『夜明け前 第一部 下 』 by 島崎藤村

夜明け前 第一部 下
島崎藤村
新潮文庫
昭和29年12月25日 発行
平成24年6月20日 75刷改版

 

夜明け前(上)の続き。

megureca.hatenablog.com

(上)と同じ、平静24年6月20日発行のものだけど、(上)は91刷で(下)は75刷というのは、(上)で挫折した人が多いのかしら???なんておもいつつ、続きの(下)を読んだ。

 

以下、ネタバレあり。

 

(上)の最後、中気を患った父・吉左衛門の回復を祈って、玉滝へ3日間の山籠もり(祈祷修行?)をした半蔵が、馬籠本陣に戻ってくる場面から始まる。吉左衛門は、跡目相続を半蔵に譲り、現役を退いた。

 

日本中で悪病(はしか)が流行して、多くの人が亡くなる事態が起きていた。また、将軍家茂は京都へいったきり、還御(江戸にもどったかどうか)もわからない、英吉利(イギリス)の軍艦は横浜に居座って退却しない、、、と、世の中は不安定だった。

参勤交代は廃止され、江戸には不景気がやってくる。復活させようと思ったときには、もう幕府への忠誠は下がっていてなかなか思うようにいかない。なんせ、将軍家が朝廷に参上する時代だ。

 

長州と会津・薩摩の公武合体派との反駁。攘夷だといいつつも内輪もめ。幕府は長州征伐にでたものの、実のところ集められた兵士たちは長州と本気で戦うつもりもない。水戸浪士の乱暴ぶり。東と西を行き来する武士たちは、木曽路をとおる。半蔵たちが知りえる世の中の動きは、そうした旅人を通じた口語りだった。

 

当時の街道では、脅迫と強請が頻発していたという。宿の亭主たちが、武士の客から御肴代とか御祝儀の献上金をねだられるのが常だったと。じつは、そのような半ば脅迫のような関係から生まれた言葉が、「実懇」だそうだ。今でいう、昵懇。「実懇になろうか」と迫るのは、要するに金をねだられるということだった、、、と。
武士の道徳的観念が衰えていた時代、、ということなのだろう。


そんな武士たちを迎える本陣の半蔵たちは、世の中がすごいスピードで変わりつつあることを肌で感じつつ、実際に江戸や京都で何が起きているのかは、人づてに聞くことでしかわからないのであった。

時代のスピードに追いつきたい。でも、何がどう動いているのかわからない。
木曽に住む人々の焦るような気持ちを、吉左衛門が将棋を例えて、焦っても仕方がないとたしなめる。

 

一歩ずつ進む駒もある。一足飛びに飛ぶ駒もある。ある駒は飛ぶことはできても一歩ずつ進むことは知らない。ある駒は又、一歩ずつ進むことはできても飛ぶことは知らない。この街道に生まれて来る人間だって、その通りさ。一気に飛ぶこともできれば、一歩ずつ進むこともできるような、そんな駒はめったに生まれてくるもんじゃない」

うまいこと言うな。。。。

 

そんな中、木曽の庄屋たちは、江戸の道中奉行から呼び出され、半蔵は再び江戸に出かけることになる。参勤交代の制度が変わった江戸では、以前に半蔵が江戸に来た時とは随分様子が変わっていた。諸国大小名の家族が引き上げてしまった江戸は、がらんとしてしまったのだ。しかも、文久3年(1863)11月15日の火災で、江戸城は本丸・西丸ともに炎上し、姿を消してしまっていた。

 

半蔵は、政治の中心が江戸から京都にうつりつつあるのを目の当たりにしたのである。

 

そして、家茂が亡くなり、慶喜の時代へ。


結局、(下)も多くは時代の説明だった。半蔵は、平田門下の活動を個人として支えつつも、庄屋としての仕事を全うしていく。民(半蔵の妻)の兄(寿平次)夫婦には子供がなかったために、半蔵の次男の正己は寿平次のもとへ養子へ行く。跡取りがない家が、兄弟の子供を養子に迎えるというのは、特に珍しい話ではなかったのだろう。

 

第一部をまとめると、自然災害、海外の軍艦来航などでだんだんと弱っていく幕府、道徳を失った武士の振る舞い。そして、慶喜が心ならずも第15代将軍に据えられ、江戸城無血開城という大事をなしとげたこと。そのような世の中だったからこそ、漢から伝わってきた「漢意(からごころ)」ではなく、日本古来の「やまとごころ」に魅せられた半蔵などの若者たちがいた、ということ。それを歴史背景とともに語ったのが『夜明け前 第一部』という作品。

 

本居宣長の遺著『直毘の霊』からの引用がある。

「古の大御代には、道という言挙げもさらになかりき」

「もののことわりあるべきすべ、よろずの教ごとをしも、何の道くれの道といふことは、異国の沙汰なり。異国は、天照大御神の奥ににあらざるが故に、定まれる主なくして、狭蠅なす神ところを得て、あらぶるによりて、人心あしく、ならはしみだりがはしくして、国とし取りつれば、賤しき奴も忽ちに君ともなれば、上とある人は下なる人に奪はれまじと構え、下なるは上のひまを窺いて奪はむとはかりて、かたみに仇みつつ、古より国治まりがたくも有りける。。。。。。」

 

中世以来の政治、天の下の御制度が漢意の移ったもので、この国の青人草(一般の人々)の心までもその意に移ったと嘆き悲しんでいる。

武家時代以前の昔は、神の道があった。神の道とは自然なのだ、ということ。

自然に帰れ」それが、宣長の言葉だった。

半蔵は、その教えに惹かれたのだ。

 

第二部は、もう少し半蔵中心の話になるのだろうか???

気が向いたら、いつか読んでみようと思う。 

 

ちょっと、歴史説明が多くて読みずらかったけれど、こうして江戸から明治への変化は起こったのだということが、物語として頭に思い描く事ができる。歴史の教科書のようであり、教科書としてはものたりなく、やはり小説であり、、、。

 

歴史小説は、その背景を理解してから読んだ方が面白いのだろうけれど、まぁ、読み方は人それぞれ。好きに読めばよいよね。

うん、まぁまぁ、面白かった。

読んでよかったとおもう。

後半になるにつ入れて、どんどん面白くなっていく感じ。そこにたどり着くまで読み続けるのがちょっと難儀したかな。

ま、でも、楽しんだ。

 

やっぱり、読書は楽しい。