょっと、心動かされるし、最後まで読み通したくらい、次がしりたい、、、って感じがあるのだけれど、、、私にとってはなにかが足りない・・・・。いつ、盛り上がるの??って思いながら読んでいると、気が付いたら終わっていた・・・。

読み終わった後に、空白だけ残る感じ・・・。


こういう虚無感みたいなの、好きな人は好きだろうなって思う。いやいや、虚無にかんじるのは私だけかもしれない。

こういう作品を、情熱的作品、って思う人もいるかもしれない。

 

物語は、昔を思い出しながら今を生きている中年以降の男女たち。結婚、出産、離婚、病気、介護、、、誰の人生にも起こりそうな、ふつうのことがたんたんと続く。

ちょっと、せつなく、きゅんとするのは、年をとってもかわらない友情かな。女同士も、女と男も。別れた妻についていった娘と父とか、子どもを持たないままに離婚した主人公の姿とか、娘と馬が合わないけど孫娘とは馬が合うと言い切ってしまう中年女とか、、、。

なんというか、まぁ、人生、そういうもんだよね、って淡々と。

 

つまらないこと、かなしいこと、嫌なことがあっても、淡々と生きている。そして、生きていると楽しいこともある。ちょっと、恋の気分になってみたり、恋のつもりはないのに、ジェラシーを感じてみたり。

 

主人公たちが子供の頃に出会った場所が、カリフォルニアの日本人が集まるアパートメントだった、というところが、また、ちょっと、セツナイ。それぞれ、日本の学校に戻ってきたときに、辛い思いをする。英語の発音がいいことでイジメられちゃうとか、小学校にピアスをしていったらいきなり怒られたとか。

 

不寛容と寛容
そんな、言葉が読みながら頭の中でちらつく。

 

そして、音信不通になってしまった昔の友人を思い出してみたり、連絡がきて驚いてみたり。

 

しかし、目次を見てわかるように、なんというか、説明的なんだな。全体に。 

だいたい、本のタイトルも長すぎるだろ!って突っ込みたくなる・・・。

 

ふ~~ん、こういう作家さんがいるんだね。

微妙に、主人公たちの年齢が自分よりも年上(60代)というのも、そんなに心に染み入らなかった理由かもしれない。

 

なんというか、余韻がみじかいってことかな。私にとって、ちょっと物足りなさがあるのは。結婚に対する不満とか、子供に対する不満とか、、私にはまったく共感できないから、、、読んだ端から、すぅぅっと記憶から消えていく感じ。

 

でもね、昔の同級生が集まったときに、そこにいない同級生の話題で盛り上がる、あの何とも言えない、年寄り臭い盛りあがりというのか、、、話題が過去のことにかたよっていく中年の性、、みたいなのが、ちょっと向き合いたいたくない現実って感じで、痛かったのかもしれない。

 

思い出もいいけど、前向いて、いこうぜ!

ってね。

 

途中、数々の文化芸能の話題がでてくる。吉行淳之介もそうだし、能の話では白洲正子だとか、三島由紀夫だとか。かといって、その作品に興味が惹かれる、って感じでもなかったんだなぁ。

 

なんだか、不思議な作家さん。

拍子抜けって言うか、肩透かしっていうか、、、。

ま、こういうのも、あるよね。

 

 

『オリンピア』 by デニス・ボック

オリンピア
デニス・ボック
越前敏弥 訳
北烏山編集室
2023年12月15日 初版第1刷発行
OLYMPIA (1998)

 

本のプロの知り合いが、面白そうだよ、と教えてくれたので、図書館で借りて読んでみた。

 

本の紹介には、
” 記憶と鎮魂のファミリー・ヒストリー。 第二次世界大戦をきっかけにドイツからカナダへ移住した家族を描く連作短編集。静かで平和に見える一族の生と死が詩情豊かに語られる。点景としてのオリンピック、断片としての家族の歴史。”とある。

 

著者のデニス・ボックは、 1964年 生まれのドイツ系カナダ人作家。 オンタリオ州オークビル出身。 ウエスタン・ オンタリオ 大学で英文学と哲学を専攻。卒業後、さらに5年間マドリードで暮らす。 本作がデビュー作で、1998年の作品。最新作は、『The Good German』ヒトラーが暗殺された世界とその後を描いた歴史改変ディストピアで、本作と同様にドイツ系カナダ人たちの姿を描いているとのこと。

 

ドイツ系カナダ人という存在が、カナダでどのような社会的立場なのかを理解していないけれど、本作の主人公の両親は、子ども時代に直接第二次世界大戦を経験している、という設定。そして、カナダに移住している。

 

目次
結婚式
オリンピア
ゴーレム
ルビー
荒天
スペイン
マドリード上水道

 

感想。
なんだこれは??
なんだか、不思議な短編集だった。
面白いというのか、ディストピアではないけれど、淡々と生活が描かれる。しかも、悲惨な経験、悲しい経験、空しいような、、、。

途中で、空しくなって読むのを辞めようかと思ったけれど、なんだか気になる・・・。

そして、最後まで読んで、最後の「マドリード上水道」で、一気に盛り上がる!って感じ。あぁ、読んでよかった。


たしかに、短編集。だけれど、全ての話は、主人公ピーターにまつわるエトセトラ。

 

以下、ネタバレあり。

 

主人公のピーターには、5歳年下の妹・ルビーがいる。両親は、第二次世界大戦のあとに、カナダにやってきた。ドイツでは戦争の悲惨を経験している。父の両親、つまりピーターの父方の祖父母は、オーパ(ドイツ語でおじいちゃん)が元オリンピックのセーリング選手。オーマ( ドイツ語でおばあちゃん)が 元オリンピックの飛び込み選手。ピーターのお父さんもヨットを操り、ヨットを造ったりもする。一方で、母の家族は、戦争で極めて悲惨な経験をし、トラウマを抱えているうえ、マスタードガスの後遺症に苦しむ弟がいる。精神的にだけでなく、身体にも障害がのこっている叔父のウィリーは、うっかり湖におちたピーターを救ってくれる。そのことで、ピーターは何かを負ってしまったように感じる。なんとも微妙な心理描写。

 

父の家族と母の家族、それぞれの歴史が、ぽつりぽつりとでてくる。母方の家族は、みんなちょっと変わっている。戦争のトラウマがそうさせるのか。。。対照的に楽天的な父の家族。

 

それぞれの短編は、おおよそは時系列だけれど、ときには前後する。そして、様々な出来事は、オリンピックの年とリンクする。

 

1972年、ミュンヘンオリンピック。運動神経がすばらしく、体操の強化選手にまで選ばれたルビーだったけれど、13歳で、年齢が足りないということで、代表選手にはなれなかった。がっかりして元気をなくしたルビー。でも、ルビーの元気のなさの理由はオリンピックだけではなかった。白血病を発病してしまう。厳しい闘病生活が始まる。

 

その1972年の悲しみの前、1971年、祖父母が結婚式をやり直そうとして集まったパーティーでは、祖母がウエディングドレスのまま湖におちて、亡くなってしまう。本作は、その悲惨な「結婚式」の話から始まる。

 

加えて、1972年のミュンヘンオリンピックは、パレスチナ武装組織によって起こされたテロで、イスラエルの選手やコーチ、11人が亡くなるという悲劇がおきたことも語られる。血塗られたオリンピック・・・。

 

1976年、モントリオールオリンピック。せっかくカナダで開催されたオリンピックなのに、ルビーは闘病している。

 

1980年、モスクワオリンピック。そのころには、白血病を克服したかにみえたルビーだったけれど、再発。。。亡くなってしまう。しかも、、、ピーターから骨髄移植を受けたのちに。HLA(ヒト白血球抗原)がルビーとほぼ同じ型だとわかって移植したのだけれど、移植から一か月後、拒絶反応が起こり、ルビーは亡くなってしまう。

 

ぼくの与えたものがルビーを殺そうとしていた。

そして、、、死んでしまう。。。

 

ルビーを亡くして、変わってしまう母。ピーターも、かわってしまった。。。父も、、、。

 

父は、竜巻観察を趣味とするようになり、ピーターと一緒に竜巻がくると勇んでみに行った。それは、命知らずな、向こう見ずな遊び。ある日の竜巻予報に、ピーターを呼び出して、いっしょに竜巻見学へ行く父。命の危機にさらされながらも、嬉々としている二人、、、。二人が自宅に戻ると、愛想をつかした母は出て行った後だった。家の窓ガラスは割られ、食器類はめちゃくちゃ。でも、割れたガラスは家の外に広がっている。竜巻ではなく、母のしたことだった・・・。

 

そして、スペインに引っ越したピーターの恋愛話。女の子を二股にかけているのか、、、しょうもない29歳のピーター。

 

最後は、マドリッドでのピーターの結婚式。1992年、バルセロナオリンピックの年。物語にでてきた年代と年齢を計算すると、ピーターは34歳くらい。結婚相手のヌリアの祖父も、元ヨットの選手だったとういうことで盛り上がる家族たち。
そこには、ピーターの両親が揃っていた。出ていった母は、父のもとに戻っていた。

 

みんなで歌を歌う。

子供の頃に父が歌っていた歌を、ピーターの結婚式でみんなで歌う。

その歌声が、幻影や亡霊のように死者たちを超えていく。。。

 

ピーターは、ここが自分の場所だと確信する。愛しい人達と共にいるこの場所が・・・。

 

最後だけ、明るく、楽しいい気持ちになれる。

このクライマックスのために、延々と暗く、空しい話が続いていたのか、、、。

 

なんとも、不思議なお話だった。

そして、それぞれの家族、それぞれの人、なにもかもがそれぞれなのだと、、、。

 

234ページの単行本。ちょっと、縦に長い。なぜか下のマージンが大きい。

わりと、あっという間に読める一冊。

 

途中、ドキッとするピーターの言葉がでてくる。

”両親と祖父母は、かつては遥か遠方に住んでいた。オリンピックの国ドイツ。けれどぼくたちは、それがとんでもない犯罪国家であり、先史時代のぬかるみでもがきつづける愚かな野獣だと知った。”

そして、ドイツ語で両親から話しかけられて意味が分かっていても、英語しか話そうとしない子供達。でも、気が付けば、オーパ、オーマとドイツ語を話している子供達。移民の子供の微妙な感情が、せつない。

 

言語は、文化である。その文化を拒否する子供達。。。

 

普通に短編集のようでいて、実はとても深いことを語っているような気もする。移民、文化、医療、、、、。

そして、自分の居場所がここではないと感じる不安。

最後にピーターがみつけた自分の場所。

 

意外と、深い。

不思議な本でした。

しみじみ、あとからじんわり、色々なことを思う。

 

あー、いい本だ。 そう思う。

再読すると、もっと深く感じるような気がする。

 

うん、読書は楽しい。