『私本太平記(五)』  by 吉川英治

私本太平記(五)
吉川英治
吉川英治歴史時代文庫65
1990年4月11日 第1刷発行
1990年9月13日 第3刷発行

 

(四)の続き。

megureca.hatenablog.com

(四)では、隠岐に流された後醍醐帝が、宮方の支援をうけて隠岐脱出!そして、その宮方を成敗せよ!と北条高時に命じられた足利高氏が、妻と子を人質として鎌倉においたまま、西へ旅立つ。しかし、それは、高氏の北条家への謀反の始まりだった、ってところまで。

やはり、教科書では本の数ページ、もしかすると数行でおわってしまう「建武の新政」の始まりは、帝の脱出劇があり、高氏の反逆劇があり、、、こんなに面白い話だったのか、と。
吉川英治さんの作品だからならではの物語力もあるのだとおもうけど、面白い!!時々、歴史の解説も入るので、ほんとに、楽しく読める。

 

文庫本、後ろの説明には、
足利高氏の心はすでに決してる。彼は名優さながら、なに食わぬ態で六波羅軍と合した。
問題はいつ、最も効果的に叛旗をひるがえすかにある。高氏の打ち上げた烽火(のろし)は、まさに万雷の轟きとなった。石垣の崩れるごとく、鎌倉幕府は150年の幕を閉じた。
さて、建武の新政。台風一過と思ったのは、ひと握りの公卿たちで、迷走台風は再び引き返してきて荒れ模様。武士たちの不平不満は尽きない。”


主な登場人物
足利高氏:妻の登子は北条幕府の執権、赤橋守時の妹
足利直義(ただよし):高氏の弟
楠木正成:後醍醐帝にたのまれて、宮方として幕府と戦う悪党
楠木正季(まさすえ):正成の弟
後醍醐天皇:倒幕を企てて失敗。隠岐にながされてしまったが、四巻では脱出に成功。
大塔の宮:後醍醐の皇子。笠置の謀反の間は、吉野・熊野に逃れていた。一度は出家している。
北条高時鎌倉幕府、14代執権。後醍醐帝と敵対。
新田義貞:足利家と同じく源氏の流れをくむ。長く、足利家とは犬猿の仲。でも、高氏と同様に、鎌倉を裏切って、宮方につく。

 

(五)のクライマックスは、なんといっても、鎌倉幕府滅亡・・・・。

 

何食わぬ顔で妻と子供を鎌倉に残し、鎌倉を出発した高氏は、途中で佐々木道誉とも謀叛の連判を確認し、六波羅を支援するためかのように京へむかう。しかし、高氏を援軍と期待する六波羅だったけれど、その動きは怪しい。そして、とうとう、、、、。

六波羅は倒れる。陥落した六波羅の武士たちは、次々と殉死。そのかず400人以上。そして、六波羅滅亡の話は、鎌倉へ飛ぶ。鎌倉の高時らは、とうとう、最後のときを迎える。その最後を見届けたのは、鎌倉に残っていた新田軍だった。義貞は、高氏と約束したとおり、高氏のおさない息子「千寿王」をつれて活躍。後に、新田に多くの援軍がついたのは千寿王がいたおかげだといわれ、新田がひにくれる一因となる。その時、千寿王は数えで5歳。ほんの子供。

また、裏切り者高氏の義兄となっていた赤橋守時は、高氏の妻・登子(自分の妹)は、自害したと高時に報告しつつ、「なにがあって生きつづけよ」と言い聞かせこっそり登子を逃れさせる。そして、守時自身は、高時を守るために戦い続け、最後は鎌倉の北のほうで自害。
このあたりでは、鎌倉とまわり地名がたくさんでてくる。腰越、仮粧坂、極楽寺稲村ケ崎、、。横浜育ちの私には、とても身近な名前。そう、鎌倉という土地はそういう舞台なのだ・・・。

 

高時は、迫りくる反乱軍に動じることなく、最後は見事な自害。それを見届けたのはは、高時の産みの母・覚海尼に、その最後を見届けるようにと言われて高時の元を訪れていた若尼・春渓尼だった。彼女たちの過ごしていたお寺が、鎌倉の円覚寺円覚寺といえば、無学祖元禅師。禅寺だ。そんな、五山の一つで高時の母は、余生をすごしていたのだった。そして、東勝寺に逃れた高時やその従者、春渓尼は、そこで最後を迎える。もう、逃げも隠れもしない、最後としった高時は、「ありったけの酒をもってこい」といって、どうせ死ぬなら、と宴会を始める。そして、多くの従者は恐怖におののく中、覚悟をきめた春渓尼や、幾人かで歌い、踊り、、、、。そこに、続々と手負いの味方が戦況不利の報告にやってくる。最後の敵は、新田義貞だった。

 

高時は、東勝寺で自害し、果てる。続いた870人以上の殉死。総じて、このときの鎌倉での死者は、6000人とも言われている。。。高時の死から2日後、覚海尼と春渓尼は、円覚寺の一院で姿をならべて自害。。。

 

五巻の最後の方は、鎌倉滅亡後の京の様子。後醍醐帝は、宮方として戦った武士たちに褒美をだすが、それは、はなはだ不公平なものも多かった。建武の新政は、それが始まったときから不穏な空気になっていたのだ。

 

足利高氏は、従三位、左兵衛の督。武蔵、常陸、下総の三か国。
足利直義は、左馬ノ頭。三河の一部と、遠江一国。
新田義貞は、正四位ノ下、右衛門佐。越後守、上野(こうずけ)、播磨。
脇屋義助(義貞の弟)は、駿河守。


そして六波羅を牛耳り始めた高氏。後醍醐帝の命だったとはいえ、それは大塔の宮に「高氏はあやしい」と思わせる。また、高氏は、後醍醐帝から本名「尊治(たかはる)」から「尊」の文字をもらい、北条高時の「高」の字をすてさせ、以後は「尊氏」と名乗るようになる。教科書でならう、足利尊氏はこうして誕生した。

 

北条滅亡、帝による新政が始まった世の中。でも、世の中は不安定だった。新政を誹謗したとされれば、即刻牢屋行き。楮幣(ちょへい)という紙切れのような紙幣を新政がだしたというけれど、世の中には流通していない。それを受け取らないとする商人たちが次々に捕まった。そうしてつかまった一人に、吉田兼好の弟子、雀をかっている「命松丸」の姿もあった。そして、一緒に牢にぶち込まれていた人々は、見せしめのために早々に全員斬首という話しが聞こえてくる。牢の中にいた、みすぼらしく、ちびっこの命松丸は、大の大人をまえに、自分がここから抜け出して、顔見知りの道誉さまに命乞いに行ってくる、という。

牢に閉じ込められた大人たちの命は、命松丸に託される。そして、みんなの助けでまんまと牢からするりと抜け出した命松丸は、命乞いのために道誉のもとへ走るのだった。

と、ここまでが、五巻。

 

後醍醐帝は、自分の理想の新政を始める。それを面白くない武士たち。それに、尊氏を厚遇することが気に入らない大塔の宮。

なるほどなるほど。
ますます、面白い展開になってきた。これが、史実に基づいているのだから、本当に興味深い。

 

そして、こういう戦のあれこれは、今現在もつづく、ウクライナとロシア、イスラエルパレスチナの争いと大きくかわらない、、、、と感じる。

現代も争う人々は、中世のあらそいと、なんら進化していない・・・。そんな思いがする。

 

歴史に学べというが、学ばないのが人類か・・・。

 

足利尊氏がほんとに野望をはたすまで、あと一歩!

続きも楽しみ。