『強欲資本主義は死んだ』 by ポール・コリア、ジョン・ケイ

強欲資本主義は死んだ
個人主義からコミュニティーの時代へ
ポール・コリア、ジョン・ケイ
池本幸生、栗林寛幸 訳
勁草書房
2023年2月20日 第1版第1刷発行
GREED IS DEAD (2020)

 

日経新聞(2023年4月29日)の書評に出ていて、面白そうだったので、図書館で予約した。

記事に書かれていたのは、
ディケンズの小説『荒涼館』において、アフリカ・ニジェール川左岸の先住民のために熱心な請願を行ったジェリービー夫人トランプやハリウッドのセレブ達は、全世界の福祉の最大化のように「意識の高い」大義を掲げて自己陶酔しているのだ。”というようなこと。
善意の行動は、自己満足ではないのか? 他人から称賛されるための善意ではないのか?と。

私も、時々、あれ?それって、本当のところ何のため??って、誰かの慈善活動に対して意地悪く思うことがある。本人は本当に誰かを助けたいのだろうし、活動を強要されない限り、だれが何をしても、私には関係ないのだけれど、、、。自分の力不足を棚に上げて、大きな活動をしている人に嫉妬しているのかもしれないけど、、、。いやいや、三毒追放、「怒るな、妬むな、愚痴るな」が私のモットーです。

 

とまぁ、強欲資本主義、という言葉も面白そうだし、読んでみた。


表紙の裏には
”「古い資本主義」の混迷を回顧し、「新しい資本主義」を展望する!

いま経済と政治を混乱させているのは、個人主義の行き過ぎであり、自己中心的思考の蔓延である。「私が生み出したものは全て私のもの」であり、「私が正しいのだから、私に従え」と主張する。どちらも「私がすべて」である。こうした過剰な個人主義が、経済格差と政治の機能不全をもたらした。

必要なのは、独善的リーダーでも株主主権の強化でも、国家による中央集権化でもなく、地域コミュニティーや多様な中間組織の再生だ。マイケル•サンデルらは、市場競争がコミュニティーを破壊すると言うが、資本主義とコミュニティーは共存し、「共創」できる。その処方箋を本書は提示する。”
とある。

 

訳者解説や、訳者あとがきを含めると、264ページの単行本。なかなかの読み応え。

 

著者のポール・コリアは、オックスフォード大学プラヴァトニック公共政策大学院経済学・公共政策教授。1998年から2003年まで世界銀行研究開発部門ディレクターを務めた。現在はパリ政治学院客員教授や国際成長センターのディレクターも勤めている。

もう1人のジョン・ケイは、イギリスを代表する経済学者の1人であり、現在はオックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジ・フェロー。ファイナンシャルタイムズ紙に長年コラムを執筆し、イギリス政府の依頼により証券市場改革案(ケイ・レビュー)をまとめた事でも知られる。財政政策研究所セクター等歴任。

2人とも、イギリスの経済学者。そうとは知らずに読み始め、あれ?アメリカじゃない、、、って感じた。事例の出し方とか.論調がアメリカンでは無い。どう違うのか、うまく言えないけど、、。そして、しばらく読んでから、イギリスの話が多いし、あ、著者はイギリスの人たちだ、、、と、気がついた。ちゃんと、著者を知ってから読まないとね、、、。

 

感想。
うん、なんとなく面白かった。経済というか、政治というか社会の話だ。話のまとめ方がうまい。話の流れがうまいと言うのだろうか。過去がどうだったのか、現場はどんなことになっている、だから未来に向けてどうするのか、そのような順番で書かれているので、思考がついて行きやすい。
最初に、日本語版への序文として、日本の現状についても語られており、日本にもこれが参考になればとのコメントがある。日本の大きな国内課題は、人口問題であり、ジェンダーギャップも解消できていないことを指摘し、
力を持つものが自らの犠牲を払うことなく、道徳的義務について弱いものに説教しようとする限り、失敗し続けるだろう”と。なんと、辛口でいて、的確なコメント。

日本のことだけでなく、よりよい社会のためには、口先の道徳ではなく、行動でしめすことが大事であり、かつトップダウンでやるのではなく、みんなでコミュニティーとして活動するのだ、というのが全体の主旨。

アメリカの経済に関する本だと、労働市場も違うし、なんとなくこれは日本には当てはまらないなぁと思うことが多いのだが、本書の方が日本の参考になる感じがしなくもない。やっぱりイギリスと日本は文化的にちょっと似てるところがあるのかもしれない。アメリカに比べればということだけれど。

 

個人主義ではなく、コミュニティーを大切にしようというのが主となるメッセージ。コモンの大切さをとなえる斎藤幸平さんの思考に近いかな。『人新世の「資本論」』や、『ゼロからの「資本論」』の著者。

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目次
日本語版への序文
はじめに なぜ今なのか?

 第1章   何が起こっているのか?

第I部 個人主義の勝利

 第2章   個人主義経済学
 第3章 権利
 第4章 公民権から表現的アイデンティティ

第II部   政府  苦悩の症状
 第5章 父権主義的国家の興亡
 第6章 政治的地殻変動
 第7章 労働党が、労働者階級の指示を失った経験

第Ⅲ部 コミュニティー
 第8章 私たちにコミュニティ的性質
 第9章   コミュニタリアンの統治
 第10章 コミュニタリアンの政治
 第11章 コミュニタリズム、市場、ビジネス
 第12章 場のコミュニティー

エピローグ 嵐から身を守るために


なぜ今なのかと言えば、2020年、世界はまさに変化の時を迎えていたから。新型コロナ対策でロックダウンしている状況の中、イギリスの各地では、人々は自分たちよりもロックダウンの影響を強く受けている人々を助け、また新型コロナとの戦いの最前線にいる人々を支えるためのボランティア活動も行っていた。これほどの危機的な状況でなくても、困難な時代において、人々の連帯の価値と必要性を強調するために、今、この本を書いたということ。

新型コロナ対策に、国として、どのように対応するのか、一市民として、どのように行動すればいいのか、そのようなことを考えている中で書かれた本ということ。中国のような全体主義な国は、確かに感染封じ込めが一気に進んだ一方で、後に感染爆発に。全体主義ではなく、民主主義国家としてどのような行動が適当なのかを考えるための本。

 

いくつか、心に残ったところを覚書。

 

・”利己的な個人と自信過剰なトップダウン型のマネジメントの組み合わせは、私たちの社会に大きな損害を与えてきた。しかし、あなたはそれを変えることができる。私たちは、あなたがそうするの支援するために、本書を書き上げた。”

第一部では、利己的な個人と自信過剰なトップダウン型のマネジメントの代表として、アメリカのトランプ、ロシアのプーチン、ブラジルのボルソロナ、北朝鮮金正恩、を名指ししている。彼らを利己的な動機に基づいて行動している人と呼び、なぜこのような利己的な政治が蔓延してきたのか、歴史にさかのぼって研究されていく。

 

・アダムスミスに関する引用。
著者らのアダムスミスに対する理解は、先日のノーム・チョムスキーの理解と同じだ。

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スミスは、人間とは、利己心と共感、野心と創意工夫、学習と困惑、競争と協力が複雑に絡み合った存在であり、その人間性を考慮する重要性を説いた。しかし著者らは、スミスに対する一般的イメージは、「強欲は良いことだ」とする哲学を説いた人物となっていて、それは、スミスの理解としては間違っている、と述べている。

 

・強欲な企業の具体例。
本書の中では、製薬会社が利己的な目的で様々な薬を売っていることを批判している。アメリカでは、現在、オピオイド(麻薬性鎮痛剤)を売り続けたことで、その中毒による死亡が社会的に大きな問題になっている。その薬を売り続けたパーデュー・ファーマ社は、人々を助けるふりをして、自社の利益のために死者が増えても薬を売り続けた。2023年の今でも、アメリカのニュースでは、度々オピオイド問題が取り上げられている。中毒患者は、有色人種に多いのだという。格差問題としても扱われている。

 

・行き過ぎた個人主義に対する批判として
同性愛カップルの結婚式のためにケーキをデコレーションすることを拒否したキリスト教徒のケーキ屋さんの話。似たような話は、つい最近のアメリカのニュースでもあった。裁判所は、ビジネスの自由を支持して、これまた大論争になっていた。著者らは、ケーキ屋さんはなぜケーキを焼いてあげなかったのか。またなぜそのカップは別のケーキ屋さんに頼まなかったのか。なぜそれが裁判に訴えることになってしまうのか。裁判に訴えることなく、些細な揉め事を解決する社会に目を向けるべきではないのか、と。
うん、、私も、この問題は、どっちもどっちだな、、、と思っていた。。。外国人だからと言って、賃貸契約を拒否する不動産やさんを訴えるならまだわかる気がするのだが、、、。住む所がないのは死活問題だけど、ケーキでしょ???と、、思ってしまう。。。。

 

・自国の利益と思った行動が、他国への負担を助長していないか?という提言。
2011年の東日本大震災の後、ドイツのメルケル首相は、ドイツのすべての原子力発電所の閉鎖を発表した。メルケル首相は、自分自身も科学者として、それがリスクを減らす、と考えた。でも、そのことによって石炭火力発電が増え、ドイツの排出二酸化炭素はさらに増えた。。増えた二酸化炭素は、アフリカにさらに被害をもたらす。ドイツにおける「緑の党」の積極行動主義は、想像上のリスクを膨らませ、原子力発電所を閉鎖することでそのリスクは軽減したが、その代償として10億人のアフリカ人が直面する現実のリスクを悪化させることになった。果たして、これは本当に正しい選択だったのか?

これは、、、、難しい。再生可能エネルギーで代替できるのなら、いますぐにでも原子力発電所を停止させるべきだろう。でも、だからといって、火力発電で温室効果ガス排出を増やすというのは、未来に借金を増やしていくことになる。。。自分にできるのは、せめてもの節電か。。。

 

第2部では、政府の役割について。

・”私たちは「国有化」と「民営化」という言葉は、まるで正反対の言葉のように使っているが、これらの言葉は所有権と中央集権化と言う別個の問題を混同している。
特に、イギリスの事例で話しがすすみ、「国有化」で成功した事例もあれば、失敗した事例もあり、労働党の支持層が変化している、ということ。

政府が経済発展の何に力を入れるかによって、その影響を受ける人たちは変わる。洗濯機や掃除機などの普及によって1950年から1970年代にかけての技術革新が変えたのは、主に労働階級の主婦の生活だった。それは、生活を大きく変えた。それに比べると携帯電話、パソコン、インターネット、格安航空券の空の旅等は、若くて、十分な教育を受けた人たちにとっては非常に重要なものであったけれども、中流階級の生活には大きな影響はなかった。でも、そこに資金は入れられる。


・”職業によって決まる社会階級と投票行動の関係の逆転は、イギリスよりもアメリカにおいて顕著である。今私たちはアメリカの政治地理学の大転換を見ている。1930年代までさかのぼるとブルーカラーの労働者階級が民主党支持の有権者の中心であったが、今や労働者の人口が多い州は共和党陣営にすっかり鞍替えしている。それに対して、青い州民主党支持者の多い州)では、知識、労働者専門職、サービス上従事者等のクリエイティブクラスが優位を占めている。”
同様のことは、イギリスでも起きている、ということ。


・時代が、さらに進むと能力主義メリトクラシーが台頭してくる。
メリトクラシーとは、マイケル・ギャングの1958年の著書『メリトクラシー』によってうまれた言葉。本作は、もともとは社会風刺の作品だった。社会的地位が生まれによってではなく、才能によって決まる社会をディストピアとして描いたものだった。そのディストピアは、いまでは世界中の資本主義国家で蔓延している。 

メリトクラシーについては、中村氏の『暴走する能力主義』がわかりやすいのでお薦め。

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で、最後は、個人の利己主義を捨て、コミュニティーで行動することによって、新しい社会を作っていこう、という話。

 

強欲主義の代表者のひとりに、カルロス・ゴーンの話も出てきたのだが、「何かをしようとすると反対するものが現れ、告発され逮捕されてしまう。しかし皆の意見を聞いて、結局何もできなくても告発される事は無い。」と言っている。

いやいや、、、まさに・・・・。

 

第三部は、人間の性善説に基づいて、資本主義とコミュニティ―の発展は共存しうる、と言う話。そのためにも、共通の目的をもって取り組むことが大事だと。最後の方では、「パーパス」経営をとりいれた製薬会社についても言及し、製薬会社へのバッシングモードを少し緩和させている。

共通の目的が重要なのは大いに共感するけれど、それだけでは足りなくて、「価値観」も共有していないといけない、というアダム・グラントの『ORIGINAL』の意見の方が、私は共感するかな。

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私はサラリーマン時代に、マネジメント改革の一環で、ジョンソン&ジョンソンの「マイクレド」を研究したことがあるのだが、「マイクレド」は、目的だけでなく、価値観共有の意味合いが大きいと思った。そして、今は、パーパス経営が多くの企業で語られている。これも、流行り言葉なような気もしなくもないけど。。。。

 

コモンとか、コミュニティ―とか、コロナ後の今、とくに新しい概念ではないけれど、原書が2020年だったことを考えると、その時に翻訳されていたら、もっと、インパクトあったかもしれないな、と思った。

 

資本主義の歴史を見直す、という意味での経済、歴史の勉強にもなった。新自由主義個人主義能力主義、、、いっときは時代の寵児だった言葉たちも、時代が変わると、すっかり悪者扱いだな、、、って気がする。ま、「何かする」ということは、それだけ「非難」の対象にもなりえる、ということだ。まちがったなら、やり直せばいい。

強欲資本主義は、普通の資本主義でやり直そう。自己の利益ではなく、社会の利益のために。

 

うん、なかなか興味深い一冊。

問題は、どう行動していくか、ということなんだな。

 

思っているだけでは世界はかわならい。

一歩、踏み出そう。