『14歳からの哲学  考えるための教科書 』 by 池田晶子 (その2)

14歳からの哲学 考えるための教科書 

池田晶子

株式会社トランスビュー

2003年3月20日 初版第1刷発行 

2006年12月25日 初版第16刷発行

 

昨日の続き。

megureca.hatenablog.com

 

目次

Ⅰ 14歳からの哲学[A]

 1 考える(1)

 2 考える(2)

 3 考える (3)

 4 言葉(1)

 5 言葉 (2)

 6 自分とは誰か 

 7 死をどう考えるか 

 8 体の見方 

 9 心はどこにある 

 10 他人とは何か

 

Ⅱ 14歳からの哲学[B]

 11 家族

 12 社会

 13 規則

 14 理想と現実

 15 友情と愛情

 16  恋愛と性

 17  仕事と生活

 18 品格と名誉

 19 本物と偽物

 20 メディアと書物

 

Ⅲ  17歳からの哲学

 21 宇宙と科学

 22 歴史と人類

 23 善悪 (1)

 24 善悪 (2)

 25 自由 

 26 宗教 

 27 人生の意味(1)

 28 人生の意味(2)

 29 存在の謎(1)

 30 存在の謎(2)

 

 

Ⅰ 14歳からの哲学[A]では、池田さんは、どこまでも、「自分のあたまで考える」ことの大切さを話している。そして、Ⅱ 14歳からの哲学[B]も続く。

 

・「14 理想と現実」から

”この社会がより良くならなければ、君の人生だってより良くなるわけがないのは当然だ。この当然の事実に気がついた人々は、昔から「より良い社会」、つまり「理想の社会」の実現に努力してきた。ユートピア、戦争や貧困のない社会、誰もが平等に生きられる社会がそれだ。なぜその努力のほとんどが失敗してきたのかについて考えてみよう。

 理想とは現実のことであるなら、なぜ理想の社会は現実にならないのだろうか。最も単純な答えは、それが本物の理想ではなく、単なる空想か、漠然とした憧れだったからだ。例えば1番近い例として、20世紀の社会主義、それは見事に失敗した。多くの人が、その実現に向けて努力したけれど、努力すればするほど、それはより現実離れした理想となって現実化した。

 だから理想を現実にすることは不可能なんだと、失敗した理由として人はいうけれど、本当の理由はそうではない。目に見える現実だけを見て、目に見えない観点をみなかったからだ。この場合、人々の観念は目に見える現実だけが現実だと言う観念だった。つまり、社会というものが何か目に見えるもののようにあるように思い、そこに戦争や貧困や不平等があるのは社会のせいだと言う観念だ

 でもよく考えてみると、自分と社会とは対立するものではないのだから、自分のことで社会のせいにできることなど何もない。前にわかったね。そして善悪の判断は社会に任せるのではなく、各人が自分の内側でなすべきことなのだとも。”

 

目に見える物だけが現実ではない。目に見えないものを見ることが大事。そして、目に見えないものというのは、点数なんかで測れるものではない。だから、難しい。でも、それを、目に見えない大事なことを、自分で考えるっていうことが大事なんだ。そういうことだと思う。

 

目に見えないものを大事にする。サンテグジュペリの世界だね。

 

・「15 友情と愛情」から

考えるということは、ある意味で、自分との対話、ひたすら自分と語り合うことだだから、孤独というのは、決して空虚なものではなくて、とても豊かなものなんだ。もしこのことに気がついたなら、君は、つまらない友達と過ごす時間が、人生において、いかに空虚で無駄な時間か、わかるようになるはずだ。ただ友達が欲しいって外に探しに行く前に、まず一人で座って、静かに自分をみつめてごらん

 

私は、まだ、14歳の中学生と一緒に、一人で座って、静かに自分を見つめる時間が欲しいと思っている50代だ。

 

・「20 メディアと書物」から

インターネットも普及して、地球の裏側の事件、ウクライナのこと、ブラジルの選挙の事、アメリカの大統領選のこと、なにもかもが簡単に情報として入ってくる時代になった。これは、「進歩」なのだろうか

”もし、進歩だと思うのなら、地球の裏側の戦争のことを知ることが、君にとって意味のあることでなければならないね。地球の裏側の戦争は、君にどんな関係があるかしら?

身内や知り合いがそこにいるのとでもいうのでなければ、まあまず関係ないよね。関係ないのになぜ君はその映像を見るかしら?人が死んだり、ビルが倒れたりしている映像を見る事は、君にとってどんな意味があるかしら。

衝撃的、刺激的、つまり見たいから見ているということだね。これはテレビがなかった時代には、人がよその火事を見に走る真理と同じ。つまり野次馬根性だ。でも他人の不幸を刺激にするのはあまり良い趣味じゃない。その証拠に、次に始まる下品なお笑い番組なんかを見て平気で人は笑っているだろう。戦争からお笑いまで、全部が一律に電波で流されているから、人は大事なこと大事でないことの区別がつかなくなっちゃうんだ。”

 

野次馬根性。そうかもしれない。ウクライナの戦争も、トルコの地震も、自分が被災者のために何かをしないのであれば、ただ見ているのは、ただの野次馬根性なんだ。。。。

 

私は、テレビをあまり見ない。ただ流れてくる情報に時間を奪われるほどもったいない時間はないと思うから。芸能人の不倫報道とか、電波泥棒であり、時間泥棒だ。そんなもの、野次馬根性のなにものでもない。時間がもったいない。刺激が欲しいなら、自分の人生を刺激的なものにすればいい。

 

・「28 人生の意味」から

”一番最初に「思う」ということの不思議について述べた。人は何でも「思う」ことができる。これは本当に不思議なことだ。これが自由の原点だ。人生は、つまらないものだと思えば、人生はつまらないものになり、人生は素晴らしいものだと思えば、人生は素晴らしいものになる。何もかも、思った通りになる。人生は自分が思った通りの人生になっている。人は、思うことで、人生の運命を自由に創造することができるんだ。これは 何て素晴らしく、かつなんて難しいことだろう。”

 

自分の人生は、自分の選択でできている。

 

”もしも君が、これからの人生で、本当の勉強、本当の学問をしたいと志すのなら、このことだけはわかっておくのがいい。考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものに化すということなんだ。どうしてそうなると君はおもう?

謎が存在するからだ。謎が謎として存在するから、人は考える。考え続けることになるんだ。”

 

さっぱりわからないものを生きて死ぬということが、はっきりわかっているということは、自覚すること、人生の覚悟だ。だから、とても力強く生きて、死ぬことができるんだ。さぁ、君はどうする?

 

難しい一冊だ。でも、思うだけでなく、考えることも大事だと思う。思うことも大事。この花が綺麗とか、景色が美しいとか、感じたり、おもったりするのも大事。でも、ときには答えのないことを考えることも大事なんだ。わからないけど、それでも生きていくんだ。それでいいんだ。

 

うん、読書は楽しい。