『《歴史ごはん》 食事から日本の歴史を調べる  第一巻  縄文~弥生~奈良時代の食事 』

《歴史ごはん》 食事から日本の歴史を調べる 
第一巻  縄文~弥生~奈良時代の食事 
永山久夫、山本博文  監修
くもん出版 
2018年12月13日 初版第1刷発行

 

図書館で借りてみた。3巻シリーズの第1巻。
大判の児童書だけれども、写真もあって意外と楽しい。

 

監修者の永山さんは、1932年、福島県生まれ、食文化史研究家・日本長寿食研究所長。『和の食』など、著書も多数。山本さんは、1957年、岡山県生まれ、東京大学史料編纂所教授 、歴史学者(日本近世史)。

 

本書には、なんと「食べられる歴史ごはんレシピ」もついている。まぁ、縄文パンとか、、、べつに食べなくていいか、、って気もしなくもないが。ロマンはあるかも?!

 

第1巻は、縄文~奈良時代なので、まだ、和食というよりも日本のたべもの、、、、って感じだろうか。

縄文時代は、動物を捕まえ、 木の実を集めて暮らしていた。ゆっくりと発展しながら1万年以上も 長く続く。縄文土器や石器を使い、みんなで協力しながら 豊かな食生活を送っていたようだ。 土器ができたことから可能になった調理法が「煮る」ということ。長時間 火にかけられるので、様々な食材を調理して食べることができるようになった。
ちなみに土器ができる前は、直接火にかざしたり、 穴を掘って焼けた石を食材と一緒に入れて蒸し焼きをしていたとのこと。「石焼鍋」は、いまでも秋田県男鹿半島名物
縄文時代にも集落はできていて、縄文人がよく食べたクリは、自然に生えている木から取るだけでなく、人工的にクリ林を作っていたらしいということも分かっている。青森県三内丸山遺跡にはクリの木だけの森があるそうだ。
海から離れた内陸部での遺跡から、貝がらや魚の骨が見つかっていて、縄文時代にも内陸部と沿岸部との交流が行われていたと考えられている。

縄文人も、舟を使ったり、あるいて、広く交易をしていたのだ。1万年以上も昔に。


弥生時代は、卑弥呼の時代。稲作が始まって、お米を食べる文化になっていった。
米作りが広まって暮らしは安定したけど、貧富の差や身分の差ができて「むら」同士が争うようになり、「くに」ができていく。弥生時代には、今の私たちと同じように、お米を炊いて食べていたらしい。おもに、「赤米」と呼ばれる古代に作られていた米の品種。また、縄文時代の味付けが塩だったのに対して、弥生時代になると豆を発酵させた「豆醤(まめぎびしお)」が使われれうようになる。発酵につかったとみられる壺は、酒造りにもつかわれていたのではないかと。

そうか、弥生時代から日本人の酒好きは始まっていたのか!!
『逝きし世の面影』で紹介される近代日本の酒好きは、弥生から受け継がれていたのだ・・・・。
ま、ジョージアのワインの歴史に至っても、8000年の歴史があると言われるけれど。

 

お米が食べられるようになって、「主食」と「おかず」という概念ができてくる。発掘される土器も、ご飯用とおかず用と、、土器のバラエティが増えていく。


飛鳥~奈良時代になると、「食べる贅沢」が現れる。 大陸との交流がさらに盛ん となり 食習慣も多様化する。また 税や身分制度など生活に関わる国家の基本が定められたことで、食についても貴族と庶民の二極化が進んでいく。
奈良時代初期の皇族であった長屋王の食事が紹介されている。いくつ小皿が並び 私の朝食よりもよっぽど贅沢だ。。。その食べ物の様子は、 値札として使われた木の板「木簡」の文字からわかるという。

*「木簡」とは 文字を書くのに使われた細長くて薄い板のこと。 使い終われば表面を削って再利用できるため、簡単な記録を残す時によく利用されていた。すごい、リサイクルの技!! 律令制度が整うとともに多くのことが文書で管理されるようになり出土例が増えるけど、平安時代以降、紙の普及とともに次第に使われなくなっていった。

 

飛鳥時代の食事として「蘇(そ)」レシピが載っている。
牛乳をひたすら煮詰めて作る蘇は、作る大変さと他の食品にはない味わいから珍しい食べ物として貴族たちにとても好まれていた。

レシピは、本当にひたすら牛乳を煮詰める、、とある。フライパンに牛乳をいれてゴムベラでゆっくりかき混ぜながら、ひたすら煮詰める。1/3くらいに煮詰まると色が褐色になって、さらにこげないように煮詰めていくとキャラメルのような感じになる。1リットルの牛乳なら、3時間くらいかかる、と。

まぁ、ミルクキャラメルか。

律令国家について中国から学ぶ過程で、食文化も中国から輸入される。はし、スプーン、包丁、道具も発展。

 

中国では、器を手に持たずに食べる文化なので、飛鳥時代には器を手に持たずにたべていた。器も、丸底から平底や台つきのものに変わっていった。熱い物をいれた陶器の器は手で持つと熱いので、器はおいたままで、スプーンですくってたべていた。でも、日本人は木の器を使いはじめたことで、手に持っても熱くないため、器を持ち上げて口に近づけて食べるようになり、スプーンは使われなくなっていったそうだ。

 

仏教がつたわってきたことで、肉食禁止の歴史が始まるが、最初は、「食べてはいけない時期」をつくっただけだったのが、人に役立つ動物を保護する目的で食べてはいけない動物が限定され、しだいに食べてはいけない人を限定し、ついには一切禁止、となったのだそうだ。

食べてはいけない人、というのは、農民だったらしい。なぜなら肉を食べると米作りが失敗すると信じられていたから。なんていう、濡れ衣・・・。

そして、奈良時代には、大豆の使用が広まり、大豆の加工食品、醤油や味噌のはじまりとなる調味料もつくられるようになる。

意外と贅沢な食事もあった飛鳥・奈良時代。とはいって、今のような一日三食ではなかったのだろう。。

まぁ、まだまだ「和食」のあけぼも、って感じかな。

 

いがいと、面白い。