10年で変わったこと

はてなブログ10周年特別お題「10年で変わったこと・変わらなかったこと

 

2021年10月。

10年前が、2011年10月。

震災後から変わったことは何か。

 

社会は、大きく変わっただろう。

震災で、多くの人が生きることの意味を考えるとか、省エネを考えるとか、、、10年たって薄くなってしまっていることもあるかもしれないけれど、2019年末からの新型コロナウィルスの世界的感染拡大も、働き方を変えるきっかけになってきた。

外部要因によって、外部環境の変化によって個々の生活がかわり、社会が変わる。それは、いつの時代でもそうだ。

 

私は?

何が変わったか?

 

一番大きく変わった生活環境は、サラリーマン生活を辞めたこと。

 

2020年6月末をもって、30年間のサラリーマン生活に終止符を打った。

従来から、定年退職より前に55歳位で会社を辞めて、死ぬまで続けられる仕事にシフトしたいと思っていたけれど、予定よりちょっと早く、51歳でやめることを決めた。ただ、このタイミングでやめることになったのは、会社が条件のよい早期退職者募集をしたからであって、ある意味、外部要因が後押ししてくれた。

 

自分が成長したとか、変わったとか思っても、ほとんどのことは外部からの何きっかけがあるものだ。

学校が変われば、友達が変わる。

会社が変われば、同僚が変わる。

同じ会社にいても、異動して部署が変われば、上司も同僚も仕事も変わる。

そして、会社にいるということは、その変化は基本的に外からの力だ。

たとえ、自分で異動希望をだしていようと、実際にそれを可能にするのは組織の承認があってからだ。

 

ということで、サラリーマンを辞めるという事は、そういう会社から提供される偶然?の出会いを手放す、という事なのだ。

 

サラリーマンを辞めて、代わりに手に入れた自由というのは、自分で考えて自分で選択し自分で決断する、そういう自由だ。

自分の資本をどう使うか。

自分の時間をどう使うか。

 

10年を振り返ってみれば、サラリーマンの間に通勤場所が変わった。同じ首都圏内だったので、引っ越しの必要はない。でも、通勤時間をできるだけ短くしたかったので、それに合わせて、住む場所を変えようと思った。

でも、しなかった。

やはり、東京都中央区の地代は高すぎる。家賃が高すぎる、、、。

お金と時間と、どっちをとるか、、、、。

従来と同じ家賃なら、広さは半分以下。

料理が趣味な私には、ワンルームのなんちゃってキッチンは耐えられない。

 

その時、思った。

生活って、仕事だけではない。

通勤時間を有効活用するということで、妥協しよう。

 

結果的に、現在は、それなりに快適な空間で生活している。

狭いところへ引っ越すという選択をしなくてよかった、と思っている。

まぁ、そのうち、もっと狭くて、モノを少なくした暮らしにしてもよいと思っているけど。

 

どう変わったかというより、何が私を変えたか?を振り返ってみると、やっぱり、それは、人との出会いと、色々な経験だ。

 

今、頻繁に交流している人たちの多くは、10年前には、出あっていなかった人たちだ。

そう考えると、社外の人との交流が増えたことで、人とのつながりが、いる意味、芋づる式に広がった。

 

思い返してみると、面白い。

ある一つのきっかけで、今では当たり前のように付き合っている仲間とのつながりができたのだ。

 

坐禅に行くようになったのも、ワインの資格を取ろうと思ったのも、会社を辞めて何かを始めようと思ったのも、きっかけになっている一つの経験がある。

それは、会社がもたらしてくれたきっかけだった。

そんなこと、忘れていた。

 

サラーリンマンをしていても、やっぱり、良いこともたくさんある。

そういう事だな、と思った。

 

変わろうとなんて思わなくても、何かに挑戦していると、人は勝手に変わっていくものだ。

 

日日是好日

 

これからも、毎日を大切にしよう。

ただ、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秘密にしてとは、言っていないけど

時々、不思議に思う事がある。

 

夫婦というのは、何でもかんでも共有するのだろうか?

物のことを言っているのではない。

情報、人の話、、のことだ。

 

たとえば、外で友人との会話ででてきたことを、自宅に帰って旦那に話すということには、一般的な夫婦は、何の躊躇もないのだろうか?

 

例えば、私(女)が、友人A(女)に、個人的な恋の悩みを話したとしよう、、、。

恋の話というのが、ちょっと現実離れしているから、親の介護の話、、とでもしておくか。。。

 

それを、後日、友人Aの旦那(男)から、「介護で大変だね」と言われたとする。私は、Aの旦那のこともよく知っていて、私とA夫妻がよく知っている仲だとしても、私にはちょっと不思議なのである。

あ、A(妻)が、A(夫)に話したんだな、と、流れはわかる。

 

内容にもよりけりだけど、誰かと会話するのに、いい年して

「内緒のはなしなんだけど」とか、「秘密にしてほしいんだけど」とか言わない。

大人の良識として、ペラペラしゃべったりはしないだろう、と思うから。

 

 

でも、きっと、夫婦の会話として、「○○さんが、お父さんの介護で大変なんだって」みたいな会話は、普通なのだろう。

まぁ、特に、介護の話は、別に良いとして、なんでもかんでも共有するのはどうなのか??と、思ったりするのである。

 

たとえば、本人にとってそんなに喜ばしくない話。

失敗、失恋、降格、、、、。

夫婦ともによく知る仲なら、それとなく、共有しておいてもらった方が楽なこともあるかもしれない。

逆に、まったく知らない配偶者なら、どうでもいいかもしれない。

 

でも、夫婦だからって、何でもかんでも共有するものなのかなぁ、、、って、

時々不思議に思う。

 

夫婦の間には、秘密は無い方が、当たり前なのか?あるいは、夫婦より、恋人同士の方が、秘密を無くしたがるのか?

 

秘密が無いのが、仲良しなことなのか?

 

まぁ、人それぞれで、良いのだが、、、

人は、誰でも人に話さないことが、あるものではないか、、、と、思う。

 

共有するのは、信頼の証拠でもある。

黙っているのが、優しさであることもある。

と、そんなことを思った。。

 

何でもかんでも、家族であっても、話さなくてもいいこともある、、、。

 

LISTENのなかで、相手はなぜその話を自分にするのかを考えて話を聞け、、、というレッスンが出てきたけど、自分はなぜこの話をこの人にするのか?を考えることが、必要なこともあるな、、、と、思った。

https://megureca.hatenablog.com/entry/2021/10/11/085146

 

沈黙が金のことも、あると思う。

それでいい。

語るのが金のことも、あると思う。

それでいい。

 

にぎやかも好きだけど、黙っていても、幸せな時間も、好きだ。

 

それでいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「聡乃学習(サトスナワチワザヲナラウ)」  by  小林聡美

「聡乃学習(サトスナワチワザヲナラウ)」

小林聡美

2019年11月25日 第一刷発行

幻冬舎

 

ちょっと、のんびりした気分になりたくて、図書館で随筆・エッセイのコーナーを物色。明るい色合いの背表紙に惹かれ、小林聡美の一冊を手にしてみた。

 

小林聡美さん、1965年、東京生まれ。女優。

著書もいくつかある。

でもやはり、あの独特の空気感の女優としての小林聡美さんが大好きだ。

私の中では、『かもめ食堂』が秀逸!大好きだ。何度見たかわからないくらい、何度も見返した映画。

最初に、小林さんを好きになったのは、フジテレビのドラマ、「やっぱり猫が好き」。バブル経済の真っ只中、ちょっと変わった三姉妹の日常生活のコメディ。このときから、もたいまさこさんと小林さんのコンビは、最高だった。加えて、室井滋がいたのが「やっぱり猫が好き」。

かもめ食堂も、小林聡美もたいまさこさん。そこに、片桐はいりさんの強烈なキャラ。好きだなぁ。

 

で、だいぶ脱線したけれど、「聡乃学習」、ほのぼのと、のんびりと読めた。

息抜きの一冊って感じ。

どうってことのない、日常のエッセイだ。

50歳を過ぎて、すこしずつ、身体にガタが来るのを感じつつ、若者と交わり、自分の身体と向き合い、新たな挑戦を続ける小林さん。かわいらしい感じ。

すごい、美人さん、という感じではないけれど(失礼!)いい感じのナチュラル感というか、良い人ぶらない感じが好きだ。

 

「生易しい田舎暮らし」というタイトルのエッセイの中で、自然に向き合って暮らす人への尊敬の気持ちが記されている。

フィンランドの画家であり、作家であるトーべ・ヤンソンムーミンの作家だ。彼女は、ヘルシンキの東、クルーヴハル島というところで、毎年夏を家族や友人と暮らしていたらしい。そこは、水道も電気もない、、、そんな場所だったらしい。フィンランドなら、美しい自然の森がやまほどあるに、なぜか、小さな島を選んだ。12畳ほどの小屋。海は穏やかな日もあれば、荒れ狂う日もある。どんなことを考えて過ごしたのだろう、、、と思いをはせる。

「ノンちゃん雲に乗る」の作者である石井桃子さんも、1945年に東京を離れて、宮城県にうつり、開拓して農業や酪農を始めたらしい。自給自足の生活。

この二人の女性は、自然と真剣勝負をしたという事が共通。そして、二人とも児童文学の世界で活躍し、かつ、生涯独身だったそうだ。

男性の手助けに頼らず、自然のなかで暮らしていく。精一杯、のびのびと生きていた二人。毎日が真剣勝負で、愉快で豪快で優しい。そんな二人を本当にすごい、とたたえる小林さん。

うん、私もそう思う。

 

児童文学と生涯独身の女性というと、不思議の国のアリスルイス・キャロルもそうだ。なにか、共通するものがあるのだろうか。。。

megureca.hatenablog.com

 

 

 

「五十を過ぎたら順不同」というタイトル。

五十を過ぎたら、先輩も後輩もないから、先輩を気にせず大いにやりたまえ!、という事かと思ったら、「五十を過ぎたら、倒れる順番は関係ない。用心用心。」ということだった、というエッセイ。

 

若いころ、20代のころは50代の人は、超年寄り、、、に見えたものだ。

エッセイの中にに、50歳で召された人たちの名前が並ぶ。

スティーブ・マックイーン、マイケルジャクソン、グレース・ケリー

美空ひばり石原裕次郎三波伸介は、52歳。

おやまぁ、、、私より若いのか。。。

これは、結構衝撃だ。。。。

 

美空ひばりなんて、当時の私にとってはおばちゃんの代名詞だったのに、、、今の私と変わらない・・・。

 

たしかに、40過ぎたら、心筋梗塞も、脳梗塞も、いつ起きてもおかしくない、、、、。

気を付けないとね。。。。

健康第一だ。

 

小林聡美さんは、今は独身だが、かつては三谷幸喜と結婚されていた。1995年の結婚当時、「みんなが遊びに来るような明るい家庭には、あこがれません。二人だけの世界を楽しむ家庭をつくりたいです。」みたいなことをおっしゃっていて、最高!とおもった。

 

いまは、猫との暮らし。

それもいいなぁ、と思う。

 

独身になっても、やはり、小林さんは小林さんの魅力だ。べつに、配偶者がいるかどうかで魅力が変わるような人ではないという事なのだと思う。

 

一人の人として、自立して生きている感じが好きだ。

しかも、ガツガツした感じがしない。

かもめ食堂』を地でいっているかんじ。

『パンとスープとネコ日和』も、そのまんまな感じ。

 

で、「学習」というのがタイトルなのがまたいい。

ガツガツしないけど、なにかに挑戦し続けている人の代表のような感じ。

いいなぁ。

私も、のんびりと、頑張ろうと思う。

 

それにしても、米原万里さん、佐藤優さん、養老孟子さん、、、なぜ、文筆家、女優、、、みんな猫がこんなに好きなのだろう。

私も、好きだけど、飼ったことはない。

動物は、死んじゃったらいやだし。

 

還暦すぎたら、飼ってみようかな、、、。

いや、人生100年で、自分より長生きしてくれることを望むのなら、飼うのは80歳を過ぎてからだな、、、。

犬は散歩が必要だけど、猫なら、80歳でも飼えるかな、、、。

なんて、思ったりして。

 

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禅の言葉 「無字の体と用」

今日、教えていただいた禅の言葉。

「無字の体と用」

臨済宗公案


「無門関(むもんかん)」第一則 禅の公案の基本
「無門関」の最初の公案

 

趙州(じょうしゅう)という和尚の公案
趙州和尚とは中国禅界での大物。南泉禅師の弟子で120歳まで生きたという傑僧古仏らしい。

 

趙州無字(じょうしゅうむじ)・・・・

 

趙州和尚、因みに僧問う、

「狗子(くし)に還(かえ)って仏性(ぶっしょう)有りや也(ま)た無(な)しや」。
 州(しゅう)云(いわ)く、『無(む)』」

 

狗子とは、犬のこと。
みすぼらしい犬がいた。それを見て弟子が和尚に聞いてみた。

 

釈迦は、万物に仏性がある、禅の心があるといったけれど、犬にも仏性があるのかないのでしょうか? このみすぼらしい犬にも仏性はあるのでしょうか?

 

お釈迦様なら、「ある」と答えそうなところを、趙州は、「ない」と答えた。

これについて答えなさい、というのがこの公案

 

論理で考えた「無」つまり「有無の無」ではなく、「無そのもの」ということを趙州は言った、ということ。

ここでいう、無を、「無の体」という。

 

禅では、「体」という言葉と「用」という言葉を使う。
「体」というのは、事の本質、本体。
「用」というのは、働き。

 

無の「体」とは、むーーーーーーーーーーーー。なにもなーーーーーーい。

 

無の「用」とは、
”要行便行 要坐便坐
行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐す 
立つときは立つ、坐るときは坐る 自由自在”

歩こうと思うときには、歩く。
坐ろうと思うときには、坐る。
寝ようと思うときには、寝る。
仕事をしようと思うときは、仕事をする。

自由自在に、働く。


犬は、有無の無を越えた、無。そのままである。

と、そういうこと。
と言われても、さっぱり?!?!だった。
公案の最初の一文、ということで、修行の第一歩の公案
深い深い、意味があるのだと思う。

 

今日の私には、「無」には、「無の体」と「無の用」がある、というところまで。。。
それより先の深みは、わからない。考えなさい、という事なのだと思う。。。

 

わからないけど、「体」と「用」という考え方が、面白いな、と思った。


物には、物体としての「価値」があるけれど、それをどう使うかという「使用価値」がある、という、資本論の考え方がふと頭に浮かんだ。
というか、そういう資本論の考え方が、実は、禅の考え方なのかもしれない。

 

身近で言えば、「貨幣」。
一万円札だって、「ブツ」としてはただ精巧な印刷がある紙っ切れ。
それを人は一万円の価値のものと交換できる価値がある、使用価値がある、と信じているから流通する。

「使用価値」は人によって異なる。
一万円だって、食費になったり、書籍代になったり、あるいは寄付金になったり。
でも、その価値は、食うなら食う、読むなら読む、手放すなら手放す、、、。それぞれ。

 

「無」の価値。
禅においては、価値の有り無しをいうことではないのかもしれない。

価値ではなく、働き。

「無」の働き。

 

自由自在に、働く。
それに集中して、働く。
集中する。

マインドフルネス。

 

マルチタスクは効率がいいなんて、ほんとはウソだ。
やっぱり、限りある時間は、それぞれ一つのことに集中したほうがいい。

 

ながら〇〇は、やめよう。
未練がましく、何かを心に残しながら、次のことに取り組むのはやめよう。
いま、ここにある、これに、集中しよう。

 

今朝のMegの頭の中は、無字の体と用とは、ちょっと違うところへ飛んでしまったかもしれないけど、ま、これもこれ。

集中する、を思い出した、ということで良いことにしよう。

よし、今日は集中しよう!

坐禅の最中は、集中してなかったけど、、、、、。

 

 

「体験」が意味を持つとき Connecting the dots

「宇宙からの帰還」を読んでいて、ハッとする文章があった。

 

megureca.hatenablog.com

 

"別に宇宙体験に限ったことではないが、体験はすべて時間とともに成熟していくものである。とりわけそれが重要で劇的な体験であればあるほど、それを体験しているまさにその瞬間においては、体験の流れの中に身をゆだねる意外に時間的余裕も意識的余裕もないから、その体験の内容含意をつかむことができるのは、事後の反省と反芻を得てからになる。”

 

これは、立花さんの文章だ。

 

この文章が出てきたきっかけは、アポロ9号の宇宙飛行士であったラッセル・シュワイカートへのインタビュー。

シュワイカートは、宇宙から戻って8年後ある時、「宇宙船地球号」の概念を提唱した数学者であり建築家・思想家のバックミンスター・フラーと対談の機会を得た。そして、その対談の合間に、フラーがサラサラと走り書きした詩をシュワイカートに渡した。

 

Environment to each must be

"All that is, exceptomg me."

Universe in turn must be

"All that is including me."

The only difference between environment and universe is me.........

The observer, doer, thinker, lover, enjoyer

 

それぞれの人にとって環境とは

「私を除いて存在する全て」

であるにちがいない。

それに対して宇宙は

「私を含んで存在する全て」

であるにちがいない。

環境と宇宙の間のたった一つの違いは、私、、、

見る人、為す人、考える人、愛する人、受ける人である私

 

シュワイカートは、目を開かれた思いがしたという。

宇宙からもどって、8年目。

この詩によって、自分の8年前の宇宙体験をより掘り下げることが出来たのだという。

 

そして立花さんは、

”どんな体験でも体験者を少しは変えずにはおかない。
取りに足りない体験は取るに足りないくらいに、小さな体験は小さく、大きな体験は大きく、その人を変える。といっても体験の価値的対象は主観的判断だから、ある人には取るに足りない体験に過ぎないものが、別の人にはその生涯を変えるような大きな体験になると言うことも、またその逆もしばしばある。

いずれにしろ潜在意識下で始まった変化が、当人が気づかずにはいられないくらい大きくなったときに、人はそれをもたらした体験の内的意味を解釈しようとして、意識的な反省を始める。それがどれだけ成功するかは、もっぱらその人の内省能力に関わる問題だ。”

と続けている。

 

経験している最中は、気がつかない。

そこに、どんな意味があるのか。

ある時、点と点がつながる。

 

スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の伝説のスピーチで言っていたのも同じようなことかもしれない。

Connecting the dots

未来でつながる点と点。

 

「宇宙からの帰還」が、出版されたの1983年。立花さんは1940年生まれだから、この時43歳。うむ。確かに、そいういう事に気が付くのって、40を過ぎてからかもしれない。でも、43歳は早い!

 

スティーブ・ジョブズは、1955年生まれ。スタンフォード大学の卒業式で語ったのが2005年。50歳。

 

若い人たちに、”どんな経験も絶対無駄にはならないから”、と言うようになるのは、きっとそれを自分で自覚してからだ。

若いときに言われても、やはり、そんなこといったって、、、、と思ってたし、そういうものだ。

 

経験しないと、わからないものは、やっぱりある。

何が、人生を変えるほどの経験になるかは、その人によって違うから、自分と同じ経験を押し付ける必要もなければ、薦める必要もない。

ただ、その人が何かを経験できる機会を提供する。それでいいのだと思う。

機会をえられるように、支援する。

それでいいのだと思う。

 

ひるがえって、自分にとっての、人生を変えるほどの経験はなんだったか。

とくに、人生が激変した、とは自分では思わないものだけれど、たしかに、10年、20年前の自分は、今の自分とは違う。

でも、自分の続きの自分ではある。

 

少しずつ、点と点がつながる経験を重ねて、線がつながっていく。

それがどれだけ成功するかは、もっぱらその人の内省能力に関わる問題だ。

時間がかかってもいいから、やっぱり、内省しよう。

 

内省して、内省して、繰り返して、繰り返して、堂々巡りして、、

進んでいないようだけど、確実に毎日、歳はとる。

何かの経験は重ねる。

50も過ぎれば、はたから見れば、後退していくこともある。

でも、代わりに何かが前進しているような気がする。

 

体験に意味があるという事に、気づく体験。

それが、50を過ぎての楽しみかもしれない。

 

内省する時間、たちどまる時間も、時には大切だ。

たまには、立ち止まって考えよう。

 

 

 

 

 

 

「宇宙からの帰還」 by 立花隆

「宇宙からの帰還」
立花隆
昭和58年1月20日初版  (1983年)
中央公論社

 

今年、2021年4月30日、立花さんが亡くなってしまった直後、立花さんの本で、読んだことのないものを読みたくなって図書館で予約した。ほぼ半年かかって順番が回ってきた。1983年、四半世紀以上も前の本だというのに。きっと、他の人たちも、立花さんの訃報をきいて、読みたくなったのではないだろうか。書籍というのは、自分がいなくなってからも、人に何かを伝えられる、すごいものだ。

 

「宇宙からの帰還」は、NASAの宇宙飛行士たちへのインタビューをまとめた本である。

1961年、ソ連ガガーリンが初めて地球を一周した。そして、「地球は青かった」という言葉を残す。

ソ連に先を越されて、国を挙げての宇宙開発に取り組んだアメリカ。1962年、アメリカもジョン・グレンが地球周回を成し遂げる。ソ連アメリカとの競い合いが、開発のスピードを促進する材料の一つだったのは間違いない。当時の宇宙開発は、民間ビジネスではなく、間違いなく政治の一つであり、政府資本で行われていた。クック船長が民間機で、史上最高年齢、90歳で地球を数分間離れるのとはわけが違う。

 

本書が出版された1983年当時は、まだ宇宙へいったことがある人は100人ちょっとだった。日本人が初めて宇宙へいったのは1990年。私の子供のころは、宇宙へ行くのは、夢のまた夢。それでも、いつかNASAで働いてみたいと思ったものだ。民間の海外旅行も一般的になりつつあった時代。行ってみたいところは?と聞かれれば、月か火星、と半分本気でこたえていた。

 

立花さんの本らしく、宇宙飛行士へのインタビュー本文に入る前に、宇宙についての科学的説明がされている。

宇宙へ行った宇宙飛行士ですら、地球環境の外には出ていない、、、。つまり、宇宙船と宇宙服の中に地球環境を閉じ込めて宇宙へいったということ。
あぁ、確かにそうだ。

宇宙には大気はない。酸素がない。大気がないから、熱も維持されない。酸素がないと人間や動物は生きていけない。だから、酸素をもっていくんだ、というのはわかる。立花さんに説明されて、改めて思ったのは、気圧も重要ということ。
人間は、外気から取り込んだ空気から、肺の肺胞を通じて、血液中へ酸素を取り込むことで、呼吸ができる。だが、この酸素を取り込む過程は、圧力でもって酸素や二酸化炭素が細胞膜を通過するので、圧力がないと、酸素が取り込めないのだ。そうだ、そうだった。コロナで有名になった、ECMO(エクモ)は、圧力調整の一つともいえる。


そして、環境の圧力が下がると、沸点が下がる。沸点降下だ。高い山でお湯を沸かしても100℃にまで到達しないから、カップラーメンは作れない、、、ということは一般にも知られているかもしれない。生煮えの麺になってしまう。バリカタ好きならいいかも?!

 

高度2万mともなると、気圧は40ミリバール。現在で言うところの40hPa。それはもう、人が生きていける気圧ではない。48hPaでは、血液が沸騰する。体液が沸騰する。。。ひゃぁ~~~怖い。

ということで、アポロ宇宙船では、約260hPaに気圧が保たれていたそうだ。

ちなみに、今では宇宙船の中は1気圧(1013hPa)で、船外活動するときの宇宙服の中は0.3気圧になるように、時間をかけて調整するそうだ。気圧を変えるとともに、酸素濃度も変える。大気中の酸素は約21%。0.3気圧の時は、100%酸素にする。詳細説明は省くけれど、分圧の問題で、気圧を下げた分、濃度をあげる。

 

次に、地球の大気の役割が説明される。地球温暖化が社会問題となっている今だから、「温室効果ガス」という言葉が一般的になった。そして、なぜ二酸化炭素やメタンが増えると、地球温暖化が起こるのか、ということも一般的に説明されるようになっている。でも、何より大気の重要な役割は、地球を大気のブランケットで包んであげることによって、熱の宇宙への放出を抑制する、ということだ。つまり、熱の平準化作用。大気がなければ、太陽の陽が届かない夜間には、地球の熱はどんどん宇宙へ放出されてしまい、とても生き物が生きることができない寒冷地獄になってしまう。逆に、昼間は、灼熱地獄、そしてDNAを破壊するほど強力な紫外線が地球へ降り注ぐ。私たちは、大気に守られて地球の表面で、ちょこっと生きているに過ぎない。

 

大気が無い月は、昼間は130℃、夜間は-140℃だという。では、そんなところへ、どうやって宇宙飛行士は月面着陸したのか??

これも、言われないと忘れていたけれど、月は自転しながら地球の周りをまわっている。つまり、、、月の1日は、地球の約27日。地球にとっての2日間の月の滞在は、月にとっての数時間、、、ということなのだ。

宇宙のことを、久しぶりに客観的に見た気がする。

宇宙から見れば、宇宙船地球号。大気に守られた一つの宇宙船のようなものなのだ。


宇宙へいった宇宙飛行士へのインタビュー。宇宙飛行士は、帰還すれば、当然様々なインタビューを受ける。でも、それは主に技術的なことであったり、身体的なことであったりして、内省、心の変化をインタビューとしてまとめられたのは、どうやらこの本が初めてのようだ。

宇宙を体験すると、前と同じ人間ではありえない。
と、ある人は言っている。

だれでも、なにか大きな体験をして、人生が大きく変わることがある。
その大きな体験が、宇宙だったら、、、。
確かにそうだろう。

 

宇宙飛行士に言わせれば、同じ宇宙と言っても、地球を周回したということと、月へ降りたということは、まったく世界が違う、という。
地球周回で見る地球は、大きなボールのような地球。月からみる地球は、小さいビー玉のような地球。それは、まったく、違う世界だと。。。

 

本書の中では、宇宙から戻った後、さまざまな道を歩んだ宇宙飛行士のインタビューが紹介される。

宇宙で神と出会い、宗教的活動に進む人。
すべての目的を失い、精神病院に通うことになった人。
元宇宙飛行士、という輝かしい肩書を、政治の世界で活用する人、ビジネスの世界で活用する人。
地球上で諸国が展開している争いがいかにバカげているかにきがついて、ネイションステイトの意味を見出せなくなった人。


まぁ、、、色々なその後人生があったのだと、とても興味深い。

 

アメリカ人にとっての、神、宗教との関係を理解していないと、なかなか彼らの言葉をとらえることは難しい気がする。立花さんは、わかっている。

立花さんは、アメリカ人にとって「リベラルになる」というのは、政治的自由ということだけでなく、宗教的自由になるということ、という。宗教と政治が切り離せないアメリカという国を理解するのに、とても的を得た表現だ。宗教的に比較的自由である日本人には、瞬時には思いが及びにくい。


そして、同じキリスト教でも、アメリカ人にとって信仰は何か?ときかれるのは、キリスト教とかユダヤ教とか、カトリックとかプロテスタントとか、そんなことではなく、もっとその先の宗派のことを言っているのだと。21世紀の今、少しかわってきているかもしないけれど、基本はそこにある。

 

宇宙飛行士の本だったけれど、地球の物理的な性質、アメリカ人の宗教観、それを復習する一冊だった気がする。 

 

立花さんの本は、ファクトがきちんと説明されているので、勉強になる。こういう文章、あこがれる。もっと、読みたくなった。

 

読書は楽しい。

 

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民主主義とは、参加すること  

民主主義とは、参加すること

これは、六本木アートカレッジの講演で、ヤマザキマリさんが語っていた言葉。

うん、そうだと思う。

 


先日、自宅のポストに「これはチラシではありません」というチラシ??が入っていた。
日本維新の会の冊子だった。

 

普段だと、マンションのポストの横に置いてある、「不要なチラシ用ゴミ箱」に、ポイなのだが、その裏表紙に、巻末付録として、「あなたのタイプと推し政党」というYes/Noチャートが付いていた。

 

先日、2021年10月14日に衆院(The Lower House)が解散されて、明日、19日から衆院選の選挙運動期間が始まる。投開票日は31日。10月最後の日曜日。解散から投開票までわずか17日という。報道によると、解散に伴う衆院選としては、1983年の中曽根内閣のときを抜いて、選挙運動期間が最も短くなるということらしい。

 

ヤマザキマリさんが「民主主義とは参加すること」と言っていた言葉が、頭に残っているので、脱サラして初めての国政選挙、真面目に投票しに行こうという気になっている。

で、そのために、このYes/Noチャートは、一つの検討材料になりそうだと思ったので、捨てずに自宅まで持って帰ってきた。

 

真面目なのか、ふざけているのかわからないけれど、シンプルなチャートだった。

チャートは、以下の通り。

 

スタート
Q1:政治の失敗で税金が高くなったり住民サービスが下がっても構わない。 
Q1 → YES 投票行かない派
 「投票に行かないということは、誰がどんな政治をしても文句は言わないという意思表示になってしまいます。自分を支持政党がない方は、このチャートを活用して是非自分の推し政党を探してみてください。」


Q1 → No → Q2へ

Q2:今の政治が今後も続けばいいと思う
Q2 → YES 政権与党派
 「今の政治に満足しているあなたは、政権与党派です。自民党公明党に投票することで今の政治が続く方向に社会を後押しすることができます。推し! 自民党 公明党

 

Q2 → No → Q3へ

Q3:今の政治が良くないのは前向きな議論をしない野党側にも責任がある。
Q3 → No 対立野党派
 「野党の仕事は権力の監視と考えるあなたは、対立野党派です。既存の野党を応援することで与党に緊張感を持たせることができます。推し! 立憲民主党 共産党 など 」

 

Q3 → Yes → Q4へ

Q4:時代に合わせて制度を変えるのは当たり前だ
Q4 → Yes 改革推進派
「 社会が変われば、制度も変えるのが当たり前と考えるあなたは、改革推進派です。古い制度を時代に合わせて作り直すことで、日本をより暮らしやすく変えることができます。イチ推し! 日本維新の会

Q4 → NO こだわり派かも
「 制度を変えなくても…と独自の案を掲げるあなたはこだわり派かもしれません。多様な意見も民主主義にとってとても大切です。


とまぁ、こんなチャートだった。

 

こんなに簡単に支持政党が選べるわけはないし、質問も恣意的である。でも、割とシンプルにできているなぁ、と感心した。
分かりやすいと言えばわかりやすい。

 

個別の政策をひとつずつあげれば、自分の理想と100%一致する政治家・政党というのはなかなか存在しがたいだろう。

それでも、今の選挙の仕組みで言えば、小選挙区選挙でも比例代表選挙でも、私たち国民は個別政策に投票するのではなく、代表を選ぶわけだ。

できるだけ、自分の理想とする社会に近い社会を目指そうとしている人・政党を選ぶことになる。

 

経済政策、コロナ対策、子育て支援、雇用対策、税制、、、、、色々な課題、政策論点があると思うけれど、人によって、その優先順位も違う。

自分の理想とする社会がどういうものかを考えるところから始めないと、選挙にいっても迷ってしまうだろう。

 

選挙というのは、もちろんその結果としてどこの政党が主力勢力になるのかというは大事なのだが、それまでに、政治家がどのような論点に対して、どのような政策を掲げるのかを討議しあって、国民はそのプロセスを観ることができる、そういう事が大切な気がする。そして、自分自身は何を理想としているのかを考える機会とする。それが、選挙というものかもしれない。

 

前回の都知事選のように、選挙運動があったかないかもわからないような中で現職が再選、、て、民主主義としては残念だ。まぁ、コロナで街頭演説ができないとかいろいろあったと思うけど、充分な討議なしの選挙運動は、現職が優位に決まっている。

 

サラリーマンを辞めて、初の国政選挙投票の機会、これまでになく、真面目に選挙に向きあってみようかと思う。
サラリーマン時代は、自分が支払っている税金も社会保険料もあまり気にしていなかったし、ましてどの政党に投票するかも、そんなにまじめに考えていなかった。会社の労働組合が支持している政党に、ま、入れておくか、、、くらいな。。。。

 

サラリーマンを辞めるというのは、仕事の種類も働き方も自分で自由に選べるわけだけど、自由に選ぶことが出来るというのは、自分で責任をもって考えなくてはいけない、という事でもある。

 

ちょっと、考えてみようと思う。 

たちどまって考える、大切だ。

 

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