『コミック版、日本の歴史80 鎌倉人物伝・北条義時』

コミック版、日本の歴史80 鎌倉人物伝・北条義時
ポプラ社
加来耕三 監修
2021年12月 第1版

 

日本史の勉強に、児童書の歴史物シリーズ。鎌倉時代を代表して北条義時を図書館で借りてみた。平清盛でもないし、源頼朝でもないし地味なんだけれども、図書館にあったのがこれだった。

 

歴史を代表するような超有名人物ではなくて、でもその時代の重要な人物だし、鎌倉時代は、征夷大将軍よりも執権の方が重要だろうということで。

 

重要と思ったことを覚書

 

北条義時
北条時政の息子。時政の後をついで、鎌倉幕府2代執権。源頼朝、頼家、実朝に仕える。13人の合議制の構成員。「承久の乱」で朝廷を征し、武家政権を確かなものとした。北条政子の弟。義時と側室の間に生まれた子供が北条泰時。後に泰時は承久の乱で叔父の北条時房とともに東海道群を率いて活躍し、後に三代執権となる。

 

13人の合議制
頼朝の死後、後を継いで将軍となった嫡男頼家は、感情の起伏が激しく、身勝手で不公平な訴訟の裁断をすることから、頼朝以来の御家人の評判はよろしくなかった。そこで北条時政が提案したのが、13人の宿老による合議制。侍所別所の和田義盛、侍所所司の梶原景時、そして北条義時も含まれた。

 

承久の乱
1219年、3代将軍源実朝(頼家の弟)の右大臣拝賀の儀が鎌倉八幡宮で行われていたが、そこで2代将軍頼家の遺子である公暁が実朝を暗殺した。それを知った後鳥羽上皇が幕府追討を宣言し、1221年に起こした反乱が承久の乱。朝廷との戦いに弱気になっていた武士に対して、北条政子が行った演説が有名。

政子は、亡き頼朝公が平気をうち滅びし、鎌倉に幕府を打ち立てたからこそ、武士たちの地位は向上し所領も増えた。今ある平穏な暮らしは、すべて頼朝公と共に、みんなで地道に築き上げたものではなかったのか!と。
”その御恩は山より高く、海より深いでしょう。”
そして、朝廷側につくならまず、わたしを倒してここをでていけ、というようなことをいった。で、みんな立ち上がって戦う。


周辺の情報として重要なのは、
後白河上皇

大てんぐ。平清盛と昵懇でありながら裏切り。源義経を朝廷側に取り込んで、頼朝との兄弟の仲を悪化させたことにも一役買う。

 

源義経(頼朝の弟)

源平の戦いでは大手柄をあげ、その後の木曽義仲の武力暴走を鎮圧するなど、頼朝と手を取り合って活躍していたのに、後白河上皇に官位・官職をちらつかせられるとそちらになびいてしまう。しまいに、頼朝の義経成敗へとつながる。結果、奥州平泉に藤原氏をたよって落ちのびるが、最後は藤原氏にも裏切られて自刃。

 

源頼家(頼朝の嫡男)

二代将軍にはなったけれど、気性が荒く扱いにくい人間。まったくの「こまったちゃん」。跡継ぎ問題では、自分の嫡男を将軍にするために、執権の時政や自分の弟である千幡(のちの実朝)を殺そうとする。母である北条政子にたいしてですら、容赦するな!と。その企ては失敗するが、時政と政子は、温情で頼家を出家させることとした。が、幽閉された伊豆の修善寺でもそのあれぶりはひどく、手が付けられなかったので、幕府の役人により処刑された。要するに、こまったちゃんどころか、わがままな暴君だった。 

 

と、読んでいて思ったのは、歴史というのはその人物の人格が思い浮かばないと、ストーリーとして頭にのこりにくい、ということ。マンガだと、それがわかりやすい。

 

本書は『北条義時』が主人公の一冊だけれど、義経がなぜ頼朝と仲たがいすることになったのか、頼家がどれほど人格崩壊していたのか、北条政子が幼い時から人を引き付ける言葉の使い手だったのかなどの背景が、それぞれの人の性格がみえるようで、わかりやすい。

 

義時は、後に父である時政を追放することになる。それは、徐々に時政が権力への執着から逃れられなくなっていたから。

なるほど、本にするほど、義時が人格者だった、ということ。

 

鎌倉時代、またちょっと理解が深まった。

ただ、木戸義孝を読んでおもったけれど、ポプラ社はちょっとわかりにくい・・・。たくさん盛り込みすぎていて、登場人物がどういう関係の人かつかみにくいのだ。その点、小学館のほうがわかりやすいかも。。。

まぁ、他にも読んでみよう。