『等伯(上)』  by 安部龍太郎

等伯(上)
安部龍太郎
日経新聞出版社
2012年9月14日 第1刷
2013年2月1日 第9刷
*初出 日本経済新聞朝刊 2011年1月22日~2012年5月13日。単行本化にあたり加筆修正しました。

 

ずっと、気になっていた本。安部さんの本の中でも時々出て来るし、先日、叔父が面白い、といっていたので、図書館でかりてみた。

 

戦国時代の絵師、長谷川等伯のお話。長谷川等伯は、私がずーーーっと昔から見たいけれど見たことのない『松林図屏風』(東京国立博物館を描いた、戦国時代の絵師。狩野派と闘った孤高の絵師、、、というのが私のイメージ。本書は、その等伯を主人公にして、安部さんが戦国時代を描いた時代小説、って感じだろうか。

 

表紙裏の説明には、
”33歳で能登から上洛。物事の本質を見極めたいという絵師の性と、荒ぶる武家の血が、妻子とともに苦難の道を歩ませる。そして本能寺の変が運命を変える。”

 

ついでに、文春文庫の文庫本の説明では、
能登・七尾で武士の家に生まれた信春は、長谷川家の養子となり絵仏師として名声を得ていた。都に出て天下一の絵師になるという野望を持っていた彼だが、主家の内紛に巻き込まれて、養父母を失い、妻子とともに故郷を追われる。 戦国の世に翻弄されながらも、己の信念を貫かんとした絵師等伯の誕生を描く傑作長編。 直木賞受賞。”とある。

 

感想。
面白かった!

やっぱり、安部さんの本、面白い。そして、歴史としても、物語としても面白い!
等伯って、武家の出身だったんだ!しかも、信長の敵として追われる身になっていたとは知らなかった。
本書の中では、信長は極悪非道の魔王として描かれている。比叡山延暦寺の焼き討ちについては、イエズス会との関係上、やらざるをえなかったのかもしれない、という歴史上の解説もついているけれど、やっぱり、世の中的には、「反・信長」の思いが高まっていたところに、本能寺の変が起こる。そんな時代の流れに翻弄されたのが、長谷川等伯だった。

 

これは、等伯を通じて、戦国時代を語る小説、って感じがする。安部さんがかいた小説なので、多くの部分は史実にもとづいていて、一部は、安部さんの解釈によるところもあるのだろう。どこまでが史実なのかは別として、とにかく、面白かった。
歴史の解釈としても面白いし、長谷川等伯という絵師の人生としても面白い。まだ、(上)だけど。。

 

ちょっとネタバレ。

 

等伯33歳、長谷川又四郎・信春が七尾で仏絵師として活躍している時代から始まる。信春は、能登七尾生まれで、出身は奥村家。畠山家に仕える武士の奥村家の出身だけれど、11歳の時に長谷川家に養子に出される。そして、仏絵師である養父長谷川宗清の娘・静子と結婚し、4歳になる久蔵と七尾で平和に暮らしている。しかし、本当は都にいって本格的に絵の勉強をしたいと願っていた。そんな心の内を兄にはなしたことから、都に行く機会だとそそのかされ、実兄・奥村武之丞が加担した畠山家内紛に巻き込まれてしまう。兄と密会しそこねた夜、養父母の家が賊に荒らされてしまう。

いつも、自分のことを振り回してばかりの兄に憤慨し、今度こそ縁切りだ!と泣く泣く家に戻ると、荒らされた室内で、養父母は既に息絶えていた。養父は、娘と孫を蔵に隠すと、妻と二人で自害していたのだった。賊に拷問されて畠山家の内情を話してしまうことを怖れてのことかと解釈した信春だったが、奥村家菩提寺・本延寺の日便上人に、おまえが養子という身分に囚われて都に行けずにいたのを理解していた宗清は、家のしがらみをおまえから解放したのだ、、といわれ、愕然とする。

 

畠山家内紛に巻き込まれたことで長谷川家からは裏切り者とされ、七尾にいられなくなった信春は、絵師としての修行のため、静子と久蔵をついれて京都の本法寺をめざして旅にでる。しかし、その道中は、織田信長と浅井・朝倉、比叡山や石山本山時との戦いの戦場となっていて、容易にすすむことができなかった。

これ以上、二人をつれて京をめざすのは危険と悟った信春は、敦賀の妙蓮寺に静子と久蔵を預けて、まずは一人で本法寺を目指すことにする。ところが、その最中、信長の比叡山焼き討ちに巻き込まれる。女子供も逃げ惑う大混乱のなか、3歳くらいの子供をだいた僧侶が、信長の追手に追われている。11歳までは武士として鍛錬をしていた信春は、とっさに長刀を掴むと、大車輪で大立ち回り。僧と子供を助けたのだった。

しかし、その時、なぎ倒した織田の軍勢は、織田信忠勢だったことから、信春はこれ以降、織田からのお尋ね者となり、隠れて暮らす身となってしまう。身分を偽り、扇子絵師として糊口をしのいでいた信春だったが、ある日、本法寺から迎えがやってくる。すごい絵師がいるとの評判から、長谷川信春がそこに隠れていることを知った本法寺の日賢僧人だった。病で老い先短い日堯上人が、信春に肖像画を描いてほしいと言っている、ということだった。

信春は、渾身の力作で、素晴らしい日堯上人の肖像画を描き切る。そして、それがまた評判を呼び、、、信春の存在は、七尾出身の夕姫の耳にも届くことになる。そして、幼いころから面識のあった夕姫と再会した信春は、大徳寺近衛前久を紹介される。なんと、比叡山焼き討ちのときに信春が助けた僧侶が抱いていた子供は、前久の実子だったのだという。

そして、五摂家の中でも氏長者である近衛前久と昵懇となった信春は、前久の養子・石山本願寺門主の子・教如肖像画を頼まれる。同時に、狩野永徳の父・狩野松栄に弟子入りが叶うこととなる。

七尾を出てすでに1年以上、お尋ね者として身を隠していたために、静子や久蔵と別れて暮らしていた信春は、前久の口添えもあって、ようやく静子らと再会を果たす。その後も、方々から絵を頼まれ、狩野松栄のもとで腕をあげていく信春だった。

 

幸せに暮らしていた3人だったが、静子が病に倒れてしまう。医師の見たてによれば、肺を病んでいて、もってあと2か月。。。。せめて、最後に故郷の景色を静子にみせてやろうと、信春は久蔵と静子をつれて七尾をめざす。しかし、七尾にたどり着く前、気比神社のあたりで、静子は、亡くなってしまう。

 

養父母を亡くし、妻を亡くし、悲しみにくれた信春だったが、久蔵と共に堺の知り合いの元に身を寄せ、絵を書いて暮らすようになる。

 

1585年、静子の七回忌を迎えるころには、信長はすでに本能寺の変で倒れ、秀吉が関白となる。時代は、信長から秀吉へと変わった。そして、ある日前田玄以となのる人物が、これまでの信春の罪をすべて許すという朱印状をもって現れる。それは、比叡山で信春が助けた僧だった。近衛前久との縁、前田玄以との縁で、信春は、晴れて表舞台の人物となっていく。。。

 

と、(上)はここまで。

 

等伯が、狩野派の松栄に弟子入りしていたこと、もともと武家の出身だったこと、知らなかった。等伯というと、狩野派と戦った、、、というイメージが強いけれど、(上)では、まだ、そんなツワモノなイメージは出てこない。信長の追ってから逃れ、自らつくったご縁で自分の道を開いていく。武家の血と、絵描きとしての血と、、、、。そして、父に負けないほどの絵を描き始めた久蔵。これから、二人がはどうなっていくのか、楽しみ!!


(下)は、また別途・・・。