『私本太平記(三)』 by  吉川英治

私本太平記(三)
吉川英治
吉川英治歴史時代文庫65
1990年3月11日 第一刷発行
1990年5月14日 第二刷発行

 

南北朝時代の時代小説、私本太平記。(二)の続き。

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裏の説明には、
”後醍醐の切なるご催促に、楠木正成は重い腰を持ち上げた。水分(みくまり)の館から一族 500人の運命を賭けて・・・。すでに主上は笠置(かさぎ)落ちの御身であった。また 正成も、2万の大群が取り囲む赤坂城に孤立し、早くも前途は多難。 一方、正成とは およそ対照的な婆娑羅大名 佐々木道誉は幽閉の後醍醐に近づき、美姫といばらの鞭で帝の御心を自由に操縦しようとする。かかる魔像こそ、本書の象徴と言えよう。” と。

 

(二)では、後醍醐天皇がとうとう御所を脱出し、鎌倉幕府に反旗を翻す意思を明確にした。そして、夢に楠木を見て、楠木正成笠置山に自分の味方をしに参上してくれることを待ち望んでいるところで終わる。

だんだん、南北朝の混乱の始まりの核心に。武士たちは、朝廷に就くのか、鎌倉に就くのか、ゆれ動いている。楠木正成は、揺れ動いているというよりは、戦が好きではなかった。そんな正成のもとに、勅使がやってくる。


目次
帝獄帖(つづき)
世の辻の帖

 

主な登場人物
万里小路(までのこうじ)藤房後醍醐天皇側近の三房の一人、宣房(のぶふさ)の嫡、中納言藤房。楠木正成の館に、帝のために立ち上がるように勅使としてやってくる。
楠木正成:帝がたよりにする悪党。
久子:正成の妻
正季:正成の弟
松尾刑部:正成の従者
阿野廉子(やすこ):後醍醐天皇の寵妃。隠岐に流される天皇に供する。隠岐に同行した三人の女房のうち、一番後醍醐天皇が頼りにしている。

 

藤房は、帝が楠木を頼みにしているので笠置に参陣するようにと正成のもとへ勅使としてやってくるが、正成は「ご辞退申し上げる」、といってその場では断る。しかし、妻の久子や弟の正季、従者たちと話し合い、笠置に参陣する決意をする。

 

しかし、後醍醐天皇は、幕府の一手につかまってしまう。皇子宋良(後に讃岐へながされる)も父とは別の追手に捕まる。宮側についた公卿たちは、それぞれ幕軍に囚われてしまう。囚われた公卿の中には北畠具行もいた。

 

天皇がどうなっているのかは判らないまま、楠木党は、赤坂城にこもる。幕府軍をさんざん手こずらせたものの、最後は、焼け落ちてしまう。この時、楠木正成は死んだものと思われたが、実際には次なるチャンスのために雲隠れしていたのだった。

 

捕らえられた後醍醐天皇は、隠岐島流しとなることが決まる。捕らえらえた地から後醍醐一行を護送する役割をになったのが、佐々木道誉だった。道誉は、腹の中では鎌倉につくか宮につくか、決めかねている。北条高時のご機嫌をとりつつも、後醍醐のご機嫌もとる。どちらにも恩をうるような行動をとる。時代は、どっちに転んでもおかしくない。自分の立身出世が佐々木道誉の一番の欲なのだ。

後醍醐天皇と一緒に隠岐に行くこととなったのは、一条行房千草忠顕(ちぐさただあき)。それと、女房として、阿野廉子(やすこ)、権大納言の局、小宰相の三人。中でも、小宰相は鎌倉の息のかかった女で、実際には密偵としての鎌倉が送り込んだ女房だった。

そのころ、柳斎(右馬介)は隠密として宮の動きを高氏に報告していた。後醍醐天皇の養子であり、実は実の弟である大塔の宮は、幕府軍の追手を逃れ、吉野に移り、依然、宮方の士をつのっていた。正成は、赤坂城では討ち死にしておらず、和泉・摂津のあたりで軍を指揮し、奥金剛野山中に第二の城を立てているという話だった。
このころの高氏は、まだ、めだって北条へ反旗を翻していない。どっちつかずで、宮からも鎌倉からも高氏はどうした!と思われていた。

 

佐々木道誉は、後醍醐天皇一行を隠岐へ護送しながら、いつどこで宮の一派が一戦をとげようと襲ってくるかわからない、と心配している。一方で、だれが宮の味方なのか、、、を嗅ぎ分けようとしていた。そして、天皇一行に寒さしのぎの暖をとらせたり、食事など様々な配慮をみせて、後醍醐天皇にも取り入っていった。

 

天皇一行は、途中の山道で、木に刻まれた漢文を見つける。それは、隠岐に流される御醍醐天皇に一目会いたいとやってきた大塔ノ宮が、会うことはまかりならないけれど、、といって道誉から許された天皇へのメッセージだった。

天莫空勾践(てんこうせんをむなしゅうするなかれ)
時非無范蠡(ときにはんれいなきにしもあらず)

それは、呉越の時代の漢詩。いずれ時が来れば、再び、、、、。という意味で、学のある人にしかわからない、復権を誓うメッセージだった。

 

この混乱の中、佐々木道誉は、俊基の亡き妻小右京を我が物にしようとする。高氏のもとへ夫の形見を受け取りに来た小右京は、道誉からの執拗な誘いから逃れる術を高氏に求める。六波羅からの訊ね者である小右京をここでかくまうわけにはいかないから、といって、一度は館から追い出すのだが、その後道誉の従者にさらわれた小右京を助け出すことになる。それをきいた道誉は、仕返しとばかりに、藤夜叉(高氏の子を産んでいる田楽女。もとは道誉の元の芸人だった)をさらって、我が物にする。道誉の元を抜け出し、恥ずかしめをうけた自分は生きていけぬと水に身を投げた藤夜叉だったが、村の人に助けられ、兼好法師と命松丸のもとでかくまわれることとなる。

 

正成は、帝が隠岐に流されても、宮方は健在であり、時をまつのだ、、、といって、四天王寺にて力を蓄えて準備を整えていた。

 

無事に、後醍醐天皇一行を隠岐へ送り届けた道誉だったが、小宰相からの密告で、鎌倉には道誉のうごきはあやしい、、、とされ、嫌疑をはらしたければ、宮側のひとり畠山具行を始末するように言われる。道中、酒の席を共にするなどして、宮側につきそうな人を具行から聞き出していた道誉は、具行にはいい顔をしながら、部下に具行を処分させる。
どこまでも、非情な男。

 

(三)は、後醍醐帝の隠岐への配流。そして佐々木道誉が腹黒いやつであるということが明らかになっていく。そして、宮はまだまだ、諦めていない・・・。