『本当の翻訳の話をしよう(増補版)』 by 村上春樹、柴田元幸

本当の翻訳の話をしよう (増補版)
村上春樹柴田元幸
新潮文庫
令和3年7月1日発行
What we talk about when we talk about translation
*この作品は2019年5月 スイッチ・パブリッシングより刊行された。 文庫化にあたって増補した。

 

先日、ポール・オースターの柴田さんの翻訳本が面白かったという話を友人にしたら、村上春樹柴田元幸の対談ものが面白いよ、というので、図書館で借りてみた。

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本の裏には、
” ” 翻訳は 塩せんべいで、小説はチョコレート。 交互に食べて、 後は猫がいれば、 いくらでも時間が過ぎちゃう”という「翻訳家」 村上春樹が、 盟友・ 柴田元幸 とともに語り合った対話全14本。 海外文学から多くのものを受け取った2人が、翻訳という仕事に喜びを語りつつ、意外とも思える饒舌さで「作家」村上春樹の創作の秘密が明かされる必読の対話集。7本の対話を追加した「増補決定版」”と。

 

私は、村上春樹が結構好きだ。そして、彼の翻訳本も好きだ。そして、柴田さんがすごい翻訳家であるということを最近認識した。そんな二人の対談が面白くないはずがない・・・。

 

村上春樹1949年、京都生まれ。 早稲田大学 第一文学部 卒業。1979年『風の歌を聞け』でデビュー。


柴田元幸:1954年、東京生まれ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。文芸誌 「MONKEY」の責任編集を務める。

 

目次
まえがき 柴田元幸
OPENING SESSION 帰れ、あの翻訳
僕たちはこんな(風に) 翻訳を読んできた(Ⅰ)
    フィリップ・ロス『素晴らしいアメリカ野球』をめぐって
    トマス・ハーディ『呪われた腕』をめぐって

INTERLUDE 公開翻訳  僕たちはこんな風に翻訳している
僕たちはこんな(風に) 翻訳を読んできた(Ⅱ)
     コリン・ウィルソン『宇宙 ヴァンパイア』をめぐって
    マキシーン・ホン・キングストン 『チャイナ・メン』をめぐって

INTERLUDE 日本翻訳史 明治篇 柴田元幸
僕たちはこんな(風に) 翻訳を読んできた(Ⅲ)
     ジェームズ・ディッキー 『救い出される』をめぐって
    リング・ラードナー『アリバイ・アイク』をめぐって

INTERLUDE 切腹からメルトダウンまで  村上春樹
僕たちはこんな(風に) 翻訳を読んできた(Ⅳ)
    ジョン・ニコルズ『 卵を産めない郭公』をめぐって
    ナサニエル・ウエスト『いなごの日/クール・ミリオン』をめぐって

INTERLUDE 翻訳の不思議
僕たちはこんな(風に) 翻訳を読んできた(Ⅴ)
    ジョン・チーヴァ―『巨大なラジオ/泳ぐ人』をめぐって
    グレイス・ベイリー『その日の後刻に』をめぐって

CLOSING SESSION 翻訳にプリンシプルはない
あとがき 村上春樹

 

感想。
おもしろ~~い!
翻訳の勉強にもなる。
そして、アメリカ文学にどっぷりつかりたくなる。

 

対話に出てくる本の多くは、私は読んだことが無い作品ばかり。それでも、面白い!そして、でてくる本をかたっぱしから読んでみたくなった。かつ、色々な翻訳で読んでみることの意味もつたわってくる。目次にでてくる本は、ほんの一部。ほかにもたくさんでてきて、それが、ちゃんとリストとして掲載されている。なんて親切な‼こういうの好き!

 

公開翻訳、としている項では、原文の英語に柴田さん、村上さん、それぞれの翻訳がでてくる。なるほどぉぉぉ。こうも違うのか。。。


柴田さんは、どちらかと言えば原文に近く、近く、、、。村上さんは、翻訳であって創作ではないという域の中で、小説家ならではの表現が、、、、。確かに、どっちもあり。好みもあるし、物語の内容によって、どっちがふさわしいか、っていうこともあるだろう。
いずれにしても、翻訳の奥深さをつくづく感じる・・・。

翻訳は、仕事にしようとは思わないけれど、やっぱり、自分で翻訳してみるのは言葉の勉強として楽しい。今、趣味として、英語の勉強の一環として、村上春樹の小説を日英翻訳しているのだが、やはり、言葉の使い方についてよくよく考えながら読むことにつながる。読んでいるだけだと読み飛ばしてしまうような表現が、翻訳をしようとすると深ーく考えることになる。村上春樹の本は、すでに英訳本もたくさんあるけれど、あえて、自分で翻訳してみると、いかに村上フレーズが、、、村上ワールドが、、、本全体を包んでいるかがよくわかる。また、普段のビジネス会議通訳では、絶対に使わないような表現がたくさん。やっぱり、小説の世界は深く、広い。

 

村上さんにとって、翻訳は翻訳の楽しさがあって、自分の創作とはちがうのだ、という。訳したいから訳している、と。いいなぁ、趣味の翻訳。もっともっと翻訳してほしい・・・。

 

また、アメリカ文学についての対談の中で、「野球」がでてくるよね、ということを言っている。たしかに、先日のポール・オースターの『ガラスの街』でも、野球をみたり、野球のチケット、、、というのが情景の中に入り込んでいる。そして、アメリカ文学で野球がでてくるのは、「アメリカの偉大さ」みたいなものを表現する一つだったのではないか、と。また、アメリカは日本とちがって、「イギリスから独立して自分たちで創り上げた国」という気概があり、それが、アメリカ文学にもあるのだ、と。ヘミングウェイのような偉大な人がでると、もっと偉大さを求めつつ、さらにアメリカ文学が進化していった、と。日本の文学史とはことなるアメリカ文学史の発展のしかたがあったのかもしれない。結構、興味深い・・・。

 

翻訳するときに、どの日本語を使うかについての対話もとても興味深い。


「I」をどう訳すか。チャンドラーの『プレイバック』フィリップ・マーロウのセリフを「俺」とするのか、「私」とするのか、はたまた、「僕」とするのか・・・。
流石に、ハードボイルドで、「僕」はないだろう、、、と思うけれど、「俺」とするとアウトローな感じが重くなりすぎる。村上さん的には、「私」かな、、といいつつ、「俺」と「僕」の間みたいな言葉があればいいのに、、、と。「自分」とか??

 

マーロウは、「 タフでなければ生きていけない、 優しくなければ生きている資格がない」のセリフで有名になってしまったけれど、細かく原文をたどると、ちょっとニュアンスが違う、、、と。

 

Playback by Raymond Chandler (1958)
”How can such a hard man be so gentle?” she asked wonderingly.
If I wasn’t hard, I wouldn’t be alive. If I couldn’t ever be gentle, I wouldn't deserve to be alive.
I held her coat for her and we went out to my car. On the way back to the hotel she didn’t speak at all.

 

柴田さんが訳すと
”「そんなに無情な男が、どうしてこんなに優しくなれるわけ?」 納得できない、 という顔で彼女は訊いた。
無情でなければ、 いまごろ生きちゃいない。 優しくなければ、 生きている資格がない」 
俺は彼女にコートを着せてやり、 二人で 俺の車のところへ行った。 ホテルへの帰り道、彼女は一言も喋らなかった。”

 

村上さんが訳すと、
”「 これほど厳しい心を持った人が、どうしてこれほど優しくなれるのかしら?」 彼女は感心したように尋ねた。
厳しい心を持たずに生きのびてはいけない。 優しくなれないようなら、生きるに値しない
私は彼女にコートを着せかけてやり、 我々は 車のあるところまで歩いた。ホテルに戻る途中 彼女は一言も口をきかなかった。”

 

とまぁ、、、なるほど、、、なのである。
hardという言葉は、もともと「タフ」というより、「無情」「非情」という意味だし、
hardとtoughは、意味が違う。

くわえて、deserve to be aliveも、deserveのもつニュアンスがある。
そして、全体のバランス・・・。

なるほどなぁ。
本当に、勉強になる。

 

日本翻訳の話では、二葉亭四迷ルツゲーネフの「あひゞき」明治11年明治29年に訳している文章が紹介されている。文語から口語へ変わっていく時代の翻訳。そして、29年の訳では、「、」ではなく、「白抜きの読点」が使われている。「、」の中が白くぬけているのだ。。。こんなの、見たことない!
そして、「白抜き読点」が現代の翻訳でも定着していたら、セミコロン」みたいにつかえたのに!!と、柴田さん。
なるほど。
セミコロンへの柴田さんの思いが・・・。

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他にも、とにかく勉強になることがたくさんあったし、本の紹介も半端ない数。

結局、図書館で借りた本だけれど、数時間で読み切り、自分の蔵書にしようと新品をポチった。

これは、、、また、読みたい本リストが増えたことが幸せだ。

 

若いころは、「文学部」って、何するところなんだろうって思っていたけれど、今なら、「文学部」で、各国文学を研究してみたいと感じる。二人の対談は、文学史としても面白い。こういう世界があるのかぁ、、、って。

 

私にとっては、読書は趣味でしかないけれど、人生後半は文学に時間をささげてもいい、、、なんて思ってしまった。

 

読書は、楽しい。