残酷人生論
池田晶子
NPO法人わたくし、つまりNobody
印刷日 2010年11月1日
発行日 2010年11月15日
この本は、池田晶子著『残酷人生論あるいは新世紀オラクル』(1998年3月/情報センター出版局・絶版)の増補新版です。
著者が、雑誌「Ronza」(朝日新聞社)の1995年4月号から1997年6月号に「新世紀オラクル」のタイトルのもとに連載した諸篇と、旧著の観光に際して書き下ろした諸篇を網羅し、同誌の創刊準備号(1994年12月号)からの一篇を加え、全体を校訂し、再編集したものです。
池田さんの本。図書館で借りてみた。『言葉を生きる』(ちくまQブックス)のなかで、次に読むべき本となっていた。
表紙には、
”あなたは、まだ知らないのか?
2010年代を生き抜くヒント。
『14歳の君へ』の池田晶子
魂の一冊が、いま増補新版でよみがえる!”
と。
そして、表紙裏には、上記言葉と共に、”美酒のようにこの本を読もう。”とある。
目次
思い悩むあなたへ
プロローグ 疑え
1 「わかる」力は愛である 言葉と対話
2 賢くなれない「情報化社会」 知識と情報
3 まぎれもなくここに居る 私という謎
4 人生を窮屈にしないために 自由と善悪
5 信じること、疑うこと 神と宗教
6 人生最高の美味を考える 死とは何か
7 あなたがあなたである理由 魂を考える
8 幸福という能力 「魂の私」を生きてゆく
エピローグ 信じよ
あとがき
感想。
うん、本書も面白かった。初出が1990年代なので、話題にでてくる事例が昭和のはなしではあるけれど、池田さんの哲学は普遍的なものがあるのだと思う。今読んでも、十分に興味深い。今こそ、面白いかもしれない。
疑え、ではじまり、信じよ、で終わるのだ。
物理の世界も量子力学が広がり、本書が出版されたころよりもさらに我々が「物質」と呼ぶ概念が、物質という「概念」であったという解釈になりつつある。加えて、ひも理論にいたっては、宇宙も概念になっていく。。。
私だって、魂だって、、、概念。
「無」なのだ。
死んだら無になる。なんでそれを恐れるのか?という話から始まる。
そして、池田さんらしい言葉が。
”考えることは、悩むことではない
世の人、決定的にここを間違えている。人が悩むのは、きちんと考えていないからにほかならず、きちんと考えることができるなら、人が悩むということなど、じつはあり得ないのである。”
と。
「人生いかに生くべきか」と悩んでいるひとは、人生の何をわかっていると思って悩んでいるのか、と。
そして、
”考えるということが、人を自由に、強くする。”と。
そして、”考えるということは、残酷なことである”と。
なにか嫌なことにぶつかったとき、思考停止すると心の痛みも感じなくなることがある。それは、考えることをやめているからだ。考えることは残酷なこと。でも、考えることでしか、真実は見えてこない。
”残酷なる真実を知るよりも、甘たるい悩みに憩って痛い人は、そうすればよろしい”と。
そして、真実を知ることを願うなら、「疑え」と。
なるほど。。。である。
と、相変わらず鋭い言葉が並んでいる。「残酷」な言葉かもしれない。でも、そこに真実があるよな、、と思わされる。いやぁ、、まいりますなぁ、池田さん、あなたには、、、。
「1の『わかる』力は愛である」というのは、言葉の通りであり、相手のことをわかろうとするところにしか愛はない。相手のことをわかろうとしないというのは、相手に対する愛を放棄している。という話。
ひとのことは、わからない。だからこそ、わかろうとするところに、愛が生れる。相手のことをわかろうとしなくなったとき、愛は破綻するってこと。その通り。
夫婦、親子、友人、同僚、師弟、、、あらゆる関係は、相互にわかろうという思いがない限り、真の関係にはなりえない。
親族間での殺人が多いのは、「わかったつもり」になっているからこそ、「裏切られた」という感情に囚われやすいのだろう。ほんとは、わかってなんていなかったのだ。「わかろう」という愛がたりなかったのだ。「わかったつもり」という思い込みによって。
「わかる」は愛。なるほど。その通り。
「2賢くなれない『情報化社会』」では、池田さんが知りたいのは人生と魂についての真実であり、そのような「真理」は、あふれる情報のどこをがしてもないのだ、と。それは、自分で考えることであって、ネット上のいかなる情報も必要としないのだ、と。
ネットサーフィンをいくらしても、賢くはならない。
便利グッズをいくら知っていても、賢くはならない。
おばあちゃんの知恵なら、まだいい。。。
「4人生を窮屈にしないために」では、売春をする高校生に、「なにが悪いのか説明できない」大人の話がでてくる。誰にも迷惑をかけていない。人には悪いことをする自由もある、というのが彼女らの主張で、それは、悪いと知らないから悪いことをしているのだ、と。悪いと知らないことが悪いのだ、と。彼女らは自由なのではなく、盲目という不自由なのだ、と。そして、池田さんは売春する高校生に対して、
”あんなものは、好きにさせればいいのだ。”と。
善悪は各人の精神にのみ内在し、本人が善を欲求しない限り、他人がそとから何かをすることはできないのだ、と。
そして、「なぜ悪い」と問われて答えられないなら、
”善悪を知らないというそのことが悪い。知らないということが悪いことだと知らないことが悪い。それは誰にとっても悪くはないが、お前にとってだけは大いに悪い。”といってやればいい、と。
うん、こう言われたら売春している高校生はどうするだろうか。
また、『脳内革命』が言及されている。ポジティブシンキングでハッピーになれる、という一時大ブームになった本だ。我が家にもあった気がする。池田さんは、まっとうな人間はなにをしてもまっとうで、ポジティブになれる「真善美」を欲するのは、その人にとって快だからであって、ハッピーになるためではない。
モルヒネを出すために、真善美を求めるのは話があべこべだ、と。
池田さんが求めるのは、あくまでも真理。壮大なる宇宙の真理。魂とはなにか。それは、死んでなくなるというものでもないのかもしれない。大事なのは神秘と感じるその感覚を、もち続けるということ。生きている神秘、死ぬという神秘。人が存在するということの神秘。
そして、最後には、その神秘を信じよ、と。
思い悩むな、信じろ。
神でもない、社会でもない、神秘を信じる。
人がここに存在しているという。自分がここに存在しているという。。
だんだん、禅の世界に近くなっていく。
そうか、だから、私には池田さんの言葉が心地よいんだ。
優しく心地よいのではなく、厳しく心地よい。
思い悩むな、考えろ!
考えるな、感じろ!
無になったときに、真理を感じることができるのかもしれない。
あぁ、面白い本だった。
文字が少なく、読みやすいので、とっつきやすいと思う。
なかなか、お薦めの一冊。
もっと、池田さんの本を読んでみたい。
読書は、楽しい。