『給料はあなたの価値なのか 賃金と経済にまつわる神話を解く』 by  ジェイク・ローゼンフェルド

給料はあなたの価値なのか
賃金と経済にまつわる神話を解く
ジェイク・ローゼンフェルド
川添節子訳
みすず書房
2022年2月10日第1刷発行

 

日経新聞、2022年4月16日の書評で紹介されていた本。面白そうなので図書館で予約していた。ようやく順番が回ってきたので読んでみた。

 

著者のジェイク・ローゼンフェルドは、ワシントン大学セントルイス教授(社会学)。先進民主主義国における格差について政治的・経済的な要因を中心に研究している。プリンストン大学社会学の博士号取得。

 

表紙裏の説明には、
”私たちが労働の対価として受け取る給料。ではその額はあなたの市場価値の反映なのだろうか? 私たちは自らの生産性と職種によって、給料の額は客観的に決まると考えがちだが、果たしてそれは本当だろうか? ならば弁護士の方が教師より価値がある仕事なのか? 警官や大学教授、記者の仕事を客観的な基準で正しく評価できるのだろうか? 実は多くの人が誰がいくらなぜもらうのかを知らないまま、神話にとらわれていると著者は述べる。
 本書はアメリカの社会学者が様々な企業・業界の実態調査に基づき、常識への反論を試みる書である。給料を決定する四つの要因(「権力」「慣性」「模倣」「公平性」)を手掛かりに、広く信じられている誤解を解き、給料を上げるための方策と真に公平な賃金制度への道筋を示す。コロナ危機を踏まえたエピローグを収録。”

とある。
 
感想。
なるほど。斬新というより、古き良き時代を取り戻したいという感じか?!?!
これは、アメリカの話だ。。。。確かに、日本にも当てはまるところはあるけれど、アメリカで働く人ほどには、日本人には響かないかな。。。でも、翻訳出版しているということは、それなりにやっぱり需要のある類の本なのだろう。

 

ものすご~~~く端的に要約してしまえば、著者が言っているのは
給料が決まるのに個人の成果は重要ではない。生産性や職種も関係ない 。労働者が組合を作って一致団結して自分たちの給料を全体としてあげればいい。
という感じ。

 

調査(アメリカの)によると、給与設定に「非常に重要」と考えられているのは、「個人の成果」「経験」「職種」「勤続年数」「組織の業績」「チームの成果」「学歴」だった。給料を決める側も、もらう側も。でも、現実には、これらをベースに給料が決まっているわけではないのだ、、と。また、著者は、重要だからといって、それで給料を決めるのはまちがっているのだ、と。

 

成果主義にも異を唱えている。

成果主義は、場合によってはズルをしてでも自分の成果をあげようとするものも出てくる。本書で紹介さてていたのは、「異物混入」をみつけた工場ライン労働者に加算給与を支払う仕組みにしたら、みずから異物混入させて加算をもらおうとする輩がでてきたとか、取り締まり切符をとったほど警察官の報酬が上がる仕組みにしたら、重要な事件より簡単に取り締まれる業務の件数ばかりが増えて、住民の不満がたかまった、といった例が挙げられている。

 

会社の中で「個人の成果」を測るのは、極めて難しい。研究にしても、営業にしても、だれか個人だけの努力の成果というのは、ほぼあり得ない。でも、だれもが、自分は誰より頑張ったし貢献した、、と思いがち。。。難しい。


アメリカの極端なまでの格差。なぜそうなのか、なぜ、数億ドルをかせぐ経営者はいる一方で、医療費が払えずに治療を受けられない労働者がいるのか、、、。ウォルマートが商品を安く売れば売るほど、利益が出たとしても、それは労働者に還元されるのではなく、経営者の報酬になるか、仕入れ元の利益が小さくなっているか、、、、。安売りは、巡り巡って、自分たちの首を絞める。。。

 

日本の給料だって、上がらないといわれているけれど、500円でランチが食べられる国なのだから、、、、。自分が支払うお金は、誰かの給料になる。自分の給料は、誰かが支払ってくれたものからなる。。。

春闘でも、一番に引き合いに出されるのは、消費者物価指数だ。それが上がっていないのだから、給料をあげなくてもいいでしょ、、って。

 

本書の中では、株主資本主義に対する批判も大きい。会社は株主のものなのか?なによりも株主還元を!という風潮があった時代もある。株価を上げるために、自社株買いをして株数を下げることで株単価をあげる、、、というバカげた、、と思えることが流行った時代もある。いまは、さすがに、「株主が神様」ということは無いだろう。ただ、マーケットがグローバル化されて、会社の経営に対する株主の存在感が上がっているのは間違いない。

しかし、余剰金ができても、株主に還元してしまって、従業員に還元されないのであれば、いつまでたっても給料は上がらない・・・・。


日本でも格差問題が言われて久しいが、アメリカではその差がさらに大きく、また、全体のパイも大きいことから、組合をつくって会社から搾取されるのを防ぐべきだ、という主張が出てくるのだろう。

また、日本では労働組合を作ることを会社が拒否することはできない(はずだと思う、、、)けれど、アメリカでは会社が労働者の組織化を阻むことができるようだ。だから、著者は組合の組織化を解決策にとりあげているのかもしれない。

 

本書のなかで、日本にも当てはまるとおもえるのは、給料の決まり方の仕組み。たしかに、1990年代頃からアメリカ式の「目標管理制度」「成果主義が取り入れられ、あたかも個人の成果がお給料に正しく反映されているかのような、、、仕組みが導入されてきた。でも、実際には、年齢給があったり、扶養家族がいるかどうかで手当がちがったり、、、真に個人の会社への貢献でお給料を決めるなんて、不可能だ時給制だとしても、人によって能力に差があっても、同じ給料だったりする。

 

そして、著者が言う、お給料を決める4つの要因、権力、慣性、模倣、公平性は、確かにその通り。これは、万国共通かもしれない、、と思った。

 

権力というのは、文字通り会社の権力のある人がお給料をきめるということ。結局、給料制度をきめるのは人事部だ。人事部統括の役員の意見が反映される。

 

私は、新卒から30年間、同じ会社でサラリーマンをしていたのだけれど、その間に何度人事制度が変わったことか。私が社会人になったのは、1991年。まだバブルの余波があったころで、新卒大量採用があった。故に、私の同期が勤続年数を重ねていくと、会社としては人件費がどんどん上がっていく。原資が限られていれば、それを大勢の同期で分け合わなければならないということになる。そこで会社は何をしたか。人事制度、給与制度を変えてきたのだ。いわゆる、昇格タイミングになるたびに制度が変わった・・・。
そのとき流行りになった制度を取り入れて、、、まるで最先端の人事制度かのように。で、会社が良くなったのか?人事制度が改善されてみんなの満足度が上がったのか??? 比較対象がないのでわからないけれど、職務をポイントで表現することで給料を算出する仕組み、後から考えれば愚の骨頂、、、、。

まぁ、人事部もなにかしないとお給料をもらえないので、やたらと人事制度をいじくりまわすのだろう。あまり生産的とはおもえなかったけど。
確かに、個人の能力や成果で、給料は決まらない・・。決められない。

 

慣性とは、そういうものだから、、、という惰性のようなもの。例えば、日本でいえば、介護士や保育士の給料は、エッセンシャルワークと言われるけれど給料が高くない。そういうものだから、、、。医師は看護師より給料が高い。それだけ知識、技術、医師免許を取るためにも多くのもの必要とされるから、というのは納得しやすい。部長だから給料が高い、ベテランだから給料が高いというのは、はたして、どこまで個人の成果か。でも、ちょっと納得してしまうところもある。そういうものだから。。。


日本の場合は、終身雇用の上での給料体制だったこともあり、ベテランの給料が高くなるのは、なんとなくそういうものだ、、と納得してしまうところもある。

慣性といえば、そうかもしれないけれど、あんまりこれまでの習慣をみだしたくない、、、とおもえば、その習慣が続いていく。まぁ、だれもが平等に歳をとっていくわけで、あまり先輩方の給料が高いことに異議を唱えたら、将来自分の首を絞めることにもなりかねない。。。アンタッチャブル、、にしておいたほうがいいと思えば、慣性にながされる。ま、それでいいこともある。

 

模倣というのは、他社にならう、ということ。日本の春闘でも、トヨタがどうした、連合がどうした、、、ということが参考にされる。同じ業界であれば、自社の給料が競合より低ければ、競合に人材をとられてしまう可能性が生じるので、同業他社と同じくらいの水準にしようとする。そうして、給料が高くなっていったのが製薬業界、銀行業など。。。あるいは、上がらない業界というのは、労働市場が広くて、給料を上げる必要がない業種。

 

公平性というのは、お隣さんとの給料差を無くそうという力が働く、ということ。会社の中で、個人の給料を公開していることはあまりないだろう。みんな、なんとなく同僚がいくらくらいの給料をもらっているかは想像つくけれど、明確に「年収○○万円」と明らかになることはない。でも、おおよそわかるからこそ、納得している。あいつが、月給40万円なら、自分が月給41万円でも、まぁ、納得いくなぁ。。。みたいに。
そして、ひとたび、同期の誰かが自分たちよりずば抜けて高額をうけとっていれば、なんだ、なんだ!!!となって、差を埋めようとする動きが生じる。
アメリカで、同僚の給料より自分の給料が圧倒的に低いことがわかった女性が、会社を訴え、勝訴した、という話は珍しくない。訴訟社会のアメリカならではかもしれないけれど、日本でも、たしか、どこかの会社の女性社員が生涯年収の男女差を訴え、勝訴したことがあったはずだ。
そうして、公平な方へと変化していく。それは、個人の話ではなく、集合体としての公平へ

 

とまぁ、給料は個人の成果で決まるのではないのだから、個人がいくらがんばったところで自分の給料があがることはない。だから、組織として会社という組織と戦え、というのが著者の言いたいことの様である。

Uberのようなギグワーカーや、Amazonのワーカーも、組合化の流れがあるそうだ。

 

そして、会社にとって人件費のカットというのは一時しのぎにしかならず、真に生産性をあげるためには、”人件費削減を禁止”したうえで、生産性をあげることを経営者に考えさせる必要があると言っている。

 

まぁ、わかる気はするけれど、外部環境の変化で従来の仕事がなくなることもあるわけで、それでも解雇しないで同じ給料で雇い続けるというのは、企業にとっても、仕事がなくなったのに間に合わせの仕事で雇用され続ける人にとっても、健全ではない気がする。

雇用と経済と、難しい。

 

個人的には、最も重要なのは「何のために働くのか。何をして稼ぎたいのか」を自分が自分に問い続けることのように思う。何かしらの理由で、働く意欲があっても働けない人にとっては、組合があるとかないとか、それ以前の問題でもある。
それこそ、社会の仕組みとして考えなくてはいけない。

 

幸か不幸か、大きな企業に就職できると、自分の成果がたいしたことなくてもそこそこのお給料を貰う事ができる。でも、その就職のチャンスだって、個人の能力というより、その時の労働市場、社会の経済状況による。いわゆる氷河期世代は、個人の問題ではなく就職難だった。バブル世代もまた、個人の能力とは関係なくどこかしらには就職できた。

どちらが運がよかったと言えるのか?長い目でみれば、バブルの波に乗って入社してしまったがために、もっと他の可能性を発掘することができなかった、という不幸もあるかもしれない。

 

どのような状況であったとしても、それを外部環境のせいにしても、なにも自分の人生は好転しない。厳しい現実だけれど、そういうもんだ。 

 

260ページの単行本。参考文献の数も膨大。活字も小さめ。なかなかの情報量の一冊だった。ただ、「アメリカンだなぁ」とちょっと第三者的に読んだので、わりとさらっと読み。

 

考え方の一つして、興味深い。

 

雇用問題、経済問題、ホントに奥が深いというか、正解がないというか、、、。でもだからといって考えることを放棄してもいけない。

 

ただ思うのは、「お給料」をもらっている間は、このジレンマから逃れられない。

 

E:Employee (従業員)

S:Self employee (自営業者)

B:Business owner (ビジネスオーナー)

I:Investor (投資家)

 

さて、どこを目指すのか。

人生100年時代、徐々にEからS,B,Iとシフトしていくのかいいのか。

それも、結局自分次第。

 

とりあえず私は、早期退職でE(従業員)を卒業してよかったと思っている。

部長であっても、経営側にならない限り、ただの従業員だ。

実際、やめてみてわかることがたくさんある。

その切り替えのタイミングを決めるのは自分だ。

 

定年まで待つ必要は、ないかもしれない、、よ。

動ける体力のあるうちに、次のステージに挑戦してみるって悪くない。