『まじない の文化史  日本の呪術を読み解く』 by   新潟県立歴史博物館 監修

まじない の文化史
 日本の呪術を読み解く
 新潟県立歴史博物館 監修
河出書房新社
2020年5月20日 初版印刷
2020年5月30日 初版発行

 

図書館の特設コーナーで見かけた一冊。 表紙には、何だか 禍々しい、おまじないに使ったと思われるものたち。 ちょっと面白そうだったので借りてみた。

 

はじめに、の説明によれば、 2016年、新潟県立歴史博物館で「 おふだにねがいをー呪符」 という 展覧会を実施したことがきっかけで、まとめられた一冊とのこと。県内で出土する呪符、木簡を現代の様々な”おふだ”との関連で明らかにしようというところがきっかけで企画したものが、最終的にはおふだにとどまらず様々な 呪的な行為や習俗にまで広がりを見せる展示だったそうだ。

 

企画展では、「人々を幸せにする」おふだやおまじないをとりあげたけれど、「人々を不幸にする」についても、本書では書き加えられている。というのも、「人を呪う」という展示を期待して来場されたお客さんが多かったからだと・・・。

なんともまぁ、、、それをしってどうするの?!っておもうけれど、やっぱり、ちょっと興味津々。

 

絵や写真がいっぱい入っていて、薄い単行本。パラパラとめくって楽しむのにちょうどよい。加えて言うと、日本の文化に関する勉強にもなる。

 

目次
はじめに
序章 わたしたちは「呪術」に囲まれている?
第1章  呪いの古代史  奈良 平安時代 呪詛事件ファイル
第2章  呪いのかたち  出土品から見る呪術
第3章  呪文の言葉は急々如律令  呪術の背景にあるもの
第4章  生きている呪術  境界とおふだ
第5章 願をかける  様々なおふだのかたち

 

どうだ!

目次をみただけで、禍々しい!!!

 

感想。
へぇ、ほぉ、そうだったのかぁ。と結構、たのしめる。
今でも生きている呪術としては、境界におふだやしめ縄をするということ。村のはずれの木にが巻いてあって、おふだがかかっているすがたとか、草履が吊るされていたりするのは、外部からの侵入者への警告なのだそうだ。今では、なんとなく景色にとけこんでいるけれど・・・。新潟県の博物館の本なので、当然掲載しているのは新潟県のもので、雪深い林に縄がはってあったり、おふだがかかっていたり、、の写真が、当たり前の日常に見える。でももしかすると、それは、私が日本人で、そういう光景を実際に行った先や、テレビの時代劇などで、普通に目にしてきたからかもしれない。

 

「お守り」「絵馬」「ひな祭り」「七夕」、、いずれも日本にその習慣ができたときには、「願い事かける行為」となっているのだと。

たしかに・・・。旅先で、なんとなくお守りをかっちゃったりするけれど、もともとは「おふだ」なのだ。

 

チョット復習してみると、、、

お守りは、災厄を防ぐ神秘的な力があるとされる礼符。いまでは色々な形のものがあるけれど、基本は、小さな布の袋の中に「おふだ」がはいっている。子どものころ、中をあけちゃだめだ、と言われたものだ。中には、神仏の像や種字(仏や菩薩を象徴する文字。梵字)が書いてある。身につけたり、玄関に貼ったり、室内に安置したり。そういえば、この間、那智の滝の神社で、入場料をはらったらお守りとして小さなお札をくれた。。。中には何が書いてあるんだろう・・・。一応、お財布にいれて持ち歩いている。

 

絵馬は、社寺などに馬を奉納する代替物としてあらわれたものと考えられている。かつては 馬の絵を書いたのが、時代が下ってくると社寺や願い事に応じた様々な絵柄になっていく。昔は、生きた馬を奉納していたのが、絵馬に変わったのだと言われている。だから、馬の絵が描いてなくても、絵馬なんだね。

 

ひな祭りは、皆さんご存じ3月3日。雛人形を飾って祝うけれど、もともとは人間のかたちをした人形(ひとがた)をつくって、水に流して穢れを祓う呪術がおこなわれており、それが、今のひな祭りの形になった。

 

七夕は、古代中国から日本に伝わった乞巧奠(きっこうてん)という宮廷行事に由来する。乞巧奠は、中国神話に登場する牛郎と織女の逢瀬を祝う中国の祭り。短冊に願い事を書き、邪気を祓うとされている笹にむすんで、願いの成就と邪気払いを願う祭りとなっていった。

 

なるほど。。。。


七夕の短冊をなぜ笹にむすぶのか???夏で涼しげだから、、、ってことではなかったらしい。笹が邪気をはらうとは。しらなかった。

 

『続日本記』に書かれていた呪詛を禁止する法律が紹介されている。奈良時代平安時代から、日本人は呪詛にたよっていたのだ。というか、そのころは自然現象は神のなせるわざだったので、万の神におねがいするしかなかったのだろう。

 

数々の天皇や貴族の親族同士の呪詛事件が紹介されている。日本人、おそろしや・・・。桓武天皇を呪詛したとか、藤原道長を呪詛したとか、、、、。

人間の形をした形代、人形(ひとがた)が、多く出土されていのだそうだ。ときには、半分にかけていたり(意図的?)脚の一本だけもげていたり(意図的?)。。。

 

今でも、弥彦神社では、「夏越の祓」が行われていて、そこでは紙で作った人形が使われている。流し雛のために、折り紙でお雛さんを作ったりもする。
人の形をしたものって、、、身代わりなんだと思うと、なかなか、、、、。ちょっと怖い。

 

たまたま目に入って、手に取った本だけれど、わりと、日本文化の勉強になってよかった。

 

絵馬は、ただのお願いのふだなんかじゃないんだね。もともとは、生きた馬がささげられていた、その代替だったんだ。

 

なかなか、楽しい一冊だった。そして、気休めとわかっていても、神社にお参りしたり、短冊に願い事を書いたりする文化、いいんじゃない、って思う。

 

最近、「日本人は元来いじわるなんだ」という言葉を耳にした。だから、イジメもなくならないし、だれかが自分よりいい思いをしているとすぐに妬む。SNSはちょっとしたことで炎上する。それは、キリスト教イスラム教のように唯一の神を信じるという習慣がすくないから、と。神様がみているから、清く生きようという思想になりにくいのだと。

 

いやいや、日本には、「おてんとさまがみている」って言葉があるよね、って私は思う。だって、ゴミの不法投棄の対策に、「鳥居」をおいたら効果あるっていうじゃない。やっぱり、日本人だって、そういう心の持ち方あると思う。

 

わたしは、人間の性善説を信じたい。それでも、嫌な人がいれば、呪詛したくなっちゃう気持ちもわかる。で、、、本気で叶うとおもわないけど、ちょっと呪詛しちゃう、、、なんてことがあっても、それはそれで、しかたがない?!・・・・。けど、きっと後で自分の心が痛むと思う。やっぱり、、、呪詛するよりは、嫌な相手とは関わらずにいよう。 

 

「人を幸せにする」おまじないなら、たくさんやってみよう。

 

本書の最後に、『さんまいのおふだ』という昔話が紹介されている。小僧が和尚さんから3枚のおふだをもらって出かけ、とまった山小屋で山姥に襲われる。逃げながら、「山になれ」「川になれ」「風になれ」といっておふだを投げながら、ようやくお寺に帰りつくってお話。最後、小僧を襲った山姥は、お寺の井戸に落ちてしんでしまう。日本の昔話も怖いなぁ・・・・。