『マンガ日本の歴史3 興亡する倭の五王と大嘗の祭』 by 石ノ森章太郎

マンガ日本の歴史 3
興亡する倭の五王と大嘗の祭
石ノ森章太郎
中公文庫
1997年3月3日 印刷
1997年3月18日 発行

 

『2 邪馬台国卑弥呼のまつりごと』の続き。

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邪馬台国卑弥呼が死んでから、空白の約160年を経て、邪馬台国とは異なる性質の倭国となってきた時代について。

 

目次
序章 倭国、朝鮮へ
第一章 大和王権の登場
第二章 古墳物語
付章 古墳物語
第二章 大王の世紀
付章 王権の継承・大嘗の祭

 

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西暦391年、倭国は朝鮮に攻め入る。
399年、百済を味方にして、新羅へ攻め入る。
400年、新羅高句麗の連合軍は、倭に討ってでる。
404年、倭軍、高句麗に撃退される。

と、攻撃的になった倭の話から始まる。卑弥呼の時代から空白の後のこの闘いの記録は、高句麗好太王に記録されたものが唯一の史料。

”四世紀の日本は、まことに謎に満ちた世紀なのである。”と。。。

そして、日本書紀』の崇神記(すじんき)に基づく、お話が続く。当時は、国の神と王家の神が、同じ場所に祀られていた。崇神天皇の時代は、疫病がはやったり、作物の出来が悪かったりで、人々は苦しい生活を強いられていた。それは、神様の祀り方がよろしくない、ってお告げがあったということで、神様をわけて祀ってみた。でも、どちらも王の娘を神として祀ったところ、国の神としてまつった渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)は、あっという間に老いぼれて、ボロボロになってしまい、国の惨状もかわらない。すると、次に三輪山大物主神(おおものぬしのかみ)が、「大田田根子」を探して、祀りなさいという。そこで、大田田根子をさがして、神にしたところ、疫病はやみ、五穀もみのるようになった、と。

 

大田田根子」とは、多くの田の根幹を成す者、という意味。つまり、王家の系列からではなく、一般の家系から神をえらんだ、ってこと。また、卑弥呼のように1人が神々を独占する古い支配の仕方は、地域の神=民衆の反撃をうける時代に変化した。

 

そして、時代の倭の五王時代。

御間城入彦(みまきいりびこ、崇神天皇)は、大彦命などを奈良盆地から東西南北
(北陸・東海・西道・丹波)へ四道将軍を派遣する。ところが、そこに反旗を翻したのが、武埴安彦(たけひこやすひこ)とその妻の吾田媛(あたひめ)。しかし、用意周到だった大彦命らに破れる。崇神天皇は、つよかった、らしい。

 

崇神天皇の時代に、戸口調査、調役、灌漑用地、船舶づくりなどがすすむ。なるほど、古事記にも崇神天皇の記述が多かったわけだ。

 

そのころ、古墳が作られ始める。古墳の始まりは、崇神天皇に神様を別々に祀るべしと伝えた、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと・崇神天皇の姑)のために作った箸墓(奈良県桜井市が始まりとのこと。

五王時代というのは、私の知識には全くなかったのだが、どうやら五代続けて朝貢した倭の王がいたということらしい。ただし、どの天皇がどの王だったのかは、、、王の数と天皇の数が合わない。

 

それぞれ、
倭王讃(さん):誉田別大王(ほんだわけだいおう・応神天皇)、大鷦鷯大王(おおさぎきだいおう・仁徳天皇)、去来穂別大王(いざほわけだいおう・履中天皇
倭王珍(ちん):端歯別大王(みつはわけだいおう・反正天皇
倭王済(せい):雄朝津間稚子宿禰 (おあさづまわくごのすくね・允恭天皇(いんぎょうてんのう)
倭王興(こう):穴穂大王(あなほだいおう・安康天皇
倭王武(ぶ):大泊瀬幼武天皇(おおはつせわかたけ・雄略天皇

ということになっている。
それぞれ、王座争い等を経て、王の座に。中でも、允恭天皇は、神のお告げで王になったのではなく、民衆から望まれ、妃にも懇願されて王位についた。また、仁徳天皇以降、倭王武の時代まで、葛城氏から妃を迎える習慣が根付いていて、葛城氏が活躍した。

なるほど。藤原家より古くから、天皇家に嫁ぐことで家の地位を高めるっていう習慣があったらしい。

兄弟での殺し合い、妃の座の奪い合い、、、日本の歴史もえぐいのぉ・・・・。 

 

最後は、大嘗祭について。だいじょうさい、あるいは、おおなめまつり、おおにえのまつり。今では、日本の天皇皇位継承に際して行う宮中祭祀であり、皇室行事としてしられている。その始まりは、大王はつねに神と共にあることが必要であったことから、毎年、天地を司る神からの霊力を受け、その恵みを臣下に分け与えることによって、大王は大王たり得た。そのための儀式が大嘗の祭。

 

大嘗の祭は、そのために建てられた特別の宮殿で行われた。そこに至るまでもさまざま儀式があった、禊によって穢れや病を祓い、特別な飯と酒がつくられた。大王は、大嘗の宮殿(悠紀伝・ゆきでん)にはいって、目に見えない至高の神と共に過ごす。そして、主基殿で儀式を続け、最後は、待ち受けるすべての氏族に自分が神と一体となったことを伝える。

大嘗の祭は、大王の超越的な力が、神から分け与えられたことの証を示すものだった。

なるほど・・・。 

 

おまけの解説。

謎の時代を説く基本資料 義江彰夫
 卑弥呼時代から大和王権が形成されるまでは、史料も少なく、謎に満ちている。記紀であり真偽のほどは疑問も残る古事記』と『日本書紀、そして、七支刀銘文(369年)、高句麗好太王碑文(414年)、稲荷山古墳鉄剣銘文(471年)、宋書倭国(488年)。

 七支刀は、奈良県天理市石上神宮に伝来した古代の鉄剣。百済王が倭王に作ったとされているって、全国通訳案内士の日本歴史の勉強ででてきた記憶がある。こんなの、学校では習ったんだろうか?って思ったけれど、わりと、重要なものだったのね。

石上神宮七支刀銘文『詳細 日本史図録 山川出版社 第9版』から。

大王=倭の五王が、記紀古事記日本書紀)の王統譜とどう対応するのかは、1981年『巨大古墳と倭の五王』(川口勝康)で画期的な見解が出された。中国名「武」は、和風称号「ワカタケル」の意訳であることから、倭王武は大泊瀬幼武天皇(おおはつせわかたけ)とある雄略天皇と同一人物である、と。
また、王統は、記紀が主張するような万世一系ではなく、畿内とその周辺を基盤とする5つの王統が、それぞれの支えとなる豪族を背景にもちながら、興亡を繰り返して形成・発展したのだと。

 

なるほどおぉぉ。

じっくり読むと、マンガも解説も、あなどれない大事なことが書いてある。

歴史は、面白い。

まぁ、最近の新しいものを読むと、また新しい史実の発見があるのかもしれないけれど、、、。とりあえずは、このマンガ日本の歴史は、読破してみよう。。。