『後醍醐天皇 室町人物伝 コミック版 日本の歴史32』 

後醍醐天皇 室町人物伝 コミック版 日本の歴史32
監修 加来耕三
ポプラ社
2012年9月 第1刷


私本太平記を読んでいる最中だけれど、ここは基本にもどって、後醍醐天皇を中心に見直してみようと思って、コミック版 日本の歴史シリーズを図書館で借りてみた。そもそも、南北朝時代とか、室町幕府の始まりに興味をもてたのも、このコミック版の足利尊氏をよんでからだったし。


漫画なので当然、あっという間に読める。当然、これまで、私本太平記の中で出てきた人物がでてきて、その関係性の復習になった。


私本太平記の中でもでてきたけれど、なんとなく読み飛ばしていた人物についても、あぁ、そういう関係だったのか、と理解できた。


北畠親房(きたばたけちかふさ)は、『神皇正統記』で南朝、つまり後醍醐天皇の属する大覚寺統の正統性を記したことでしられるが、かれは、後醍醐天皇の側近の一人。そして、息子の北畠顕家が、足利尊氏と直接戦った。


隠岐脱出の時に活躍した名和長年は、伯耆の豪族。児島高徳後醍醐天皇を支えたが、後に褒章に不満をもって、とっとと地元にかえってしまた武士のひとり。

しかし、私本太平記の中で、わたしが大塔の宮が残したと思っていた歌は、児島高徳が残したメッセージだって。隠岐に流される後醍醐帝が目にした歌。

天莫空勾践(てんこうせんをむなしゅうするなかれ)
時非無范蠡(ときにはんれいなきにしもあらず)

(三)は、もう、図書館に返しちゃったから、、、まぁ、機会があれば、読み直してみよう。


後醍醐天皇は、大覚寺統に属してはいるけれど、皇太子になるには程遠い身分だった。でも、兄・後二条天皇が早く死んだことで急遽、皇太子の身分になることになった。父・後宇多法皇よりも、祖父の亀山法皇に可愛がられた。そして、皇太子になることがきまったときから、自分の理想の政治をしたい、と野望をもっていた。


出来事をおさらい。


1318年: 後醍醐天皇が、花園天皇の後を継いで、第96代天皇となる。

 

1324年: 「正中の変」で、日野俊基日野資朝鎌倉幕府につかまる。私本太平記の(一)(二)。

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1331年: 「元弘の変」で、日野俊基は再び捕まる。後醍醐天皇は、京をでて笠置山へ。全国の武士に挙兵を促したけれど思うように兵は集まらず。楠木正成は、赤坂城で戦う。
後醍醐天皇は、隠岐へながされる。
幕府は、光厳天皇北朝)をたてる。

私本太平記の(三)のあたり。

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1332年: 大塔ノ宮護良(もりよし)親王は、吉野で挙兵楠木正成は、千早城で挙兵。

 

1333年: 後醍醐天皇隠岐を脱出。5月には、帰京。

私本太平記の(四)(五)のあたり。

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1335年: 「中先代の乱北条時行(高時の息子)が信濃で挙兵。これをうつためには、「征夷大将軍」を任命してくれと、尊氏が後醍醐帝に頼む。北条を打ち取った尊氏は、そのまま鎌倉で政治を始める。新田義貞は、後醍醐天皇に言われて尊氏討伐にむかう。

 

1336年: 足利軍 vs 新田・楠木連合軍の戦い。湊川の激戦で、楠木兄弟は自刃。後醍醐天皇は、比叡山に逃れるが、入京した足利尊氏は執拗に後醍醐天皇を孤立させる。

 

1336年: 後醍醐帝は、偽の三種の神器光明天皇へわたし、再起をねらう。こうして南北朝時代が始まる。

 

1339年:後醍醐天皇 52歳で崩御

 

なるほど、なるほど。 

まだ私本太平記も、(五)までしか読んでいないけど、これからは尊氏vs後醍醐天皇に移っていくところ。楽しみだ。

 

後醍醐天皇にしても、足利尊氏にしても、今の世直しをしたいとおもってのこと。また、それが自分の天命であると信じているからのこそ。その思いの強さがすごい・・・。

 

教科書にはなかなか出てこない日本史、面白い。