『私本太平記(八)』 by 吉川英治

私本太平記(八)
吉川英治
吉川英治歴史時代文庫70
990年5月11日 第1刷発行
1990年9月13日 第3刷発行。

 

(七)の続き。最終章。


後醍醐帝を支援して、北条を裏切った足利尊氏。しかし、後醍醐の新政に疑問をもって、今度は後醍醐帝を裏切った尊氏。宮方についた新田義貞楠木正成に攻撃されて西へと逃げた足利軍だったが、九州で勢力をつけて、再度都へ。尊氏は再三楠木へ足利方につくように誘いをかけるが、なびかない正成。。。そして、とうとう、、、、。

 

と、文庫本のうしろの紹介には、
湊川に繰り広げられた楠木軍の阿修羅の奮戦。さしもの正成も、”敗者復活”の足利軍に制圧された。正成の死は、後醍醐方の大堤防の決壊に等しかった。浮き足立つ新田義貞軍。帝のあわただしい吉野ごもり。その後の楠木正行北畠顕家の悲劇。しかし尊氏も都に我が世を謳うとはみえなかった。一族の内紛?勝者の悲哀? 彼は何を感じていたのか。終わりの「黒白問答」が、その解答である。”と。

 

目次
湊川帖(つづき)
黒白帖

 

最終巻。なんと、、、、。こんな最後だったのか、、、、。
(八)は、涙無くして読めない。

楠木正成が、いまだに皇居にその銅像が飾られている意味がはじめて理解出来た気がする。もちろん、歴史小説なので、多少の脚色はあるのだろうけれど、楠木正成は、死に戦と分かっていても、後醍醐帝を裏切ることはしなかった。だからこそ、本当に自分と共に死んでもいいと思ってくれる人間しか最後の戦には連れて行かなかった。妹、卯木の夫・元成や、嫡男正行も、土壇場で戦場を離れるようにと言いつける。楠木正成は、だれも死んでほしくなかったのだ・・・。最後は、弟と自刃・・・。菊水の旗は、ここに沈む。


湊川の戦いで、海と陸から攻めた足利軍に敗れた楠木軍。。。実は、その直前にも、右馬介(尊氏の従者)は、正成に足利について一緒に世直しをしないかと誘いにいく。断る正成。負け戦とわかっていても、最後まで自分の信念をつらぬいたのだ。

正成と尊氏は、互いに胸の内では失いたくない人物と認め合いながら、戦った。尊氏は、うちとった正成の首を丁寧に弔った。

そして、尊氏は都を奪う。吉野に逃れた後醍醐帝。都は廃墟のようになってしまう。ここに至っても、尊氏は、朝廷とケンカをするつもりはない、と後醍醐帝に申し入れる。弟・直義は、朝廷との和睦が気に入らない。それでも、兄に従うしかない直義。また、光明天皇の誕生。形ばかりの落ち着きを取り戻すかにみえた世の中。

 

しかし、新田や北畠の残党が、それも面白くない。後醍醐帝も、まだ京都回復を心の底では願っていたが、混乱の中、どさくさのように死んでいく義貞・・・。さいごまで、ぱっとしない。後醍醐帝は先帝として静かに吉野にこもるのだった。そして、病に倒れ、亡くなってしまう。

 

尊氏は、後醍醐帝の死を悼み、周りに反対されながらも「天龍寺」の建立を決める。そうか、こういう成り行きで、尊氏は後醍醐帝のために天龍寺をつくったんだ・・・。なんで、敵のために、、ともっていたけれど、結局、尊氏は、最後までなんだかどっちつかずというのか、、、。

足利の安定した世になるかと思いきや、時代はそうはいかなかった。次の混乱は、足利内で発生。尊氏の従者として長く側にいた師直は、これまでのうっぷんを晴らすかのように、やりたい放題の乱れよう。それにたいして叱らない兄に不満爆発の弟・直義。結局、直義は、師直を廃し、最後には兄に反旗を翻す。そして、、、さらなる悲劇。

尊氏は、弟に毒をもる・・・・。

しらなかったぁ、こんな悲劇の物語だったとは、、、。
ほんと、教科書に載らないはずだ・・・・。
身内同士の戦いは、100年の悔恨を残すといって宮をさとした尊氏自身が、弟を殺してしまうのだ・・・・。

悲劇の物語だった・・・・。

最後は、尊氏や正成の周りの人々が、この戦乱の世を生きのびて、それぞれに生きて再会するという場面で終わる。

盲目の琵琶法師・覚一。右馬介。卯木。元成。二人の子どもの観世丸。小右京。。。。。

 

あぁ、、、戦乱の世。。。。戦で敵の刃で死んだ者。主君の死につづいて殉死したもの。毒殺。病死・・・・。親の仇を取ろうとして戦死していくもの。。。

戦は、勝っても負けても、、、恨みつらみを残す。。。。足利家は、尊氏の後を義詮(よしあきら)が次ぐ。そして、有名な三代将軍・義満は義詮の息子。義満の時代に、ようやく南北朝が解消されるというのが歴史だ。

ほんとうに、なるほど、そうだったのか・・・・。の『私本太平記』だった。
いやぁ、面白かった。

吉川英治、すごいなぁ。 

 

鎌倉幕府の滅亡は、元寇だけが原因ではない。建武の新政のあっという間の崩壊も、足利家内の内訌も、、、一連の戦乱の中では致し方なかったのかもしれない。それにしても、多くの人がなくなった数年間。しばらく戦争さえなければ、誰の政治でもいい、、と人々が思ったとしてもおかしくない。それが、なんとなくぼんやりした室町時代につながっていったのかもしれない。

 

太平記にもいろいろあると思うけれど、吉川英治私本太平記』は間違いなく面白かった。時々、歴史的解説も入っているので、ただの小説ではなく、小説的解説書ってかんじもある。いやぁ。吉川英治、ほんとすごいなぁ。

 

どうも、歴史的に私の中で流れが見えなかった鎌倉~室町。55歳にして、初めて理解できたような気がする・・・。

いやぁ、人生、まだまだ知らないことだらけだね。

やっぱり、読書は楽しい。