『祖国地球 人類はどこに向かうのか 』 by エドガール・モラン (その1)

『祖国地球』人類はどこに向かうのか
エドガール・モラン
アンヌ・ブリジッド・ケルン
菊地昌実 訳
叢書・ウニベルシタス 法政大学出版局
1993年12月25日 初版第一刷発行


本書、『祖国地球』は、ヤマザキマリさんが『歩きながら考える』の中で紹介していた本。

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実はもう一冊、ヤマザキマリさんが引用していたエリアス・カネッティ『群衆と権力』も気になったので、図書館で借りてみたのだが、難しくて全く歯が立たなかった。同じような文脈で紹介されていたので、同時に『祖国地球』も予約してたのだが、本書は他のメディアでもヤマザキさんが紹介したらしく、古い本だけれど予約が回ってくるまで、しばらく時間がかかった。

 

感想。
これも、難しい。でも、ちょっとだけ、わかる。書いてあることの規模の大きさ、ヤマザキマリさんが薦める訳。要するに、地球規模でいこうぜ!!って話。まさに、地球という宇宙船にのっている私たちは、祖国地球に生きているのだ。

読んでいて、難しいけど、気持ちがいい。共感したくなるところがたくさんあるのだ。うんうん、と、頷きながら読んだ。

 

著者のエドガール・モランは、1921年パリ生まれ。社会学者。思想家。対戦中は対独レジスタンス活動に参加。戦後は、雑誌編集者、映画評論家として活躍。国立科学研究所 (CNRS) の主任研究員として、多元的・総合的な現代の人間・社会・文化の調査と研究に成果をあげている。著書も多数。2022年には、『百歳の哲学者が語る人生のこと』という本も出されている。ちょっと、こちらも読んでみたくなった。

 

私は、彼の本を読んだのは、多分、初めて。ウィキによれば、”その仕事は諸学問の境界を横断する超領域性で知られている。”と出てきた。

まさに、超領域という感じ。読み始めて、あれ?これは、歴史の本なのかな?と思ったら、社会の話になり、哲学の話になり、生物の話になり、、、、縦横無尽に様々な分野を渡り歩く感じ。詳細な説明なく様々な出来事や年号だけが引用されるので、読者は、それが何をはなしているのかがわからないと、本書の全体を掴むことができない。歴史の年表を片手に読むと、ふむふむ、と比較的わかりやすい。それでも、私が理解できたのは、きっと半分にも満たないように思う。これは、蔵書として買ってもいい本だな、と思う。積読本が溜まっているのでいますぐではないけれど、きっと、もう一度買って読み直す本になる気がする。

 

目次
プロローグ 歴史というものの歴史 
1 地球時代
2 地球的身分証明書
3 地球の最後の苦しみ
4 地球上の私たちの目的
5 不可能な現実主義
6 人類政治
7 思考の変革
8 滅びの福音書
結論 祖国地球


プロローグで歴史の話からはじまるのだが、その段階で、あれ?これは、ちと難しいぞ、、、となって、先に「結論」を読んでみた。それでも、やっぱり、難しい。
けど、1~7に、さらに細かな目次がついているので、各項目の全体像を頭に一度入れて、それから再度読み直した。

 

全体に、地球規模の話である。それは、私の好きな規模感。大きく物事をとらえると、日常の些細な悩みが、ちっぽけで、たいした問題ではないように思える。地球規模で考えるって大事だ。

 

1の地球時代というのは、宇宙に地球が誕生した時代ということではなく、地球が宇宙の惑星の一つに他ならないという事実が明らかになった時代の話。


15世紀末の明朝、ムガル王朝、オスマン帝国インカ帝国アステカ帝国の時代が、1492年を境にして、変わった。ヨーロッパ西部の若くて小さな国々(スペインやポルトガルなど)が、地球制覇への道を踏み出し、冒険と戦争を重ね、幾多の死の犠牲をはらって、地球時代を築くことになった、ということ。

 

ここで、「1492年」とでてきても、何が起きたかがすぐにわかる人には、スッとはいってくる文章だけど、「1492年」からコロンブスの新大陸発見」が結びつかないと、疑問符を頭に抱えたまま、先に読み進むことになる。まぁ、この出だしの章では、すぐに、コロンブスの名前が出てきて、ヴァスコ・ダ・ガマがアフリカを迂回してインドへ至る東方航路を見つけた話がでてくるので、あ、そうだ、コロンブスだ、って思い浮かぶ。

全体にそんな感じで、やたらと説明がない分、論文というよりは、詩的な文章になっている感じがする。それがまた、ヤマザキマリさんが好きそうだなぁ、、、って感じ。私も、こういう感じ、好きだ。でも、難しいけど・・・・。難しいので、齋藤さんの本『読書をする人だけがたどり着ける場所』にならって、好きな文章3つを選ぼうと思いながら読んだのだけど、とても3つにはしぼれない。読み終わってみれば、付箋だらけ、、、だった。

 

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それでも、ちょっと、気になったことだけ、覚え書き。

 

・”20世紀の初頭において、地球時代は人類の平和的で友好的な統一への願いでもあった
しかし、世界化の過程は次第に波風が立ちはじめ、違った様相を示してきた。1914~1918年の戦争は、人類統一の最初の公分母だった。しかし、それは死の統一だった。”

ここでも、第一次世界大戦という言葉は出てこない。
サラエボで、一人のセルビア人が放った銃弾がハプスブルク家の王位継承者を倒した。”という文章が続く。

地球は丸い一つの惑星だと知った人々は、統一への道ではなく、殺し合いへの道に繋げてしまった・・・・。残念だけど、それが歴史だ。


人間のアイデンティティという項の中で
人間のアイデンティティの原理は、生物学的観点からも、文化的・個人的観点からも、ウニタス・ムルティップレックス、つまり多重単一性なのだ。”
各個人は、一揃いの多重人格を持っていて、普段は潜在化したままだが、いつでも顕在化する可能性がある。この多重性、多様性、複雑さもまた、人間の単一性を作っているとういこと。

よく、「凶悪事件の犯人が、祖母には優しい青年だった」とか、「会社ではパワハラで問題になったけれど、家庭ではやさしいお父さんだった」とか。。。。
人には、多面性がある。普段は隠れているだけで、誰にも多重の人格がある。普段おとなしい人が、激昂するとか、、、、。

全体に、複雑性の原因を説明するのが旨い著者だな、、、と感じるのだけれど、その中でも、心に残ったのが、人間の多様性が単一性をつくっている、というこの一文だった。
多重単一性。

 

地球籍身分証明書の話の中で。
”生命は宇宙の中で唯一のものかもしれないし、太陽系では他に存在しない。生命はこわれやすく、稀なものであり、稀でこわれやすいから、貴重なものなのだ。”


命への優しいまなざし。
地上の貴重なものは、すべてこわれやすく、稀なもの。私たちの意識もまた同じなのだという。
”こうして私たち微小な人間は、 巨大な宇宙(おそらくそれ自体、増殖する複合宇宙の中では微小なもの)の中で道を失った微小な惑星を囲む微小な被膜の上にある。”

人間のはかなさ・・・。

 

・3 地球の最期の苦しみ、 経済成長について。
”経済成長は新たな乱れを引き起こす。指数関数的な成長は、さまざまな形の生物圏破壊過程だけでなく、精神圏、つまり私たちの精神的、情緒的、道徳的生活の、さまざまなかたちの破壊過程を生み、また、その全てが連鎖した帰結を招く。
 まさしく、マルクスが予告したあらゆる事物の商品化 ――水、海、太陽に続いて、人体の各器官、血液、精子、胎児組織が商品になる―― が文明にどのような結果をもたらしかと言えば、贈り物、無償、申し出、奉仕がすたれ、非貨幣的なものがほぼ姿を消した。当然、儲けの誘惑、金銭欲、富への渇望以外の価値はむしばまれてゆく。

資本論から、学ぶところが大きい。

 

やはり『資本論』は、基本の書なのだな、、と思う。

 

と、長くなってしまいそうなので、続きはまた明日・・・。

 

とにかく、226ページのそんなに分厚くない単行本だけれど、中身が濃い。久しぶりに、濃い本を読んだなぁ、、って感じ。