「江副浩正」 by 馬場マコト、土屋洋

江副浩正

 

馬場マコト・土屋洋 著
日経 BP 社
2017年12月25日 一版一刷

 

リクルート株式会社の創業者である江副浩正の生涯を書いた本。


著者の二人は、日本リクルートセンターの OB である。
江副は 19936年6月12日大阪市天王寺区で生まれている。
著者の馬場さんは1947年生まれ。
もうひとりの土屋さんは1946年生まれ。
およそ10歳年下のリクルートの OB が書いた江副さんの本である。

 

「この一冊、ここまで読むか!」で楠木建さんのおすすめだったので読んでみた。


一言感想。


やっぱり起業家ってすごい。
そしてこの本からの学びは、「謙虚であれ」に尽きるかもしれない。

 

私はバブル期に大学生をしていたので、まさにリクルートにお世話になった世代である。
1986年、男女雇用機会均等法の施行が始まり、形だけは男女平等であるかのようになったけれども、私が1991年に社会人になったとき、そこで待っていたのは採用枠での職種違いと言う、隠れた男女差別だった。創業100年の日本の大手食品製造業の会社。


そんな時代において、それよりも20年も前にリクルートは採用において男女の差は全くないという会社として始まっているのである。


大学時代から始めていた就職・進学情報の仕事から、そのまま企業に入ることなく自ら会社を起こした江副さんならではの、ごく自然な「機会の平等」という考え方だったのだと思う。

 

いわゆる会社人になることなく起業した江副さんにとって、何が経営の先生だったかと言うと、ピーター・ドラッカーだったようだ。


1962年、大学サークルの延長線上で仕事を始め、熱気を失わず、社員一人ひとりの自主性を重んじ、自由闊達さを第一にしてきたリクルートは、数年のうちに100人を超える集団になっていく。しかし不景気になってくると、新規事業が生まれにくくなってくる。


江副さんは、新しい事業に挑戦するからこそリクルートなのに、そのリクルートらしさが段々と失われていくような気がして、経営に対して不安も持つようになっていく。

そんな時、ニューヨーク駐在員を勤めながらニューヨーク大学の夜間ビジネス学科に通っていた東京大学時代の同級生、菅原から紹介されたのが 、
創造する経営者 ピーター・ドラッカー著 ダイヤモンド社」だった。


そして、江副さんは、「経営とは社会変革である」という言葉に魅せられていく。


その後、ソニー盛田昭夫本田技研工業本田宗一郎松下電器産業(現・パナソニック)の松下幸之助、数々の経営者と話をする中で、自分自身の経営の形を見つけていったのだと思われる。


そして、リクルートの経営三原則を作り上げる
「社会への貢献」
「商業的合理性の追求」
「個人の尊重」

 

そしてその後「リクルートの経営理念とモットー十章」を作ることになる。

 

江副さんの教科書は、常にドラッカーの「創造する経営者」、「現代の経営」だった。

 

そして、スローガンともいえる、

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」 

が生まれる。

 

この言葉に、私は激しく共感する。

 

その後、江副さんは、様々な事業を起こし、リクルートをどんどん大きくする。株の店頭登録を前に、お世話になった人たちに株を持ってもらう。そして、それがのちに、リクルート事件になっていくのである。

賄賂というつもりは、まったくなかったようである。でも、証券会社のいう事を信じて配った株が、犯罪となってしまう。のちに、野村證券の知人に、「うちの会社だったら、絶対に政治家に株を配るなんて事させなかった」と、言われる。

あの時、店頭登録を野村証券でしていたら、、、、。

人生、どこで、どう歯車がくるっていくか、わからないものである。

あとから、振り返って、あぁ、あの時、、、というのは誰にでもあることだろう。

 

どんどん成長していくリクルート。時代は、バブル。不動産で大儲け。

そして、謙虚さを失ってしまった江副さん。

検察ににらまれなければ、リクルート事件にもなっていなかったかもしれない・・・。

 

「謙虚であれ」

この一言に尽きる気がする。

自分自身へも、今一度、言っておきたい。

「謙虚であれ」

 

リクルート事件もあり、ダイエーへの全株売却、その後リクルートとはすっかり離れた江副さんだが、2013年2月8日、突然この世を去るまで、その前日まで、新しい事業を考えていた。

後年は、リクルート事件のこともあって、あまりいい印象ではなかったけれど、本書は、江副さんの起業家としてのすごさを今一度思い出させてくれた一冊だった。

 

差別のない会社。

それを日本に作ってくれただけでも、江副さんの貢献は大きいと思う。

今でも、時々であう若者で、「この子すごいな」と思う人は、きけばリクルート出身だったりすることが度々ある。

 

ダイエー資本参加から、リクルートの自主性を守るために、当時の事業部長たちがまとめたリクルートの独自性。

 

一、透明で中立的な開かれた経営でつねにあること。

一、社員持株会を常に筆頭株主とし、「社員皆経営者主義」を貫くこと。

一、つねに組織の新陳代謝に努め、若いエネルギーに満ちた組織であり続けること。

一、新規事業に果敢に取り組み、誰も手がける事業をやる誇りを持ち続けること。

一、つねに高い目標に挑戦し、その過程で個人と組織の持つ能力の最大化を目指すこと。

一、徹底した顧客志向により、得意先の満足を最大化すること。

一、個人を尊重し、社内は一切の肩書き、学歴、年齢、性別から自由であること。

 

なかなか、すごい。

 

人が育ち、人が成長する機会を提供する。

そんな会社、私も作ってみたい。

そんな社会に、してみたい。

 

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ

よい、言葉だなぁ、と、思う。

 

私自身、2020年に30年間つとめた会社を、早期退職という形で退社した。

私自身が、会社で思っていたのが、「機会は平等であるべき」だった。

男女雇用機会均等法の後ではないだろうか、総合職とか、一般職、という名前で採用から差別されるようになったのは。

差別というと言葉は悪いが、実態としては、私が入社した当時の採用枠は、女子の給料を低いままに採用するために設定された「一般職」という枠だった。自分でそこに応募しているのだから、「差」を自ら認めたうえで、入社しているのだ。

 

結局、私は、30年間、サラリーマンを続けたわけだが、最後まで、入社時の「差」は、ついて回っていた気がする。

管理職になっても、「一般職」出身の管理職。

それでも、私は、たくさんの機会をもらったし、素晴らしい会社だったと思う。

現在は、会社の仕組みとしての「枠」はなくなってきている。

採用も、新卒採用偏重から、通年採用も増えているし、会社としては間違いなく良い方向へ行っていると思う。良い会社になってほしいと思う。

 

私は、もうサラリーマンをするつもりはない。

「起業」したい、と思っている。

というか、会社を経営するとかではなく、個人事業主でもよいのだけど。

雇われない働き方をしたいと思っている。

そして、人生100年時代、死ぬまで何かで稼いでいたい。

お金が欲しいという事ではなく、

死ぬまで、なにかで社会に価値を提供していけたらと思う。

 

 

私は、江副さんのような、大胆さや覚悟は持ち合わせない。

それでも、なにか、誰かの役に立てるなら、やってみたいと思う。

 

死ぬまで、フローで生きよう。

たとえ、毎日赤字でも、インカムがあって、アウトカムがあるのがいい。

フローで生きよう。

ストックを消費していく生活でなく、

フローで生きよう。

 

 人は、いくつになっても成長できる。