『文豪、社長になる』 by 門井慶喜

『文豪、社長になる』
門井慶喜
文藝春秋
2023年3月10日 第1刷発行

 

先日、叔父が面白かったと言っていたので、図書館で借りてみた。

文藝春秋を設立した菊池寛の物語。本名は、ひろし。文豪としては、きくちかん。

表紙の裏には、菊池寛の経歴が。

 

菊池寛は、明治21年1888年香川県高松市に生まれる。
京都大学英文科を卒業後、時事新報社社会部記者に。この頃、『父帰る』『無名作家の日記』『恩讐の彼方に』など、後に名作とされる作品を次々と発表。大正9年1920年)、新聞に連載を開始した『真珠夫人』が大ベストセラーとなり、一躍流行作家に。同12年(1923年)に雑誌文藝春秋を創刊。その後も文藝春秋社社長の傍ら、旺盛な執筆活動を続ける。昭和10年(1953年)早世した親友・芥川龍之介直木三十五を悼み、2人の名を冠した文学賞を創設。日本文学の振興に大きく寄与した。同22年(1947年)戦時中の軍部への協力により公職を追放。翌23年(1948年)狭心症により59歳で急死。

 

著者の門井さんは、1971年群馬県生まれ。同志社大学文学部卒業。2003年オール讀物推理小説新人賞を『キッドナッパーズ』で受賞しデビュー。18年に『銀河鉄道の父』で直木賞受賞。たくさんの著書があるようだが、私はおそらく読んだことがないと思う。

 

目次
寛(ひろし)と寛(かん)
貧乏神
会社のカネ
ペン舞台
文芸春秋

 

感想。
あー面白かった。

菊池寛と言えば、真珠夫人で人気となり、文藝春秋を作った人っていう歴史上の人としては知っていたけれど、あまり著書も読んだことがないし、なんとなく昔の偉い作家さんなんだろうと思っていた。『真珠夫人』は、TVドラマでやっていたのは知っているけれど、調べたら、2002年だそうだ。あの頃、あまり興味なかったから、私は見てはいない。でも、平成の時代においても大人気だったような記憶がある。

 

「本書は、史実に基づくフィクションです」と断りがあるが、人柄などは、おそらく本人のままなのだろう、堅物の文豪と言うよりは、お茶目で、冒険心いっぱいの、やんちゃなまま、大人になった人物という感じ。

そうだったのか!と知らなかったことがたくさん。また、出てくる人物が、まぁそうそうたる人物だ。最初は夏目漱石のお葬式。そこから、芥川龍之介川端康成、横山利一、有島武郎泉鏡花、、、小林秀雄、、、。

 

ビジネスセンスというか、稼ぐということにも無頓着ではなかった。大学卒業後は、記者として働いていたこともあり、社会の裏表、いろんな経験があった。そして、新聞の読者がどんな話を愉しんで読むのかもしっていた。だから、「うける」という狙いの元に『真珠夫人』を書いた。作家であり、記者であり、創作者そのものだったのだ。芥川龍之介に原稿を依頼したのも、文藝春秋の目玉として売り出せるから。線の細い芥川龍之介と、ごっつい猪突猛進タイプの菊池寛。最初は、執筆を断っていた芥川だけれど、何度も同じ文句で菊地に口説かれ、「まぁ」とか「いや」とか、、、そうしてとうとう最後は、「わかったよ」と力なくうなずいた、、と。面白いコンビだ。

 

でも、お金の管理には無頓着で、信頼していた部下に会社のお金を使い込まれて、大ピンチになったこともある。他の社員が、「横領」を菊池に報告しても、彼は僕のファンだと言って入社してきたんだ、そんなは筈はない、、、と突っぱねていたのに、とうとう、横領の現場を自分で目撃してしまう。相当なショックだったはず。でも、そこから救ってくれたのも仲間の社員だった。

 

そして、若くしてなくなってしまった仲間の名前を世に残すため、芥川賞直木賞をつくる。芥川賞は、芥川龍之介を偲んで、というのはわかる。でも、直木賞の由来は、私は本書を読むまで知らなかった。「直木」というのは、作家・直木三十五に由来する。直木三十五とは、菊池の友人の作家のひとりで、『南国太平記』という作品で一躍有名になったらしい。幕末の薩摩藩におけるお由良騒動を扱ったもの。

 

今年、日本史の勉強をしていて、薩摩の「お由良騒動」が出てきたのだけれど、そうか、こういう本があるから、有名なんだ、、、と、これも一つ発見。

 

直木三十五は、本名・植村宗一。「植」の文字を二つにわけて、自分で「直木」となのっていたのだそうだ。で、三十五は、その時35歳だったから、、、。その前は直木三十四、直木三十三、と名乗っていたらしい・・・。

 

で、直木の作品が人気になるのをみて、菊池は娯楽小説雑誌「オール讀物」をつくる。そうか、そうだったのか!知らなかった。

 

芥川龍之介と、直木三十五を亡くしたあと、一般文芸向けに「芥川賞」、大衆文芸むけに「直木賞」を「無名もしくは新進作家」に与えるとして、文学賞をつくった。それが、今にもつながっているわけだ。二つの賞は、イベントとして文藝会を盛り上げるための作戦でもあった。戦時中は、芥川賞を受賞した火野葦平、本名・玉井勝則を表彰するために、小林秀雄を大陸まで派遣する。そして、文藝春秋は、軍の広告宣伝ともなっていってしまう。そんな中、文藝春秋に長く務めていた一人の女性が会社を去っていく。政治的な色が濃くなっていくことに、自分の居場所ではないと感じたのだった。それは、その人こそ、石井桃子

 

よみながら、石井桃子?どっかできいたことあるような、、、と思っていたら、終戦後の場面ででてきた。菊池寛のもとへ、「私も本を出すことになりました」といって挨拶にやってきたのだ。そう、『ノンちゃん雲に乗る』石井桃子さんも、菊池寛と一緒に文藝春秋をもりあげた一人だったのだ。石井は、満州事変をきっかけに、政治色が濃くなっていく文藝春秋を退職し、本当の「文藝」を求め続けた。『熊のプーさん』を岩波書房で翻訳して出版し、少年少女向けの企画に熱中し、とうとう、自信が作家に。

 

いやぁ、しらなかったぁ、っていうことがたくさんある。 

 

戦時中、軍の片棒を担ぐことになってしまったことを自分自身で後悔していた菊池は、戦後に文藝春秋を解散する。でも、若手は文藝春秋を守り続けた。そして、公職追放が撤回されたら、文藝春秋に戻ってきてください、という若者の言葉に、心を躍らせる菊池。やっぱり、文藝春秋を愛していたのだ。やっぱり、雑誌編集が大好きな自分に気が付く。そして、もしも再開するなら、「不易流行」というタイトルにするんだと息子にいっていた菊池だったけれど、「不易流行」の志は、最初から「文藝春秋」というタイトルにすでにあらわれているということに改め気が付く。

よし、もうひと仕事するぞ!と未来を見つめたその晩、持病の狭心症で急逝。。。

妻の腕の中で、薄れていく意識。。。

 

幸せな最後だったのか、と思う。

 

面白い人だったんだなぁ。ちょっと、リクルートの江副さんと似ているかも・・・・。なんて思った。

 

直木賞の作品は、あまり私の趣味ではないのだけれど、菊池寛や、直木三十五の作品を読んでみたくなった。

 

読書は、楽しい!