『源平盛衰記』 by  菊池寛

源平盛衰記
菊池寛
勉誠出版
2004年9月10日 初版発行
*日本歴史物語全集全十巻の一冊として発行(新日本社、昭和11年10月)

 

『文豪、社長になる』を読んで、菊池寛の本を何か読んでみようと思っていたところ、図書館の棚で見つけた一冊。

megureca.hatenablog.com

 

歴史の棚だったろうか?平家物語も読んだことはないけれど、菊池寛の作品なら、面白いかな?とおもって借りてみた。
物語なので、必ずしも史実ではないといわれているけれど、源平合戦のハイライトがギュッと詰め込まれている感じ。こまかく章にタイトルがついているのが読みやすい。

 

目次
一 髻(もとどり)狩り
二 鹿ケ谷(ししがたに)
三 大獄(たいごく)
四 忠孝泣血(ちゅうこうきゅうけつ)の諫め(いましめ)
五 鬼界(きかい)ヶ島
六 灯籠の大臣(おとど
七 鵺
八 檄と関
九 三井の陣鉦(じんかね)
一〇 橋合戦
一一 髑髏
一二 石橋山の白旗
一三 再起
一四 富士川
一五 無
一六 木曽の白旗
一七 尾張の露
一八 俱利伽羅(くりから)落とし
一九 老将の最後
二〇 旭将軍
二二 宇治川の先陣
二三 一ノ谷合戦
二四 青葉の笛
二五 屋島焼き討ち
二六 扇と弓
二七 壇の浦
二八 寂光土


感想。
面白い!
菊池寛にかかると、こんなおもしろい寸劇みたいなおはなしになっちゃうのか!!

 

元祖の『源平盛衰記』も『平家物語』も読んだことはないけれど、平家が源氏に滅ぼされていくお話、っておもったら、ちょっとちがう。もっと、いろいろある。

平家がどれほど最後は庶民からも嫌われていたか。平家の悪口を監視して回っていた14,5の赤い狩衣をきた六波羅禿(かむろ)がやってくると、人々は道をよけるどころか、家の中に飛び込んで戸を閉めて、なるべく顔をみられないように、逃げて回った。

鹿ケ谷の陰謀のあたりは、私本太平記後醍醐天皇の幕府への離反と重なる。こっちは、後白河法皇の時代。しかし、この陰謀も、仲間内の多田行綱の清盛への告げ口で未遂におわり、関係者は鬼界島に流されてしまう。ほんと、歴史は繰り帰す・・・・。

だいたい、悪だくみというのは、仲間のうちの小心者から外に漏れる・・・。

 

そして、源頼朝も幽閉されていたので、誰に対しても疑い深く、なかなか兵を起こそうとしなかったこと。妻の北条政子にたきつけれられて?!ようやく腰をあげたのだ。義経との出会いも、ずっと離れ離れだった弟にであって感動の再会で劇的。


”「ちがいない! お前の顔を見ていると、 父上左馬頭殿にあっているような気がする。あの牛若が、このような立派な武士になったか!」”と。
まぁ、後に、その弟を成敗しちゃうんだもんね・・・。源平盛衰記よりずっとあとのことだけど。

 

キャラがたっているのは、やっぱりなんといっても平清盛。きにいらないことがあると、ぷんぷんおこって手がつけられなくなる。それをなだめられるのは、長男の重盛だけだったということ。

内大臣兼左近衛大将平重盛は、文武両道にすぐれて人の情けに心あつく、ともすれば横暴に走ろうとする悍馬のような父清盛の手綱をよくしめ、平家一門の柱石として、一族のみならず一世の尊崇を、身一つにあつめておりました。”って。

 

重盛の息子はこれまた、とんでもない我儘坊主。それを面白おかしく書いてある。

清盛の最後は、沸騰するほど身体が熱くなって、しんじゃう。その描写がまた、面白い。。。。そういう病気あるのか???

源氏の援軍に、「足利又太郎忠綱」がでてくる。そうそう、足利尊氏は源氏の流れだったね。

 

源平合戦の戦場には、今では観光名所となっている場所がたくさんでてくる。

平家をきらっていた以仁王が隠れた三井寺興福寺那智新宮。宇治の橋から平等院の戦いでは、頼政が全滅。

有名な富士川の戦い。たくさんの水鳥が一時に飛び立ったので、平家の軍が源氏の鬨の声と勘違いして、一斉に逃げ出す。

戦の様子は、猛々しいというよりは、どっちも、くたびれてボロボロでした、、、って感じの描写。で、寝ちゃって戦機を逸してる。あるいは、何が何だかわからないうちに、川におちて、1千騎も溺れて死んじゃいました、とか。
茶化して書いているとしか思えない。だから、面白い。

老将が、あなどられてはこまるからと髪を黒く染めて出陣したとか、、ほんとかな?!菊池寛の作り話か?!

 

また、平家をきらっていて、平家が負けていくのを喜んでいた庶民だ多けれど、京で兵士をやぶった木曽義仲率いる源氏の兵はとんでもない狼藉者がおおくて、道行く人の着物をはぎ取るは、お寺の塔や卒塔婆を薪にしてもやしちゃうわ、人のご飯は奪うわ・・・・。京の人々は、これなら、平家のほうがまだよかった、、、なんて言われたりしている。

 

後白河法皇は、この源氏の兵のお行儀悪さに人民を可愛そうにおもって、義仲のところへ使いをやって、乱暴をやめさせるようにという。でも、義仲はまったく聞き入れなかった。使いにいった壱岐判官知康は、いうことを聞かないわ、人をばかにするわで、”すっかりむくれる”。これまた、表現がおかしい。立派な大人が、自分のお役目がはたせず、ばかにされて、「むくれる」とは。

木曽義仲のキャラは、なんとなく、、、新田義貞とかさなる・・・・。義貞のほうが、まだいいか・・・・。

 

最後は、壇の浦の合戦。舟に慣れていた平家に対して、源氏の兵は舟にはよわかった。それでも、あの扇を打ち落とせば源氏の良運とされ、、、はなった矢は見事に扇をうちおとす。絵巻に描かれるシーン。
そして、建礼門院と時子(清盛、二位の尼)と安徳天皇の入水・・・。
こもの描写は、ちょっとジーンとくる。
まさに、クライマックス。

 

”清盛の未亡人の二位の尼は、 幼い安徳天皇を抱き申し上げて、帯でもって固く 自分に結び奉り、舷に立ちました。その時、 安徳天皇
「いずこへ行くぞ」
 と、 お尋ねになりました。 二位の尼は、
「あまりこの船には 矢が参りますので、 静かなところにお供いたします。波の底の都にお遷りあそばしませ。」
と言って、それから一首の歌をよみました。

 今ぞしる御裳濯川の流れには 浪の下にも都ありとは。”

 

そして、徳子(清盛の娘・建礼門院安徳天皇の母)をはじめ女たちはみんな海の中へ・・・・。

ところは、建礼門院は、源氏の武士の熊手にかかって、引き上げられた。そして、のちは、寂光院ですごすこととなる。 

 

若い時、寂光院をおとずれてとても心惹かれたけれど、建礼門院が誰なのかもよくわかっていなかったなぁ・・・・。

やっぱり、歴史を学んでみると、点と点がつながることがたくさんある。知らずにいきてきたのはもったいないことをしたなぁ、、、って思う。

いずれは、平家物語も読んでみよう、という気になった。

 

なにより、本書が原書をどのくらい反映しているのかもしらないけど。これは、面白い一冊。菊池寛歴史小説は面白いといわれているけれど、ほんと、面白かった。

 

やっぱり、読書は楽しい。