『世界から青空がなくなる日』 by  エリザベス・コルバート 

世界から青空がなくなる日
自然を操作するテクノロジーと人新世の未来
エリザベス・コルバート 
梅田智世 訳
白揚社
2024年2月14日 第1版第1刷発行
UNDER A WHITE SKY   The Nature of the Future (2021)

 

2024年3月16日、日経新聞の書評に出ていたので、気になって、図書館で借りてみた。

記事では、

"どんな困難にも「技術的な解決策は必ずある」と科学技術を信奉するテクノロジストたちとは一線を画し、「進化アシスト」や「遺伝子ドライブ」「ジオエンジニアリング」といった最先端技術を冷静に見つめる。"

と紹介されていた。

 

著者のエリザベス・コルバートは、ジャーナリスト。『ニューヨーク・タイムズ』紙記者を経て、1999年より『ニューヨーカー』誌記者として活躍。前作『6度目の大絶滅』NHK出版)で、ピューリッツァー賞(ノンフィクション部門)を受賞。2度の全米雑誌賞、ブレイク・ドット賞などなど数々の受賞歴がある。現在は、夫と子供たちとともにマサチューセッツ州ウィリアムタウン在住。

 

表紙をめくると、
”人間はこれまでに自然を思いのままにしようとした結果、環境を破壊してきた。
そして今、気候変動や生物多様性の危機を解決するため、最新のテクノロジーを駆使し、さらなるコントロールを試みようとしている。
本当に自然を修復できるのか、それともさらなる問題を生み出してしまうのか?
『6度目の大絶滅』でピューリッツァー賞を受賞した作家による、待望の最新作。”とある。


最初にフランツ・カフカの言葉が引用されている。

 

”ときどき、彼はハンマーを壁に沿って走らせる。あたかも、待ち受ける救済のおおいなるからくりを始動させる合図を出すかのように。実際のところ、ことはそんなふうには起きないだろう—――― 救済と言うやつは、ハンマーなどおかまいなしに、おのが気の向くままに訪れる―――― が、そうすれば、なにものか、手で触れてつかまえられるなにものかに、ひとつの印に、口づけられるものにしておける、救済には、口づけられなくとも。”

 

目次
第1部 川を下って
 第1章 シカゴ川とアジアン・カープ
 第2章 ミシシッピー川と沈みゆく土地
第2部 野生の世界へ
 第3章 砂漠に生息する小さな魚
 第4章 死にゆくサンゴ礁
 第5章 クリスパーは人を神に変えたのか?
第3部 空の上で
 第6章 二酸化炭素を石に変える
 第7章 ソーラー・ジオエンジニアリング
 第8章 過去に例のない世界の、過去に例のない気候

 

感想。
うん。衝撃的ではあるけれど、どこか他人事のようにも思えるのはなんだろうか。
要するに、地球環境の話なのだが、ドラマティックな描かれ方をしていて、サイエンティフィックと言うよりは、センセーショナルに書いている感じがする。ジャーナリストだしなぁ、、、と。まぁ、日経新聞の書評にある通り、技術者とは違う、第三者的な視点で書かれているので、批評家的な感じがある。

 

こういう、環境問題に関するアメリカの本を読むと、日本の自然はここまで極端なことになっているのだろうか???と、疑問に思う。単に、日本では真実が明るみになっていないだけかもしれない。たしかに、日本メダカが絶滅の危機だとか、トキはとうの昔に日本古来の種は絶滅。タンポポも、いまでは西洋タンポポが主流。海藻の研究をしている方の話だと、日本の海岸沿いの海藻は次々と消滅している、、そうだけど。単純に、日本では環境の変化を「危機だ!!」と声高に訴えるよりも、「そういうものだよねぇ。。。」と受け入れているのか、、、。ちょっと、微妙な気持ちになる。

 

なんにせよ、地球上で起きている変化を「危機だ!」と言っている人たちの声がつまった一冊。

 

第1部では、シカゴ川で起きている外来種の魚による在来種への脅威。そしてミシシッピー側が氾濫することによる土地の浸水。ハリケーンカトリーナによる大きな被害が出たのは、ミシシッピ川流域のニューオリンズだった。そこは水面の上昇に伴い、土地がどんどん消えていっていると言う。

かつ、沈黙の春』の功罪、というタイトルの項のなかで、『沈黙の春』を読んだ人々がとったある種の生き物をを守ろうとする人為的介入が、さらなる環境問題をひき起こしてきた話が紹介されている。う~~ん、、、厳しい。

megureca.hatenablog.com

 

第2部では、絶滅しつつある魚を守ろうとする人、サンゴ礁を守ろうとする人、あるいは増えすぎてしまったヒキガエルを何とかしようと画策する人々。ヒキガエルから繁殖能力を奪うことによって環境を守ろうとする人為的操作、それは遺伝子操作の1つクリスパーによって行われようとしている。それは、神の手なのか?!?!

ジェニファー・ ダウドナの言葉、「生命の分子そのものを思うままに書き換える手段」が引用されている。

megureca.hatenablog.com

 

第3部では、温暖化ガスである二酸化炭素を地球に埋めることによって石に変えるネガティブ・エミッションのテクノロジーを用いた二酸化炭素回収について。あるいは、かつて歴史では火山の噴火により低温化したことがあるので、それを真似てみる試み。噴火で発生した噴煙で、太陽が地球に届かなくなり、地球の温度が下がったことがある。それを人工的に火山灰の代わりになるものを成層圏に撒き散らすことによって、地球に雲をかけようと言うエンジニアリングを実行してみようとする計画。

 

どの話も、良かれと思って、かつての環境を守るためと思って、人間がそのテクノロジーを地球を守るために使おうとしている活動ではあるのだが、果たして、そんなことをしていいのか?と言う疑問がふつふつと湧いてくる。。

 

環境保全活動に勤しむ人を、非難するつもりなど全くないけれど、そもそも私たちが捉えている自然の変化と言うのは、自然の中の一部でしかなくて、そこだけに何かを対応しようとすると、その影響はその範囲を超えて良きせぬ結果をもたらすことがあるのではないだろうか。
そんな不安が心によぎる。

 

おそらく著者も、果たしてこれらのテクノロジーを自然を守るため、環境を守るためと言って使うことが正しいのか、と言う疑問を抱いている。それがタイトルに現れているのだと思う。とは言え、迫りくる環境危機に対して何もしないでいると言うのも、行動をとらないでいると言うことも、それもまた間違っていることのようにも思う。

 

地球規模の環境への影響と言うのは、今日頑張ったことが明日に結果が出るわけではない。おそらく今年頑張ったことが来年に結果になるわけでもない。。

かといって、このまま何もしないで、10年、20年、、2050年をむかえてもいいものか?

いやー環境問題って難しいよなって思う。

 

しかし、SDGsだの環境保全だのと言って、それをビジネスのネタにしようとする人がいるのも事実だ。正義の味方として、環境を守るためにその技術を導入するとは言うものの、私利私欲で富を増やそうと言う人がいないわけではない。まぁ良いのだけれど、それで富を増やしていただいたって別に構わないけれど、それが本当に環境にとって良いのなら。問題は本当に何が良いことなのかは、誰にもわからないということのような気がする。。


ちょっと話はずれるのだが、先日ラジオのニュースの中で、盲導犬の育成をしている団体の話があった。盲導犬と言うのは、基本的には無償貸与なのだそうだ。もちろん盲導犬を引き受けてからはその餌代なりのお金はかかるだろうけれど。あくまでも無償で提供する。ボランティア活動のようにして、盲導犬は育てられているのだそうだ。そして提供されている。盲導犬の数は、欲しがる人に対してその3分の1程度や3分の1以下だと言う。なんで盲導犬をビジネスにしてはいけないのだろうか?そりゃ、盲導犬を育てることで稼ぎにならないのであれば、自ら進んでそれをしようと言う人がなかなか増えないだろう。巨大な儲け目的のビジネスにする必要は無いけれど。、育成に必要な資金はきちんと調達し、ビジネスとして資金を調達し、ビジネスとして回収しても良いのではないかと思う。

環境活動も、環境保全活動もちょっと似ているところがあるよなと思う。ボランティアってその継続性は、現実的には厳しいものがある。本当に社会的に価値を提供できることであれば、妥当な金銭の報酬を受け取ってしかるべきだと思う。動物を守りたい、植物を守りたい、海藻を守りたい、、、。それが人類にとって意味ある事ならば、きっと賛同者は現れる。そういう活動がちゃんとビジネスになるといいな、って思う。

 

と、環境問題とボランティアを考えさせられた1冊だった。

 

本書の中に出てくる環境保全に取り組む人たちの中にも、ボランティアのように働いてる人たちもいる。ときには、その種を守ることにどんな意味があるんですかと言う質問を受けることもあると言う。「〇〇は何の役にたつんですか?」と。
そんな時は「あなたは何の役に立つんですか?」と言う質問を返すと言う。
厳しいね。

 

気になった言葉を覚え書き。

・2005年、ハリケーンカトリーナニューオリンズを冠水させ、1800人を超える死者を出した

 

・自然の成り行きに任せれば、アチャファラヤ川はミシシッピ川下流を完全に飲み込む。そうなるとニューオリンズは乾いた低地になり、川沿いに発展してきた産業精油所、穀物、倉庫、コンテナ港、石油化学工場はすっかり無価値になってしまう。それを防ぐために、1950年代に人の手が介入した。でも、ハリケーンはそれをあっという間に無にしてしまった。。。


旧石器時代から既に人々は、無数の種を絶滅させてきた。マストドングリプトドン、キャメロプス。ドードー、、、、。

 

・米国の学者たちは、「急速に減少しているごく普通の鳥のリスト」を作っているが、そこにはエントツアメツバメ、ヒメドリ、セグロカモメのような馴じみな生き物も並んでいる。絶滅しにくいと長らく思われてきた生物群である昆虫でさえ、急速に数を減らしている。生態系全体が危機にさらされ減少が減少を呼び始めているのだ。 

 

昆虫の数が減っているというのは、養老先生の本でもでてきた。人口減少だけでなく、生き物減少の時代に入っているのか・・・。

megureca.hatenablog.com

 

地球環境変化は、まさに複雑系。だからといって、思考放棄するわけにはいかない。だからといって、人間の智恵で考えたことが、必ずしも良い方向へ行くとも限らない。

良い方向?

だれにとって?

 

本書を読んだ時には、え?と思ったジオエンジニアリングの話が、アメリカで試験的に実行されたといういる話が、The New York Timesの記事になっていた。

”A little before 9 a.m. on Tuesday, an engineer named Matthew Gallelli crouched on the deck of a decommissioned aircraft carrier in San Francisco Bay, pulled on a pair of ear protectors, and flipped a switch.”

エアロゾルを発生させることには成功したようだけれど、それが地球温暖化を食い止めることにつながるのかは、これからの検証。。。

 

人工的に雲を作るって、、、、植物にとってはどうなのだろうか?光合成が弱まれば、二酸化炭素の植物による吸収がへってしまうことにならないのか??

そんなことは、検討の上の実験だったのだろうけれど、、、。

 

人間中心の考えを改めるというのが、最初に考えるべきことのように思う。

 

地球の生命は、人間だけじゃない。。。。