『日本という方法  おもかげ・うつろいの文化』 by  松岡正剛 (その1)

日本という方法
おもかげ・うつろいの文化
松岡正剛
日本放送出版協会
2006年9月30日 第一刷発行

 

知人が「日本」の一つの見方として面白いと言っていた本。図書館で借りて読んでみた。

 

表紙の裏には、
”アワセとキソイで、「日本的編集方法」を探る
あまたある「日本論」「日本人論」のなかでも、日本を「方法の国」として考えるという、大胆な試みはされてきたのだろうか。
何らかの情報得て受けとめる方法の全てを「編集」であるとみて
史書の編纂から日記、短歌、連歌などにとどまらず、
政治・経済のシステムや、書くこと話すこと、生きることそのものまでを
編集行為として捉え、長年考察し続けてきた成果をもとに、
日本を日本ならしめている「日本的編集方法」を探っていく。
ことさらに「主題」を求めようとするのではなく、歴史に蓄積された「日本という方法」を発見していく注目の書。”
とある。

 

感想。
ちょっと厚めの新書版だけれど、内容が多い。。日本という国を、松岡さんの視点でかたっているのだが、その切り口が多岐にわたり、それぞれに解説があるので、かなり内容が多い。一貫しているのは、日本は、外来からの様々なものを日本に取り入れ、融合させ、変化させて日本のものとしている、だから多様なのだ、ということ。そのような外からの文化等の取り入れ方、自国へのなじませかたの「方法」があるのが日本。「日本の方法」が何か一つあるわけではない。という話。

松岡さんの解釈には、「ん?そうか??」と異を唱えたくなるところもなくはない。そう思って読んでいると、どんどん突っ込みたくなる。松岡さんの話に、よく日本が外国文化を取り入れて自国のものにする好事例として「たらこスパゲティー」がでてくるのだけれど、本書にもでてきた。別に、イタリアンのパスタを日本のたらこと海苔でアレンジしたからと言って、日本がすごいとか、、いうか???と思ってしまうのだ。外国の食べ物を自国風にアレンジするなんて、どこの国でもやっているではないか。。アメリカのカリフォルニアロールだって、タイにおける和食だって、日本人からしたら寿司でも和食でもなくても、彼らにとってはそれがジャパニーズなのだから、、、それだけのことだ。。
そりゃ、そうかもしれないけどさぁ、、と思う話が、結構ある。一方で、本書をもっとシンプルに、「日本の歴史の本」として読むと、それはそれでするすると頭に入ってくる感じ。和歌、漢字、神仏習合徳川時代朱子学国学、、、、戦争と戦後、、、。そう、歴史書だと思って読むと、なかなか良い参考書だ。大事なキーワードがたくさん出てくる。私の中でも目からウロコなものもたくさん。あるいは、へぇ!そういうことだったのか、と勉強になる話もたくさん。

 

本書は、2004年にNHK人間講座で8回に渡って放映された番組のテキストをもとにしているのだそうだ。だから、様々な話に及ぶのだろう。なかなか、充実している、ともいえる。うん、なかなか面白い一冊。ちょっと読むと頭を使うので疲れるけど。

 

目次
第1章 日本をどのように見るか
第2章 天皇と万葉仮名の語り部
第3章 和漢が並んででいる
第4章 神仏習合の不思議
第5章 ウツとウツツの世界
第6章 主と客の数寄の文化
第7章 徳川社会と日本モデル
第8章 朱子学陽明学・日本儒学
第9章 古学と国学の挑戦
第10章 2つのJに挟まれて
第11章 矛盾と葛藤を編集する
第12章 日本の失敗
第13章 失われた面影を求めて

 

松岡さんの解釈はともあれ、やはりキーワードだな、と思ったことを覚書。

 

本書でのキーワードは、サブタイトルにあるように、「おもかげ」(面影・俤)と「うつろい」(移ろい)

 

「おもかげ」の「おも」には、「面(おも)」「主(おも)」「母(おも)」といった意味が含まれる。「面」がふぅっと動いているのが「おもかげ」。「母屋」とつかわれる「母」でもあり、母なるものとの意味も。「面白い」と「おもかげ」の「おも」も繋がっている。

「うつろい」は、移ろいと綴られるように、移行・変化・変転・転移などの意味。そして、「うつ」には、「空(うつ)」「虚(うつ)」「洞(うつ)」という意味がある。うつろいとは、空っぽのところから何かがうつろいでてくること。かつ、「移る」「写る」「映る」の意味もあり、たんなる移行だけでなく、””が一緒になっている。

どっちも、「イメージ」がふっとうつる、何かがでてくる。

ちなみに、和英辞典で引くと
「おもかげ」=one's face,  trace,  remnant
「うつろい」=change
とでてくるのだが、どれも、ちょっと物足りない、と感じる。
日本語の「おもかげ」「うつろい」は、もっとなにかふわっとした感じがある気がする。
それが、日本語。そして、この「おもかげ」や「うつろい」が日本文化の多くの場面、能や連歌や俳句に、また水墨山水や茶の湯や近代工芸に、また神仏習合思想や江戸の儒学国学に、さらには明治大正の哲学や同様など、どのようなプロフィールとして表れているかを本書で説明していく、との宣言が、第1章。

 

第2章では、「」の時代の話。「倭の奴の国王」が「漢委奴国王」の金印をもらった。おぉ、金印!

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このころの「倭」のリーダーは、「国王」と呼ばれていたのだ。中国から見て異民族の王だった。しかし、後漢が滅びると状況は変わり、中国は「三国志」の三国時代に入る。三国の一つ、が隆盛しているとき、日本は「邪馬台国」が栄えた。このころの日本は、はたして「日本人」という意識はあったのか???いや、まだなかっただろう、という話。
それから、5世紀後半から6世紀にかけて、帝国が出現すると、高句麗百済は隋の冊封(さくほう)をうけるようになる。冊封とは、皇帝を戴く中国に対して、臣下にあたる関係となること。英語で、tributary system というが、tributaryとはまさに、貢物をするとか、属国になるという意味だ。倭人のリーダーたちは、冊封関係になりたくない。そのころから、天皇という概念がうまれ、日本列島の統一を図ろうとし始める。ひょっとすると日本人という概念もこのころ生まれ始めたのかもしれない?


618年、隋が滅びて唐にかわる。唐も冊封を継続しようとするが、高句麗がいうことを聞かない。新羅は唐のの戦略の矛先を高句麗から百済に向けさせる。百済は倭に応援を頼む。そして、663年 白村江の海戦が起こる。斉明天皇は、息子の中大兄皇子大海人皇子を従えて北九州に向かうが、唐・新羅連合軍は、百済・倭の同盟軍を木っ端みじんに打ち砕く。そして、倭は朝鮮半島から完全に撤退し、「倭」は「日本」となった。

日本は、外圧によって自立に追い込まれ、天武天皇大海人皇子)が倭をやめて「日本」という国とした。

数ページをこの古代史にさいているのは、中国・半島・倭の関係は一蓮托生で、ここがみえないと、日本史のすべてが見えてこないから、と松岡さんは語っている。太平洋戦争における、日本の半島・大陸への執着も、この時代のこの一蓮托生の関係性から続いていたのかもしれない。

白村江の大敗で自立した日本は、太平洋戦争敗戦で立ち上がった日本の姿と重なる、ということ。

そして、この時、自立のために必要となったのが文字だった。日本は、大陸の文字をそのまま使ったのではなく、漢字を日本語読みして取り入れた。そして「万葉仮名」が生まれた。日本人が語り歌い継いできた言葉を、万葉仮名や和化漢字で表記し、古来の口語文化を文字文化として定着させることに成功した。制度の文字化だけでなく、古事記のように、物語を後世にのこす術を手に入れた。そして、日本の「おもかげ」は保存され、再生されるようになっていった。

 

第3章では、「仮名文字」と「漢字」が並立するように、和と漢が共存するようになったということ。また、左右対称の文化から、日本独自の「非対称の文化」が生まれた。天平期には「双鳥文」といって左右対称に鳥などが描かれるデザインが流行っていたけれど、平安期になると、「松喰鶴」という松の枝を喰わえて鶴が止まったり飛んだりしている非対称の模様が流行る。文字も、整然と並んだ書とは別に、仮名文字を散らして書く「散らし書き」や「分かち書きがでてくる。

へぇ、、、文字を散らして書くって、非対称に模様をつけるって、日本で生まれたんだ。。。

 

紀貫之は、古今和歌集』に真名序と仮名序をつくって、一緒に掲載した。真名とは漢字の事で、当時の日本にとっては、中国がもたらす文物こそが「本場もの」で、日本のものはへりくだって「仮」とした。しかし、この「真」と「仮」という比較による位置づけは、その後の日本の社会文化ではだんだんと大きな意味を持つようになっていく。徳川時代には、もはや真を中国にもとめるのではなく、日本は日本の「真」を発見し、「真事(まこと)」「真言(まこと)」と考え、さらに「誠(まこと)」と理解しようとした。そこから、国学というものが派生する。

ほほう!なるほど!

江戸時代より前に、中国への依存を脱却しようとしたのが菅原道真で、遣唐使廃止を提案した。紀貫之と同時代のこと。漢詩、和歌に長けていた二人だったが、菅原道真藤原時平の計略で左遷されると、宮廷サロン文化の中心は紀貫之となっていったのだった。そしてのちに、土佐日記を残す。

菅原道真が左遷された話は、『NHKさかのぼり日本史 ⑨ 平安』に詳しい。

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ちょっと、長くなってしまったので、続きはまた明日。