『我々はどのような生き物なのか  ソフィア レクチャーズ』 by ノーム ・チョムスキー 

我々はどのような生き物なのか 
ソフィア レクチャーズ
ノーム ・チョムスキー 
福井直樹・辻子美保子 訳
岩波書店
2015年9月17日 第一刷発行

 

かの、チョムスキーの著書の中でも、いつか読んでみようと思って購入したものの、積読になっていた一冊。先日、ウズベキスタンへの飛行機の中で読んで、難しく、、、帰国したらもう一度読もうとおもっていた。再読してみたけど、やっぱり、、難しい。。

けど、ちょっとだけ、覚書しておこうと思う。

 

ノーム・チョムスキーは、1928年、アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。 学部生時代をペンシルベニア大学で送り、 1951年から55年は同大学大学院に籍を置きつつ ハーバード大学のジュニアフェローを務める。1955年、 ペンシルベニア大学より 言語学の博士号 (Ph.D) を受ける。 1955年よりマサチューセッツ工科大学 (MIT) に勤務し、現在は同大学を代表するインスティチュート・プロフェッサー。 名誉教授。生成文法理論」を提唱して、言語学の革命的大転回を引き起こした。そして、人が言語を操る不思議の話から、言語の認知科学へと発展させる。かつ、ベトナム戦争の反対を唱えたことでもよく知られ、後年は、政治・社会に対する、多くの発信をしている。現在、御年94歳。今でも、YouTube などで講演の場面をみることもできる。さすがに年齢による声の弱弱しさは否めないけれど、頭は今なお冴えている、、、って感じだ。

 

表紙裏には、
言語学者 チョムスキー政治活動家 チョムスキー 。これまでほとんど関連付けられることのなかった2つの側面が、2014年来日時の連続公演とインタビューを通して初めて1個の人格として像を結ぶ。 浮かびあがってくるのは、 言語能力によって与えられた「理性」を人間の本質と捉え、自ら理性の力を用いて徹底的に考え続ける「理性の人」の姿だ。”と。

 

おそらく、現在のアメリカでは、言語学者というよりは政治活動家としてのほうがよく知られているのではないだろうか。でも、今回は、言語学者である福井さんらがが日本に招いた際の話なので、半分は言語学の話。ま、どっちの話も難しい・・・。

 

目次
ソフィア・レクチャーズ 第一講演 言語の構成原理再考
ソフィア・レクチャーズ 第二講演 資本主義的民主性の下で人類は生き残れるか
チョムスキー氏との対談
ノーム・チョムスキーの思想について
翻訳者あとがき

 

感想
うん。面白い。というか、興味深い。チョムスキーのいうことに全部共感するわけではないけれど、やっぱり、よくよく考えている人なのだ、と尊敬してしまう。政治的発言は、かなり激しい。
 
本書は、2014年3月5日と3月6日の上智大学における公開講演(ソフィア・レクシャー)から文字に起こしたもの。最初に、福井直樹さん(上智大学言語学 教授)による、チョムスキーの紹介文があり、チョムスキーの講演、対談と続く。福井さんは、チョムスキーとは旧知の中で、今回の来日に際して、講演会の司会を務めた、ということの様だ。

 

第一講では、言語学者としての話、第二講では社会学者としての話。

 

チョムスキーの提唱した生成文法(generative grammar)とは、人間の言語能力の創造性は表現された形から入って、その奥深くに隠されている言語構造を理論的に捕らえる、ということ。人間が言語を学べるのは、「教育」されるからではなく、「本性」として備わっている機能だから、ともいう。本書の中のチョムスキーの表現では、

”言語の理論は定義上、生成文法とよばれているものであり、各言語は個人に内在している生物的特性であり、大部分は脳の会システム、つまり本質的には脳あるいは心のある種の器官ということになります。ここで「心」とは、ある抽象化のレベルにおいて捉えた脳のことです。”

 

言語学をそのようにとらえたことから、言語学神経科学や認知能力の研究に発展していく。言葉をつかえるのも、行間を読むことができるのも、人間だけだ。言葉は、深い。重要な講演内容は、専門的すぎて難しいので、割愛・・・。言語学に興味があるのなら、これまでのチョムスキーの集大成が講演という形でわかりやすく語られているので、本書はおすすめではある。

 

講義のあとの質疑応答も掲載されている。読んでいて、質問そのものが難しい、、、と感じる。やはり、言語学は深い・・・。シンプルにかいつまんでいくつか覚書。

 

Q 言語は、今後、どのような役割や可能性をになうべきか?
A 言語はどんな用途に対しても利用可能。 言語がどのように使用されるかは 人間存在の他の側面、人間社会の本質、人間の作った制度、統制や支配における強制の形式、 プロパガンダ などに依存する。 故に、良い使い方もあれば、悪い使い方もある。どう使うかは、あなたが考えること。

 

Q あなた(チョムスキー)の理論(人は本能的に言語をしっている)は、第二言語の習得にも役立つか?
A それは、現場の指導者がきめればいい。
 母語は、文法を学ばなくても、自然と身についていく。発音の仕方も学ばなくとも、聞いた音を真似することで、自然と身についていく。言葉を理解して、それを自分でOUTPUTするという点では、同じこと。でも、どうやって母語を身につけたかを説明するのは、簡単ではない。

 

うん、それは、知っているよ、、、、って感じ。

第二言語を学ぶのが得意な人と、苦手な人がいるのは、生来のものなのか?!?!

 

ほか、鳥の歌も言語としての研究対象になるのか?とか、ちょっと、身近に感じられる質問もあるのだが、多くは専門家の質問。言語学、深すぎる。。意味論や語用論という言葉も、チョムスキーに興味を持つまでは、気に留めることがなかった。

以前、英語の教材でチョムスキーの話が出てきたとき、人は、言葉の裏側にある意味を察知する能力がある、という話がでてきた。まさに、だからこそ、言葉は、いかなる使い方もできるのだ。


先日の、『歴史を変えた誤訳』の話ではないけれど、やはり、単純にA言語からB言語に変換するというのは、不可能といっていいのかもしれない。

megureca.hatenablog.com

 

言葉は道具である。でも、いかようにも使える道具であり、時には人を殺すことすらできてしまう。。。刃物でもなく、拳銃でもなく、、、言葉の方が人を殺すことがあり得る。「言葉の暴力」とは、よくぞ言ったものだ。たった一言で、人を幸せにすることもできれば、不幸のどん底に落とすこともできる。でも、知らない言語で言われたら、理解できなければどんな罵詈雑言であっても傷つきもしない、、、。知らぬが仏?!?!

 

あ、でも、不思議なもので、知らない言語であっても、相手が怒っているのか、喜んでいるのか、、人間は理解することができる動物なんだよね。

 

言葉から、人間の本性の研究へ、、、。
私には、まだ言語学の基本の学習からはじめたほうがよさそうだ。

 

そして、第二講では、がらりと変わって、資本主義や民主主義の話。人間は社会的動物であり、どのような制度が適していると考えられるのか、という話。言語と同様、壮大なはなしである。

ジョン・スチュワート・ミルの『自由論』アダム・スミスの『国富論などが取り上げられている。

そして、アダム・スミス「見えざる手」という語句の使われ方は、多くは間違っているということ。そもそも、「見えざる手」という言葉は、『国富論』のなかでは1回でてくるだけ。スミスは、イギリスの資本家たちが、輸入、輸出、投資などの取引を国外に移す可能性を考察し、資本家が利益を得たとしても、イギリスの社会は悪影響を受けることになるから、そういうことにはならないだろう、としている。つまり、イギリスは経済レベラリズムの弊害を逃れることができる、ということを言った。
また、スミスは、『道徳感情論』のなかでも、一度だけ「見えざる手」という言葉を使っている。ここでは、「高慢で冷淡な地主」でさえも、貧者の必需品には配慮するものであり、従って「見えざる手」が「生活必需品のほぼ等しい配分、つまり、大地がその住民すべてに均等に分けられていたならば達成されていたであろうもの」が実現されるように取りはからうのだ、といっている。残酷な支配者であっても、「見えざる手」によって、平等な社会の結果を求めるようにしていくのだろう、と。

 

これは、だいぶ、イメージが違う。。。
「見えざる手」で、需要と供給は均衡していく、とか、価格は決まっていく、ということではない。人の心をうごかす良心を見えざる手、と言っている、ということだ。

チョムスキーが「見えざる手」についてこう言っている、という話を前にとある勉強会で聞いたとき、ピンとこなかったのだけれど、本書をよんで、なるほど、と思った。その話をされた方は、チョムスキーの解釈に賛同されていた。

 

そして、本講義では、最終的に”既存の資本主義的民主制の下で、人類が生き残れる見通しは、あかるくはない。”と言っている。これからも、自由と正義をもとめて戦ってきた人々が成し遂げてきたことを、受け継いでいいかなければいけない、と。

 

ちょっと小さめの単行本。207ページ。こりゃ、岩波書店だよね、って感じ。

また、そのうちに読み直してみよう、と思う。

まだ、未消化の部分が多い一冊だけど、読んだ充実感は高い。

 

本一冊にも、色々あるものだ、、、と思う。

読書は楽しい!