『百歳の哲学者が語る人生のこと』 by  エドガール・モラン

百歳の哲学者が語る人生のこと
エドガール・モラン
澤田直 訳
河出書房新社
2022年6月10日 初版印刷
2022年6月30日 初版発行

 

エドガール・モラン『祖国地球』がすごく興味深かったので、彼の最近の本を読んでみようと思って、図書館で探して借りてみた。

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2022年、まだまだ新しい。そして、百歳の哲学者というのは、まさに、ご自身の事。フランス語の原書がでたのは、2021年の事らしい。

エドガール・モラン1921年 フランス、パリ生まれ。哲学者・ 社会学者。 ユダヤ人の両親のもとに生まれ、第二次世界大戦中 対 ナチスレジスタンスの一員として活動し、「パリ 開放」にも加わった。戦後には、マルグリッド・デュラス など作家や詩人とも盛んに交流しながら、その複雑性を持つ思考を深めていった。その仕事の特徴は、 哲学・社会学・自然科学の垣根を軽々と超える「領域横断性」にある。主著『方法』 全6巻 (法政大学出版局の中核にあるのは、認識問題の問い直しであり、「イデオロギー、政治、科学」がなす 三角関係を複雑性と捉え、その再考を試みた。

 

表紙の裏には、
あらゆる生は不確実であり、絶えず予測しなかったことに出会います。

激動の一世紀を生きた 現代フランスを代表する知識人が自らの人生を 回想しつつ、その思想を平易に語る。
危機を乗り越えるためには何が必要なのか。。
 今を生きる全ての人へ贈る、明晰なメッセージ。”とある。

 

なんだか、難しいような、優しい本だった。まさに、1921年から2021年までの100年間の間の出来事を、実体験を通してその歴史を語っている感じ。「パリ解放」に参加したときの政治的思想から、戦後に自分の思想が変化していくことを率直に語っている。ヨーロッパにおける近代イデオロギーの変化について詳しくない私には、ちょっと難しく感じるところもあるけれど、わからないものはわからないとして、それでも、一人のおじいさんが人生を振り返って語ってる物語として読むと、なんだか、優しい感じがするのだ。あらゆるものに対する愛がある感じ。祖国地球を、そこに住むすべての生き物を愛している感じ。それが、哲学者の語りなのかな。

 

目次
まえがき
第一章 一であり多である私のアイデンティティ
第二章 不足と不確実 
第三章 共に生きること
第四章 人間の複雑さ 
第五章  我が政治的経験  1世紀にわたる激流の中で 
第六章  我が政治的経験  新たな危難 
第七章  誤りを過小評価するという誤り
信条告白(クレド
覚書

 

第一章は、
私は何者なのか。それに対する最初の答えは、私は人間である、というものになるでしょう。これが基盤となるわけですが、状況に応じて重要度が異なる様々な形容詞が加わります。私は、フランス人であり、サファルディムとよばれるイベリア半島系のユダヤであり、部分的にはイタリア人スペイン人であり、より広くは地中海人、文化的にはヨーロッパ人であり、世界市民であり、〈祖国地球〉のこどもということになります。”
とはじまる。

人それぞれに、様々なアイデンティティがあるということ。かつ、一人でいくつものアイデンティティをもつこともあるということ。ユダヤ人で○○人という人は、多い。日本人にはピンとこない感覚かもしれない。複数のアイデンティティがあるからこそ、広く祖国地球の子供であることの大切さを意識しやすいということがあるのかもしれない。。。なんて思った。


アイデンティとはちょっとちがうかもしれないけれど、先日亡くなった坂本龍一さんの特番で、若いころの坂本さんが多面性ということで、似たようなことを話してた。僕は、母の前では息子であり、こうしてみんなと一緒に音楽を作っているときは音楽家であり、、、僕は何人もある、、、みたいなこと。教授も、哲学者だったんだな、、、、。

 

人は、物理的に一人の人間であっても、様々な面をもっている。娘であったり、息子であったり、母親や父親であったり、社員であったり、講師であったり、、、、。出身というアイデンティティとは違うかもしれないけれど、多面性があるというのが、人間である。そこに、出身のアイデンティティの複雑性が加わるという感覚は、さらに複雑になるのだろう。

 

モランは、”複数のアイデンティティを持った時、何か一つのものに還元されたアイデンティティを拒否する事、アイデンティティの統一性/多数性を意識することは、人間関係をよりよくするためには必要なことだ”という。

 

うん、生粋の日本人の私だけれど、ちょっとわかる気がする。。。

と、そんな漠としたテーマから始まるのだけれど、章ごとにちょっとずつまとめられていて、読みやすい。文字が少ないのかもしれないが、割とあっという間に読めてしまった。

 

第五章では、環境問題の話で、デニス・メドウズ教授の話がでてくる。1972年に彼女が訴えた、利潤至上主義の結果、経済と技術が暴走し、生物圏が破壊されているということ。メドウズさんの「システム思考」はとても分かりやすく、『地球の法則と選ぶべき未来』も環境問題を考えるのにおすすめの一冊。

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同じ時代を、50代ですごしたモラン氏には、メドウズ教授と同じように、目の前で進む環境問題に脅威を意識したという。そして、「エコロジー元年」というタイトルの講演を行い、論文を発表した、と。かつては対ナチスレジスタンスに身を投じていた人が、様々な経歴をへて、環境に対する活動にも力を入れるようになっていく。生きた歴史の証人のような話がたくさん。実に、生々しい話もあって、今は100歳のおじいちゃんだけど、かつてはバリバリの活動家であった様子が伝わってくる。

 

第六章では、技術開発がもたらした問題について。モラン氏は、”国家は人類にとってのダモクレスの剣と化した核兵器という権力を手にした。損得が遺伝子を奪い、科学者はビジネスマンに変わっています。一方、医学研究は多国籍企業の製薬会社によって独占され、もっぱら収益の高い治療薬の開発を行い、収益の低いものには手をだしません。こういった危険な発展が、今日では新型コロナウィルスのパンデミックよりさらに深刻化し、「良心なき知識は人間の魂を滅ぼす」という古(いにしえ)のラブレーの名言に暗い現代性を与えています。”と言っている。

 

先日、「ダモクレスの剣」の意味が分からなくて調べたのも、モランの著書だった。

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テクノロジーの開発は、平和目的でなくてはいけない。
科学者は、絶対にそこからずれてはいけない。

 

 最後に、「信条告白(クレド」がまとめられている。

生は素晴らしくも恐ろしいのだ”
と。
そして、
”最後に言いたいことは、善良であることはよいことだし、善を目指すことで気分はよくなる。複雑さを意識することで、さまざまな存在や状況や出来事の異なり矛盾し合う側面を知覚することができるし、それにきづくことで思いやりを持つようになる。私の最後の教訓、あらゆる経験の果実である教訓は、開かれた理性と人への思いやりがともに働く善循環のうちにある。”

そして、「覚書」によるまとめ。
・不確実性のうちで生きる
・精神衛生
・危機とともに生きる
・神秘

どれもを大切にする。それが、人生の教訓。

 

人生のマニュアル本ではないし、こうすればいいと指南している本でもない。でも、あぁ、地球を大切にして、人を大切にして生きるべきなんだな、って思う。

ちょっと、優しい気持ちになれる。

人は、だれでも年をとる。そして、高齢になったときに、自分は地球をいじめてこなかったか?人をいじめてこなかったか?自分をいじめてこなかったか?と自分に問うてみた時、自信をもって「NO」イジメてこなかったと言える人生にしたい、と思った。

 

さーーーっと読んで、ふわーーーっとするような、ぞくっとするような、厳しくも優しい、そんな一冊。

 

読書は、楽しい。