『歴史とは何か 新版』 by E.H.カー

歴史とは何か 新版
E.H.カー
近藤和彦 訳
岩波書店
2022年5月17日 第1刷発行 
2022年6月15日 第3刷発行

*1961年にケインブリッジ大学で行った6回の講義がもとになっている。

 

名著『歴史とは何か』。 図書館の特設の棚で見つけたので ちょっと気になった。 分厚いし 難しそうなので 読む気はなかったのだけれど、フア・シュー著『僕は裏切らない
アジア系アメリカ人の青春』で、殺されてしまったケンの遺品の中の『歴史とは何か』に書き込みがあるのをみつけたという一節があって、やっぱり、読んでみようという気になった。借りて読んでみた。

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表紙裏の袖には、
”歴史は現在と過去のあいだの対話である――。あまりにも有名なフレーズで知られる本書『歴史とは何か』は、連続講義がもとになっており、「 歴史家とその事実」「 社会と個人」「 歴史・科学・倫理」「 歴史における因果連関」「 進歩としての歴史」「 地平の広がり」という、歴史を考えるうえでもっとも重要な6テーマから成る。現在もなお歴史と歴史学の最良の入門書であり、古典的著作である。

著者のE. H. カー(1892-1982)は、生前に第2版を準備していたが、序文を完成させたのみに終わった。本書は、初版の本文、および「第2版への序文」を新たに訳出し、異版も参照して懇切な訳注や解説をつけ、残されたメモから未完の第2版の内容を呈示したR.W.デイヴィスによる覚書、晩年のカーによる自叙伝、略年譜などを加えて、全面的に 編集し直したものである。
達意の訳文によって、 知的刺激と笑いに満ちた名講義が、いま鮮やかに よみがえる。”
とある。

 

著者のE. H. カー(E. H. Carr)は、1892年生まれ。イギリスの歴史家・国際政治学者。ケインブリッジ大学卒業後、20年間の外務省勤務を経て、ウェールズ大学教授。第二次世界大戦中には、ザ・タイムズ紙の社説を執筆。1955年よりケインブリッジ大学トリニティ学寮上級フェロー(終身)としてライフワークの『ソヴィエト=ロシアの歴史』(全10巻)に取り組む。『危機の二十年――理想と現実』(岩波文庫)、『ロシア革命』(岩波現代文庫)をはじめ著書多数。

 

そうか、カーはロシアの歴史に詳しいから、佐藤優さんの本にたびたび登場するのか。

 

訳者の近藤和彦さんは、1947年生まれ。東京大学文学部西洋史学専修課程卒業。名古屋大学助教授、東京大学大学院教授、立正大学教授を経て、現在、東京大学名誉教授、王立歴史学会フェロー。専攻は、イギリス近世・近代史。著書に『民のモラル』(山川出版社、ちくま学芸文庫)、『文明の表象 英国』(山川出版社)、『イギリス史10講』(岩波新書)、『近世ヨーロッパ』(山川出版社・世界史リブレット)ほか多数。訳書に、トムスン/デイヴィス/ギンズブルグ他『歴史家たち』(編訳、名古屋大学出版会)ほか。

 

目次
はじめに(R.W.デイヴィス)
第二版への序文

第一講 歴史家とその事実
第二講 社会と個人
第三講 歴史・科学・倫理
第四講 歴史における因果連関
第五講 進歩としての歴史
第六講 地平の広がり

E.H.カー文書より――第二版のための草稿(R.W.デイヴィス)
自叙伝
補註
訳者解説
略年譜
索引

 

感想。
いやぁ、難しいけれど、面白かった。
本書が、「講義記録」だったということを知らなかったのだけれど、口語調で語られているところが、読みやすい。

 

第一講、二講、くらいまでは読みやすかったのだけれど、だんだんと内容が難しくなって、意味不明?になってくるなのだけれど、楽しい講義の様子が感じられる。時々、ユーモアある表現、あるいはブラックユーモア的な発言が盛り込まれ、(笑)の文字もある。あ、今のは、冗談ね、ってわかる。ユーモアが高度過ぎて、(笑)の文字が入っていなければ、私には「??」というところも、読み返して、あぁ、、、なるほど、、、、とわかる感じ。


学生のころは歴史嫌いだった私は、読んでみて初めてさまざまな書籍にでてくるカーの『歴史とは何か』の意味を感じることができた。あー、なるほど、古典的著書になるわけだ。

 

「歴史とは何か?」を真剣に考えたことはなかったけれど、第一講、第二講あたりは、「そりゃごもっとも」ということが出てくる。つまり、私が今朝、電子レンジでゆで卵をちょっとあっためようと思って、追加10秒で爆発させたという事件は歴史にはならず、著名な政治家が街頭演説中に生卵をぶつけられたという事件は歴史になるかもしれない、、、ということ。しかし、それもある日のニュースになったくらいでは歴史とは言わない。「生卵」の貴重性と割れた時の「屈辱」が、後の社会においても「驚くべきこと」として認識された時に、初めて歴史となる。

 

まぁ、卵のはなしは、今朝電子レンジを掃除しなくてはいけなくなった時に、「これは歴史にはのこらんなぁ、、、」と思った私がつくった事例だけれど、そんな感じ。

 

「現在の価値基準で過去を評価してはならない」というけれど、現在の価値で考える対象であるからこそ、「歴史」だということかもしれない。

 

へぇ、ほぉ、そうか!という話がたくさん出てくる。因果関係の話も面白い。第一次世界大戦が始まったのは、皇太子夫妻の暗殺が原因ではない。きっかけに過ぎない。つまり、何か一つの原因があるわけではないから、歴史なのだ。


注釈もふんだんで、そこに気を取られると文章の流れが途切れてしまうくらい。いやぁ、歴史って、積み重ねだ。

 

最後の訳者解説を読むと、専門家でも難しい本であるという感想が見えてきて、おもわずホッとする。 訳者解説の冒頭で、


「 歴史とは 歴史家とその事実の間の相互作用の絶え間ないプロセスであり、現在と過去の間の終わりのない対話なのです。」


「 過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、 現在は過去の光に照らされて初めて 十分に理解できるようになるのです。」


「 全ての歴史は『現代史』である。」


「 研究する前に歴史家を研究せよ。」


「 歴史とは 各国史を全て束ねたものとは別物である。」


と、有名なセンテンスが抜粋されている。そして最後の名セリフ


「それでも、世界は動く。」

 

難しいけれど、一度目を通してみるだけでも、世界観がかわる気がする。

わたしたちは、常に今の自分たちの価値で社会をみている。気づかないうちに。生まれた時からあるものを当たり前と思ってしまう。いやいや、今は、歴史の積み重ねの上にあるのだ。大きな歴史も、小さな個人の歴史も。

 

気になったところ、覚書。
・第2版への序文より(最初の出版にむけて準備をしていた1960年ころを振り返って):
”・・・・ ドイツと日本は1945年の全面的な崩壊から速やかに立ち直り、目覚ましい経済成長を遂げつつあった。 フランスは ドゴール(大統領1959-69)のもと、 元気を回復しつつあった。 合衆国では アイゼンハワー(大統領1953-61)時代は立ち枯れに終わり、 まもなく ケネディの希望の時代の暁であった。 南アフリカ、アイルランド、ベトナムといった問題地帯は、まだ泥沼化する前であった。
  こうした事情があったことはとにもかくにも、1961年の私の講演(出版も同年)の 終わりに表明した楽天観( オプティミズム)と 未来の確信の表向きの理由にはなった。 その後の20年間に、こうした希望と呑気はくじかれた。 冷戦が再発してその苛烈さは倍増し 核戦争による人類絶望の脅威が生じている。経済危機は遅れてきたぶん、さらにきびしく工業 諸国を荒廃させ、失業という癌腫を西洋社会に全身転移させている。・・・・”

 

この序文が書かれたのは1982年より前。90歳でもまだまだ次への意欲をもっていたカー。そして、混乱の時代はさらに混迷をふかめて21世紀に至っている。ここを読んだだけで、第2版が完成しなかったのが残念・・・。

 

・「事実は神聖、意見は自由」:リベラル派ジャーナリスト C・P・スコットの言葉。これを引用しつつ、
”ところがですね、これはうまくいかんのです。・・・カエサルがルビコン川を渡ったという事実と、この部屋の真ん中にテーブルがあるという事実が・・・・・・(中略)・・・・過去のすべてが歴史的事実というわけではない・・・・”

 

・「 歴史の書物とは、事実に基づいているとはいえ 厳密に言うとじつは事実などころか、むしろ、一連の承認されてきた判断に過ぎないのである。」:G・バラクラフ教授。

 

・「 歴史の事実とは、 歴史家がそれを創る前には存在しない。」: アメリカの歴史家 カール・ベッカ(1910年)

 

・歴史的事実は、「純粋なまま」でわたしたちのところにはやってこない。故に、
” 歴史書を手にして最初に関心を向けるべきは、その書物の中の事実よりも、その書物を著した歴史家その人なのです。”

 

・第2講 社会と個人:  ドストエフスキーの『悪霊』におけるキリーロフの話。
” キリーロフは自分の完全な自由を証すために自殺します。 自殺こそ、 個人に可能な行為のうち唯一完全に自由な行為であり、 他の行為はすべて、 何かしら社会の一員であることに関係してしまいます。”

 

・A・J・トインビー:『歴史の研究』の著者。カーも関与した 国際問題研究所の創設メンバーの一人だった。

 

・”・・・わたしの意図はただ、 歴史家の仕事がいかに自分の生きた社会を密接に反映しているかを示すだけなのです。・・・・・「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と語った哲学者が正しいのなら、同じ理由で同じ著者が書くとしても時が違えば 二つと同じ本は書けないというのも 真実でしょう”

まさか、カーが鴨長明『方丈記』から引用するなんて。ちょっと、感動。

 

・ ” 第1講では、「 歴史を研究する前に、歴史家を研究せよ」と申しましたが、今日はこれに「歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的・社会的環境を研究せよ」と追加いたします。

 

・”・・・ 同時代の社会と国に対して強力にラディカルに反逆したという点で、F・ニーチェ(1844-1900)ほどの人はほとんどいません。とはいえ、ニーチェはヨーロッパ 社会、 もっと特定すればドイツ社会の直接の産物であって、 中国やペルーでは生まれようもなかった逸材です。 ニーチェの同時代人には十分に認識されていなかったことですが、 彼の死後 1世代が経過してようやく、 ヨーロッパの、 特定すれば ドイツの社会諸力がどれだけ強くニーチェ 個人に体現されていたかが明らかになってきました。 ニーチェは同世代よりも後の世代にとって意味のある人物となりました。”

*F・ニーチェ(1844-1900):「神は死んだ」という言葉で知られる19世紀ドイツの哲学者であり、キリスト教的道徳やニヒリズム(虚無主義)を排し、自らの生を肯定して新たな価値を創造する「超人」思想を提唱した。

 

・” 過去は現在の光に照らされて初めて知覚できるようになり、 現在は過去の光に照らされて初めて 十分に理解できるようになるのです。”

 

・”歴史における進歩は、事実と価値観の間の相互依存、相互作用によって達成されるのです。 客観的な歴史家とは、この相互応酬のプロセスに深く入り込む歴史家のことです。”

 

・ ”私たちの歴史観には、私たちの社会観が反映しています。”

 

・第6講 地平の広がり: 理性の両義性について。
”・・・この望ましさの基準とは社会の容認する趣味や意見ということです。こうした キャンペーンはそれを推進する人々の集中にあって、 望ましい方向へとの個々のメンバー を型にはめ、 社会を型にはめるための、意識的で理性的なプロセスとなります。
  こうした 危険の派手な実例を他にもあげるなら、コマーシャル広告業と政治プロパガンダです。 広告業者と政治家の役割は 実にしばしば 重なります。・・・・・・あらゆる社会において、 支配集団は多少は強制的な手口を用いて大衆の意見をまとめ、制御していきます。この方法がほかよりたちが悪いのは、理性の乱用だからです。”


そして、むすびの言葉は
”この期におよびまして、わたしは激動の世界、陣痛の世界を望みつつ、あの偉大な科学者のよく知られた言葉でおこたえすることにいたします。
「それでも、世界は動く」”

 

ガリレオ・ガリレイの「It moves」。ソレデモ、チキュウハ、セカイハ、ウゴク動く。

うまいなぁ。
 

内容の面白さ、語りの楽しさ、それも1960年代のオプティミズムの社会だったからだともいえる。だからこそ、冷戦と核の脅威にさらされた1980年代に第二版を書きたかったのだろう。第二版も読んでみたかったな。


この新版は、分厚い単行本だけど、もとの清水幾太郎訳の岩波新書なら、蔵書にしてもいいかな、、、って思った。難しくても、一度カーの言葉に触れておくのって、大事かもしれない。やはり、お薦めの一冊。

 

 

 

『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか  土足禁止の精神史』  by 井上章一

日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 
土足禁止の精神史
井上章一 (いのうえ しょういち)
新潮選書
2026年7月25日 発行

 

日本経済新聞2026年8月8日の朝刊書評で紹介されていた本。

記事には、
”著者があとがきで認めているように表題はややミスリードを誘う。日本人が家で靴を脱ぐ起源に迫ってはいないし、家の中で靴を履かない理由を解き明かしてはくれない。「釣りタイトル」なのかと思われそうだが、中身は濃厚で問題提起は興味深い。ではどんな本なのか。

ハリウッド映画では役者が土足で家に入りベッドにさえ上がる様子が描かれる。それを見て「不潔な」と思う人は多いだろう。遡ること江戸時代。当時の日本人も日本に来た外交使節らが土足で屋内に踏み入ることにしばしば面食らった。本書は土足を厭(いと)わない側と厳禁とする側のせめぎ合いの500年の歴史を豊富な図版を示して説明する。

靴を脱ぐ脱がないの争いは、屋内と屋外の境界線を巡る争いでもある。かつて商店に入る際にも靴を脱いでいた。しかし、店の規模が大きくなるにつれ来客数も増え、入り口で靴を預かることが難しくなり、結果的に土足での入店を許すことになる。土足厳禁の境界が狭まってきた歴史も豊富な事例で記す。

明治維新以降の日本では西洋化が推し進められ、日本人は服装も住まいも西洋文化を取り入れた。それでも、家では靴を脱ぎ続けたのはなぜか。本書は風俗史に詳しい著者が土足厳禁を強固なまでに守り続ける日本人の心性に迫った本だといえる。”
とあった。

 

気になったので 図書館で借りて読んでみた。順番がまわってくるまでに2か月くらいまった。

 

裏の内容説明には、
”ベッドで靴を脱いだら叱られた! 異文化体験の深奥に迫る。
ブラジルの病院での意外な出来事をきっかけに、南蛮屏風や江戸・明治期の絵画、昭和の生活写真などを分析し、西洋では珍しい「室内で靴を脱ぐ」という習慣の文化的意味を掘り下げる。霊柩車、桂離宮、美人、京都など独自のテーマと視点に定評のある著者が、「われわれのこだわり」の隠された側面を明らかにする知的冒険の書!”
とある。

 

著者の井上さんは、1955(昭和30)年、京都市生れ。京都大学大学院修士課程修了。国際日本文化研究センター所長。『つくられた桂離宮神話』でサントリー学芸賞、『南蛮幻想─ユリシーズ伝説と安土城』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。専門の建築史・意匠論のほか、美人論、関西文化論など、幅広いジャンルにわたって、ユニークな視点で日本文化について執筆している。著書に『京都ぎらい』(2016年、新書大賞)『ふんどしニッポン』『関西人の正体』『ヤマトタケルの日本史』『阪神ファンとダイビング』などがある。

 

目次
まえがき──ベッドで靴をぬがないで

1 階層や地域をのりこえて
2 住まいの近代
3 南蛮時代のミサ聖祭
4 日本の風俗とむきあって
5 スリッパの使い道
6 スリッパをはいて庭へでる
7 オランダか中国か
8 ロシアの影
9 ブーツ、そして靴袋
10 ロシアから英米へ
11 万延元年、未知との遭遇
12 旅館へあがる時
13 家のなか、店のなか
14 伊勢神宮への不敬とは
15 占領期の床と靴
16 戦後のアメリカで
17 世界は靴を脱ぎだした
18 公共の場でも抵抗は
19 鉄道史から見えること
20 野外でも履き物をぬぐ場合
21 草履かスリッパか
22 階層社会の諸問題
23 舞踏会の住宅史
24 架空世界の靴生活
25 官憲にはゆるされて
26 ロイヤル・ファミリーの立場
27 補論・裸の場合は

あとがき
参考文献

 

感想。
はははは。おもしろい。
面白いけれど、記事にある通り、「なぜ?」にはせまっていなくて、次々と過去の写真、絵画、ポスターなどをもとに「何を履いているか?いないか?」を論じているので、次第に飽きてきた‥‥。けど、おもしろかった。

 

「まえがき」で紹介されるのは、ブラジルのリオデジャネイロで額から流血して、病院にいって縫ってもらったときのエピソード。傷口をよく見るために医師からベッドに横たわるように言われた著者は、靴をぬいでベッドに横たわったら、「どうしてそんなところで靴をぬぐのだ!」と叱られたという話。

なるほど、日本人の習慣だ。

 

それから、戦国時代以降、日本にやってきた宣教師が履物について戸惑ったであろう話、絵や写真から推察される意地でも靴を脱ぎたくなかった外国人の様子、西洋気取りで靴を履き続けた日本人、、、。あるいは、想像だけで描かれたとおもわれる「畳の上で靴をはいている」という日本人にとっては違和感満載の絵の話。

どれも、なるほど、と思うし、面白い。

 

日本人にとっては、建物の入り口や、旅館の宴会場の前、履物が散乱している図というのは珍しくない。もちろん、きちんと並べられた履物、あるいは下駄箱(いまどきは靴箱と呼ぶようになっているが・・・)も、珍しくない。そこだけは、西洋化しなかった日本のこころの源流があるのか?!

 

畳の上を靴で上がるのはもちろんだけれど、たとえスリッパでも日本人にとっては畳に上がるのは躊躇するのではないだろうか。

 

私は、今年、永平寺に訪れた時、畳の部屋の前で戸惑っている外国人を見かけた。永平寺は、お堂に入る前に玄関で「スリッパ」に履き替えさせられ、ビニール袋に自分の靴を入れて持ち歩く。板間をスリッパで歩くのはよいのだが、なかには畳の部屋がある。その部屋の前では、みんなスリッパをぬいで、揃えてから畳の間に上がる。日本人なら当たり前。でも、日本人のその作法をみた外国人にとっては「え?ここでスリッパ脱ぐの?」という感じだったのだろう。

そして、その広い畳の間は端の方に、永平寺に関する映像動画が流されている大きなモニターがあった。20分くらいの動画だったろうか。人によっては、畳の上に座ってそれを眺める。わたしも、正座して座ってみていた。

 

と、本書を読みながら思ったのだが、外国人にとっては畳、つまり床に直接坐るということは異文化体験だということ。座布団もなく畳に正座するというのは、昭和世代以前の日本人なら、別に奇異なことではない。今どきの若者は、自宅に畳の部屋がなくて、ソファー生活しかしらないかもしれないけど・・・・。

 

人の家に、土足で上がるなんて、、、、泥棒くらいだろう。あるいは、警察が犯行現場に押し入るときとか?!

 

最近は、海外でも玄関で靴を脱ぐ生活をする人も増えているらしい。なんでも、家の中の綺麗を保ってくれていたマンマも社会進出で掃除の暇がないからだとか?!

 

ちなみに、ロンドンの友人宅では、いつも入り口で靴を脱いでいる。本人は日本人だからというのもあるかもしれないけれど、ほかでもイギリスに住んでいる人の家は、なんだかんだ、入り口付近で靴をぬいでいたな・・・・。でも、下駄箱はない。

 

私が5年間くらしていたタイでは、日本と似ている。住宅にはそれっぽく靴を脱ぐ玄関がある。工場では、みんな外靴と上履きを変えていた。たんに、サンダルみたいな方が楽ちんだからか? かつ、彼らは床にぺたんと座り込むことを当たり前のようにする。タイの寺院に行ったことのある人ならわかるだろう。みんな床に座っている。

 

昔は百貨店は靴を脱いであがったらしい。旅館もそうだ。今でも旅館の多くは入り口で靴をぬぐ。今のようなホテルの形式(下足のまま部屋に入る)になったのは近代化してからだし、それでも「スリッパ」がおいてあるのが日本のホテル。海外旅行する日本人には「スリッパ」は持参必須アイテム。わたしは、国内ですら使い捨てスリッパを「持ち物リスト」にしている。

スリッパは、外国人にとっては日本人の草履のように簡単に手を使わずに着脱できるので、外履きとしても使われていたらしい。

 

外の汚れを玄関に持ち込むだけでもいやだな、って思うのに、部屋にそのまま入るなんて、私には耐えられない。けど、ホテルではそうしているんだけどね。だから、ホテルの床はそんなにきれいではないとわかっていても、スリッパにはきかえたとたんに、ちょっと安心してしまう。

 

畳は汚れたら掃除が大変だし、土間や外の土を家の中に持ちこんだら掃除が大変だし、、、玄関で靴を脱ぐほど清潔なことはないと思うけどな。

 

でも確かに、靴無しの姿は正装としてはいささか間が抜けるというのもわかる。

写真館での正装の写真が靴下だと、、、、足袋だと、、、、ぷぷぷ、となるのはわかる。

 

しかし、靴を脱ぐか脱がないかで、新潮選書1冊になっているのがすごい、、、というか、面白い。世の中、いろんなこだわりの人がいるものだ。

 

宣教師だけでなく、何かの目的をもって日本に来た外国人が、日本の生活風俗を知らずにやってきて、靴を脱ぐ姿に戸惑ったというのは、さもありなん。通訳案内士をしてインバウンドのお客さん対応をしていると、靴だけでなく、お箸の使い方などなど、日本人なら「それはないでしょ」が目に付くことはままある。無作法も度が過ぎると無知では済まされないのだけど。それは、日本人が海外に行ったときも同じこと。言葉と文化はセットだ。言葉だけでなく、生活風俗を学んでいくっていうのも大事なことかもね。

 

そして私は、今朝もベランダに置きっぱなしのサンダルで、ベランダの花に水をやり、そのサンダルを脱いだ素足そのままリビングに戻っている。はたして、足の裏は綺麗なのか?!よく考えたら、そこは気にしていない。足に水がかかったときだけ、雑巾でふくけど。ベランダ用サンダルは、ベランダに置きっぱなし。まぁ、ベランダには一応屋根があって、雨が直接当たるような場所にサンダルを置かないけど。。。かつ、外置きに堪えるように、ベランダのサンダルというのは、汚れがたまらない構造になっているのかも、、、、。必要は発明の母だな。

 

 

『キリスト教ナショナリズム 不穏なアメリカの変貌』 by 森本あんり、渡辺靖

キリスト教ナショナリズム
不穏なアメリカの変貌
森本あんり
渡辺靖
朝日新書
2026年5月30日 第一刷発行

 

週刊文春の書評で紹介されていた本。森本さんの本なので読んでみようと思って、図書館で予約して、結構待った気がする。渡辺さんとの対談になっている。

 

森本あんりさんは、1956年生まれ。国際基督教大学名誉教授。2022年より26年まで東京女子大学学長。専攻は神学、宗教学、アメリカ研究。著書に『不寛容論』『魂の教育』など。

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渡辺靖さんは、1967年生まれ。慶應義塾大学SFC教授。専門は現代米国論、パブリック・ディプロマシー論。

 

表紙裏の袖には、
”信仰が政治を呑み込んでゆく―。米国の地殻変動に迫る圧巻の対論!アメリカで進む「宗教化した政治」とは何か。イスラエルとの知られざる接点、テック・リバタリアンとの奇妙な結びつき、移民・女性・若者をも巻き込む予想外の広がり。そして、他教徒までもが支持するという驚くべき実態…。宗教・歴史・政治が多層的に絡み合う内奥を、神学と現代米国学の第一人者二人が精緻に読み解く!”
とあって、次のページの間に、カラーのアメリカの地図がはさまれている。


「米国におけるキリスト教 ナショナリズムへの同調度 (州別)」


色が濃い(同調度が高い)のは、 オクラホマ‌、 アーカンソー、 ミシシッピーと南部の3州と、北西にとんでワイオミング。

正直、ワイオミング州なんて聞いたこともなかった…。

 

目次
第一章 キリスト教ナショナリズムとは何か
第二章 過激化するキリスト教ナショナリズム
第三章 世俗化する信仰とZ世代
第四章 リバタリアンとの共通点
第五章 イスラエルとの関係
第六章 リベラリズムという容れ物―民主主義の危機と再生

 

感想。
ははぁ、、、面白かった。

 

いやぁ、、、、『破壊系資本主義』『マスキズム』とアメリカのリバタリアンの本を読んだ後だったので、そのもっと根本的なアメリカ的なところのちがいが、ちょっとわかる気がした。

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トランプ大統領が「=キリスト教ナショナリズム」なわけではないけれど、福音派のトランプは、「アメリカは神によって選ばれた特別なキリスト教国家であり、その伝統的価値観を政治や法で保護・強化すべきだ」という思想をもって、福音派を政治的に煽っているともいえる。

 

本書を読んで、初めて2021年1月の連邦議事堂襲撃事件の意味が分かった気がする。襲撃した彼らは、政治的でもイデオロギー的でもなく、「キリスト教」に従ったのだ。自分たちは選ばれた人間であり、憲法よりも神の声に従うのが正しい、と。彼等には、トランプが「導く人」に見えているのだろう。

 

ひゃぁ~~~。だからこそ、トランプがいなくなっても、絶対に次のトランプが現れる。いやぁ、11月の中間選挙、どうなるのかな。。。。ウクライナ戦争も、イラン攻撃も、トランプの負けはこんでいる。支持も落ちている。。。ついでに、国際刑事裁判所(ICC)元判事で元国連人権高等弁務官のナビ・ピレイ氏(85、南アフリカ)がノーベル平和賞受賞した直後のトランプ政権によるICC本体への制裁措置発動の発表。さて、、、今後のゆくへは。。。

 

と、本書は、トランプについてではない。あくまでも、アメリカにおけるキリスト教ナショナリズムについて。

 

二人の対談形式なので、わかりやすいし、読みやすい。新書なのでさら~っと読めた。内容は深いけど。

 

アメリカのキリスト教宗派は未だに私の頭の中ではあまり整理はついていないけれど、もともと、アメリカはピューリタンが欧州を逃れて渡ってきて作った国だ。「国家に指図されたくない」「自立したい」という人がもとだし、経済的に豊かになればリバタリアン的な人がふえるのももっともだ。ところが、経済的には苦しい立場に落ちいった人たちにとっては「大きな政府」に指示されるより、自分たちだけの世界を守ってくれる指導者を求めたくなった、というのはわからなくない。

 

そして、厳密な信仰告白よりも「伝統的な価値観(家族観、愛国心、反リベラル)」を重視する文化・政治的アイデンティティの側面が強くなっていって、「キリスト教ナショナリズム」が生まれてきたということ。

 

福音派が、クリスチャン右派となり、それが過激化して、「新使徒的改革運動(New Apostolic Reformation NAR)」となっていった。国家や社会にあらゆる分野を信仰によって「征服しよう」とする思想 こそがNARの骨格。

 

リバタリアンは国家を「征服しよう」というよりは国家から「独立しよう」というところが、ナショナリストとはちょっと違う。

 

宗教の話は何度読んでも難しいけれど、本書はわりと読みやすい一冊だった。
他、気になるところ、覚書。

 

・保守派のキリスト教の譲ることのできない基本(Fundamentals)
 1.聖書の無謬性
 2.処女降誕
 3.十字架の贖罪死
 4.復活
 5.自然を超える奇跡
歴史的に維持されてきたキリスト教の信仰 内容はもっと緩やかで、処女降誕などはふくまれていなかった。(森本)

 

・ 福音派の歴史で一番大きな節目は1925年のいわゆる「モンキー(スコープス)裁判」。学校で進化論を教えることの是非が 争われた裁判で、全米にラジオ報道されたやり取りでは福音派の信仰は手ひどく批判され嘲笑された。 それ以降、福音派は近代文化に乗り遅れた人々というスティグマ(烙印)をされてしまい、しばらくはアメリカ文化の伏流として、特に南部で控えめに生き続けることになった。

 

モンキー裁判の話は、 山本七平の『「空気」の研究』で、天皇の祖先が猿と言われても何も感じない日本人との比較で述べられていた。キリスト教信者であるアメリカ人との「進化論」に対する反応の違い。

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・ トランプ 支持者にも、キリスト教ナショナリズムにも、移民出身者が多く含まれる。移民排除の主張であるにもかかわらず。その理由は主に4つあると考えられる。(森本)
  1.黒人やラテン系の人々も 聖書的な家族観を持っている。
 2. アメリカは神の国として取り戻すという 救済のナラティブがある。移民は アメリカ社会に同化したいために、この物語に加わることで自らを「真のアメリカ人」と位置付けて帰属意識を高めたい。
 3. 移民としてゼロから努力して成功を収めた人々で「自分は努力してここまで来たのだから、誰も福祉に頼らず自分の手で稼ぐべきだ」という意識が強い。
 4. 共産主義や社会主義的な思想 の出身国( ニカラグ、エルサルバドルなど)の移民が多く、 アメリカにきてまでそのような体制に関わりたくないという思いがあり、福祉は切り捨てるトランプを支持する。

 

これは、なるほど、、、だ。

ちょっと昔、女性の社会進出において、女性が女性の敵になる、、、と表現された現象と共通するものを感じる。

 

「わたしたちはこんなに苦労したんだから、今の制度を当たり前と思うな!」と感じる先人。私は、その狭間、あるいはどちらかと言えば先人世代なので、若い女性を見ていたたまれない気持ちになることがあった。どちらかというと男目線に加担してしまうような、、、あの妙な気分。。。不寛容な自分を否定する自分がいるから、何とか押しとどめるけど、、、何も努力しないで権利だけ主張されていると感じてしまう、心の狭い自分が頭がもたげることがなかったとは言えない。

 

・渡辺:
「 キリスト教ナショナリストは確かに戦闘的な姿勢を取りますが、そうした人々に対してリベラル側が同じく 戦闘体制で応じてしまえば 衝突が深まるだけです。 重要なのは、 相手を論理的・ 政治的に制圧しようとするのではなく、「 自分たちはその考えに納得も同意もしていないが、異なる価値観が存在すること自体は認める」 という姿勢を持てるかどうかです。 つまり、 寛容という意味での本来のリベラリズムを発揮できるかどうかが今後の社会の分断を乗り越える 鍵になるのではないでしょうか。」

 

まさに、その通り、、、と思う。
そして、密教と顕教の使い分けを、ちょっと思う・・・・。

 

・2001年9月11日の アメリカ同時多発テロは、温和な男性中心主義からマッチョで暴力的な思想にアメリカ全体が入れ替わるきっかけになってしまった。(森本)

 

・ピーター・ティール(PayPalの共同創業者)がトランプを支持する理由:
 民主主義的なプロセスに任せていてはいつまでたっても社会は変わらない。「 大統領は民主的なリーダーより企業のワンマン社長の方がいい」。 トランプはアメリカの最高経営責任者 CEO に なるべきだ、ということ。

 

・NPO「シーステディング研究所」:
2008年にGoogleの元エンジニアであるパトリ・フリードマン(経済学者ミルトン・フリードマンの孫)と、投資家のピーター・ティールらによってフランス領ポリネシア タヒチ島に建設を計画。国家を離れて、海上に新しい都市をつくり自立した生活をめざした。現地住民の反発や政治的混乱により、後に計画は停滞・凍結。

考え方としては、イーロン・マスクの火星移住と同じ。

『破壊系資本主義』で「悪の根源」といわれたミルトン・フリードマンの孫は、そんなところまで計画していたのか、、、。

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まぁ、思想に基づいて移民してきた人のつくったアメリカが、思想によって分断する様子が説明されているという感じ。


森本さんの「 自由を目指して作られた新しい社会には、必ず新しい不自由が始まってしまうもの」という言葉が一番印象的だった。

 

不自由は、求めるものが得られないときに感じるもの。ひとたび手にしてしまうと、また次のものを求めてしまう。そして、必ず新しい不自由が生れるのだろう。這えば立て、立てば歩け、歩けば、、、、、。一般人の参政権、女性の参政権、女性の社会進出、雇用機会、産前産後休暇、育児休暇、男性の育児休暇、、、、、。

それらを手にするために活動してきた人と、それらを享受する世代は違うのが世の常。

 

世は無常だね。

昨日と同じ空は二度とない。。。

自分の生きている時間と、地球の時間と、宇宙の時間。

大事なのは自分の生きている時間なんだけれど、世の中はそんな時間軸では動かない。今の社会は先人たちの活動の結果だし、未来の社会は私たちの活動の結果。

 

「先人たちに負い目を感じる」っていうのも大事なのだ。

"この「負い目」をうしなってしまうと、 自己を律するものは「世間体」だけになり、それをも失えば、「倫理の崩壊」"って。

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宗教の話はやっぱり難しいけど、森本さんの話はやっぱり面白い。

 

しかし、宗教とナショナリズムの先には、宗教とAIとの対決という日がそのうちに来るのだろうか…。神の声を聞くのではなくAIの声を聞く時代は、やっぱり間違っている気がするのだけれど…。大規模言語モデルだって、所詮「人」の言葉の集まりだ。「神は死んだ」ならぬ「AIは死んだ」の時代が来ることを願ってしまう。

 

やっぱり、大事なことは、自分の頭で考えよう。

 

 

『非核三原則 「唯一の被爆国」が抱える矛盾』 by 梅原季哉

非核三原則
「唯一の被爆国」が抱える矛盾
梅原季哉
岩波新書
26年8月20日 第1刷発行

 

広告でみかけて気になった。私は、岩波書店の「図書」を購読しているので、そこで新刊としても紹介されていて、難しいテーマではあるけれど、岩波新書なら読む価値あるかな、、、と、図書館で借りて読んでみた。

 

表紙裏の袖には、
”1971年に国会決議された非核三原則。核兵器を「持たない、作らない、持ち込ませない」と宣言する国是は、米国との関係のもと、繰り返し形骸化が指摘された。また国際的な核兵器使用禁止の動きにも、日本は一貫して消極的である。この宣言の成立や、扱いをめぐる政治の流れをひもとき、日本の核への意識・政策を問い直す。”
とある。

 

著者の梅原季哉(うめはらとしや)さんは、1964年生まれ。広島市立大学広島平和研究所教授。1988年、朝日新聞社に入社。長崎支局を初任地として、国際報道畑を歩みヨーロッパ総局長などを歴任した後、論説委員だった2021年に退社。キングス・カレッジ・ロンドン戦争学研究科修士課程修了(現代戦争論)。広島市立大学大学院平和学研究科博士後期課程修了(平和学)。研究領域は、国際関係論、安全保障と軍縮・非核規範、戦争・平和のメディア論。著書に『核の戦後日本政治史』(ミネルヴァ書房)、訳書にトム・フォン・リ『日本 老いと成熟の平和』(みすず書房)など。

 

目次
はじめに――非核三原則が意味するもの
  唐突な見直し気運
  根強い支持と国際的評価
  曖昧な出自
  非核三原則と日本における核意識

第1章 原爆と占領――不可視化された核兵器の使用
 1 原爆投下直後の反応
  一様ではなかった出発点
  残虐性の非難と「大シタコトナシ」の並存
 2 「戦争を終わらせた兵器」とされた原爆
  終戦の詔勅を岐路とした転換
  「科学力に負けた」象徴に
 3 検閲体制下での原爆批判の消失
  プレスコードによる処分第一号
  量的にも質的にも阻害された核兵器使用に関する語り
  許容された言説のパターン=永井隆
 4 「日本に原爆を持たせない」政策の徹底
  原爆開発関連設備の押収と破壊
  米国の抑止力依存という構造の始まり
 5 朝鮮戦争下の核使用リスクと日本
  トルーマンによる「原爆使用示唆」への反応
  封じられた公的空間での批判

 コラム1 丸山眞男と被爆体験

第2章 「被爆国」の誕生から定着へ――政治化した反核感情と不可視化での対応
 1 ビキニ水爆実験の衝撃
  再発見された広島・長崎
  広範な運動による政府への圧力
  「戦争をなくせ」を志向した左派
 2 国民の不安解消へと築いた「持ち込ませず」政策
  米国の「使える核」志向
  日本への配備も焦点に
  原水爆禁止の「趣旨に賛成」とした鳩山新首相
  米軍の核貯蔵拒否を表明
 3 岸政権による非核政策の調整
  岸首相が示した核兵器合憲論
  安保改定時の核密約と「使用」
  説明回避で臨んだ「安保国会」
 4 国際社会における「非核」ルール化への対応
  最初で最後の「核兵器使用禁止」決議賛成
  キューバ危機と日本への影響
  池田政権と非核諸規範
  初の中国核実験と日本の反応

 コラム2 原子力の平和利用への期待と思惑

第3章 非核三原則の成立――被爆国アイデンティティの確立
 1 沖縄返還という政治課題
  当初から結びついていた「沖縄」と「非核」
  障壁となったベトナム戦争
  核兵器の存在をどうするか
 2 「核抜き・本土並み」要求と「非核三原則」という用語
  「ベトナム」をめぐる分断
  「本土並み」の要件としての「非核三原則」
 3 制度化への抵抗と妥協
  「核時代をどう生きるか」を語った施政方針演説
  「核政策の四本柱」
 4 密約による調整
  行き違いゆえの後悔
  「核」をめぐり行き詰まった外交交渉
  「使える核」も志向したニクソン─キッシンジャー
 5 「平和大国」像から取り除かれたもの
  国会決議で「国是」に
  NPT署名と核不拡散規範の受容
  「不使用」に踏み込まない構造の定着

 コラム3 佐藤栄作は核武装論者だったのか

第4章 核の脅威から冷戦終結へ――非核を「遵守」する日本の内実
 1 NPT批准――「持たない」、「作らない」の制度化
  デタント下で埋まった外堀
  核による日本防衛を保証
  浮き彫りになった「非核」の要件
  内政上の取引材料となった核使用問題
 2 空洞化が露呈した「持ち込ませず」
  米海軍元幹部による暴露
  日本政府内での運用見直しの検討
  駐日大使発言による疑惑の再燃
 3 グローバルな反核運動のうねりと日本――一九八〇年代前半の変化
  「ノーモア・ヒバクシャ」の叫びと国会決議の落差
  不使用は精神的共鳴のみ
  非核国家・自治体の取り組みと日本の反応
  地方自治体主導の規制を骨抜きに
 4 米ソのグローバル核軍縮交渉と「非核」日本
  ソ連の中距離核ミサイル配備で問われた「西側の一体性」
  「ゼロ・オプション」を推した中曽根の思惑
  ゴルバチョフの登場
  加速する米ロ核軍縮と日本政府の反応

 コラム4 米国に反対された幻の原発攻撃禁止条約

第5章 問われる非核三原則――「見捨てられ不安」を超えて
 1 冷戦終結がもたらした変化と継続
  「持ち込ませず」という問いの消失
  グローバルな不拡散と強化された日本の「持たない」
  「唯一の被爆国」日本の核廃絶決議
  国際司法で問われた「核のタブー」と日本
  「国際法違反」と断言しない日本政府
 2 「テロとの戦い」を経て「核なき世界」構想下の相剋
  対テロ戦下での核廃絶をめぐる米国との距離
  オバマの「核なき世界」構想への期待
  民主党政権下の密約調査
  核兵器の「役割低減」に抵抗した安倍政権
  オバマの広島訪問で問われなかったもの
 3 「核兵器復権の時代」に動揺する日本
  ウクライナ戦争という転換点
  被爆地・被爆者との距離感
  米・イスラエルの対イラン攻撃と「核のタブー」の危機
  NPT体制の動揺と日本のジレンマ

 コラム5 核実験への忌避感と日本

おわりに――「被爆国」アイデンティティをとらえ直す
  不可視化の果ての邪魔者扱いでよいのか
  規範逸脱へ踏み出すリスク
  今こそアップデートを

  あとがき
  主要参考文献及び主な引用資料源

 

感想。
いやぁ、、、、、。目からウロコどころか、私は何もわかっていなかった。

 

日本政府が、なぜ核兵器禁止条約への署名・批准を行っていないのか、本書を読むと理解できる。被団協が署名を!と声をあげて、何故、被爆国の日本が署名しないのか理解できなかったのだけれど、ようやく理解できた気がする。

 

そして、国是と言われる「持たない、作らない、持ち込ませない」の三原則が、そもそも「使わせない」ではないということに、何も疑問を持たなかった自分が、いかに何も考えていなかったか、ということに気づかされた。

 

要約できないので、目次をそのまま転記したけれど、本書は時代をおってなぜこの三原則になったのかということを説明してくれている。

 

終戦の頃は報道規制もあり、戦争経験者、特に実際に兵士として戦地を経験した人、空襲を経験した人の中には、原爆だけが特別ではないという感覚があった。「唯一の被爆国」という言い方をするようになったのは戦後ではなく、「第五福竜丸」の被爆事故のあとということ。食卓に上がるはずの魚も被爆したことが一般国民にも「被爆国」の国民であるという意識をうえつけた。

 

そして、「持たない、作らない、持ち込ませない」の三原則は、かわりにアメリカの核にまもってもらう、という条件付きだったということ。つまり「使わせない」という「核のタブー」は、触れてはならないこと、見なくていいこと、とされてきた。

 

ところが、昨今の世界情勢とトランプ政権の発言。過去に日米で交わされた条約など、まったくあてにならないとすら思われる現実。かといって、軍を持たない日本。北朝鮮の動向、中国の動向。日本が、安全保障上アメリカから独立するなんて現実的には考えられないということ。

 

トッドのいう「核武装」も理屈ではそうかもしれないけれど、「核戦争なんておこらない」と思っている方が幸せだし、現実的だと思いたい。。。

 

もっと重要なのは、「戦争をしない

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」ってことなはず。問題は「核兵器」だけではない。「被爆者」という言葉も、かつては通常の爆撃で被害にあった人にも使われていた言葉だそうだ。東京大空襲で亡くなった人も被爆者だったけれど、主に放射能を被った人に限定する使われ方をするようになったのも、戦後何十年か経ってからということ。

よく考えてみると、かなり変な三原則。でも、この言葉をもって三原則ということで、「使わせない」を視界からなくそうとした意図があったということ。

いやぁ、ほんとうに、もっと大事なのは「戦争をさせない」だよね・・・。
今更ながら、なんと中途半端な三原則。それを「平和国家」として掲げているのはやっぱりなにか虚構を感じる。これまで、まったく気がついていなかったけど・・・。

 

気になったところ、覚書
・敗戦直後の新聞報道では、一般の空爆被害者を指し示す「被爆者」 用例もあり、広島と長崎に関しては 「原爆被災者」や 「原爆被害者」といった言い回しの方が主流だった。ところが 第五福竜丸事件で放射線後障害に改めて注目が集まったことで、「被爆」は放射線による被爆の作用も含んだ核兵器による被害という語感を伴って理解されるようになった。

 

・1954年4月 朝日新聞の「声」、学生の投書。
” 原爆や水爆の「使用を禁止せよ」という言葉を耳にするが、 これには自分は納得がいかない。 なぜなら「 原爆、 水爆は 戦争が 生んだものです。 戦争そのものを根絶しなくて、どうしてこのような兵器の使用を禁止できましょう。”

 

・沖縄返還をめぐる政治過程の中で、核を「使うかどうか」を語らずに、核が『存在するかどうか」だけを政治の言葉として処理する必要が生じた。

返還前の沖縄には、当たり前のようにアメリカ軍の核があったということのようだ。

 

・「非核三原則」という呼び名ができたことで、それは単なる政策的方針ではなく、守られるべき規範的な原則なのだという理解が確立していくことになった。 これは、既知の概念に対して新しく「ラベル」を貼って命名することで、そこに価値を生み、 そのもの事の扱われ方を再定義していくという「フレーミング作用」の典型として捉えることができる。

 

・「非核三原則」が 沖縄返還という米国との二国間外交やNPT署名 という多国間の文脈とも関連付けられつつ生成されていった過程で、「 核兵器の使用」については、 極力語らないようにする構造が完成した。

 

もと新聞社、国際報道の道を歩んできた人だからこそと思われる視点がたくさんある。「あとがき」では、著者が実際に目にした戦後の式典での出来事が語られている。被爆者と原爆を投下した国の人。きれいごとではない現実。

 

いやぁ、、、、「非核三原則」では平和を守れないのはとてもよくわかる。わかるけど、どうすればいいのかの具体策がわからない。やはり、核兵器をもつなんてHell No!

 

ただ、反対すればいいだけじゃない。今の日本が核兵器禁止条約に署名したら、それこそ裸で道に放り出された赤ん坊みたいなものではないのか?

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考えたくないことは思考放棄、、、ってなるまえに、やはりもっと素直に考えれば「戦争をなくす」にはどうすればいいか?なんだけど、それもまた大風呂敷すぎて、理想論だけになってしまう。

 

いやぁ、、難しい、、、、。だから、佐藤優さんはトッドに対して「核について議論せよと問題提起してくれたこと」が貢献だといっていたのか。。。。

う~ん、、、戦争なんて、、、兵器なんて、、、、考えなくていい世界がいい。

 

 

国内旅行 札幌 3泊4日 4日目

札幌の旅も、とうとう最終日。

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前の晩、ジンギスカンで盛り上がりながら遅くまでおしゃべりしていたので、起き出したのは8時前だった。ベランダから外を見ると、こころなしか紅葉が進んだような…気がする。

 

そして、朝の北海道新聞の一面には、「緊急地震速報を取り消し」って。なんだ、そういうことだったのか。まぁ、実際には揺れてないし、避難もしていないから実害はなかったけど、、、電車が遅れたな。

 

また、朝からもりもりとフルーツ、サラダ三昧。ゆで卵にコーヒー。

叔父は朝食が終わったら、そそくさと荷造りして、いつものようにプールへと出かけていった。いやぁ、元気な80代。

 

母は、叔母の手料理をお土産にしてもらうといって、あれこれ包んでもらっていた。叔母はお料理が上手なので、いつも美味しいものを作ってくれるのだけれど、結局、今回の旅ではすべての食べたかったものは食べきれず・・・。最後まで、「カレーが、、、焼きそばが、、、」といっている母だった。叔母は、私たちが来るのにあわせて作って冷凍しておいてくれたらしいのだけれど、そこまで食べきれず。。。

 

忘れ物ないよね?って何度も確認。忘れてはいけないのは、叔母の手料理のおすそ分け・・・。

洗面所に忘れものをしていないか確認しにいって、改めてカレンダーに書いてあった格言に心を打たれる。

 

「約束を破ることは 相手だけでなく 自分を粗末にすることである」

ふむふむ。約束は守りましょう。

ついでに、叔母の字で何か書き込んであると思ったら、「醤油コウジ、イナリずし」何故に、洗面所のカレンダーに?!?!きっと、仕込んだ日なんだろう・・・・。

 

新千歳空港17:00発の飛行機で羽田へ戻るので、14時過ぎに叔母の家を出て、ゆっくりと空港へ向かった。地下鉄と空港直行バスとを乗り継いで、15:15頃に空港に到着。

 

母が友人へのお土産と、自分用の「かま栄」のかまぼこを買うというのでお菓子屋さんを物色し、「かま栄」へ。空港の「かま栄」も長蛇の列・・・。「並ぶの?」と聞くと「並ぶ」というので、私はベンチで荷物の番をして、母を一人買い物にならばせた。10分くらいかかったかな?いやぁ、かま栄、すごいな。たしかに美味しいけどね。母は、自分用の他、私にも2種類ばかり買ってくれた。ラッキー。

 

ラーメンを食べるほどはお腹が空いていないので、鮭・いくらおにぎり、鶏のザンギをかって、ラウンジで軽い食事にした。

 

あぁ、あっという間の札幌の旅。千歳空港はやっぱり広い。しかし、北海道はこんなに土地があるんだから、もう少し札幌市内に近いところに空港があればいいのに、、、何気に、地方都市の空港としては結構中心地から離れた空港な気がする。

 

帰りの飛行機は、母を窓側に座らせて、私がその隣に座った。夕焼けも夜景も、綺麗にみられるフライトだった。

 

母が一生懸命、ガラケー(らくらくフォン)で夕焼けや夜景の写真をとっていたけど、、、。お月さんも、きれいだった。東京は一日晴れていたのかな?

 

ついでに、羽田空港周辺で、なん箇所か花火があがっているのも見ることができた。私が一人で移動するときは、めったに窓側の席にすわらないので、なるほど、窓側も天気がいいといいもんだな、、、と思った。

 

羽田空港から電車で帰宅。駅のベンチに座って電車をまっていたのだが、ホームに電車が入ってきたのでホームドア付近に並ぼうと立ち上がり、あるいていたら、後ろから「すみません」と若い女の子の声。なんと、母は大事な大事な、叔母のお料理の入った大きなカバンを忘れていた・・・。「どうもありがとう!!!」

 

電車にのってから、何度も「カバンは何個?!」「3つ」と復唱。無事に荷物と一緒に帰宅したんだかどうだか、、、。

 

私は、帰宅してから叔母の「ホタテご飯」を美味しくいただいた。

 

10月の札幌も、お天気に恵まれてすごく寒い、ということはなかった。叔父曰く、昔はお盆を過ぎるとストーブを入れる日もあったけれど、最近はめったにない、と。雪も減ったの?と聞くと、時々ドカ雪がある、と。

 

どこかに旅するたびに、地球の温暖化を身近に感じる。といいつつ、身近なところでも、紅葉の時期、桜の時期、かわってきてる。

 

数年後には見られなくなってしまう景色もあるのだろう。やっぱり、行きたいところは行けるときに行っておこう。

2026年、あと、何か所旅できるかな・・・。

 

国内旅行 札幌 3泊4日 3日目

札幌の叔母の家で目覚めた3日目。

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叔父は昨晩遅くに船旅から帰宅したらしく、朝トイレに起きたらすでに叔父も起きていてびっくり。「おかえりなさい~」

 

今日は一日予定はなしだったので、久しぶりに小樽にでも足を延ばしてみるか、と。この数年、札幌の来て、余市や積丹半島には来ているけれど、小樽にきていない。連日出かけているので母は疲れがたまっているようなので、私はひとりで出かけることにした。

 

朝ご飯を食べながら、叔父の旅の話をきいてみると、「留守宅日程表」を残して出かけていたので、すっかりツアーに参加したのかと思ったら、そうではなくて、自分で往復のフェリー、舞鶴付近の宿泊を手配したとのことだった。さすが、海外も一人で旅する叔父。

ゆっくり聞いていると、出かけるのが遅くなりそうなので、続きは夜に、、、ってことにして、私は小樽に出かける準備。

ベランダから外にでてみると、ひんやりとしていたので、叔母のジャケットを借りてでかけた。

 

9時過ぎに家をでて、行きは地下鉄で新札幌駅に出て、JRに乗り換えて札幌経由で小樽まで。思った通り、電車はずっと混んでいて、札幌で座れたけれど、札幌でJRに乗り換えていたら座れなかったな、、、という感じ。10:41小樽着の電車は、微妙に遅れて10:44頃に小樽に着いた。

ちょっとどんよりと曇り空。とおもったら、パラパラと雨が降ってきた。傘をさすほどではないか、、、と思ったけれど、結構降ってきた。ジャケットのフードでは足りなくなって、傘をさして歩いた。久しぶりに運河までの散歩。ホントに久しぶりで、、、もしかすると20年ぶりくらいかも?!

 

お天気のせいもあるのか、観光客があふれんばかり、、、というほどではないけれど、結構な観光客の数だった。

 

雨合羽で運河のクルーズに乗っている人たちもいた。いやぁ、この雨のなか、乗らなくても、、、、と思ってしまう。きっと、ツアーのセットなんだろうな、、、、。

 

 

街灯の上にカモメを発見。海近だねぇ。

 

運河通りを北一硝子の方まで散歩した。小樽といっても、海鮮丼を食べたいというわけでもないので、ただ散歩。だんだん晴れてきて、ジャケットにストールをしていると暑いくらいだった。

途中で、ミッフィーベーカリー発見。

子どもの頃、うさこちゃん好きだった私としては、ちょっと惹かれて中に入ってしまった。

ミッフィーあんぱん発見。こりゃ、どっこから齧るか問題だな、、、。

 

さらにてくてく歩き、北一硝子のアウトレットで、自宅用にガラス製品を2つばかり購入。真っ黒のお皿は、柿ピーとか入れたらいいかも、、、、と。

 

お店のある通りの最後のあたりにある「銀の鐘」で、一休み。叔父と叔母が小樽にいくといつも使うお店で、空いているよって教えてくれた。確かに、割と広々としてのんびりできた。ケーキセットが1200円。そして、コーヒーカップはお土産に持ち帰ることができるのだ。なんてことないけど、小ぶりで使い勝手いいかもね。

 

 

静かで広々していたので、しばらく本を読みながら休憩した。ところが、途中から中国人の団体客、、、、とほほほ。。。なんだこの騒々しさは、、と思いつつもイヤホンをしながら本を読んでいると、「ぴろろろろ、ぴろろろろ・・・・」なんと、緊急地震速報。

結局、揺れはしなかったけれど、2回ほど緊急地震速報がなった。その後、携帯電話を確認しても特にでてこなかったけど、、、なんだったのだろうか?

 

早めに帰ろうと、13:53小樽発の快速電車をめざして駅にむかった。途中で、「かま栄」でかまぼこを買おうと思ったけど、工場のある大きなお店は長蛇の列。いやいや、かまぼこでこの行列はないでしょ、、、ってことで、駅前のデパートの地下のじみ~なとことで、購入。味はいっしょだからね。数点のお買い得セットとイカたま、それにチーズちくわを一つ。チーズちくわは、あわよくば電車に乗る前におやつにかじっちゃおう、、、と。

 

駅に戻って、ホームにならんでいると、「先ほどの緊急地震速報の影響で、電車は遅れています・・・」との放送。あらまぁ。結局、17分遅れで小樽に到着した電車が、乗客が入れ替わると、すぐに札幌方面に折り返し運転となった。10分遅れくらいかな。座って札幌まで帰ってきた。地下鉄に乗り換えて、叔母の家に戻ったのは15:15ころ。あぁ、楽しいひとたびだった。

 

帰ってみると、母と叔母は近所のスーパーから帰ったところで、叔父は近所に麻雀にでかけていた。夜ご飯は、ジンギスカンって。

 

ダイニングテーブルの上に、新聞を広げて、IHプレートにフライパンを乗せて準備完了。

久しぶりのジンギスカン、おいしかった。

 

最近はラムだけでなく、豚肉のジンギスカンもあるとのことで、ラムも豚肉もたべた。タマネギ、キャベツ、白菜、ピーマン、ジャガイモはレンジでチンしてから、それに最後はうどんまでいれた。

 

17時ころから食べ始めて、ビールをのんで、日本酒を飲んで、、、食べてしゃべって、、、22時過ぎ迄どんちゃんさわぎ。

 

叔母の家は、オール電化にしていて、ガスは使っていないのだけれど、マンションのガス警報器は取り外すことができないまま、入居から20年。そのガス警報器がときどき「ガスがモレテイマセンカ?」となるのだという。なんでなんで?どうやら、叔父のおならが原因だとか。複数回の実績あり、、、って。ほんとか?!?!実演してみせてよ!っていいながら、かなわず、、、、。

 

23時ころ、バタンキューで寝てしまった。。。

おやすみなさい・・・・。

国内旅行 札幌 3泊4日 2日目

札幌市内の叔母の家で目覚めた札幌2日目。

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青空にひんやりした空気。マンションの敷地の緑が紅葉していた。
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昨晩は、叔父が旅行中で留守だったので、私はリビング横の和室に蒲団を敷いてもらって一人でのびのびと寝た。外は冷えても、札幌のマンションは暖房を入れていなくても中が暖かい。

 

7時前にもそもそと起き出し、ゴロゴロしていたら叔母が起きてきて、朝ごはんの支度をしてくれた。朝から、豪席な食卓。


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私は、ゆで卵とコーヒーで十分なのだけど、、、お腹が休まる暇がないといいつつ、美味しくいただいた。

 

11:00過ぎに家を出て、叔母と母と私の3人で、近所のスーパーでお供え用のお花を購入。スーパーでは、ジャガイモやタマネギが箱売りされていた。叔母曰く、値段はどんどん上がっている、と。しかし、当たり前のように箱売り。さすが北海道。そして、ブドウが色々とある。なかには、ワイン用にも使われる「ナイアガラ」や「キャンベル」も。この量でこの値段?!?!さすが。


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いやぁ、さすが、北海道だぁ。

 

霊園のある平岸南駅まで、地下鉄で向かい、駅で姉と待ち合わせ。札幌駅前ホテルに泊まっていた姉は、同じ電車だったらしく、ホームに降りた時に姿を発見。ホテルからではなく北大を散歩してきたとのこと。

 

4人で、霊園へ向かった。駅から歩いて10分程度。子供の時に親戚みんなとピクニックのように来ていたお墓も、10月の半ばだけに、人はほとんどなく、静か。紅葉がきれいだった。


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白樺の木もあるのが北海道らしい。やっぱり、青空の下の広々したお墓は、お墓に入っている祖母や伯父さんも、のんびりできそう。

 

お花とお菓子を備えてしばし、お墓詣り。お花やお菓子は片づけて、御線香だけ残してきた。一応、、、クマが出ることもあるらしいので、お菓子は撤収。無事に、クマに出会うことなく、お墓をあとにした。

 

ちなみに、テレビの画面には、常にクマ情報がでていた・・・。

 

地下鉄で大通り駅まででて、ちょっと散歩してからランチ。道庁前まで散歩してから姉は札幌駅から新千歳空港へ向かい、私たちは大通り駅までもどって、お家に帰った。

 

道庁は、外装工事が終わっていたけれど、イベントの白テントがならんでいて、威風堂々というよりも、あぁ、、、観光地、、、という感じが無きにしも非ず・・・。昔は、もっと存在感があったのに、、、、と思わなくもない。

 

なんだかんだ、帰宅してみると13000歩。結構あるいた。

 

15時過ぎ、帰宅してからコーヒーでのんびりしながら、叔母はさらおやつを食べていた。。。。いやぁ、元気な80代。

そして、従姉妹がつくったという「シマエナガ」と「モモンガ」ちゃんをみせてもらい、おもわず、動画で作り方を検索・・・。いつか、作ってみよう。

 

家にいると、食べているか、しゃべっているか。といいつつ、叔母の家にあった図書館の本を一冊読了。

『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?』。今、映画公開中らしいけれど、、、。

いやぁ、、、激しい物語だった。黒人の海兵隊員のベトナム戦争の体験から、PTSDに苦しんだ時代、そしてその後沖縄の米軍基地関係問題の改善に取り組んだことから、日本でもしられていたらしい。2009年に亡くなり、本(文庫本)は2010年初版とあった。単行本は2003年刊行とのこと。

とても、映画を観る勇気はない。。。。

ベトナム戦争って、なんだったんだろうねぇ・・・・。歴史的には、1955~1975年、ということになっている。そして、ボートピープル、枯葉剤の後遺症、、、、。いやはや。。。

 

そして、札幌は今日も平和だった。

夜ご飯は、叔母の特製麹醤油を使って豚肉を焼いて、軽めにすました。お風呂上りに、自家製梅酒で乾杯。熟成何年?!美味しい梅酒だった。

 

叔父は夜遅くに小樽港着の船で旅から帰ってくる予定で、帰宅は23時頃になりそうということだったので、私は先に寝てしまった。

おやすみなさい・・・・。