『本当の戦争の話をしよう』 by ティム・オブライエン 、村上春樹 訳

本当の戦争の話をしよう
ティム・オブライエン
村上春樹 訳
文春文庫
1998年2月10日 第一刷
(本書は1990年に単行本として出版されたものです)


先日、ティム・オブライエン『戦争に行った父から、愛する息子たちへ』を読んで、彼の作品を読んでみたくなった。村上春樹が翻訳した1990年の本書『本当の戦争の話をしよう』が、『戦争に行った・・・・』のなかでも何度も出てきたので、図書館で借りて読んでみた。

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裏の説明には、
”日さかりの小道で呆然と、「私が殺した男」を見つめる兵士、木陰から一歩踏み出したとたん、まるでセメント袋のように倒れた兵士、祭りの午後、故郷の街をあてどなく車を走らせる機関兵・・・・・。 ベトナムの・本当の・戦争の・話とは?
O・ヘンリー 賞を受賞した「ゴースト・ソルジャーズ」をはじめ、心を揺さぶる、衝撃の短編小説集。”
とある。

訳者あとがき含めて395ページの文庫本。借りたのは、1998年のもので、紙はうす茶けていて、本の最後には「貸出期限表」にゴム印の日付の数々。私が村上春樹を読むようになったのは、大学生のころで、本書が単行本で出版されたのは私が大学生の時。でも、まったく、興味の対象になっていなかった。安保闘争の時代ならいざ知らず、当時の村上春樹好きの仲間の中でも、とくに話題になった記憶がない。すくなくとも、私は大学生活をただただエンジョイしていたころ。。。

 

本書にある、著者紹介も覚書。
ティム・オブライエン Tim O'Brein
1946年ミネソタ州オースティン生まれ。1969年2月から翌70年3月まで、ヴェトナム戦争に歩兵として従軍した。著書に「僕が戦争で死んだら」(中野圭二訳 白水社)、「価値アートを追跡して」(生井英考訳 国書刊行会)、「ニュークリア・エイジ」(村上春樹訳 文春文庫)、「失踪」(坂口緑訳 学習研究社)がある。

 

村上春樹。1949年(昭和24年)京都市生まれ。作家。訳書に「レイモンド・カヴァー全集」(中央公論社)、ジョン・アーヴィング「熊を放つ」(新潮文庫)、マイケル・ギルモア「心臓を貫かれて」(文藝春秋)などがある。


感想。
うわぁぁ、、、、、。
そうか、O・ヘンリー賞か、、、、。
これが、「本当の戦争」の話なのかもしれない。まさに。。。

短編集ということになっているけれど、でてくるのは、ティム・オブライエンが実際にベトナムに戦争にいったときの仲間たち。仲間というか、同僚というのか。。。短編毎に、主人公がいれかわっているだけで、話はつながっている。

さっき、悪ふざけしていた人が、次の話では死んじゃっている。ケガをして前線を離れている間に、二度と会えなくなった同僚。会話していたかと思ったら、地雷を踏んでそこら中に肉片としてちらばる同僚・・・・。同僚の肉体を拾い集める僕たち。
彼女の写真をお守りにする兵士。彼女のパンティーストッキングを首に巻くことでゲン担ぎする兵士。彼女は本国で別の男とできちゃったときかされても、ストッキングの御利益を信じて、まぁいいさ、と巻き続ける兵士。。。
ベトコンの死体。ただの老人。僧侶。牛。。。

 

いやぁ、まいったなぁ。。。。
別に、おどろおどろしく、怖いわけではない。
詩的に美しいといってもいい。
村上春樹っぽいな、っておもわなくもない。
違う人が翻訳したら、もうちょっとちがったのかもしれないな、なんて思うほど、美しい。。。

いやぁ、まいったなぁ、、、っていうのが、何よりの感想だ。

 

表紙は、1971年2月、4人の西側カメラマンを載せたヘリが撃墜された直後、APサイゴン支局長がニューヨークの本社に送ったテレックス、だそうだ。戦況の中での、タイプ原稿への手書きの校正・・・・。戦争の話の一つには、ジャーナリストというのもあるのだよね。。

 

目次
兵士たちの荷物

スピン
レイニー河で

友人
本当の戦争の話をしよう
歯科医
ソン・チャボンの恋人
ストッキング
教会
私が殺した男
待ち伏せ
スタイル
勇敢であること
覚え書
イン・ザ・フィールド
グッド・フォーム
フィールド・トリップ
ゴースト・ソルジャーズ
ナイト・ライフ
死者の生命


それぞれの短編の中には、オブライエンが主人公の話もあるし、そうでないものもある。
戦地での話もあるし、そうでないものもある。

戦地の話でないものだけれど、一番印象深いのは、「レイニー河で」という短編。

 

”この話だけはこれまで誰にも話したことがない。誰にもだ。両親にもはなしていないし、兄にも妹にも話していない。妻にだって話したことがない。こんなことを話しても、結局みんなきまりの悪い思いをするだけだろうと私はずっと思っていたのだ。”
とはじまる。


それは、マスターカレッジを卒業した1か月後のこと。オブライエンは、徴兵されたのだ。徴兵通知は、1968年6月17日に舞い込んだ。穏健な反戦的立場をとっていた彼は、殺したり殺されたりといった問題は、自分の身にだけはふりかからないことだと決め込んでいた。徴兵通知は、青天の霹靂。。。。。

そして、その後、彼は、、、、国外逃亡して徴兵を逃れることを考える。
まるで、ロシアで徴兵されて国外逃亡する今のロシアの若者の様だ。。。。

タイトルになっている、「レイニー河」(Rainy River) は、アメリカ合衆国ミネソタ州とカナダのオンタリオ州との間の国境となっている河。
河を渡れば、二度と故郷には帰れない。両親や兄妹たちとも二度と会えない・・・。それでも、渡るのか。。。

ミネソタ州側の川辺で、彼は6日間をとあるロッジで過ごす。ロッジの主人、老人のエルロイは、何も聞かずに彼を受け入れる。ただ、寝て、エルロイと一緒に食事をしてすごした。6日目、老人は、釣りをしようといって彼を連れ出す。そして、老人は、二人を乗せたボートを上流に向けて走らせた。気が付けば、カナダとの国境をこえていたのかもしれない。
対岸まで歩いてでもたどり着けそうな位置に舟を止めると、エルロイは釣り糸をたらし始めた。
彼は、、、「さあ、今だ」と、自分自身の存在をボートから放りだそうとした。
でも、、、、出来なかった。。。

”観客たちが、私の人生を見守っているように私には思えた。河面じゅうにそういう人々の顔が渦をまいていた。人々の叫びが聞こえた。裏切りもの!と彼らは叫んでいた。腰抜け野郎!弱虫!・・・・あざけりや、不名誉や、愛国者どもにまかにされることを我慢できなかった”

彼は、ボートの舳先に座って、泣いた。泣き声はだんだん大きくなっていた。声をあげてないた。激しく泣いた。

老人は、「食いつかんな」といって、釣り糸を引き上げて、ボートをミネソタの方に向けた。

そして、結果、かれはヴェトナムへ行く。そして、手榴弾で一人のヴェトナム兵士を殺す。

娘に「お父さんは人を殺したことあるの?」と聞かれて、「そんなことあるわけない」と答えていた。でも、娘が大人になり、正直に「ある」と言える日が、、やってくるのか。。。。胸がえぐられるような、強烈な、、、自分の過去。消えない過去。。。。好きで戦争にいったんじゃない・・・。それなのに、、、。やらなければやられる、、、。

想像したくない。

 

本書の中の短編「本当の戦争の話をしよう」のなかでは、
”結局のところ、言うまでもないことだが、本当の戦争の話というのは戦争についてのはなしではない。絶対に。それは太陽の光についての話である。それは君がこれからその河を渡って山岳部に向かい、そこでぞっとするようなことをしなくてはならないという朝の、河の水面に朝陽が照り映える特別な様子についての話である。それは愛と記憶についての話である。それは悲しみについての話である。。。。”


戦争の話の短編集。暗いわけではない。悲しさと虚しさと、人の愛と、、、。

なるほど。これは、「本当の戦争の話」なんだな、って思った。
結構、貴重な一冊。

やっぱり、戦争なんてなくなればいい。
全力でそう思う。
でも、そのために自分ができる事が何なのか、、、まだ、わからない。 

 

オブライエンは、本書の「覚え書」という短編中で

”ものを書くことはセラピーとは思わない”

といっているのだけれど、やっぱり、自分の中で何かを整理つけるセラピーになっているんじゃないのかな、って思った。

 

貴重な一冊、という気がした。

村上春樹の美しい訳本でよかった、って思う。