『カタリン・カリコ mRNAワクチンを生んだ科学者』 by 増田ユリヤ

カタリン・カリコ
mRNAワクチンを生んだ科学者
増田ユリヤ
ポプラ社
2023年8月 第一刷


2023年ノーベル生理学・医学賞を受賞した、カタリン・カリコさんを取材した本。ノーベル賞の受賞発表の動画をみていて、彼女のまっすぐな科学者らしさに、すごく共感した。彼女について、もっと知りたい、と思った。ちょうど、彼女自身が著書をだしたことをアメリカのニュース番組でもやっていて、その語りも素敵だったのだ。

 

受賞理由は、新型コロナウイルス「mRNAワクチン」の開発で大きな貢献をした、ということ。みんなが打った、あのワクチン。ハンガリー出身で、アメリカのペンシルベニア大学の研究者、カタリン・カリコさんと同じくペンシルベニア大学のドリュー・ワイスマンさんの2人が一緒に受賞。二人は、違う専門家でありながら、長く共同研究をしてきた仲間、という話にも心惹かれた。

 

本書は、増田ユリヤさんがカタリンさんにお会いして取材した内容を本にしたもの。子供向けに、漢字にはふりがな、可愛らしいイラストも入っている。取材時の、お二人の写真も微笑ましい。

 

カタリン・カリコさんは、1955年、社会主義体制のハンガリーで生まれた。73年にセゲド大学理学部に進学。78年にハンガリー科学アカデミーでRNA の研究を始める。 85年、研究費の打ち切りを受けて一家で渡米。テンプル大学ポスドクを経て ペンシルベニア大学の研究助手に。大学でのポジションの降格など数々の挫折を経験しながら、40年以上にわたり研究を続ける。2013年にドイツのバイオベンチャー企業のビオンテックに移籍。 現在上級副社長。 2021年よりペンシルベニア大学 客員教授。 2020年の世界的な新型コロナウイルスの流行に際し、mRNA ワクチンを開発した。

 

あっという間に読める一冊。カタリンさんが子供の頃から、自由闊達で、優秀な生徒だったということ。そして、早くから自然科学に目覚めていき、それをサポートしてくれる恩師に出会えた幸せ。しかし、社会主義体制だったハンガリーでは、女の子がサイエンスの世界で活躍するのは大変なことだった。いやいや、男女関係なく、自由に自然科学の研究をするのは難しかった。そして、社会主義体制の崩壊。予算崩壊。研究費ゼロ、、、。カタリンさんは、ひたすら研究継続のために、挑戦を続け、アメリカでの仕事を得る。当時、仕事を決めずにアメリカに渡れば、それは亡命であって、祖国には二度ともどることができないかもしれないという環境。祖国と家族を愛するカタリンさんは、ちゃんと仕事を得て、夫と子供と一緒にアメリカに渡ったのだ。


でも、それからがまた大変。研究をなかなか認めてもらえず、減給されたり、降格されたり、、、。せっかく他の大学からのオファーがあっても、「嫉妬」からそのオファーを信頼していた上司に握りつぶされてしまう、、、、。読んでいると、涙が出てくる。

当時のサイエンスの世界で、女性が活躍するのは本当に大変だったと思う。しかも、カタリンさんには、英語が母国語ではないというハンディがあった。それでも、研究がしたい一心で挑戦し続けたカタリンさん。本当に、すごいと思う。それほどの情熱をもって、人々の役に立つ研究をつづけるのは、いくら、情熱があっても、そう簡単にできることではない。しかも、RNAの研究を始めた当初は、他のひとからすると斬新過ぎるアイディアで、理解してもらえなかったのだ。素晴らしい研究だけれど、大学すら理解しない、、、。そして、研究費の打ち切り、、、。

でも、自分の研究が人々の役に立つと信じていた。だから、RNAの可能性を信じて研究をつづけた。かつ、子供の頃から培った多様な好奇心やアイディアが、ブレークスルーを生んだ。RNAの宣教師かのように、RNAの可能性を説き続けた。そして、苦難のなか、みつけた相棒が、ドリュー・ワイスマンさんだった。

 

mRNAは、メッセンジャーRNAというように、タンパク質を合成するためにDNAの暗号からアミノ酸をつくるための情報をコピーして使う役割をになう。mRNAは、コピーした情報を細胞の核(DNAがあるところ)の外にあるリボソーム(タンパク質をつくるところ)に届ける。だから、mRNAを合成すればタンパク質をつくるための暗号をつくることになる。でも、直接mRNAを体内に投与すると、激しい炎症反応を起こす。免疫が異物だ!と判断して、攻撃してしまうのだ。カタリンさんたちは、そのmRNAのU残基(ウリジン)をちょっと修飾してやると炎症反応がおこらないということを発見した。そして、その大発見がワクチン開発につながる。

 

あとから、メカニズムをきくと、そりゃそうだ、簡単なことだ、と思うかもしれないけれど、RNAというのは、細胞から取り出すと不安定だし、とても大変な研究だったはず。当時は、DNAの研究だって大変なのに、RNAならなおさら。。。

私自身、DNAやRNAをつかった研究をしてきたので、その大変さはよくわかる。様々な設備も必要だし、時間もお金もすごくかかるのだ。カタリンさんは、壊れた設備を自分で修理したりもしていたそうだ。

そして、大学での不遇の時代のなか、カタリンさんとワイズマンさんは、RNARXというベンチャー企業を立ち上げる。それでも、ペンシルベニア大学からの冷たい仕打ちは変わらなかった。。。カタリンさんは、研究費を得るために、たくさんに人にRNAの可能性を語り続ける。

 

一つの逸話が面白い。
大学は、カタリンさんたちの研究を認めていないので、特許出願すらゆるしてくれない。そこで、大学の担当者の髪の毛が薄くなって地肌が見えていたことに気が付いたカタリンさんは、
「知ってる?mRNAを使えば、髪の毛が生えてくるかもしれないわよ」と。
すると、急に乗り気になって、特許出願に同意してくれた、、、と。
やっぱり、自分の関係する事ならだれでも興味をもつ?!?!

 

徐々に、カタリンさんの研究は世の中に知られるようになり、ドイツの製薬会社「ビオンテック」創業者であるウグル・サヒン博士の眼にもとまる。サヒン博士もまた、mRNAの研究者であり新しいガン治療の開発にmRNAが使えるのではないかと考えていた。そして、21013年、カタリンさんの講演をききにきていたサヒン博士はカタリンさんに、「ビオンテック」にこないかと誘う。その場でOKしたというカタリンさん。

 

カタリンさんのすごい所のもう一つは、その決断力。
それは、子供の時、恩師に紹介されたハンス・セリエ博士(ストレス学説をつくったひと)の本にあった、
自分にできることに集中して、他の人を気にしない」という言葉があり、「だれかの頭で考え、だれかの目で見るのではなく、自分自信の頭と目で先入観なしにすすんでいけ」という言葉だった。

常に、自分の頭で考える。だから、迷うことなく決断できたのだろう。

 

本書が出版された時は、まだ、ノーベル賞は取っていない。でも、すでに話題になっていたカタリンさん。

 

カタリンさんのまっすぐな生き方に共感した増田さんは、インタビューで、どうしたらそんな風に謙虚にまっすぐに生きられるのか?と質問した。

 

「ハンス・セリエ先生の教えのとおり。無駄なことに時間を費やさない。自分がやるべきことに集中する。それだけよ。」と。

そして、

「一つ、若い人たちにアドバイスができるとすれば、自分が好きなこと、やっていて楽しい仕事をえらぶということよ。仕事がたのしくなければ、人生がつまらないモノになるでしょう。
と。

カタリンさんは、「ノーベル賞は他人が決めることで、自分が決められることではないから興味がない」「私の研究で、人の命を救うことができた。その喜びにまさるものがあるとおもいますか?」」と。

 

いやぁ、ハンガリーという国に生まれ、時代の逆風もあったなか、自分の研究の意義を信じ、やり続けた熱意、まさに、研究者の鏡。

 

やっぱり、サイエンスは、楽しいよ!

そして、自分の研究が人の役に立った時の喜びは、なにものにもかえがたい。

賞よりも、誰かの役に立てたという実感程、研究者にとっての喜びはないとも思う。

 

そういう仕事ができるって、幸せなことだ。

サイエンスは、その可能性にあふれている。

若者よ、サイエンスで未来をつくろう!!