『唐 東ユーラシアの大帝国』 by 森部豊

唐 東ユーラシアの大帝国
森部豊
中公新書
2023年3月25日 発行

 

日経新聞2023年4月29日の朝刊、書評で紹介されていた。記事では、「目から鱗(うろこ)の新書だ。」として、内容が詳しく紹介されていた。私にとっては中国史はそもそも落ちるべきウロコがついてない、、、、。まぁ、ちょっと面白そうだし、歴史の勉強になるかと思って、図書館で借りてみた。

 

表紙裏には、
618年、李淵(りえん:高祖)が随末の争乱のなかから、唐を建国。太宗、玄宗の治世は国際色豊かな文化を海、大帝国の偉容をほこった。安史の乱以降は宦官支配や政争により混乱し、遊牧勢力と流賊の反乱に圧され、907年に滅亡した。本書では、歴代皇帝の事績を軸に、対外戦争、経済、社会制度、宮廷内の権謀術数を活写。東ユーラシア帝国290年の興亡を巨細に描く。”
とある。うん、たしかに、まとめると、そんなことが書いてある。。。。


著者の森部さんは1967年愛知県生まれ。専門は、唐・五代史、東ユーラシア史、筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程単位取得退学、博士(文学)。関西大学文学部教授、とのことで、「あとがき」によれば、中国切手を収集していた小学生が、中学生で中国武術にはまり、中国語を学ぶなら東洋史を研究しよう、、、とおもって、今のキャリアになっているとのこと。そりゃ、マニアックに描けるわけだ。頭の中に、中国の歴代地図も、人の名前と容貌もはいっているのだろう。。。。頭の中でナラティブがリアル動画で流れていそうな人だ。

 

感想。
うむ。面白いけど、私には難しい。なかなか、マニアック、、、だと思う。中国史の中でも唐の時代だけに絞って、よくこれだけ皇帝の交代劇、反乱軍による朝廷交代を詳しく語れるものだと思う。物語として読むとおもしろいけど、登場人物が多すぎる(皇帝、皇后、官僚、宦官、、、)。途中から、もう流れだけでいいや、、、、と、流し読みにしてしまった。中国素人のわたしには、歴史物語が把握しきれなかったけど、でも、面白かった。日本とのかかわりがあるところもあるし、ウズベキスタンの地名もでてくる。サマルカンド、ブハラ。そりゃそうだ。ユーラシア大陸だもの。そして、シルクロードの商人ソグド人も唐で活躍した人々に含まれるのだ。

ウズベキスタンも、ソグド人も、私の中では最近になってアンテナが立つようになったキーワード。あ、ゾロアスター教の話も、つながる。マニ教も。

 

目次
まえがき
序章 唐の歴史をどう見るか
1 空間 「中国とはなんだろう」
2 時間 時代区分と時期区分
3 視覚 唐朝のとらえかた

第1章 東ユーラシア帝国の飛翔  7世紀
1 唐の建国
2 李世民、テングリ=カガンとなる
3 太宗の内政と外政

第2章 武周革命 7世紀後半~8世紀初め
1 高宗と武皇后
2 周の建国
3 揺らぐ 唐の支配

第3章  転換期  8世紀前半~中葉
1 武葦の禍
2 開元の治
3 絢爛たる 天宝時代
4 嵐の前夜

 第4章 帝国の変容  8世紀後半~9世紀前半
1 「安史の乱
2 唐朝の混迷
3 財政国家へ

 第5章  中国型王朝 への転換   9世紀前半~中葉
1 唐朝の「中興」
2 遊惰な皇帝たち
3 宗教弾圧の嵐

第6章 次なる時代へ   9世紀後半~10世紀初め
1 立ち上がる軍人と民衆
2 「黄巣の乱
3 唐の滅亡

終章 世界史の中の「唐宋変革」
1 「五代十国時代」の見方
2 東ユーラシア世界の中の唐朝


どの章も、コンパクトに歴史のポイントが書かれている。ちょっと、覚書もしきれない。文献、図版出典もたくさん。そして、関連年表と索引もついている。これで1100円なんだから、随分とお得な一冊だと思う。って、私は図書館で借りただけだけど・・・・。

 

序章で、「中国」といっても一般に日本人が考える「中国本土」だけでなく、空間的には「外中国」と呼ばれる中国東北部、モンゴリア、新疆(東トルキスタン)、チベットも含まれるということが説明される。そして、歴代の中華王朝は、中国本土だけを統治した秦・宋・明もあれば、両方の空間を支配した元や清もある、と。

そうか、中国史といっても空間的範囲が時代によって大きく変わるのだ。
日本の歴史といったときには、せいぜい、北海道や樺太がはいるとか、沖縄が入るとか、、、どの島まで含まれるか、ということくらいだけれど、中国史というのは大陸だからあたりまえなことだけれど国境が都度かわるのだ・・・。そして、地名もかわるから、、なかなか頭に入ってこない。ま、日本史も「藩」っていうのがあったけど、流石に長く日本人をやっていると、メジャーな藩ならおおよそ頭に入っている。中国は、何度読んでも、何度地図をみても、、、私の頭に入らない。漢字の「読み」があやふやだからなおさら頭に入らないのかもしれない。。。

 

で、唐の時代も、その範囲は色々と変わったということが、本書を読んで理解できた(と思う)。

 

ソグド人は、随末から世情が不安定になっていたなか、唐建国の主・李淵集団に協力したのがソグド人だったということ。本書におけるソグド人の説明は、
中央アジアのオアシス国家の住民。現在のウズベキスタンにあるタシュケントサマルカンド、ブハラはソグド人の故郷”と。

中国というと、多くは漢人、他にモンゴル系かな?と思うけれど、人種も色々だ。そもそも、李淵漢人なのか騎馬民族出身なのか、はっきりとはわからないのだそうだ。

だいたい、中国史というのは「修正主義」の国なので、歴史が編纂されていても、どこまでが史実なのかわからない・・・。でも著者は、おそらく李淵は純粋な漢人ではないだろう、と。

 

歴史の変換点は、やはり無能な皇帝、天災、民衆の反乱。民族大移動の要因も、気候の寒冷化によるものが多かったようだ。あるいは、人口が増えて土地・食料をもとめて領土拡大をめざし、そこに紛争が・・・。

本書によれば、日本がせっせと遣唐使を送っていた時代、すでに唐の「律令」は崩れつつあったのだそうだ。もちろん、名君といわれる皇帝もいたのだけれど、武則天(3代皇帝高宗の妻)のように私利私欲に走りシステムを破壊してしまう人もいたのだ。悪名高き武則天が政治を握ったの60歳になった689年。仏教・道教を保護するなどの活動はあったものの、武則天がやったのは自分の周りに気に入った若い男子を侍らせ、自分とその子供たちを贅沢三昧させること、、、、。そして、こういう悪政のあとには、正義の味方が現れるのが歴史の流れ。6代皇帝の玄宗はその立て直しをする。玄宗は、「貞観の治」といわれた太宗の政治にならった。臣下の意見を良く聞き入れ(兼聴)、ガラス張りの政治を行った。
290年も続いた唐には、やはり日本が習うべき政治もあったのだ。

太宗の時代には、玄奘三蔵(602~664)の活動についても語られている。『西遊記』の三蔵法師のモデルだ。シルクロードの話と、つながった。玄奘は、中国での仏教教義の研究に限界を感じて唐を密出国してインドへ渡る。そして、大量の仏典をもって帰国した。太宗は、この仏典の翻訳を援助したのだった。

孫悟空の時代より、武則天の時代の方が、あと、ってこと。

ちなみに、武則天は仏教を保護し、国立の寺院(官寺)を全国の州にたてた。それが日本の国分寺設置(741年)のモデルになったという見方もあるそうだ。ただ、武則天は唐を否定したので玄奘の伝えた唯識数学ではなく、華厳数学をすすめた。それを実行したのは、サマルカンド出身のソグド人僧侶・法蔵だったとのこと。やはり、こんなところでもソグド人、活躍。

 

高宗と武則天の治世は、約半世紀に及んだ。そして、その時期こそ、日本では「大化の改新」がはじまり、律令体制が建設されていくのだけれど、二人の治世で唐の政治はがたがたになり、唐朝が変容していく時期であったのだ。武則天は、旧来システムを破壊し、新しい時代を切り開いたともいえる。武則天亡き後、唐は再編されていくことになる。それを行ったのが、玄宗

しかし、この皇帝の交代は親子、兄弟、婚姻、、、入りに入り乱れていて、、とてもじゃないが、家系図はかけそうにない。しかも、人妻を自分のものにしてしまうとか、息子の妻を父が嫁にするとか。。まぁ、藤原家もにたようなものか???
昔は、血縁関係者が婚姻関係者になるって、珍しくなかったのだろう。

 

そして、唐の転換期の話の中で、アッバース朝との闘いもでてくる。唐軍兵士の中にはアッバース軍の捕虜となって、後にサマルカンドへ製紙法を伝えたものもいたらしい。文化の伝達は、シルクロードだけではなかったのだ。戦争捕虜も、文化をつたえた。それは近代史もいっしょかな。。。

 

その後唐は、他国との戦争がかさなり戦費がかさむようになったこと、人口が増えても思うように税金がとれなくなってきた(システム弱体で)ことから、課税の方法をかえることになる。戸籍で把握された土地に紐づく人に税金を課す方法から、もっと流動的に課税できる仕組みにしていった。それが、律令国家から財政国家への転換だった。

税金が足りなくなると、その仕組みを変える。これも、今の時代も一緒だ。

その後も、色々と戦争や内紛がおきるのだけれど、宦官同士の争いや、派閥争い。それも、今の時代と一緒かなぁ。

ちなみに、日本で良く知られる遣唐使である空海最澄は、9代皇帝徳宗(在位779~805)が亡くなる1か月前に長安にやってきた。最澄天台山で天台教学をまなび天台宗の、空海長安密教を学び真言宗の開祖となる。どちらも密教の流れ。桓武天皇のころの話。
その後、最澄の弟子であった円仁も遣唐使として唐に渡る。

日本の歴史と関連付けながら読めば、少しは物語として頭に入るかな?と思ったけれど、なかなか、、、。。 

歴史の変換点となった、安史の乱とは、755年から763年にかけて、節度使安禄山とその部下の史思明たちによって引き起こされた大規模な反乱。 要するに、下剋上だ。現行の政治に嫌気がさした役人が反乱を起こす。これも、どこの国も同じか。。。そして、争いが長引くにつ入れて消耗がすすみ、たとえ無能であっても平和な皇帝が求められる。。。。

 

ついでに、中国歴史小説で有名な『三国志』や『水滸伝』の時代と比べてみると、

三国志後漢末期から三国時代(蜀・魏・呉)(180年頃 - 280年頃)

水滸伝:12世紀初頭

そして、井上靖の『敦煌』は、1026年から始まる。

 

唐の時代を日本と関連付けるなら、やはり、「大化の改新」と「空海最澄」当たりの話かな。

 

歴史について、ちょっとは、頭の整理になった。もう少し歴史を勉強してからもう一度読むと、もっと楽しめそうな気がする。でも、なかなかの力作。マニアックですごいと思う。中国史が好きならお薦め。ま、290年を新書にまとめているので、本当に好きな人には物足りないのかもしれないけどね。